kenji-sanのブログ(骨髄異形成症候群と共に)

kenji-sanのブログ(骨髄異形成症候群と共に)

2013年1月に突然の骨髄異形成症候群告知。毎日の病気の様子や療養生活のこと、暇つぶしの連載小説など載せています。

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はじめまして、kenji-sanの妻です。
ブログをお読みいただきありがとうございました。

夫は骨髄異形成症候群と診断され、2年間の闘病生活でした。
職場復帰を目指し、病院の先生はじめいろいろな方に支えられ
ドナーさんも見つかり、骨髄移植を受けることができたこと
本当に感謝する毎日でした。

残念な事に昨年の3月に再発してからは、
ブログを書く事が生きる証になっていたように思います。
読んでくださる方がいる事、コメントやメッセージをくださる方がいる事が
とても励みになっていたようです。

夫は自分が書けなくなったら私に書くように言われたのですが、
その時はとても無理と思い、断りました。
しかし、昨日納骨も済ませたので、最後の充実した日々を報告するのも
妻の役目なのではないかと思い書いてみることにしました。

緩和病院へ転院してからの週末は本人の希望もあり
面会で大忙しになってしまいました。
その分満足はしていましたが、疲れたかもしれません。

その中でも、岩手の兄や中学時代の友人達と話せた事
娘2達が結婚の承諾をもらいに来た事が安心できるひとつとなりました。

私は一晩だけでしたが病室に泊まることができ、ゆっくり話せました。

1月20日 急に血圧が下がり、意識のない状態が続き
痛みもない中、本当に静かに逝きました。

1月25日の告別式では、教え子の合唱曲が流れる中
大勢の方に見送られ、幸せだったと思います。
弔辞をお願いした教え子の方は、最後に
「先生これからもよろしくお願いします。」と言ってくださいました。
本人も良い別れができたと思います。

今年になって、夫は『散る桜 残る桜も 散る桜』という言葉を
よく使うようになりました。
それが夫の死生観になったのかなと今は思っています。(後に良寛の言葉だと知りました)

闘病生活については本当によくがんばったし、悔いは残っていません。
いつも忙しくしていて、急ぎ足の人生だったかもしれませんが
本人の生きたいように生きた結果だと思うようにしています。
もっと生きていてほしかったし、
もっとできることがあったと思うことばかりですが
季節は巡り、庭のスイセンやチューリップの芽が出てきたのを見て、
前へ進まなければと思い始めたところです。
桜の季節になったら、昨年夫と行った桜を見に行こうかと思っています。

こんな生き方をしたkenji-sanがいた事、
何かの参考や励みにしていただければ嬉しいです。


これでkenji-sanのブログは終わりにさせていただきます。
長い間ありがとうございました。
                             kenji-sanの妻より