こんにちは。代表です。
昨日は新宿の思い出横丁を通りがかって、気づいたら知らないおじさま、おばさまと飲んだくれて泣いていました。
そもそも仕事で新宿に行ったのですが、用も終わり、でも何となく駅からそれて歩いていましたら、以前訪れた喜多方ラーメンのお店を見つけたんです。
でもラーメンは今は重たいなと思い、通り過ぎてぶらぶらしていたら、一軒の焼き鳥屋さんが目に入ったんです。
お店の人はおらず、なんとなくカウンターに座って待っていましたら、「まだ仕込み中」とのことで追い出される始末です。
とりあえず焼き鳥は食べたくなってしまっていたのでまたぶらぶらして、気づいたら一軒の狭いお店に吸い込まれるように入っていました。
ウーロン茶を頼んで飲みながら焼き鳥を待っていると、隣の席の方が話しかけてきました。
「お酒のまないの??」
だから私はこう答えました。
「昼から飲むんですか?」
13時過ぎだったと思います。
その方は悩んでおられるようでした。
それを聞くうち、ビールを勧められました。
言われるがままに飲みまくり、気づいたら人数も増え、20時くらいになっていたというわけです。
長居したせいかいろいろな人が入れ替わり、それぞれが思い思いの話をして帰りました。
仕事終わりのサラリーマンの方が昼間から一杯やっていました。
灰色をまとい、どこにでもいるような人たち、狭いカウンターで串をひっくり返すママのおくれ毛、
雑踏、外国の方、かたことの日本語、
表面はツルッとしたそれらの下には、たくさんのドラマがありました。
みんな他人には笑顔を向けます。
でもその下には苦悩とかを抱えて、乗り越えてあるいは押し流されて そうやって生きてるんだぁと思ったんです。
トイレから戻ると ゴミがさりげなく片付けられていたり、
見ず知らずのおばさんまでもが、泣き上戸の私につられて泣きました。
そこにやさしさを見たのです。
私はお酒を恐れていました。
昔は前後不覚になるまで飲みました。
でもこれじゃいけないと思いなおして、断酒です。すると、人生が行き詰りました。
悲しみはお酒の力をかりてからだから出ていくのでしょうか?
あれダメ、これダメ、窮屈で退屈
なにも感じられなくなって 死さえちらつくころ、
私はお酒とまた友達になれたのです。
愛とかやさしさってなんなんでしょうね?
私はそういうの人一倍考えてきたと思ってたんですけどわかってませんでしたね。
愛は湧いてくるものでした。勝手に、自動的に、誰にでも、なんにでも。
やさしさは相手を丸ごと受け入れることでした。
あくまでも今の結論です。
見ず知らずの人にまで注がれてしまうものなんだ。っていうのを、
思考力が普段の三分の一程度になった頭で感じました。
気づくと電車の中で、立ったまま寝てました。
何もかも夢だったのかもしれません。
そこにあった愛情以外は。