他人であれ、同僚であれ、友人であれ、恋人であれ、家族であれ、
 人との関わりを深めれば深めるほど、
「こんな悪い関係になるはずじゃなかったのに」とか
「もっと浅い関わりにしておけば良かった」なんて思わせることがあります。
 相手を嫌いになったり、利用されたり、自分がダメになっていくと感じたり、と、
 関わったことを後悔する関係の深まりがあります。

 こればかりが理由では無いでしょうが、人と関わるのが嫌いだ、とか、他人と関わるのが億劫だと感じる人は良くいます。

 誰かとの関係に後悔すると、次の誰かと関わるのが怖くなるなんてこともあります。

 恋愛で言えば、交際相手に騙されて終わったせいで、次の恋が出来ないとか、傷ついた過去の恐怖のせいで、誠意がある相手でも信じることが出来ないという事例もあります。
 
 
 白いキャンバスに筆で色を塗っていかないと絵が出来あがらない様に、
 人間関係を作るというのも、何もしないのでは関係は深まりません。
 白いキャンバスのままというのもキレイではありますが、それはただのキャンバスであって絵ではありません。
 人間関係で何もしないのは『ただの他人』か「単なる同僚」とか「単なるクラスメート」「単なるお隣さん」というような『知らない人ではない相手』でしかありません。
 
 
 皿や壷を作る陶芸で、「轆轤(ろくろ)」という回転する板の上に粘土を置いて、粘土を皿や壷の形にしていく技法があります。
 
 回転する板の上に載った粘土に、水で濡らした指を挿し込んだり、指や手のひらで粘土を押さえることで、粘土は形を変えていきます。
 
 回転する粘土に指を挿し込んだりする様に力を加えない限り、粘土は形を変えることはありません。
 いつまでも粘土の塊のままです。
 皿にも、壷にも、花瓶にも、鉢にもなりません。
 
 人と人の関係で言うなら、
 何かをしなければ人と人との関係も変わらないのです。
 
 ただ、陶芸の粘土も、毎回、キレイな形の皿になるとは限りません。
 チョッと手元が狂ったり、チョッと力を入れすぎたら、たちまち粘土の形はグニャグニャになり皿の形にはならなくなってしまいます。
 
 人と人との関係もそうですね。
 良い関係にしようとしてみても、必ずそうなるとはかぎりません。
 仲が悪くなることもあれば、相手を嫌いになったり、騙されたりすることもあります。
 何もしなければそんなことにはならなかったのですが、
 それでも何かをしなければ人間関係は深まりはしないのです。
 
 グニャグニャになるかもしれなくても、
 回転する板の上の粘土に、指を挿し入れなければ形を変えません。
 粘土の塊のままで皿にはならないのです。
 上手に出来なくて、ゆがんで形の皿になっても、それはそれで一つの作品。
 
 
 人間関係に傷つかないために何もしない、というのも一つの選択肢かもしれません。
 回転する粘土を形を変えないように、ただナデナデしているだけの様な、当たりさわりの無い人間関係。
 
 しかし、何もしなければ、成熟した人間関係が生まれはしないのも事実です。
 形を変えるために、相手を知り、自分を知らせる。
 指が粘土の形を変えるように、知ることは人間関係の形を変えさせます。
 
 粘土から、皿や丼は比較的簡単に形が出来ますが、複雑な形である壷は成形が難しいです。
 
 さらに関係を深めるには、触れたくない(触れられたくない)部分にまで触れなければならないこともあると思います。
 粘土にグイっと指を挿し込む様に・・・。
 ただ、そこから見事な作品になることもあれば、
 壊れることもあるとは思います。
 
 壊れるのは怖いです。
 
 それでも作品は形作る何かをしなければ生まれないのですね。  
 良い作品も、悪い作品も。・・・壊れた作品も。