試練の年、勉強のとき
忍耐のサイパン旅行から昨日の夜に帰宅したが、気温の差に驚いた。
で、7分袖のカットソーで今朝、物件を見に行ったら、風邪引き始めのような症状が出てしまった。
今日は、早めに寝ます。
忍耐のサイパンは、うっかり私が殺されてしまうのではないかという事件もあった繰り返したくない旅行の一つに数えられる。
ま、年初めのハワイwithお局様 よりはまだマシだけど。←詳しく書いていなかった
今回のサイパンは驚きの連続だった。
一応、名目は祖父の育ったテニアンを訪問するというちょっと涙を誘うものだった。←祖父は15年前に亡くなった
まず、驚いたものは、成田空港で・・
係員「預ける荷物に現金などの貴重品はありませんか?」と言う問いに
祖母「入ってるよ。」←平然と答える。
係員&私&母←見送りに来た
「手荷物に入れて!」
で、出てきたものは、なんと!祖父の写真が入ったクリアケースに入った日本円。
涙さそう旅行のもう1人の主人公は大きな荷物の一部となって預けられる予定だった・・・。
そして、どこへ行くにも人を掻き分けて、まず自分が行こうとする。←いつも子供&孫’sがそれを止める
さらに、すぐ文句とひねた言葉を吐く・・・。←これで叔母が嫌がって避けている
年をとると欲望丸出しになるのかな?
でも、1人では何もできない。←肉体的にではなく、精神面で・・・
本人は、祖父が死んで頭がおかしくなったと言って好き放題だけど、
「そんな言い訳を盾に周りの人間を嫌な気持ちにさせても得なことは何もない」と一言もの申してしまった。←生意気な孫
だってさ、身内はもちろん、関わる人にもしてたらね~・・・それこそ、意地悪ばあさんだよ。
ま、すったもんだがあり、テニアンに着き、2時間半の滞在を足早に満喫する(←変な日本語)ことになった。
帰りのセスナのチケットが取れずに、フェリーで往復することになったので、短かったのだが、日や交通手段によっては1日いられる。←祖母が出発前にケチっていて何も予約できなかった
島内の交通手段がレンタカーくらいしかなかったために、ようやくレンタカーも許可された。←値段で許可が下りなかった
道なのか、密林なのかわからない中をひたすら進むと、ちょっとした観光スポットやらメモリアルポイントやら、風化してしまった建造物がでてきた。
「お父さん(祖父)が言っていた、あの場所には連れてってくれないんだね。」
痛烈批判が出てきた。
「私はおじいちゃんが言っていた場所がわからないけど、それはどこ?なんて名前?」
意味がわからないので、正直に言うと
「知らない。調べてないもん。」という答えが返ってきた。
(じゃ、そんなもん行けるかよ~!)
ちゃぶ台をひっくり返したい気持ちでいっぱいになってしまった。
食べ物食べれば、文句。
シュノーケリングにトライし、自ら、船を下りてみれば文句。(その後、私の首を絞めた)
マッサージをしてもらおうとすれば、以下同文。
お土産を買おうとすれば、以下同文。
そんなのが旅行中に何度も何度も・・・。
「だって、お父さんがなんでもやってくれたし、他の人も何でもやってくれるから、私は何もしなくていいの。今までも何もしたことないもん。」
そんな大人、イヤ・・・orz
力が抜けてしまった。
どうにか、2泊3日の任務を終えた私は気がついた。
私、全て、交通費やら食費やらを立て替えていて、お土産買ってない!!
慌てて、店を見ようとしたが、老婆、歩き回ることはしない。
3日間で行った店は、DFSとABCマートだけ・・・。
私も珍しく、お土産をDFSで購入した。
ただし、よいことはあった。
最後に嫌味たっぷりのお礼と私の支払った旅費、プレゼントとしてコーチのバッグをもらえることとなった。
アタクシ、初めてブランドのバッグを身につけました。
まあ、なんにしても、あの祖母が次回も行こう!という気持ちで帰ってくれたことである。
ただし、また誰かに「連れてってもらう」気でいるらしいことから、被害者の拡大は逃れられない未来かもしれない。
そして、私については、今年は学校以外でも、学びの年なのかもしれない。
今年に入ってから、人生について考えさせられること、結果として打たれ強くなくることが多く降りかかってきている。
来年にはどんな状況にも耐えうる強靭な精神力が完成し、1人で生きていく決意を固めることになっているかもしれない。
今日までの出費・・・
長くなってしまったので、割愛で。