ムラーノ城 < - KING RED DRAGON - > -5ページ目

クリミナル マインド

DVDリリースされたばかりの外国TVシリーズ!

クリミナルマインドを観た!( ̄▽+ ̄*)

「映画」羊たちの沈黙で有名になったプロファイリング

<行動科学を元とした犯罪捜査方法>駆使する

FBIチームの活躍をドラマ化した作品だが、

羊たちの沈黙と同じく、サイコ・サスペンスを基調とした

物語は同じ警察組織の活躍をえがいた

CSIとはまた違った面白さです!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


主役をシカゴホープで心臓外科医のチーフドクターを

演じていたマンディ・パティンキン演じているが、

「シカゴホープ」ではジェフリーガイガーという子供を

亡くして精神に障害をおった妻を持つという役柄だった、

今回も自分が指揮する凶悪事件で6人の殉職者を

出して心のトラウマにとらわれるベテラン・プロファイラー

ジェーソンギデオンを演じている!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ

<なんか同じような設定で

  同じょうな名前だが!よくある事か・・・ Oo。。( ̄¬ ̄*)ウム>


で!シカゴホープのファン

だった人にはオススメです!ヾ(@^▽^@)ノ


(作品の評価/☆☆☆☆★)星四つ!( ̄▽+ ̄*)きら
maides

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戦争の風と平和の祭典

いよいよ北京オリンピックが始った!(^0^)

oooo


近代オリンピックは古代オリンピックを発祥として

3000年近い時を経て1896年に復活した

世界的な一大イベントだが!


古代オリンピックの紀元は一説に

紀元前1000年頃に起こったギリシャとトロイとの

戦争の際(トロイ戦争)戦死したパトロクロスの死を

悼んだアキレスが戦場で競技会を開いたのが

その発祥とも云われている、


(注/トロイ戦争は足掛け

 十年も続いた戦争と云われている


もしこの風説が正しいとすれば、現代において

平和の祭典とまで言われるオリンピック自体が

その最初に戦争に起因するという事にもなるが、

(注/オリンピックの紀元には諸説有り)

古代ギリシャ社会では四年に一度行われた

オリンピックの際にはギリシャ全土

一切の戦争を停止したと云われるから、

近代オリンピックを平和の祭典形容するのも、

どうやらこうした歴史的背景を踏まえての事らしい、


だが現在の国際社会では戦争を全て

中止したという古代ギリシャ時代のようには行かないらしく、


北京オリンピックが開会した同じ8日、

ロシアがグルジアの南オセチア自治州に

介入してグルジアと大規模な戦闘状態に

入ったとの事、(_ _。)


guru
(南オセチアでミサイル攻撃を

 行うグルジア軍/ロイター配信画像)


元々グルジアはソビエト連邦からロシアと共に

独立した国なのだが、そのグルジア内の

南オセチア自治州でまた独立運動が起って、

これにロシアが南オセチア自治州側に立って

介入した事から、グルジアとの衝突に繋がったらしい、

現在グルジア・ロシア双方が自分たちの言い分を

国連で主張し、話し合いは平行線らしいが、


結局のところ戦争とは時と場所を

選ばずと言ったようだ!ロケットロケットヾ(▼ヘ▼;)


さて北京オリンピックが開会し、

ロシアとグルジアが戦争に突入した最中、

日本では9日に九州の長崎で63回目の原爆の日を

向かえた、長崎市では平和の式典が行われ(原爆忌)

改めて戦争反対を世界へ向けて訴えたが、

本来なら各国が互いに独立して喜んでいたはずの

旧ソビエト連邦参加の国々が、またまた独立問題で戦争!

しかもそれが平和の祭典を歌い文句にする

オリンピックの期間中である事を考えると、戦争が

無くなる日も当分は先の事になるようです、(>_<、)



mariya
(画像/長崎に原爆が落ちた際、

 原爆の炎に焼かれた聖母マリア像/浦上天主堂蔵)

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(追伸/キリストの聖母も戦争には無力のようです/byムラーノ男爵)

「映画」魔法にかけられて

DVDリリースされた映画!

「魔法にかけられて」を観た!( ̄▽+ ̄*)きら
mahou
アニメ映画と実写映画というジャンルを

うまくストーリーに取り込み、

ウォルト・ディズニ-社の強みを生かした作品だが!

ストーリー展開は発想勝ち、と言った感じで、

大人が観ていてもなかなか楽しめる作品に

仕上がっている!またハッピーエンドで終る

エンディングは最近、良い出来事が無い人には

オススメできる一本と言えるでしょう!(^O^)
mahou2
主役のエイミー・アダムスとパトリック・デンプシー


(作品の評価/☆☆☆☆★)星四つ!


魔法にかけられて オフィシャル サイトへ!


ディズニー映画なので子供を客層として

難しい設定は始めから無視といった感じですが、

それを割り引いても楽しめるかも! γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ 

それにしても久々のパトリック・デンプシーでした!∑ヾ( ̄0 ̄;ノオォ       

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ジャンパーとリトル・ロマンス

最近DVDリリースされたばかりの!

「映画」ジャンパーを観た!( ̄▽+ ̄*)
haneru
超能力者を主人公にしたアメリカの

人気テレビシリーズ、ヒーローズの

影響を受けてか?最近それとなく多い

超能力ハリウッド映画の一本だが、


脚本的には映画というより、

テレビの2時間モノドラマと言った感じで、

物語は二の次!とにかく瞬間移動の

超能力者を主人公に、 特撮と海外ロケで

押しまくるアクション映画!

そのため面白いかつまらないかは、

個人によって別れるところ、また

メインキャストが誰一人死なない設定は

続編を作る事をかなり意識しているといった

感じで、少々違和感があるが、


アメリカ本国でヒットしているので、

ほぼ間違いなく続編、もしくは

テレビシリーズ化が予想されます!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ

(あくまでも予想ですが/笑)


ジャンパー公式サイト!

(作品の評価/☆☆★★★)星二つ!



で!主役のヘイデン・クリステンセンの

母親役をあの!ダイアン・レインが演じていましたが、

∑ヾ( ̄0 ̄;ノオォ
dia

ダイアン・レインといえば!( ̄▽+ ̄*)きら!

懐かしの「映画」ドキドキリトル・ロマンス!ドキドキ

(1979年制作/アメリカ映画)


当時!ダイアン・レインが14才で初主演した

映画だが、このころ日本では話題の洋画が

公開されると日本で作ったイメージソングを

映画のプロモーション用やCFで流し、

主題歌という形で発売する事が多かったが、


(映画本編では使用されないが、最近またこうした

 日本だけでの主題歌・挿入が人気アーティストを選んで

 作られる傾向がある、しかし、なぜか映画とはほとんど

 関係ない曲がばかり!なぜでしょう! <笑>      )


で!「映画」リトル・ロマンスにも

サンセット・キスという

曲が日本だけのオリジナル主題歌として

発売され、映画公開の前後にCFで

流しまくったので、覚えている方も多いと思うが!


ムラーノも当時、レコードを買い!

  聞いていたが!懐かしい!の一言である!(T▽T;)/涙!>


daian

(歌/パオ)

(シングル・レコード/A面・英語版/B面・日本語版)


そんなこんなで!サンセット・キスを

カラオケで歌いたいと思っている今日

この頃のムラーノ男爵だが!Σ(~∀~||;)オォ

しかし、どのカラオケ・メーカーの楽曲にも無く!

誰か入れてくれー!o(;△;)oウゥ!

と思う次第です(大爆)


-リトル・ロマンス/解説-

リ郊外で父親と暮らしている少年・ダニエルがアメリカから母親と

やって来た少女、ローレンに出会い、すぐさま意気投合して、

老紳士のジュリアンから、ベネチアにあるため息の橋の下で

没の瞬間にキスをすれば永遠の愛で結ばれるという

伝説を聞き、そのダニエルと共に3人でベネチアへの

冒険に出掛けるというストーリー!

老紳士のジュリアンは詐欺師という設定で、

往年の名優ローレンス・オリヴィエが演じている事からも悪い

詐欺師であるはずもなく!3人は友情で結ばれていく中、

勘違いから誘拐事件に発展してしまうが、

このベネチアにあるため息のの下で

没の瞬間にキス(サンセット・キス)をすれば

永遠の愛で結ばれるという話しも実はジュリアンが作った

嘘だったという設定、それでもダニエルとローレンが

警察の捜索に追われながらも、ベネチアへ向かうという話しは、

昔、日本でヒットする事が多かった

純愛映画(今や死語です/笑)の典型と言えるかも!o(^^o)(o^^)o


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<追・追伸/アメブロのメンテナンスで

  ブログデーターが飛び!書き直し!ホントかよオイo(TωT )>


<追・追・追伸/ムラーノはいろいろ考えるとき!この曲を

  イメージする事も多いですが!/自分でも笑えます!o(TωT )>

一軍の将の悲劇<趙国の章>

一軍の将の悲劇2で

古代中国における戦国時代末期!( ̄へ  ̄ 凸
(中国の戦国時代は紀元前403年から紀元前223年)

秦が他の諸侯を その豊富な人材と軍事力で

圧倒し、天下統一を目前にまで迫まらせた

時代背景をブログしたが!今回は この秦の

怒濤の侵攻作戦の前に果敢に戦いを挑んだ

(otoko)達の物語を紹介しょうと思う!( ̄▽+ ̄*)きら!



1古代中国!戦国時代の末期

古代中国・戦国時代末、秦が強力な法治主義と官僚による

郡権制度の採用により、その経済力と軍事力を一国の国主の元に

集中し、他の列強を圧倒して広大な中国大陸の半分までを

併呑した経過を前回で説明したが、今回は本題に入る前に

こうした時代背景を少しだけ補足しておこう、
siro
(画像/明代の万里の長城)


紀元前403年、他の戦国七雄(秦・楚・斉・燕・趙・韓)

押さえて覇を唱えたは、宿命のライバルともいえた秦の

中原(中国文化の中心地)進出を阻止して戦国初期、

天下第一の強国となった諸侯であったが、優秀な官僚を擁して

最初に中央集権化を成し遂げた魏も、その領土があまりに

中国大陸の中央に位置しすぎていた為、優秀な官僚の

世代交代と共に例年のように繰り返される戦争に国力を低下させ、

ついに紀元前341年に東で斉に、紀元前340年には

西で秦に大敗して天下第一の強国としての地位を

明け渡す事となった、


そして紀元前293年、遂に国都の安邑を秦に落され、

領土の西半分を不失、東の太梁に遷都して以降、秦の前には

自力では全く太刀打ちできないほどのダメージを負った、

また同じ中原に位置し、同じく晋から別れたもこの頃になると

魏の大敗を受けて秦の軍事圧力をまともに受ける事となり、

日々その領土を秦に浸食されて行くという状況に至る、


さらに南方の大国としてを滅ぼし(紀元前334年)唯一秦に対抗できると

思われていたも、秦の策略と謀略を駆使した大攻勢の前に東方へ後退を

余儀なくされ、広大な南方領土の西半分を秦に侵略されてしまうという

事態に至る、こうした中で東の強国としてかって魏を破り、

を併合して(紀元前286年)一時期は秦と共に覇を唱えた

慢心するなか、格下国と思われていた燕の名将、楽毅が組織した

五カ国連合軍に滅亡寸前まで追い込まれ

(紀元前284年から紀元前279年の出来事)その後、

斉は国土は回復したものの以後、斉が往年の強さを取り戻す

事はなかった、こうして古代中国大陸に置ける覇権争いは

秦の圧倒的な一強が決定的となり、もはやこうした状況下において

秦とまともに開戦できる国は紀元前280年には存在しない状況となった、


こうした中で秦による天下統一も目前と迫ったが、

唯一辛うじて秦と対峙する諸侯があった、

それがかっての大国、晋から韓・魏と共に別れた

北方の諸侯・趙であった


趙では紀元前319年、武霊王の時代に北方騎馬民族の

戦法を大幅に取り得れ、当時の主力戦であった戦車戦に

騎馬の機動戦を併用し、飛躍的に野戦力を伸長させ、

その武力を背景に紀元前296年、斉の支援を受けて魏から

独立していた北の中山国を併合し、これを期に一気に未開地域と

されていた北辺周辺の開発に着手、趙は大きく国力を増大させる

きっかけをつかむが、こうした中で魏と韓、楚が中原の支配を巡って

秦と激闘を繰り返す中、北辺の開発に力を注いだ趙は比較的

秦との衝突を避けながら国力の温存に成功していた、


(注/趙の武霊王の時代、既に諸侯は周王家を無視して

 侯や公ではなく、それぞれ王号を称していたが、武霊王自身は

 趙にはまだその実力が無い、と言って王号を名のらなかった

 人物である、そのため武霊王の称号は後に彼に追称されたものである)


しかし、この頃になると魏と楚に決定的ダメージを負わせ、

韓の領土を削り、を滅ぼして中国大陸の半分までを

その手中とした秦の国力増大は飛び抜けたものとなり、

この時期には趙の富強を持ってしても、秦にはまともには

歯が立たないような状況となっていた、そしてこうした中で秦からは

趙に対して難題が持ち込まれる事となったが、これ以後、

戦国末の覇権をかけ、強すぎる秦と絶対的に不利な趙の戦いが

開始されるが、こうした中で一人の男が趙の側に立って奮戦する

事になる、彼の名を藺相如と言う、彼もまた一軍の将として

その生涯の晩年には悲運を象徴する人物となるが、


戦国末を舞台に、藺相如という(otoko)を追うことで、

一軍の将の悲劇とは具体的には、どのようなモノであるのかを

ムラーノ流に解釈して行こうと思うが、藺相如が中国の歴史に

登場するのが紀元前282年、この年、趙の恵文王が楚の秘蔵していた

名玉「和氏の壁」を手に入れている、そしてこの「和氏の壁」

きっかけにして、代中国は春秋時代から続く戦乱の時代の

クライマックスへと突き進んで行く事になる、



2 藺相如という

紀元前282年、この年、趙の恵文王が楚の

秘蔵していた名玉、「和氏の壁」を手に入れた


(注/趙の恵文王-在位期間-紀元前298年~紀元前266年)


この事を時の秦王、昭襄王が聞き及び

「和氏の璧」と秦の領有する十五城とを交換してほしいと

趙の恵文王に申し入れてきた、これに対し趙の恵文王は

重臣一同を招集して大国、秦からの要求に対策を

協議する事となったが、このとき大将軍であった廉頗を筆頭に

諸大臣達は様々な意見を恵文王に述べた、


「壁を渡しても狡猾な秦からは

 城邑は得られず、欺かれるだけでしょう」


「和氏の壁を渡さなければ強大な秦に

 我が国(趙)への軍事侵攻の口実を与える事になります」


「壁を渡せば、我が国が秦の

 属国である事を天下に示す事になりましょう」


こうして秦へ対する趙の外交方針は重臣達の意見が別れ、

容易には定まらなかった、こうしたなかで秦へ

差し向ける使者の人選も敵国の15城と壁の交換という

難題に難航していくが、


(注/秦の昭襄王-在位期間-紀元前306年~紀元前251年)


こうした中で宦官令の繆賢が恵文王に上奏してきた、


「私の客人に藺相如という

 者が居りますが、彼ならきっと

 良い上策を秘め、使者としても適任かと存じます」


これにたいし恵文王は「どのような人物か」と繆賢に問うた、


これに繆賢が藺相如について語り始める


「私はかって罪を犯して大王(恵文王)のお怒りを被り、

 処罰を恐れて燕へ亡命しようとした事がありました、

 そのとき私を止めたのが食客だった藺相如です   」


彼はその際「何故、燕へ行かれるのですか」と

私に尋ねてまいりましたが、私が


「以前に大王のお供をして燕王と国境付近で

 会った際、燕王が私の手を握って

 友人になってほしい、と言って来た、

 そういう思議なので燕へ行こうと思っている」


そう答えると、藺相如はこう申しました、


「燕は小国、趙は燕に比べれば大国です、

 燕王があなたと友人になりたいと願ったのは、

 あなたが大国である趙の王の寵愛を受けていればこそ、

 友人になりたいと申し出たのでしょう、  

 今、趙王の寵愛を失って不興をかったあなたが燕に

 逃亡すれば、燕は趙の武威を恐れ、あなたの滞在を認めない

 ばかりか、おそらくは、あなたを捕縛して趙に送り返す

 事になるでしょう、となれば、この際は何処かへ

 逃げるより、かってより心を通じた大王(恵文王)に

 平伏して謝し、許しを請うべきではありませんか、そうすれば

 長く大王にお仕えした、あなたなら、大王は御許しになる

 かも知れません、                           」

 

そこで彼の意見に従い、幸いにも大王には御許をいただいて

許された次第ですが、こうした事からも藺相如という男は

智恵と勇気を兼ね備えた者と判断して、大王に推薦した次第です、

 

この話に納得した恵文王は藺相如を直ぐさま呼び出し、

この難事にあたっていかにすべきかを質問した、


「いま秦の王が十五城と交換に和氏の壁を渡せと

 言ってきた、どうすべきか、そちの意見を聞きたい 」


これに対し藺相如は、


「相手は強大な秦のこと、

 壁を渡さなければ必ずや秦の侵攻を招く事になりましょう」


「では壁を秦に渡したとして、

 城邑を秦側が引き渡さなかったらいかがいたす」


「今、秦は交換を申し入れて来ています、壁を渡さず

 戦争が起これば非は趙にある事になるでしょう、

 方や和氏の壁を奪いながら、城邑を渡さなければ

 非は秦にあるという事になります、いずれが得策かといえば、

 壁と城の交換に一端は応じ、秦との間に戦争が起こったと

 しても、その責任は秦にあるようにする事が得策かと存じます」 


「では使者に適任者は居るだろうか」


「使者に適任者がいなければ、私が秦へ赴きましょう

 もし秦王が城邑を渡せば、壁はおいてまいりますが、

 城邑を渡す気配がなければ、この藺相如、

 どのような思案をめぐらしても壁を趙王のもとに

 持ち帰える事、必ずや完(まっとう)しましょう      」


こうして趙の恵文王は藺相如に和氏の壁を預け、

使者として強国である秦へとおもむかせる事にした、



3 完璧なる男

 

秦との交渉役に抜擢された藺相如は秦の都、

咸陽へと入った、秦の昭襄王は藺相如を謁見し、

兼ねてからの目的であった宝物、和氏の壁を

藺相如から手渡されて大いに喜び、側に侍る

寵姫や左右の家臣たちにこれを見せた、

すると直ぐさま周囲からは「万歳」の声が殿上に

響きわたった、しかし藺相如に対して城の引き渡しを

するための交渉の気配は全く無い、


この昭襄王の態度に藺相如は一計を案じ、

前に進み出て秦の昭襄王にささやいた、


「実は壁には小さい傷があるのですが、

 大王には、それをお教えしときましょう」


そう言って近ずくと、昭襄王から璧を受け取った、

すると藺相如はそのまま後ずさりし、柱を背にして

仁王立ちとなり、怒髪天を衝く!怒りの形相

凄まじくこう叫んだ、


「秦の大王は和氏の壁を手に入れようと

 使者を立て、秦十五城と交換に趙王に書を発した、

 しかるに趙王は群臣にこの議をはかったが、趙の群臣は皆、

 口をそろえ秦は貪欲な国だ、その兵が強きことをよい事に

 和氏の壁と十五城の交換などは絵空事にしかすぎないと、

 しかるに趙の朝議では壁と秦の城邑との交換は見送られる

 事になった、しかし、そのとき私はこう言った、下々の間で際、

 詐欺行為は恥とされている、ましてや天下第一の

 強国である秦が詐術を弄するわけがあろうかと、

 幸い趙王は私の意見を入れて斎戒すること五日、

 身を清めてこの私に壁と秦の大王への親書を持たせ、

 御前に届けさせる役目を御与えくだされた、ところがである、

 秦の大王は壁を手にするや左右の女どもに見せびらかし、

 趙の使者に礼を欠く態度をあからさまに、

 この私を愚弄した、もとより私は小官ゆえ

 このような扱いには慣れておる、しかし今

 たとえ小国、趙の使者であろうと使者を遇する

 やり方ではないであろう、しかるに秦の大王には

 和氏の壁と城邑の交換をする気などは微塵も

 無い事を悟った、だからこうして壁を取り戻したのだ、

 この私を殺したいなら殺せばいい、大国の秦を信じ、

 趙王に進言した私が愚かだったのだ、このまま趙の宝物、

 和氏を奪われれば使者の任も果たせなかった事になろう、

 ならばいっそ壁もろとも柱にこの頭を打ちつけ、

 自害して果てるまでだ、                     」


こう轟くように叫ぶと藺相如はそのまま柱を睨み、

和氏の壁もろとも柱に向けて己の頭を打ち

付けようとした、しかしそのとき、

和氏の壁を失う事を恐れた昭襄王が藺相如に

慌てて謝った、そして家臣に地図を持って来させ、

それを指さしながら秦に属する十五の城邑を趙に与える事を

約束した、しかし藺相如はそれが結果的に空手形に終ると

この時点で判断し、さらに一計を案じて、こう昭襄王に言った、



「和氏の壁は天下に聞こえた名玉です、趙王は秦の

 強大さを恐れ、大王に壁を献上せずにはいられませんでした、

 しかるに趙王は自らが斎戒し、五日に渡り身を清めて、

 秦の王に礼を示し、その後、私に壁を託されました、

 これにならい大王も五日の間、潔斎なされて最高の礼式を

 もって和氏の壁をお受けになるべきと存じます、しからば、

 私も喜んで天下の秦王に壁を献上させていただきましょう  」

 

これを聞いた昭襄王は趙の正式の外交使節であり、

決死の気構えの藺相如から壁を強引に取り上げる事は

無理と考え、また壁が傷つくことを恐れた昭襄王は彼の要求に

応じて五日間の潔斎に入った、こうして藺相如はその間、

広成殿舎という秦でも最上級の宿舎に滞在して待つ事となった、


しかしすでに城邑を渡す気配がない事を昭襄王の家臣からも

感じ取った藺相如は、密かに従者の一人に粗末な服を着せ、

秘密りに和氏の壁を趙へ持ち帰らせた、


そして自らは残って時間を稼ぎ、こうして5日後、

身を清め終えた昭襄王が殿上で和氏の璧の事を

藺相如にたずねる、すると藺相如はこう言った、


「秦は信義に厚いといわれた名君、穆公から二十数代を

 経ていますが、ついぞ信義・仁義を鑑みて約束を

 守られたという君主の話しを聞き及んだ事がございません、

 しかるに、私は趙王の信頼を裏切る事を恐れて、ひそかに

 壁を趙へ持ち帰らせました、                    」

 

これを聞き、昭襄王の臣下達がざわめき始めた、

尚も藺相如は言った、


「しかしながら、大国の秦が今一度、使者を立てて壁を望めば、

 秦の前には弱小にしかすぎない趙はふたたび壁を献上いたしましょう、

 その上で秦が先に十五の城を趙にお与えする事を実行すれば、

 壁一つを惜しんで強大な秦の王の恨みを買うような事を趙は決して

 いたしません、もとより秦の大王を欺いた罪が死にあたいする事は

 私自身、覚悟しておりますが、よくよく御重臣の方々との

 御審議を尽くされますように、                            」


藺相如のこの大胆かつ剛胆な行動に

昭襄王は重臣と顔を見合わせ、なかばあきれ顔になった、

同時に左右の者が藺相如を捕縛しようとした、

しかし昭襄王が、それを押しとどめ、藺相如を下がらせてから

重臣達にこう述べた、


「いまあの者を殺したところで壁は得られまい、

 また趙王の正式な使者を斬れば、趙との

 外交関係も断ち切られる事となる、今は、あの者を

 使者として十分に扱い、趙へ帰国させる

 事の方が天下にも聞こえがよかろう、(得策)

 趙も壁一つで我が秦に戦いを挑ん来る事もあるまい」


こうして藺相如は十五城と壁の交換交渉という難題を

趙国の面子を損なわず見事にきりぬけ、趙に帰国するが、

命を賭けた藺相如の外交交渉に感服した恵文王は

彼を自国の上大夫として以降、大きな信頼を寄せる事となった、


こうしてこの「和氏の壁」事件は

趙も壁を渡さないかわりに、秦も城を与えないという形で

決着する事となり、趙は秦と戦争に至る事はなかったのである



4 和氏の壁

さて、古代中国・戦国時代の末、天下の半分を領有する

強大な秦の昭襄王を相手に、天下の名玉「和氏の壁」を

守り抜いて一躍歴史の表舞台に立った藺相如であったが、

以後、彼は天下の併合を目論む秦の怒濤の侵攻作戦の前に

一軍の将として立ちはだかる事となるが、そもそも彼が

その最初に守り抜いた「和氏の壁」とはどのような

物だったのだろうか、少しふれておこう、


元々この和氏の壁は春秋時代に和氏という男が

楚の山中で偶然発見した粗玉であった、


和氏はこれを当時の楚の王、厲王(蚡冒)に献上したが、


「これは、ただの石でございます」


と宝石の鑑定師が厲王に報告したため、

厲王は立腹して偽物を掴ませようとした

ペテン師として和氏を足きりの刑に処し、その右足を切った、

やがて厲王が没し、武王が即位すると


和氏はふたたび同じ粗玉を献上したが、

武王が宝石師に鑑定させると厲王のときと同じく


「これは、ただの石でございます」 と言った、


そのため武王は和氏を偽物を掴ませようとした詐欺師として

やはり足斬きりの刑に処し、今度はその左足を切った、


やがて、武王が没して文王が即位したが、今度は和氏は

その粗玉を抱き、楚山の麓で泣き続けるだけだった、

やがて、三日三晩たち、涙は枯れ果て、目に流れるものは血だった、


新たに即位した文王はそれを聞くと、人をやり、その訳をたずねさせる、


「この世に罪を犯し、足きりの刑になった者は多い、

 なのに何故、そなたはそんなに悲しげに泣くのか、」


これに和氏はこたえる、


「私は足を切られたのが悲しいのではありません、

 宝石が石ころだと言われ、正直者がペテン師、

 詐欺師だと言われたことが悲しいのです、    」


はたして文王はその粗玉をみがかせてみた、

それはやがて光を放ち、紛れもない宝玉である事がわかった、

こうしてこの宝玉は彼の名をとって「和氏の壁」と呼ばれるようになったが

これ以降、「和氏の壁」は正しいはずであるはずの真理や真実が

世の中において、実際にはまかり通らない現実を具現化した

宝物として、その名を天下に知らしめる事となったが、


この和氏の壁の逸話は、和氏の壁の宝石としての価値以上に

価値があるものとして、古代中国・戦国時代を生きた

名君、英傑たちの憧れのアイテムとなった、


それゆえ趙の恵文王も楚から和氏の壁を手に入れ、

秦の昭襄王も十五城という破格の条件を提示して、

これを手に入れようとした、


<ムラーノも欲しい!o(TωT )>


つまり裏切りや策謀といったものが頂点に

達していく戦国時代、そうした時代に和氏の壁を求めた

秦の昭襄王は心の何処かで真理や真実、正義という概念を

求めていたという事が推測できた、藺相如はこの点を視野に入れ、

昭襄王の人格を冷静に分析した上で秦に旅立ち、


自分の命を賭けて和氏の壁を無事、趙に持ち帰る事に

成功している、後にこの藺相如の計算された外交術から、

日本や中国でもパーフェクトの意味で使われることとなる

-完璧- の言葉が生まれる事となった、


<完璧の故事/壁を完(まっとう)うして趙に帰らん -藺相如->     


怒髪天を衝くの故事/藺相如が

  外交交渉の場で見せた怒りを表現した怒髪衝冠が語源>


さて、強国!秦の王を相手に一軍どころか

たった一人で対等に渡り合い、趙国の名誉を守った

藺相如であったが、完璧の言葉を生み出したほどの

英傑を持ってしても、結局のところは一軍の将の悲劇と

故国の衰亡を退けえる事は出来なかった、(。>0<。)


で、次回に続きます!( ̄∇ ̄+)きら!


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