以前、小さい庭のついたマンションに住んだことがある。
庭と言っても、大人4~5人がテーブルを囲んでいっぱいになるほどのスペースだったが、チワワが走り回るにはちょうどいいサイズで、私はドッグランに、左隣の住人はガーデニングに、右隣の住人は雑草の飼育に、それぞれ使用していた。
ある日、いつものように掃除をしながらココナツを庭に放し、ふと顔をあげると姿が見えない。
ココナツが庭から出ないように、少し前に柵をめぐらせたばかりで、庭から出るはずもないし、と窓に近寄ってその姿を探すと、右隣の庭の雑草の間を白いものが横切るのが視界に入った。
まさか、という思いでサンダルをつっかけて、庭に走り出ると、確かにヤツの白い尻尾が隣の庭で揺れている。
思えば昔から脱走の得意な犬だった。小屋のドアを器用に開けるようになったので、小屋をサークルで囲うと、今度はサークルをずらして隙間から逃げ、ソファーの上でくつろいでいる。
万が一オシッコでもされてはトラブルの元、と急いで垣根に近づき「ココナツ」と小声で呼びかける。
こちらを向いた顔をみてぎょっとした。脱走時にどんな苦労をしたものか、顔も体も泥と葉っぱにまみれている。
ココナツも、私のぎょっとした顔を見てはっとし、尻尾を低い位置でふるふるとさせている。
「あんなに汚して、せっかくお風呂に入れたばかりなのに、また洗わなくちゃ」「こんなに草ぼうぼうの中に入っちゃって、虫でもくっつけてきたらどうしよう」
などとこみ上げる怒りをぐっとこらえて、
「ココナツ、早くこっちおいで!」
と少し大きな声で呼びかけると、尻尾がピタリと止まった。
まずい。怒りを察知されてしまったようだ。ぐずぐずしていると、いつ右隣の住人の窓が開いて叱り飛ばされるか分からない。
「コーコナッツ。怒らないから、こっちおいで」
声のトーンをかえ、手をたたいておびき寄せようとするが、ココナツはピクリとも動かずにじっと私の顔を見ている。普段はぼんやりしているくせに、こういう時の勘は冴え渡っている。
こうなると言葉でおびきよせることはできない。部屋にとって返し、ジャーキーを片手に垣根に戻ると、勢いよく尻尾を振って一直線に駆けてきた。
捕獲。
抱き上げてボディーブローを何発かお見舞いし、風呂場へ直行する。その間、ココナツは顔を器用に動かしながら、空中でうまそうにジャーキーを食べていた。