まちびと
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からすみについてほころびについて

 久しぶりの東京。夫と一緒に。晩御飯なんにしよっかと聞かれ、昔好きだった居酒屋の名前を挙げた。

 そこは結婚前に夫と結構通った居酒屋。小さなお店で基本的には焼き鳥屋さんなんだけれど板さんがいて魚も結構おいしい。店員さんは三人いる。焼き鳥を焼く人と料理を作る人とフロアの人。焼き鳥を焼いてるのがお父さん、背が高くて活舌のいいフロアのお姉さんがその娘、板さんが娘婿だと勝手に思っている。

 割と安いお店が立ち並ぶ界隈にあるんだけれど、その店はそこまで安くない。けど魚がおいしいので不満はない。むしろ周辺の店ほどお客さんが怖くないので私はすごくそのお店が好き。

 店に入ると、板さんがいなかった。いや、いるんだけれど以前フロアにいたお姉さんが包丁を握っていた。お父さんは健在で黙々と串を焼いている。フロアにはお姉さんの代わりに中国人の女の子がいた。そうかあ、板さん出てっちゃったかあ。もしかしたら単に休みとかなのかもしれないけれど私の中では婿養子で寡黙な板さんがお父さんとのそりが合わずに出て行ったことになった。前来た時から結構経つもんな。もしかしたら五年?六年?もう少し経ってる?まあとにかくいろいろ変わるよね、生きてると。なんにしてもお店がなくなってなくてよかった。

 席につく。夫を見ると適当に頼んで、と目で言ってきたのでビールと梅しそサワー、ほかに何品か適当に頼む。大きめのジョッキに注がれたビールと梅しそサワーがごとんと置かれ、私たちは乾杯する。

 お通しで出てきたおひたしはおいしかった。それをつまみに梅しそサワーを飲む。夫と明日の予定について話すが夫はやや上の空のようだ。そういうことはよくある。彼は研究職についていて、研究に意識を半分持っていかれているような人。ほんとかどうかわからないけれど私と話をしながらも頭の片隅で研究のことを考え続けているらしい。ときおり反応がなくなった時は大抵その研究に脳みそを占拠されているときだ。

 今のところ反応はあるし出てきた焼き鳥に手を伸ばしてもいる。しばらくは会話に付き合ってもらえそうだ。お互い独身でこの辺りをよく食べ歩いていたころの話などする。私たちは結婚してほとんどすぐに海外で暮らすようになった。たまに日本には帰ってくるけれど年々縁が薄くなっていくなあと思う。こうしてたまに付き合っていたころの思い出を引っ張り出してみるけれどそれも大分色あせてきているような気がする。

 私は次第に反応が鈍くなってきた(おそらくなにか考え事を始めた)夫をほっておいて三杯目に何を飲むか考えていた。私は一杯目に梅しそサワー、二杯目は梅しそそのままで焼酎の追加をしてもらっていた。ここの梅しそサワーは梅干しとしその入ったサワーで完全においしい。塩分の取りすぎが心配だけれど焼酎に合うように厳選された(と勝手に思っている)梅干しと梅しそで作ったサワーはお酒でありながらおつまみでもあって酒飲み的にはほとんど完全食だ。

 ふと隣の席の会話が聞こえてきた。今席に案内されてきたカップルでメニューを二人でのぞき込んでいる。私たちよりは一回りくらい若い。

「ビール高いなあ。全体的にちょっと高いねえ」
「ほんとだ」
「あー、からすみも結構するね」
「どうする?やめとく?」
「いや、せっかくだからたべようよ。そもそもこれを食べに来たんだし」

 聞き耳を立てていたわけではないけれど、ついつい聞こえてしまった話によると、職場の先輩にこの店のからすみがおいしいとおすすめされた彼女が、彼の誕生日にそれを食べるべく二人で来たと、そういうことらしい。彼女は財布を取り出してちろっと覗いてから大丈夫、今日は私が出すから平気だからと言っているけれど彼はどうも心配みたいだ。彼はじゃあ今日のホテル代は出すからといい、彼女がいやいや平気平気この前だしてもらったし、などと言っている。

 最近の若いカップルはなまなましいな、私たちはそんな大きな声でホテル代の話をしたことなんてなかったよ。

 ただ、その先輩はわかってる。ここのからすみはおいしい。是非食べて帰るべき。私はこの店でからすみを知ってからからすみが大好きになりあちこちで食べたけれどここのが一番おいしいんじゃないかと思う。もちろん今日も頼んでいる。

 店員さんが頃合いと見たのかご注文はお決まりですかーとやってきた。彼女はビール二つと手羽先二本とからすみをください、と言う。けど店員さんが言う、あー、すいません。今日からすみ終わっちゃったんですよー。がっくりする彼女。彼はざっとメニューを眺めてじゃあしめさばお願いします、と言う。店員さんが、手羽先にー、あとしめさばーと言いつつ離れていく。彼は彼女に言う。ここしめさばもいいらしいんだよ。ほら、俺しめさば好きじゃん。だから楽しみ。でも彼女の表情は晴れない。そりゃそうだろう。私はほとんど瞬時に決めた。

 夫に話しかけて夫を再起動する。夫はぼーっとしだすと際限なく無反応な時があるけれどそれでも私が呼びかければ必ず返事をしてくれる。夫が言うには私以外だと夫を再起動できないらしく、それは私が夫にとってちょっと特別ということだと思っていて、それはうれしいことの一つ。

「そいえばこの辺りで島寿司のお店あったよね」
「島寿司。八丈島の奴?」
「そうそう。からしのきいたお寿司。何度か食べに行ったことあったよね」
「あったあった」
「あたしあれ食べたいなー。今度この辺いつ来れるかわかんないし」
「おけおけ。じゃあここはもういい?」
「うん。満喫した。ごちそうさま」

 夫が会計をしようとカバンをごそごそやり始めてすぐ、それは運ばれてきた。というか視界の隅で確認してた。もうそろそろくるってことを。

「おまたせしましたからすみですー」

 夫が手を止めてどうする?という顔で私を見る。私は隣のカップルに話しかけながら受け取ったお皿をそのまま右から左に運ぶ。

「あのー、もしよかったらこれ食べていただけると嬉しいんですけれど」

 顔を見合わせる二人に追い打ちをかけるように言う。

「私たちこれから別の店に行くのでもう出ちゃうんですけど、けどタイミング悪くこれ今来たのでもしよかったら食べてくれると嬉しいなーなんて思うんですけれど」

 さらに言う。

「全然箸はつけてないんですけど、もし気持ち悪くなければ、ですけど」

 彼氏のほうが口を開く。

「本当にいいんですか?」

「どうぞどうぞ。ほんとすいません、急に変なこと言って。これすごくおいしいので無駄にしちゃうのもったいないしほんと食べてくれると嬉しいんです」

 夫は会計をしながら横目で私のやり取りを見ていたけれど特に何も言わなかった。

 店を出て八丈島料理の店まで歩く。といっても久しぶりで店の場所を覚えておらず、調べてもいないので実際には適当に歩いているだけだ。

 夫は今のやり取りに関して何も言わなかった。夫にしてみたら自分が支払した料理を食べなかったってことなんだと思うのでいろいろ思うところがあったりするんじゃないかと思うんだけれどそういうのは気にならないみたいだ。

 そこそこ収入があるというのも理由の一つだと思うけれど、それだけでなくこの人は心がお金持ちなんだよなあとおもう。そこが夫のすごくいいところだと思っている。私も見習いたいと思っている。

 私は夫にぶら下がるように腕を絡めながら別の男のことを思い出していた。夫と付き合う前、少しの間付き合っていたひとのことを。彼はよくからすみ色したコーデュロイのシャツを着ていた。

 私よりずいぶん年上で、十分大人。きちんと仕事もしていたけれどどこか世間とずれているようなところがあった。うまく言えないけれど、お金にならないと知っているのにいつまでも四つ葉のクローバーを探しているような。

 ある日、その彼と割といいホテルを予約して泊まったことがある。彼はそのからすみ色のシャツに穴の開いたジーンズでやってきた。お洒落で空いている穴ではなく、単に古いゆえに空いている穴。ロビーで落ち合った時、いいホテルということでいつもよりおしゃれした私はやや唖然とした顔をしていたんじゃないかと思う。

 そしてフロントで支払いをする時、彼は擦り切れて古ぼけている茶色の革の財布からお札を取り出すと数えてフロントの人に渡していた。私はなんだかそれが嫌だった。くたびれた財布も、お札を一枚一枚数えるそのしぐさも。

 私は彼を選ばず、その後知り合った夫と結婚した。
 私の選択は間違っていないと思う。
 それに今の私は幸せだと思う。
 けど、たまに思い出す。からすみ色のシャツとほころんでいるジーンズを。
 生きていると色々なことが変わっていってしまうから、だからそのうち思い出さなくなるんじゃないかと思っているけれど。


(2019/12/30)

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