旅がらす古巣はむめに成にけり

  鑑賞: 季語は「むめ(梅)」で春。
 
      黒っぽい装束で旅をしている自分を
      「からす」になぞらえて「旅がらす」。
 
      ひさしぶりに「古巣」、
      すなわち故郷に戻ってみたら、
      例年のように「むめ」の花が咲き匂っていた。
 
      やはり、故郷はいいな。
      ほっと安堵できる……。
      句意としてはそんなところで、
      さして面白味はない。
      が、ちょっと注目しておきたいのは
      「旅がらす」の比喩だ。
 
      現代人からすると、
      時代劇や演歌の影響もあって、
      なんとなく木枯紋次郎などの
      無宿人や渡世人を想像してしまう。
      「しょせん、あっしなんざあ、
       旅から旅への旅がらすでござんすよ」。
 
      そんな渡世人の句としても成立しないわけではないが、
      しかし、芭蕉にはそうした崩した
      自意識や自嘲の心はなかったはずだ。
 
      というのも、この「旅がらす」という言葉は、
      どうやら芭蕉その人の造語だったようだからである。
      「これ以前に、用例を見ない」と、
      古典俳句研究者であった乾裕幸『古典俳句鑑賞』(2002)にある。
 
      となれば、ひょっとすると渡世人を指す「旅がらす」も、
      掲句に発しているのかもしれないと想像できる。
      これは面白い、使える言い方だと、
      当時の誰かが飛びついた。
 
      それも、はじめは俳人や僧のような
      黒衣の旅人に限定して言っていたのが、
      だんだん意味が変わってきてしまったのではないだろうか。
 
      最近の国語辞典を見ると、
      もはや芭蕉が発想したであろうような「旅がらす」を
      イメージしての定義は載っていない。
 
      木枯紋次郎の側に、すっかり傾いている。
        (清水哲男)
芭蕉(1644~1694)は
 『野ざらし紀行』(1684~1685)
   東海道を西へ向かい、
   伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張・甲斐を廻った。
 
 『笈の小文』(1687)
   東海道を下り、鳴海・熱田・伊良湖崎・名古屋などを経て、
   伊勢神宮を参拝し、    
   その後吉野・大和・紀伊と巡り、
   さらに大坂・須磨・明石を旅して京都に入った。
 
 『更科紀行』(1688)
   京都から江戸への復路、
   大津・岐阜・名古屋・鳴海を経由し、
   信州更科の姨捨山で月を展望し、
   善光寺へ参拝を果たした後、8月下旬に江戸へ戻った。
 
 『おくのほそ道』(1689)
   下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前など、
   彼にとって未知の国々を巡る旅は、
   西行や能因らの歌枕や名所旧跡を辿る目的を持っており、
   多くの名句が詠まれた。
 
と・・・確かに元祖「旅がらす」だった!!
 
2024年4月27日
昨日榊の苗木5鉢を植え、
 
タケノコ・ゴーヤ・ゼンマイの料理3品も作っている。
(ゴーヤとゼンマイは私の定番料理)
 
連休初日の今日、
妻が大連から、息子が東京から帰省する。
 
大連便は広島空港13時20分着なので、
休憩と昼食のため家を10時半頃出るつもりである。
 
家~高松東IC=瀬戸大橋=本郷IC~広島空港
  (173km、約2時間)
 
帰りは三つ手前の高松西ICで降りて高松空港へ息子を迎えに行く。
15時45分着の羽田便なので
14時前に出られば間に合うだろう。
 
夕食メニューは、
ひれステーキ・イカとジャガイモの塩バター炒め・
白身魚のソテーを予定している。
出発前に17時に炊き上げるように予約しておこう!!
 
明日以降のメニューを考えると頭が痛い。
ヤレヤレ!!
 
 
 
 

言語記号は物と名前を結びつけるのではなく、

  概念と聴覚映像を結びつける。

 

  フェルディナン・ド・ソシュール

    スイスの言語学者、記号学者、哲学者。

    「近代言語学の父」といわれている。

 

    ソシュールは幼くも

    ドイツ語、英語、ラテン語、ギリシア語を習得した。

    当時のスイスの高名な言語学者であった

    アドルフ・ピクテに知り合うと彼に傾倒し、

    自分の知っている言語間の相互関係を明らかにしようとした。

    そして14歳のときに、

    「ギリシア語、ラテン語、

     ドイツ語の単語を少数の語根に集約するための試論」

     を書いた

 

    ソシュールは、言語を考察するに当たって、

    通時言語学/共時言語学、ラング/パロール、

    シニフィアン/シニフィエなどの二分法的な概念を用いた。

 

    通時言語学と共時言語学

      ソシュールは、言語学を通時言語学と共時言語各に二分した。

      従来の比較言語学のように、

      言語の歴史的側面を扱うのが「通時言語学」である。

      それに対して、言語の共時的(非歴史的、静態的)な

      構造を扱うのが「共時言語学」である。

 

    ラングとパロール

      共時言語学(記号論)においては、

      言語の社会的側面

      (ラング。語彙や文法など、

        社会に共有される言語上の約束事。コード)と

      言語の個人的側面

      (パロール、「今日は暑い」とか

       「私は完璧に血抜きされた魚の刺身を食べたい」や

       「どこでもドアが欲しい」などといった

        個人的な言語の運用。メッセージ)に二分し、

      「ラング」を共時言語学の対象とした。

 

    シーニュ、シニフィアンとシニフィエ

      言語(ラング)は記号(シーニュ)の体系であるとした。

      ソシュールによれば、

      記号は、

      シニフィアン

      (たとえば、日本語の「イ・ヌ」という音の連鎖など)と

      シニフィエ

      (たとえば、「イヌ」という音の表す言葉の概念)

      が表裏一体となって結びついたものである。

 

      そして、このシニフィアンとシニフィエの結びつきは、

      恣意的なものである。

      つまり、

      「イヌ」という概念は、

       "Dog"(英語)というシニフィアンと結びついても、

       "Chien"(フランス語)というシニフィアンと結びついても、

      どちらでもよいということである。

 

    二重分節

      音韻においても、概念においても、

      差異だけが意味を持ち、

      その言語独特の区切り方を行っていると主張する。

 

      まず、音韻について言えば、

      たとえば日本語では、五十音で音を区切っている。

 

      一方、音韻だけではなく、

      概念も言語によって区切られている。

      たとえば、「イヌ」という言葉の概念は、

      「イヌ」以外のすべての概念

       (ネコ、ネズミ、太陽、工場、川、地球……)

      との差異で存立している。

 

      人間は、

      「現実世界の認識の体系」と「言葉を構成する音の体系」

      という二つの体系を"分節"によって作りあげているのである。

      これを二重分節という。

 

    ランカージュ

      このように音韻や概念を分節し、

      言語を運用する人間の能力をランガージュと呼んだ。

      ランガージュを持つことによって、

      人間は「今日は暑い」とか「鰻が食べたい」といった

      個人的な言語を運用(パロール)

      することができるようになるのである。

      ソシュールは、

      「ランガージュは、人類を他の動物から弁別する印であり、

       人間学的あるいは社会学的といってもよい性格を持つ能力である」

      と述べている。

 

静岡の長男の初孫衣伽ちゃんは1歳8ヶ月になった。

毎日のように写真と動画をアップしてくれるので、

離れていてもその成長ぶりを目の当たりにできる。

まだ話すことは出来ないが、

衣伽ちゃん今確かに聴覚映像と言葉をひっつけようとしている。

 

もう直ぐ「みっちゃんじいちゃん」と呼んでくれるだろう!!

 

2024年4月26日

昨日は花壇の草抜きをして、

ダイアンサス(195円X12鉢2340円)と

プチホイップ(327円X4鉢1308円)を植えた。

 

 

今朝も体調は問題なし!(コロナには感染していなようだ?)

 

明日、大連から帰国する妻を広島空港(13:20着)に、そのまま

東京から帰省する息子を高松空港(15:40着)へ迎えに行けるだろう!!

広島空港までは片道2時間ぐらいなので、

大連便が遅れなければ大丈夫だと思っている。

 

昨日ネットで注文した榊の木5鉢が届いている。

午前中はそれを川沿いの雑種地に植えてから、

27日の夕食用の買い出しをする予定である。

 

午後は二人に人気がある定番料理の

”ゴーヤとスルメ酢の物・ゼンマイのキンピラ”と、

昨日K君が持って来てくれたタケノコを湯がいているので、

”タケノコと絹さや・人参の炊き合わせ”

を作って置くつもりだ。

 

明日のメインはステーキを予定している。

以降のメニューは二人の要望を聞いてから・・・・!

今年の連休は忙しくなりそうである。ヤレヤレ!

 

 

 

 

          

2024年4月25日

徳島県(旧阿波国)一帯に広がる

地蔵菩薩巡礼バスツワーに行ってくる。

 

  1番地福寺(じふくじ)

    徳島県石井町にある寺院。

    宗派は真言宗大覚寺派。

    本尊は地蔵菩薩。

 

    藤まつり

      紫と白の2株の藤が植えられており、

      毎年4月中旬から5月上旬の見ごろの際に

      「石井町商工会」の主催により、

      「藤まつり」が催される。

 

          

            1番の地福寺の後、近くの

         童学寺(どうがくじ)

    (真言宗善通寺派別格本山の寺院)

        の太師堂前の藤棚を鑑賞することになっている。

 

  2番地蔵院(じぞういん)

    徳島県徳島市名東町に位置する寺院で

    眉山山麓にある真言宗大覚寺派別格本山の寺院。

    本尊は延命地蔵。

 

    地蔵院池

      寺の放生池で地蔵院池と名づけられている。

      江戸時代には藩主の船遊び場となっていた。

      その屋形船の鷁首(げきしゅ)が現在も寺院にあり、

      寺宝の一つとなっている。

      バス釣りの名所としても知られており、

      休日には釣り人で賑わっている。

      池の周囲には桜がたくさん植えられており、

      春には花見をする人で賑わう。

 

  3番東照寺(とうしょうじ)

    徳島県徳島市福島にある寺院である。

 

    重要文化財(国指定)

      木造地蔵菩薩半跏像 - 檜の寄木造り、彩色、玉眼、84.2cm、

      1911年(明治44年)指定。

      鎌倉時代後期から室町時代初期の作と推定されている。

      長寿祈願の延命地蔵として信仰されている。

 

  4番宝蔵寺(ほうぞうじ)

    徳島県佐那河内村にある高野山真言宗の寺院である。

    本尊は地蔵菩薩。

    

    江戸時代前期の元和年間(1615年-1624年)に創建したと伝わる。

    地蔵菩薩を本尊とする真言宗御室派の寺だったが、

    1946年(昭和21年)に高野山真言宗となった。

 

  5番地蔵寺(じぞうじ)

    徳島県小松島市松島町にある真言宗大覚寺派の寺院。

    本尊は地蔵菩薩。

 

    空海の開基と伝わる。

    1621年(元和7年)に中興され、

    徳島藩祖・蜂須賀家政からの信仰が厚かったといわれている。

 

  6番拳正寺(けんしょうじ)

    徳島県阿南市羽ノ浦町中庄にある高野山真言宗の寺院。

    本尊は極楽地蔵

 

     観音山の麓にあり、

    古くは見性寺・見正寺・建性寺などと称していたが、

    1661年(万治4年)に徳島藩3代藩主の蜂須賀光隆が

    鷹狩に訪れた際に寺号を拳正寺と改めた。

 

 

それでは、行ってきます・・・・・・・・?

 

現在6時15分、バス乗り場乗車は6時25分!!

 

それなのにブログを書いている・・・、

ツワー会社へは昨日の午後不参加の連絡をしている。

(違約金は50%になるそうだ)

 

実は昨日、

さぬき市でフルーツトマトのハウス栽培をしている

元上司Iさんの作業を手伝いに行ってきた。

(いつものようにトマトを貰った)

 

作業は9時から2時間ぐらいで終了したが、

Iさんは2,3日前から少し風邪気味で体調が優れないようだった。

 

帰って昼食を食べ終わった頃、

Iさんから

「病院に行って検査したらコロナが陽性だった」

と連絡があった。

 

私は濃厚接触者・・・・か?

もし感染してたら・・・・と不安が広がる。

 

平熱35.4℃だが、夜になると徐々に体温があがり、

ピークは36.8℃まで上がっていた。

(スマートウオッチーで24時間測定)

 

今朝は35.4℃になっている。

検査キットで抗原検査をしてみた。

今回の結果は陰性だった。

ヤレヤレ!

 

今日明日はできる限り人との接触を避けて、

様子を見るつもりである。

 

熱が出たのは気のせいだったのか・・・・?

 

けちなことの譬え。

また、苦心して節約すること。

 

  英語: Skin a flint.

      火打ち石の削りくずを集める

 

  オランダ: Hij zou een kei het vel afstropen.

      石ころの皮をむく奴

 

                Hij zou een cent in tweeën bijten.

      一セント玉を嚙んで二つに割る

 

  ロシア:

      物惜しみは愚行にあらず

 

      けちな人に頼んでも(実どころか)皮ももらえない

 

  フランス: Tondre un œuf. 

      卵の毛を刈る

 

  ドイツ: Auf Sparflamme kochen.

      とろ火で料理する

 

  ルーマニア: A tăia coada mâţei.

      猫の尻尾を切る

      (猫の長い尻尾で扉を開いたままになると、

         寒気が入り暖房が無駄になることから)

 

  ネパール:

      けちな家にはネズミも客をとらない

 

  モンゴル:

      金持ちは糞を乾かすが、貧乏人は牛糞を乾かす

      (金持ちが糞を乾かすとはけちの意、

           牛糞を乾かすのは燃料として利用すること)

 

  台湾:一个錢拍二十四个結

      銀貨に紐で二十四も結び目を作る(財布の紐が固い)

 

     好額人,乞丐命

      金持ちなのに物乞い生活

 

  中国: 一毛不拔

      一本の毛も抜かない

      (元は『孟子』のことば。

             毛一本すら社会に貢献しないことを言ったが、

            現代はけちの意)

 

      愛財如命

      命より金を大事にする

 

  韓国: 마를 찔러도 혈 한 방울 나오지 않는다

      額を刺しても血一滴出ない

 

      숯은 지리고 나서 불을 붙여 쌀은 오래되고 나서 짓는다

      炭はちびってから火をつけ米は古くなってから炊く

 

ロウソクの代わりの明かりとして、

手の爪を燃やすことからいう。

 

まぁ、これは全く効果は無いと思うが・・・・!

 

ケチと節約は全然異なるものだと思う。

ケチは悪徳、節約は美徳!!!

皆さんはどう思いますか・・・?

 

2024年4月24日

昨日トマト栽培の先輩から電話があって

枯れた木を倒しに行くことになったので、

午前中の集会場での『さんさい会』を欠席する。

 

3月に続いて休むことになるので少々気が引けるが、

まぁ、トマトもくれるのでやっぱりこちら優先やなぁ!!

 

この27日に帰省する妻・息子からは、

料理のレパートリーを増やすように言われている。

 

連休はトマトを使った料理に挑戦してみるか・・・?

 

昨日はゴルフ練習に行けなかったので、

午後はゴルフの練習に。

 

 

      

   

春潮や渚に置きし乳母車

  鑑賞: てもとにある歳時記には、
      「春潮(しゆんてう)」は
        「あたたかい藍色の海の水。
         たのしくゆたかな、喜びの思いがある」
      と説明されている。
 
      陽気が良くなり、
      春の海の表情もようやく息を吹き返して、
      どこかしらやわらいでくる。
 
      暖かさあふれる渚に置かれた乳母車に
      やわらかい陽がこぼれ、
      乗っている赤ん坊も機嫌良く
      ねむっているようにさえ感じられる。
      穏やかな春のひとときである。
 
      橋本多佳子の名句
       「乳母車夏の怒濤によこむきに
      とは対照的な世界と言える。
 
      劉生は言うまでもなく
      「麗子像」でよく知られた画家だが、
      詩や俳句、小説までも残している。
 
      「五、七、五、七、七などの調子の束縛は
       それ自身が一つの美を出す用材になる。
       手段になる。
       ここでは縛られることが生かされる事になる」
      と書いている。
 
      俳句においても、
      「縛られること…云々」には私も同感である。
 
      鵠沼、京都などに住んだ後、
      鎌倉に転居してから掲句や
       「大仏へ一すじ道や風かほる
      が「ホトトギス」「雲母」などに入選している。
 
       内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。
          (八木忠栄)
 
乳母車の子供は女の子・・・麗子かも知れないなぁ・・・!?
 
 
2024年4月23日
昨日の午後、
同級生のK君が西瓜3本・ピーマン1本・トマト1本
の苗を持って来て植えてくれた。
先日の胡瓜3本・茄子3本を含め合計1621円の投資である。
後日栗南瓜も植えてくれるそうである。謝謝!!
スーパーで6~7月の収穫時期に買えば
  西瓜大玉1個1200円、胡瓜2本100円、茄子3本250円、
  トマト4個300円、ピーマン4個250円
ぐらいだから、十分元は取れそうである。
 
今日は雨模様なので水やりはしなくてもよさそうだ。
 
午前中はヨーガ教室。
 
午後はゴルフの練習に。