不定期アクション投稿 私と日常

ザ・スーン公演予定


2010年10月16日(土)名古屋・池下 CLUB UPSET


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明けましておめでとうございます

昨年いろいろとお世話になった皆様、
今年も宜しくお願いします。

今、ザ・スーンの4曲入デモCDを制作してます。
今月末までに完成させたいと思ってましたが・・
来月になってしまうかも・・。

ザ・スーン新年最初のライブは、

1月30日(日)新栄デイトライブにて外国ず主催イベントです。


バンドじゃない告知です。

私がちょい友情出演している
自主映画「太陽戦争」(市原啓監督作品)が、
9月4日(土)新栄クラブロックンロールで上映されます。


「大名古屋活動写真館」
2010年9月4日土曜日 18:00~
新栄クラブロックンロール
前売:2,000円
当日:2,300円(1ドリンク込み)

―上映作品―

太陽戦争(市原啓監督作品)
サクセスプランナー(加藤行延監督作品)
陸軍報道部(目羅嘉也監督作品)

And more...

※太陽戦争は一番最後の上映予定


[内容]

太陽戦争
2010年度作品
昭和20年夏、中国奥地で孤塁を守る兵士たち。
巨大な戦争の中では取るに足りぬ小部隊であったが、
その地下陣地では起死回生の秘密兵器が開発されていた。
迫る終戦のリミット、秘密兵器は間に合うのか。
血みどろの攻防、暗躍する謎の男、そして儚い恋の行方は?
名古屋の奇才!?市原啓監督が放つ、
本格娯楽活劇・・になる予定。本邦初公開。




不定期アクション投稿 私と日常



不定期アクション投稿 私と日常

おはようございます。

深い深い眠りから覚めました。





新ドラマーが加入しました。


京都出身の平松君です。


マティー”と呼んであげて下さい。






スーンも早いもので結成から6年が経ちました。



結成当時の写真です。

↓↓


不定期アクション投稿 私と日常


結成当時の自分です。

↓↓


不定期アクション投稿 私と日常




当時は赤いリッケンバッカーを使用してました。



リッケン かっこいいな。







ではでは



おやすみなさい・・・。






若かりし旅日記(第6話)

― 5日目 ― マンハッタン



昨夜は少しだけ眠れた。



少し慣れてきたからだろう。


窓の外を見ると、


「なんてことだ・・」


雨が降っている。


今日こそは「自由の女神像」を見に行こうと思っていたのに・・。


しかし諦めるわけにはいかない。


今日でニューヨーク滞在は最後なのだ。


明日はサンフランシスコに移動しなければならない。



このままではニューヨークまで来て

ただ街をフラついただけになってしまう。



先ず、ホテル前のダンキンドーナツに行き、

フレンチクルーラーとMサイズなのにデカイホットコーヒーで

軽く朝食をとり、

地下鉄に乗って女神へ向かった。


地下鉄は汚いが、思ったより怖くなかった。



そして目的のフェリー乗り場に到着すると、


なんだか様子が変だ。


チケット売り場の前にいた観光客ご一行らしき人にたずねると、


「今日は雨とすごい霧で何も見えないのでフェリーは運休」


とのこと。


ガーン!!!!


とてもショックだ。


たしかにすごい霧で海岸から何も見えない。


せっかくニューヨークに来て「自由の女神像」を見れないなんて


ショックだああああああああああ!!



しょうがないと気を取り直し、周辺をフラフラ歩いていたら

もう時間が11:30頃だったので、腹ごしらえにマクドナルドに入った。


とにかくここのマクドナルドはすごかった。


先ず、入り口にドアボーイがついていて、

客が来ると「いらっしゃいませ」とドアを開けてくれる。


そして中に入ると、これがまたゴージャスだ。


ロフトで男性がピアノの生演奏をしている。


店内には制服の女性が何人かいて、後かたづけなどしてくれる。


たぶん世界一豪華なマクドナルドなのではないだろうか。


ゴージャスなマックで普通のハンバーガーを食べた後、

その近くにあるニューヨークで一番高いというツインビル、

世界貿易センタービルの展望に登ってみることにした。


しかしここでもまた、


「この悪天候のため今日はダメ」


と言われた。



しかたなく、その後、「ブルックリン橋」を見て、

また地下鉄でミッドタウンに戻ってきた。


キングコングで有名な「エンパイア・ステート・ビル」には登りたいと思い、

チケット売り場に行ったら、


売り場のおじさんに

「エンパイア・ステート・ビルにカミナリが落ちている絵」を見せられて、

また「ダメだ」と言われた。


「じゃあ、2階にある”スターライド”って乗り物は何?」と聞くと、


おじさんはジェスチャーを交えて親切に説明してくれた。


おまけに割引券までくれた。


とても良い人だった。


2階に上がって、チケットを7ドルで購入し、(9ドル-割引2ドル)

スターライドに乗った。


これは、体感アミューズメントで、

スターライドに乗ってニューヨークの街を縦横無尽に駆け巡る

映像を観るというものだった。

とても普通に面白かった。



結局、ニューヨーク観光は

現地まで来て、疑似体験で終わってしまった・・。



一旦、ホテルに戻り、17:30頃また外に出て、

近くのピザ屋で店員が美味しいとすすめるピザを一切れ買い、

別の店でバドワイザーを買って部屋に戻って食べた。


そして、満腹になると、またそのまま寝てしまった。



目を覚ますと・・ 現在AM5:19



これでニューヨークは最後だが、

結局、したかった夜遊びもできなかった。


やっと慣れてきた頃に終わりだが、

そんなに長く居られるところでもないと思う。

というか早く帰りたい。



思えば最初から色々あったが、

良い経験になりました。


自由の女神は見たかった~



明日は無事にサンフランシスコに着けるか・・

とても心配である・・。




マンハッタン編 ― 完 ―



・・次回サンフランシスコ編につづく。




若かりし旅日記(第5話)

― 4日目 ― マンハッタン



結局また眠れなかった。



今日は地下鉄に乗り、”自由の女神像”へ行こう!と思ったら・・


窓の外は雨だった。


とてもガッカリだ。


でも部屋の中にいるのはもったいないし、特にすることが無いので

ダウンタウンの方まで歩いていくことにした。


その前に、某旅行会社のニューヨーク支店へ

日本人恋しさ&色々教えてもらおうと向かったが、

結局場所がわからなかった。


とても腹が減ったので朝食に「ダンキンドーナツ」に入った。

オールドファッションとフレンチクルーラーとアイスコ-ヒーMサイズを

注文した。

中で食べていくつもりだったのに袋に包まれてしまったので、

しかたなく、それを持ってまたホテルに戻り、部屋で食べた。


食事の後、また外に出てダウンタウン方面へ歩いた。


タワーレコードを見つけて中に入った。

CDはだいたい15ドルくらいだった。


そして、チャイナタウンを抜けてブルックリン橋の方へ行ったが、

近くまで行けず、橋は少しだけしか見えなかった。

ニューヨーク警察本部のところで引き返し、

途中、マクドナルドで遅い昼食を食べた。


街をぐるっと歩いてみたが、

マンハッタンは近代都市というより、近代的なビルもあるが、

古い建物がほとんどだ。

そして、店が沢山ある。店ばかりだ。

店がまえは中国っぽい感じが多い気がした。


ここに来て3日目になって、ようやくこの街に慣れてきた。


気分はもうニューヨーカーである。


街のほとんどの所はもう見たので、

あとは”自由の女神像”と

エンパイアステートビル”に行くだけだ。


今日はなかなか楽しかった。



ちなみに、今日も歩き疲れてベッドに横になったら、

PM7:00前にそのまま寝てしまった。


目を覚ましたらPM11:00頃だった。

また夕食を食べそこねてしまった・・。



明日はニューヨーク最終日。


”エンパイアステートビルの展望台”と


”自由の女神像”を回って、


ニューヨークの旅を締めくくりたいと思う。



現在、AM1:40。

また眠れない気がする。

毎日こんな生活では身体がもたない。



若かりし旅日記(第4話)

― 3日目 ― マンハッタン



結局一睡もできなかった。



今日は、母から頼まれていた土産の靴を忘れないうちに買うために

セントラルパーク方面へ行くことにした。


が、その前に誰でもいいから国際電話をかけたくてたまらなかったので

日本時間に合わせて朝8時頃(日本では夜10時頃)にはホテルを

飛び出した。


小銭があまり無いのでテレホンカードが使える所を探そうと、

グランドセントラル駅に向かった。


駅で公衆電話を見つけたが、テレホンカードが全然入らない。

アメリカのテレホンカードは日本と違うのだろうか??

(当時はマジでそう思った。)


しかたなく小銭で電話をかけることにしたが、

お金を入れてダイヤルするとお金が戻ってくる。

どうしてもかけられない。


誰かに教えてもらおうにも日本人はいない。


絶望的だ・・。


しかたなく諦めて街を歩いた。


時間が早すぎてまだ店が開いていないので、

セントラルパークにあるジョンレノンの記念碑

ストロベリー・フィールズへ行くことにした。


セントラルパークは雪でまっ白だった。

なんとスキーをしている人がいた。

犬の散歩に来ている人が沢山いた。


ストロベリー・フィ-ルズに着いた時は感動した。

碑の中央に一輪のバラが添えられていた。


その後、メトロポリタン美術館へ行ったが月曜休みの

休館日だった。


近くのデパートの中をぐるっと回って、SONYのビルを見て、

その後、トランプタワーへ行った。

ここはビル全体が金キラキンで凄い所だ。


その後、ティファニー本店の店内を素通りし、

フェラガモの店に恐る恐る入ると、

店員が「靴をお探しですか?」と話しかけてきたので、

「母へのプレゼントです」と答えると

「サイズは?」と聞かれ、「5です」と答えた。

とりあえず靴を選んで「これを下さい」と言うと、

横から日本人の店員さんが出てきて靴のサイズについてなど

色々と教えてくれた。



とりあえず頼まれていた靴を買うことが出来て良かった。


腹がへったので、マクドナルドでチーズバーガーセットを買って

ホテルの部屋に戻ることにした。


マクドナルドの前に「東京書店」という本屋があったので

中に入ってみたら、日本の漫画や雑誌などが置いてあり、

店員も日本人のおばちゃんだった。


部屋に戻り昼食のハンバーガーを食べた。

昼3時30分頃だ。


めちゃくちゃ歩き疲れて

(よく考えたら夕べ寝てないのだ。)

ベッドに倒れたら、またそのまま寝てしまった。


目を覚ますと夜11時頃だった・・。


夕食を食べ損ねてしまった・・。


昨日もそうだが1日1食ですごしている。

(しかもハンバーガーで。)


今日はちゃんと恐る恐る風呂に入りました。

(共同風呂なので夜中に誰も居ないのを確認して素早く浴室に入り

カギをかけて、他の人が来る前に素早く入浴するのだ。)



今日はまあまあ面白かった。



でも今日も眠れるかどうかわからない。



部屋の隅で古いオイルヒーターらしきものが先端から

プシュー

プシュー

プシュー

と蒸気と音を発していてとても気になる。



プシューのところに手をやったら、


ビリビリビリッと電気が流れてビビッた。




とても恐ろしい。




早く帰りたい。



若かりし旅日記(第3話)

― 2日目 ― マンハッタン



明け方からガイドブックで宿泊先を探していた。



いきなり所持金がかなり少なくなったので、できるだけ安いホテルを探した。


英語が話せないのと、

昨晩の出来事によって極度のホームシックに陥っていた僕は

とにかく日本人が恋しく、日系人が経営しているというB&Bに

部屋から電話した。


が、満室だった。


絶望的だ・・。



落ち着かないので朝9:00前にチェックアウトしてホテル探しに出かけた。



外はめちゃくちゃ寒い。


(実はこの時期ニューヨークには凄い大寒波が来ていて

鬼のような寒さだったのだ。)



まずガイドブックに載っていたWMCAへ行ってみたが

受付の女性に受付けは午後1時からだと非常に非常に冷たく言われた。


午後1時まで待っていたら他のホテルも一杯になってしまうのではないか

と思い、他のホテルを探すことにした。



(外に出る時は、なめられてはいけないと

胸を張り、険しい顔をして堂々と歩くようにした。

ちなみに荷物は数枚の着替えを入れたスポーツバックひとつだけ。

なるべく旅行者に見られて狙われないようにした。

自分的にはニューヨーク在住の日本人を演じているつもりだ。)



もうホテルのアテは無いし、

日本人は1人も見あたらないので、誰かに聞くこともできないし、

英語はわからないし・・。


この寒さのなか、もしホテルが見つからなかったら


絶対に死んでしまう。


街を歩きながらどうしようもない孤独と恐怖に陥った。


とにかく日本人と話がしたい。

外人こわい。

国際電話の使い方がわからない。



しばらく歩いて、ミッドタウンでwolcottというホテルを見つけた。


恐る恐る「安い部屋は空いていないか?」と尋ねると・・


空いていた!



(ちなみに出だしの一言は「アイム プアートラベラー」だった。

日本人旅行者だと思って高い部屋にされるといけないので

貧乏をアピールしたのだ。)



料金は1泊52.96ドル(TAX込)だと言う。


「4泊できるか?」と聞くと、空いてると言う。


そのかわり、風呂とトイレは部屋に無く共同だと言われたが、

その部屋でOKした。


とりあえずホッとした。



部屋へ行くと、掃除の女性がいて、

「まだ部屋を掃除していないから掃除します。」と言った。


掃除をしてもらってる間、優しくいろいろと教えてくれた。

彼女はスペイン人の32歳で子供が2人いるらしい。

とてもいい人だった。


(この以後もそうなのだが、英語がさっぱりの僕でも

身振り手振りを合わせて以外と会話が成り立つことにおどろいた。)



部屋は、汚く狭い部屋だった。

ホッとしてベットに倒れると、そのまま寝てしまった・・。



目を覚ますと、なんともう夜の9時半頃だった。



1日が早くも終わっていた・・。



まず予約確認のTEL(確か飛行機の予約確認)をしなくてはと、

小銭を作りがてら外へ夕食を買いに出かけた。


夜の外出は怖い。


まず水を買いにコンビニ風の店へ行き、

その後マクドナルドでマックチキンセットを買った。


ホテルに帰り、ロビーの電話で予約確認をし、部屋に戻った。



とにかく落ちつかない。

ずっとドキドキして食欲もなかった。

とにかく何も手につかない。

どうしようもなく孤独である。


早くサンフランシスコへ行きたい。


帰りたい。



もう夜中の1時半頃だ。


風呂は入らないでおこう。(共同風呂は怖いし)


今晩も眠れるかわからない。



外はひっきりなしにサイレンの音が鳴り響いている。




若かりし旅日記(第2話)

-出発の日-


<本日の予定>

近鉄上本町から関空行きバスで空港へ

PM7:00発ユナイテッド航空に乗り

サンフランシスコ経由でニューヨーク(JFK空港)に到着

空港からタクシーに乗り込みマンハッタンのホテルにチェックイン!




今日は朝から雪が降っていた・・。



近鉄上本町に着くと関西空港行きバスが雪のため運休。


いきなりブルーだ。


それより飛行機に間に合わなかったら洒落にならん。


難波からラピート特急に乗り、なんとか無事空港に到着。


バス代は戻ってこない・・。




初めての飛行機。


機内では隣席の竹下さんという方がとても良くしてくれた。

(竹下さんは半導体の会社に勤めておりサンディエゴに住んでいる。

仕事で日本に来てまたサンディエゴに帰るとこらしい)


サンフランシスコに到着すると、

竹下さんは会社の同僚に「先に行ってくれ」と言い、

僕に付き添ってニューヨーク便への乗り継ぎの面倒もみてくれた。

そして、「またいつかサンディエゴに遊びに来い。」

「旅先で何かあればいつでも連絡してくれ。」

と言って住所と電話番号を書いてくれた。



サンフランシスコからニューヨークまでは長かった。

乗客はとても少なく、1列に1人位だったので皆が横になって寝ていた。




夜の11時頃にJFK空港に到着。

ニューヨークは雪でまっ白だ。


空港の外に出てタクシーに乗ろうとしていたら、

1人の男がこっちに来て「マンハッタン行きはこっちだ」と言う。

良くわからず付いていくと車に男がもう1人。

そして荷物をトランクに積まれ、強引にタクシーに乗せられた。


車内では軽いトークと和やかな雰囲気だったので少し安心していたら

ホテルに到着すると料金が410ドルだと言う。

(帰りのタクシーはチップ込みで26ドルだった)


やられた!白タクに捕まった!!

(今になって考えると黒いキャデラックのタクシーなんてありえない)


とにかく料金が高すぎると、(英語の喋れない私は

「No!プライスダウン!」と抗議したが、


2人の男は豹変し、

「いいから早く払え」とすごんできた。


やばい殺されるかも


と思い、しかたなく410ドルを出した。


ところが男はマジック使いだった。


渡した紙幣を男が数えると100ドル札が1枚、

10ドル札に変わってしまっているのだ!!


最終的に600ドルとられて解放された。



その晩は、悔しさと恐ろしさで落ち着かず、

結局一睡もできなかった。



ニューヨークは怖い。



早く帰りたい。



若かりし旅日記(第1話)

-プロローグ-




「そうだアメリカへ一人旅に行こう!」




突然そう思い立ったのは私が23歳のまだ若かりし頃だった。


海外どころか飛行機すら乗ったことがないのに・・。




「旅でアメリカの人と文化に触れたいな」


英語がまったく話せないのに・・。




だいたいどうしてアメリカなのか?


それは外国の中でアメリカが一番メジャーだからだ。

そして、アメリカといえばもちろんニューヨークである。マンハッタンである。


あとアメリカを1ケ月半ほど一人旅して帰ってきた友人の影響もあった。

彼は私のことをいつも「ヘイ!メン!」と呼んだ。




早速パスポートも持ってないのに旅行会社へ行き、

10日間ほどの滞在予定で航空券を予約。

宿はむこうで適当に探すことにしていたが、(これが大きな間違いだった。)

初日のニューヨーク到着が夜になるからホテルを予約しておいた方がいいと

言うので、1晩だけホテルを予約。



その後、急いでパスポートを申請し、国際免許証も取得。

パスポートができたのは出発日の直前だった。



こうして唐突にアメリカぶらり旅が始まったのである。



季節は真冬であった。




<ぶらり旅スケジュール>

関西国際空港→ニューヨーク6日間→サンフランシスコ4日間→関西国際空港 



旅日記

若かりし頃に10日間ほどアメリカを一人旅したときの日記が

職場デスクの奥から出てきた。

旅先でお世話になった方に送ろうとして

結局送らずにそのままになっていたものだ。


なんだか面白いので連載してみたいと思う。


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