森下幸蔵のブログ

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福井県福井市の株式会社モリシタ代表の森下幸蔵のブログです。
農業用パイプハウス(ビニールハウス)のメーカー、園芸施設の設計施工販売や農業資材の販売しています。

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平成26年6月22日(日)



食の検定食農1級での提出課題を「とみつ金時」にして、資料を集めている株式会社モリシタの森下幸蔵です。

今月初めに、とみつ金時の今シーズンの出荷が終わりました。

次は、芋掘りが始まる9月ですよ。



さて、本題です。

あわら市北潟で、とみつ金時を生産している富津地区。

昭和50年代に、坂井北部丘陵地の大規模な圃場整備が施工されました。

大型機械を使用した畑作に適した圃場を整備し、地域の農業振興を図ることが目的でした。

昭和55年発行の「北陸野菜技術研究会報」には、
昭和54年の芦原町(当時)富津地区の野菜作付状況が出ていました。

富津の農家戸数 26戸
作付作物と面積
プリンスメロン 2.5ha
スイカ 4.3ha
ダイコン 5.0ha
キャベツ 1.8ha
タバコ 5.1ha

カンショ(サツマイモ)の記録がない理由が分からないので、
今度、富津に伺った時に、当時のことを聞いてみようと思っています。

推測ですが、当時は、まだタバコ栽培が盛んで、出荷用には、サツマイモを作っていなかったことが考えられます。

昭和60年発行の「北陸野菜技術研究会報」によると、
芦原町全体のサツマイモの作付面積は、昭和54年までは20~30haでしたが、

昭和55年は44.3ha、56年52.6ha、57年と58年は一旦減りますが、59年には58.2ha、というように推移しました。

昭和60年には、サツマイモのキュアリング貯蔵設備が完成しました。
キュアリングとは、温度湿度を管理することで、サツマイモ表面をコルク化させる処理技術です。

これにより、サツマイモの品質を維持してながら、長期保存し、ほぼ一年間に渡る出荷ができるようになりました。

また、とみつ金時の品種育成と、この原種を種苗会社に預け、親株の生産を委託して、ブランドを独自で守っているのは、すごいと思います。

あわら市全体でみると、サツマイモの生産は減少しています。
富津地区でも、栽培農家の戸数は減りましたが、作付面積はさほど 。減っていないようです。

富津地区では、現在、若手生産農家5戸が「エコフィールドとみつ」という組織で、とみつ金時の生産出荷を担っています。

杉田農園
新井ファーム
株式会社フィールドワークス(吉村農園)
福島農園
上田農園

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平成26年6月21日(土)




「カルピス」のロゴを見るとムーミンを思い出す世代の株式会社
モリシタの森下幸蔵です。
「カラダにピース  CALPIS」というコピーも素敵です。

さて、本題です。

あわら市北潟の富津地区の歴史は、昭和20年から始まりました。

 

『芦原町史』によると、富津地区の最初の入植者は、35戸。

その出身内訳は、福井市内の戦災被災者25戸、満州引揚者5戸、東京戦災引揚者2戸、朝鮮引揚者1戸となっていました。

 

いずれの世帯も、農業未経験者で、砂漠のような砂丘地に灌木林が点在している土地の開墾は、血の滲むような苦労の連続でした。

 

土地の開墾は、まず伐採と抜根から始まります。すべて人手によるもので、素足半裸での作業は、生傷の絶える間がなかったそうです。

 

最初の年の作付は、馬鈴薯(ジャガイモ)もしくは甘藷(サツマイモ)で、イモは小さく、反収(10アールの収量)は、せいぜい50貫(200キロ)でした。

 

開拓当時の生活は苦しく、やみ米は買えないので、米に、カボチャと山に自生するリョウボの葉を混ぜた飯が主食でした。

リョウボ

 リョウボ(リョウビ)

海が近いので、海岸で汲み上げた海水をマキで焚いて、塩一升を米二升に変えて、米を確保しました。

 

昭和23年10月 富津開拓農業協同組合結成

 

昭和24年 富津開拓農水産加工農業協同組合結成

 

昭和26年 富津開拓農水産加工農業協同組合を解散する。

富津開拓農協一本に絞り、特産スイカに集中し、初めて大阪中央市場に出荷する。

 

その後も、夏作早生大根の契約栽培をするが、うまくいかず、

 

昭和30年の入植10年を迎えた時点で、特産スイカを栽培する33戸の農村として安定しました。


つづく



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平成26年6月14日(土)



6月末にある食の検定・食農1級の試験勉強をやっと始めた株式会社
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この本に、『食農1級とは、「農業」とは何かを学ぶ構成になっている。』と書いてあったので、違和感を感じてしまいました。(同書13ページ)

農業は文化活動ではなく、事業活動なので、PDCAサイクルを回しながら、常に進化しているもの。

本の知識も大切ですが、現場のニーズもちゃんと理解していないと、現実と乖離した専門家になってしまいます。


食農1級では、マークシートのテストだけでなく、小論文や課題の提出もあります。

大変ですけど、がんばります。


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前回の続きです。
平成26年6月8日
東北発未来塾 5月12日 「食のチカラ 食で地方をよみがえらせる」(3)

(ナレーター)実は、奥田さんは、山形県庄内地方を食の都にするために大きな壁を乗り越えてきたのです。それが2002年に起きた「無登録農薬問題」。

山形県の農産物から違法な農薬が検出され、農家の出荷が停まりました。このとき、無関係だった庄内の生産者も風評被害で大きな打撃を受けたんです。

何だか、現代の福島にも重なりますよね。この過酷な状況に奥田さんは立ち向かっていきました。


(奥田)全国のトップニュースの毎日、『今日も山形県で無登録農薬が見つかりました』という報道だったので、
で、そのときに、何か行動、いま、だれかが起こさないと、この山形県っていうのが、農業県なんですけれども、それ自体の存在が危ぶまれると思ったので、
「食の都庄内」っていうのが認知されることで、おいしいものがある山形県っていう風に変えよう!と思ったんです。

(ナレーター)庄内の食の信頼を回復するには、独自の食材をアピールし、全国に広めていくしかない。奥田さんの元に生産者が集まってきました。


(奥田)料理人とその生産者の方々とが、江頭先生たちとこういうふうに結びつきが、まあ、もともと強かったんですけれども、なっていくと、いろんなですね、地元のマスコミの方がいろいろ取り上げてくれて、
で、それが広がると信用がついて、信頼がついて、で、この漁業・畜産の方と三角形になったりとか、で、生産者の方とこういうふうに地元マスコミと芸術家の方で三角形になったりとか、
で、その後ろをフォローするのが、私たち。そういうふうになって、どんどんどんどん広がった食のネットワーク。

(ナレーター)3人から 庄内全体に広がった食のネットワーク。中でも、奥田さんが力を入れたのが、食品加工場との連携でした。

奥田さんがプロデュースして、ヒット商品となっている加工品がこちら、「ピューレタイプ」のトマトソースです。奥田さんは、塾生たちを製造現場に案内しました。

材料は、形が少しくずれて、出荷できなくなった庄内産のトマト。でも、味は普通のものと変わりません。

年間1トンのトマトがここで加工品へと生まれ変わります。素材の味を活かした商品にするため、奥田さんは、加工から味付けまで、責任を持って関わってきました。

(塾生)甘ーい。おいしい、おいしい。

(奥田)あの、どこにもないものをやるか、もしくは、あきらかに他の製品よりもあきらかに美味しいか。味に、特長をつけるかっていう風にして、加工品作っていかないと、せっかく作っても売れないんですよ。
売れないと、かえって生産者の人を苦しめることになっちゃうので、ちゃんと売れる商品を、料理人が こういう加工施設の方から頼まれたら作って、
で、それをそのままバトンタッチしていく。で、地域の人が元気になる。

(ナレーター)こうして加工品になることで、庄内産の食材が、全国に行きわたります。料理人と加工場のつながりが地方を食の都に変える原動力になっているんですね。
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(奥田)最初に、地産地消といって、地元で地元のものを食べるっていうことがあって、つぎ、地産他消っていうので、東京とかにこれを持って行って、紹介して、
で、あとは、加工品にして、加工品にするともっと、九州とか色んなところ飛ぶでしょ。そういう風にしてって、地産他消しながら、地域のことを、こう、ちゃんと地域が潤うようにしていって、
最近、気付いたのが、「地産訪消」っていって、この料理を目当てにして、いっぱいの人に、こう、ここにこう地域にお金を落としていってもらって、えー、あの、うちのお店だけじゃくなって、いるんなホテルとか、いろんなところに、落としてもらうように、そういうことやってます。
でも、今日、この料理で、ここに来ちゃったので、君たちも「地産訪消」なんだ。

(塾生)親、連れてきたいです。

(奥田)(笑)食べ物で、これ、美味しいの食べると、食べさせたいと思うでし ょ。おいしい食べ物は、ね、ほんと人を動かす。

(ナレーター)食のチカラ Gorden Rule 「魅力ある食材は、地方に人を呼び込む」


(終)

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昨日の続きです。



平成26年6月8日(日)


東北発未来塾 5月12日 「食のチカラ 食で地方をよみがえらせる」(2)



(奥田)
ある日、後藤さんのところで、畑であれしたら、思いついた料理があって、食べたらおいしくて、後藤さんにすぐ電話して、ものすごい料理ができましたって、それは、後藤さんに喜んでもらうために考えた料理だったんですけれど、ただそのお料理だけで、毎年秋にツアーがあって、この畑も見て、その料理を食べる。

(後藤)
一番多く来た時は、大型バス3台で来たのにびっくりした。
一日仕事になんない(笑)
だまーって、切り株の上に座って、校長先生みたいに、こうやって、話したけど(笑)
なんにも仕事になんねえ(笑)

(奥田)
これで、今度、こうやって見て、ほら、こういう風に美味しくしたいんだよねって、ひと言、江頭さんに言うとその一言で、江頭さんは、いっぱいの勉強をしてこられるんですよ。

(江頭)
ここがねー、やっぱり、連携の醍醐味だよね(笑)
後藤さんみたいなちゃんと伝統的な技術を継承して伝統的な技術をもって栽培できる人がいて、、で、プロフェッショナルの料理人がいて、初めてできた連携だと思うんだね。


(ナレーター)
奥田さんは、藤沢かぶの辛味を生かした新作料理を考えました。
かぶの気持ちになった料理法なんですよ。


(奥田)
えー、ここのかぶは動物から食べられたくないので、ここに二重の輪郭があるの、分かりますか?

(ナレーター)
内側が甘いところ、そして、外側は動物に食べられないように辛くなっているそうです。

(奥田)
ここは、動物に対して、辛くて毒だよ、と知らせるためのものです。
藤沢かぶをネズミにかじられたという風に錯覚させます。
かじられてるでしょ、かぶが。
えーと、ネズミの体温は何度くらいですか?

(塾生)
38、36。

(奥田)
はい、38度とか人間よりちびっとあったかい。
これをかじられた、かじられた。

(ナレーター)
さらに、ネズミの息遣いも再現して、二酸化炭素を入れると…。

(奥田)
このかぶの中の酵素が動いて、辛い。
辛くなってるでしょ? 食べると。

(塾生)
辛いです。

(奥田)
このままね、明日まで時間をおくともっと酵素が動く。
辛くなります。
おもしろいでしょ。
調味料を一切使わない味作り。

(ナレーター)
この藤沢かぶ、いったいどんな料理に変身するのでしょうか。



(後藤)
お邪魔します。

(全員)
こんにちはー

(後藤さんの奥さん)
おじゃましまーす。

(ナレーター)
この日は、藤沢かぶの生産者、後藤さん夫婦を呼んでの食事会です。
新作のお料理は、真っ先に生産者に振る舞われます。
こちらが藤沢かぶの辛味を最大に生かした料理。
米沢牛に添えました。
さて、お味はいかがでしょうか?


(塾生)
美味しい。
下の部分が一番、辛味がある。

(奥田)
そうそうそうそう。

(塾生)
渋味をあるし、苦味もあるし…。

(奥田)
ここで作っちゃうと、また、来年も後藤団が、タネ播かなきゃくなってします。

(全員)(笑)

(後藤)
なんて言うんだろう。郎理の先生にも習います。
ただ、かぶ作っているじい様ですけど、この味っていうのは、本当、楽しませていただける味だと思うし、たくさんの人にこうやって出していただきたい。
これがじい様かぶだー。これがおれの励みになってくると思うし。

(塾生)
一番理想の形で出してくれているから。

(後藤)
うーん、本当。
おれの望んでいる味が出たっていうか。焼畑の味っていうか(笑)

(奥田)
これがあるから、やめられない。レストランも。
で、これがあるから、藤沢かぶも作る人もやめられない。

(後藤)
そう。こういう風に化けてくるから。今年は何に化けてくるのかなって、楽しみもある。

(奥田)
今度そうすると後藤さんが友達をいっぱい連れて、この料理を食べに来る(笑)


(ナレーター)
食のチカラ、Gorden Rule 『人と人との“つながり”が“食の価値”を高める』



明日に続きます。



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平成26年6月7日(土)

16才も年下の友人と飲みに行って、とても気持ちがリフレッシュしました。

 

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 株式会社日刊県民福井 福井中日広告のMさんです。 [embed]https://plus.google.com/116596925989000379590/about?gl=jp&hl=ja[/embed]

福井中央倫理法人会で一緒に学んでいる仲間でもあります。 [embed]https://www.facebook.com/fcentral.rinri[/embed]



東北発未来塾

ETV 5月12日放送
『食のチカラ 食で地方をよみがえらせる』

ナレーション:川島海荷


(ナレーター)食で地方をよみがえらせる秘訣って、どんなもの?それを学ぶ塾生はこちらの六人、
塾生:
日本調理技術専門学校 宮下真実さん
日本調理技術専門学校 渡部 悠さん
飲食店経営 木下智也さん
宮城大学 3年 高橋君佳さん
宮城大学 1年 柴田菜直さん
宮城大学 1年 谷口智紀さん


調理専門学校に通う料理人の卵と食で地域おこしをしている学生たち。

そして、震災で失った実家の旅館を再建しようという若者です。




  
食で地域をよみがえらせる


(講師:料理人 奥田政行さん(44))


(奥田)
えーっと、今日は食の、食で人を呼ぶっていうことをやりたいと思います。
鶴岡って、食材が豊富なので、「食の都」になれたのですが、その食の都にしていくときに、すごく奥田シェフだけで言っていると、シェフなので信頼性もあるんですけど、意外に信頼性もないんですよ、はい(笑)」


(ナレーター)
そこで、奥田さんが頼りにしたのはこの人。
山形大学農学部の江頭宏昌先生。在来野菜の専門家です。


山形大学農学部准教授 江頭宏昌さん


(江頭)
私は、研究しながらなんですけれど、ただ研究してそれで終わりだけでは何も起こらなかったと思うんですけれど、奥田さんとの出会いによって、初めてそれが息を吹き返したというか。


(ナレーター)
これまで奥田さんと江頭さんは、庄内の農家を訪ね、埋もれていた在来野菜を発掘してきました。

これまで埋もれていた在来野菜
紫折菜
雪菜
外内島きゅうり
漆野インゲン

この二人の活動によって、現代によみがえった在来野菜があるそうです。



  
在来野菜を復活


(奥田)(江頭)
おはようございます。、

(後藤)
おはようございます。

藤沢かぶ生産者 後藤勝利さん


(ナレーター)
こちらは在来野菜「藤沢かぶ」の生産者、後藤勝利さんです。
後藤さんに案内された先には、急な斜面が広がっていました。
実はここが藤沢かぶの畑なんです。
よーく見ると足元にたくさん顔を出していますね。


(後藤)
藤沢かぶ作り始めてからっていうか、色々いきさつあったんだけど、まず、今、こうやって軌道に乗るようになってから、平成元年からやってますんで、二十何年ですか、なってます。


(ナレーター)
藤沢かぶは伝統的な焼畑農法によって明治以来から作られてきたそうです。
山を焼くことで、栄養を豊富に含んだ土壌が作られます。
ここで育った藤沢かぶは、上品な甘さと辛さを兼ね備えるそうです。
しかし、すべて手作業。
農家には大きな負担になっていました。
奥田さんと江頭さんが初めて畑を訪れたころ、焼畑農法は存続の危機を迎えていました。
そのため、藤沢かぶは「まぼろしのかふ」と呼ばれていたんです。


(奥田)
まぼろしのかぶがあるって聞いて、そのまぼろしのかぶって見てみたいなと思って、で、江頭先生と急な所を登って行って、で、パタって、足元を見たら、このかぶが。
で、後藤さんを紹介されて、『一本食べていいですか?』と言って、で、一本食べたら、味が、初めて会う衝撃的な味で、この食べもので、次の時代に引き継いでいかないといけないなとその時思った。

(奥田)
これ足元のやつ抜いたから。
そうそう、抜いたから、そうそうそうそう。
どう、足元あるやつ、抜いて食べてみたら?


(ナレーター)
土の中から、そっと抜いていただきます。


(塾生)
美味しい!

(江頭)
甘いでしょ?

(塾生)
甘い!

(江頭)
そうやって、噛むと辛くなる。横を噛むと。そう、横から。

(塾生)
くるー!
からーい!(笑)

(ナレーター)
実はよことたて、かじり方で味が変わるんです。


(江頭)
10年近く、一緒に焼畑を勉強させてもらいましたけれど、あのー、すごい知恵ですね。
焼畑で作ってかぶと、その普通の畑で作ったかぶっていうのは、形こそ似てても、食べたら全く味が違う。
もう、これは歴然としています。
子の焼き畑がなくなると、この味が消えるんだというのは本当に、実感しましたね。


(ナレーター)
藤沢かぶを次の世代に遺したい。
三人が作り上げたのは、「料理人}、「生産者」、そして「研究者」のネットワークでした。
生産者が育てた貴重な在来野菜。
それを料理人が、美味しい料理にして、価値を見出していく。
さらに研究者の専門的な知識は、栽培方法の改善や、新たな料理に活かされます。
この三者の連携で、在来野菜の魅力は広く知られるようになりました。

明日に続きます。


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平成26年6月4日


益茂証券株式会社様の開催した異業種交流会に行ってき
ました。


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益茂証券の益永会長が壇上から熱く語る姿に感動しました。
会長も熱い人だということが分かり、嬉しく思いました。
ありがとうございます。


【さて、本題です】
200人を超える参加者の中、パーテ
ィーに先立って、カメラ修理業界最大手「株式会社フクイカメラサービス代表の高山陽一氏」の講演を拝聴しました。

とてもいい内容でしたので、紹介します。


【企業理念】
(株)フクイカメラサービスさんの会社理念は、

「色褪せない技術、色褪せない人、色褪せない企業を目指し、あり続ける」

いかにも、元カメラ屋さんらしい文言です。

社員さんたちが、社長の次の行動に期待して、ワクワクしている空気が伝わてくるコピーです。


【存続の危機】
ただし、10数年前は、「デジカメ」の急速な普及で、カメラ修理業として、存続の危機を迎えておられたそうです。

フィルムカメラは、カメラ屋さんで販売されることが多く、当社は県内のカメラ屋さんがお客様でしたから、
家電量販店で主に販売されているデジカメは、修理も購入先である家電量販店に集まります。

福井のカメラ屋さんだけの修理依頼だけでは、どうシュミレーションしても潰れるので、全国からデジカメの修理を集めなければならない。

そこで、当時の高山さんは、一念発起して、営業を開始しました。カメラの修理工でしたから、営業経験はほとんどなかったそうです。

二つの営業の方針を決められたそうです。
①日本一の量販店と福井一 の量販店に営業をかけること
②ホームページを作らず、リアルな営業をかける(当時はインターネットは今ほどは普及していなかったので)

それと、ネガティブなことを言われるのが怖かったので、人に相談しなかったそうで。
はじめから営業がうまくいくはずもなく、ボロボロの状態で読んだ、自己啓発本に書かれている言葉に唯一救われた日々を送られたとのこと。

【そして10年後】
はなしは、いきなり、10年後に飛びます。
当社は、業界最大手と呼ばれるようになっていました。

そして、今までのBtoB から、

ネットを使って B to C のビジネスを始めることにしました。

カメラ修理業界ではBtoCのビジネスは成功しないと言われていたそうです。


【22時までの申し込みで翌日集荷可能
個人のお客様からの注文を集めるために、「365日、玄関先まで取りに伺う」というサービスを始められましたが、

実際はお客様との時間が合わなくて無理

業者としても負担が大きかったそうです。 

そこで、システムを集配システムを構築できないか大手運送会社に相談、社内システムを構築し、運用を開始しました。

前日の22時までの申し込みで、365日翌日集荷サービスが可能になったそうです。

社内の担当者の負担も今までの1割程度。


【今物流ニーズに応えて、システムを商品化】
他業種でも、集荷に大変な思いをされていることが推測できましたが、システムの構築にお金がかかります。

また、ネットが発達すると物流(ものを集める)ニーズがますます増えてくることが予想できます。

そこで、当社では、集荷システムのリリースを決めました。

ヤマト運輸と佐川急便の大手二社と交渉し、運送会社に集荷データを送信するシステムの構想を持ちかけました。
物流以外の業種からこのような発想が生まれるとは思わなかったと、高山社長はこの二社から驚かれたそうです。

需要があるということで、大手流通業者も商品化に賛同

商品名は、「ハイシューカ」、集荷システムです。

従来の集荷
①WEBからの申し込み→手作業で打ち込み→集荷
 ※業務が煩雑で、ヒューマンエラーも多かった

②お客さんの手配による集荷
 ※お客様に負担がかかり、注文を減らすことになります


ハイシューカーでは、契約された企業のサイトに、「申し込みフォーム」を貼り付けるのみ。
申し込みフォームは月額1万円のレンタル

しかも、業種を想定して、種類が豊富で、項目のカスタマイズも可能。

そして、「22時まで申し込みで翌日集荷」してくれるという集荷システム。

ハイシューカ導入のメリットとして

わずか月1万円のコストで、
①サービスに付加価値が付けられること

②導入後に集荷業務が低減するので、人件費のランニングコスト削減できること

お客さまのメリットとしては、
①スマホ対応しているため、外出先からの変更も可能

②マイページでお客さまが自分の過去の情報を閲覧できます

ハイシューカは
お客さま
事業者
運送会社
の三者にメリットがあるシステム

ちょうど、講演の日、6月4日に、東京で「ハイシューカー」のセミナーがあり、大手クリーニング会社からとてもいい反応があったそうです。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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農業用パイプハウス(ビニールハウス)の専門店モリシタの森下幸蔵
です。

平成26年6月4日

小玉スイカ    福井県あわら市(旧金津町)



ここ数年は、大玉スイカを買っていない(
株式会社モリシタ森下幸蔵です。

大玉スイカを買っても、冷蔵庫に入らないし、食べきれないので、
小玉スイカを買って家族と食べています。

あわら市の「きららのの丘」では、先週プリンスメロンが入荷したというニュースがありました。
初夏ですね。


あわら市(旧金津町)の弊社のお客様農家の佐々木さん宅では、プリンスメロンが終わり、6月中旬からマルセイユメロンの出荷が始まります。

その二つのメロンの合間に小玉スイカを出荷します。

佐々木さんの小玉スイカのハウス↑

皮が薄くて日持ちしないので、市場では、安い値が付けられますが、とても甘くて美味しい。冷蔵庫にも入るし(笑)。

数年前から直接売っていただいて、毎年楽しみにしていたのですが、昨年は作付けされませんでした。

理由をお聞きしたいところ、他の生産者が真似して作った小玉スイカが安い(← 一斉収穫品だから美味しくないのよ!)ので、バカらしくなってやめたとのこと。

ところが、その後、その佐々木さんのもとに、「小玉スイカを再開を望む」声が寄せられ、今年は作ることにしたそうです。

その小玉スイカが、いよいよ今週末から収穫期に入るそうです。

電話で予約したら、「何玉でも売ってあげるよ」と言われました。

今週末が楽しみです!!

業用ビニールハウス(パイプハウス)の専門店モリシタの森下幸蔵です。
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平成26年6月3

ジャガイモの話  アイルランド

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弊社の付属農場のジャガイモ畑です。

ご存知だと思いますが、ジャガイモはブロック状に切り分けした種イモを植えて増やす方法で栽培します。
いわば、クローンです。

種イモに病原体が潜んでいれば、当然にジャガイモは病気にかかって、うまく育たたないか、最悪、枯れてしまいます。

現在の日本では、独立行政法人が、病原体に感染していないジャガイモの原原種を生産し、配布しています。 独立行政法人種苗管理センター http://www.ncss.go.jp/main/gyomu/syubyouseisan/syubyouseisan.html

ある種の疫病に弱い品種のジャガイモを主食として単一栽培していたため、かつて、アイルランドでは悲劇が起こりました。

アイルランドは、12世紀から英国に支配されますが、17世紀には清教徒革命を成功させたクロムウェルによって、さらに過酷な支配を受けました。

土地の所有権を取り上げられ、小作人となったアイルランド農民は、少ない耕地に麦ではなく、ジャガイモを植え、主食としたそうです。

やせた土地でも育ち、収量が多く、栄養価が高いジャガイモのおかげで、アイルランドの人口は、150万人(1760年)から、800万人(1841年)に膨れ上がりました。

ジャガイモ飢饉は、1845年に起こります。この大飢饉の原因はヨーロッパ全域に蔓延した「ジャガイモ疫病」でした。

1846年と1848年の大凶作による大飢饉で、アイルランドの人口は、250万人も減ったそうです。

そのうち、100万人は移民として海外に脱出し、150万には大飢饉が原因で亡くなったといわれています。

アイルランド移民は、悲しい歴史ですが、アメリカに渡った移民の子孫から大統領が2名も誕生しています。

ジョン・F・ケネディーとロナルド・レーガンです。

ハリウッドの映画スターのスティーブ・マックイーンもアイルランド移民の子孫でした。

また、アイルランド出身者は警官になるものが多かったので、同じ移民であるイタリアンマフィアと渡り合います。

「不屈のアイルランド魂」と言いますが、これは800年に渡る英国の支配と、大飢饉という過酷な歴史に裏打ちされているのですね。

<span style="font-size: 14px; line-height: 21px;">農業用ビニールハウス(パイプハウス)の専門店モリシタの森下幸蔵です。http://www.morishitahouse.jp/contents/company.html</span>
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ジャガイモの歴史、「世界を一周した食物」「貧者のパン


2014年5月18日


新潟に遊びに行った時に、お店が忙しいにもかかわらず、車で新潟市内を案内してくれた渡辺和美さん。Facebookで元気にお仕事されてる様子が伝わってきます。

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渡辺和美さんがマネージャーを務めるアリエールグーの「プリンセスサンデー」。とても美味しかったです。
https://m.facebook.com/events/639802492764710/




ジャガイモがスペイン人によって新大陸から旧大陸に渡り、ヨーロッパに普及していく過程を本で読みましたが、今までわたしが勝手にイメージしていたものとかなりかけ離れたものでした。


ジャガイモはインカ帝国の主要食糧だった

知りませんでした。
わたしもインカ帝国での主食はトウモロコシだと思っていたのですが、インカ時代の人骨のたんぱく質をを分析することで、主要食糧は、トウモロコシではなく、イモや豆類だったことがわかったそうです。

ジャガイモは、原産地がチチカカ湖周辺ということからもわかるように、4000メートルを超える冷涼な土地でも栽培できます。しかもデンプン質が豊富で、主食としてはうってつけです。

対して、トウモロコシは、成長が早く、収穫後の貯蔵も容易なのですが、温暖な気候を好む作物なので、標高3000メートル~3500メートルが限度で、アンデス地方全域での栽培はできない気候では、栽培ができないということも論拠のひとつです。

ペルーに住むインカの末裔のうち、山に住むものたちは、今でもジャガイモを主食としていて、ジャガイモを長期間保存できる乾燥イモにするなど、保存食としても利用されているようです。



ジャガイモはどのように大西洋を渡ったかが分かっていない

これも、驚きでした。めずらしい動植物として、スペイン王に献上されたとばかり思っていました。スペイン軍としてみれば、金銀と比べ価値のないものだったのでしょうね。

インカから略奪された黄金がどのように本国スペインに送られたか分かっているそうですが、ジャガイモはだれがスペインに持ち帰ったのかはっきりしないそうです。
新大陸のめずらしいお土産として持ち帰られたようです。

ヨーロッパに渡ってから30年後の17世紀初めには、ヨーロッパの11の国で、植物学者や研究者の間で植物見本として栽培された記録があるそうですが、食糧として本格的な栽培はされていなかったようです。



世界を一周した食物といわれている

トマトも新大陸で発見され、世界中に広がりましたが、この意義はジャガイモの方が大きいと思います。ジャガイモは栽培に手がかからず、しかも生産性が高い。ジャガイモを作ったことのある人なら分かると思うのですが、一つの株からとれるジャガイモの量が多いことには、いつも驚きます。

ジャガイモは16世紀にスペインに渡ってから、スペインからヨーロッパ各地に伝わりました。日本にも、16世紀末に、ジャワ島のジャカトラ(ジャカルタ)からオランダ人によって、もたらされたと言われています。

17~18世紀に、再び新大陸のアメリカに伝わりました。ヨーロッパ経由でアメリカに伝わったことから「世界一周した食物」と言われているそうです。これは、トマトも同じですね。

トマトと違う点の一つに、ジャガイモは栽培地域が多いということが挙げられます。ジャガイモは世界4大作物の一つにかぞえられ(他には、麦、米、トウモロコシ)、このうち、赤道直下から北極圏まで100を超える国で作られていいます。寒冷地から熱帯まで環境に関係なく栽培できるのが特長です。



ヨーロッパでのジャガイモの呼び名

スペイン、イタリアでの呼び名がスペイン語とイタリア語で「patata(バタータ)」ということは、知っていました。これは、アンデスでの呼び名「パパ」が変化したものだそうです。「papa(パパ)」はローマ法王の愛称と同じ音であるため、おそれ多いとされ、「パタータ」になったようです。英語のポテトもその流れです。

一方、フランス、オランダ、スウェーデンでは、「大地のリンゴ(ナシ)」と呼ばれているようです。これはが栄養価が高いことを表現しています。テレビのクイズ番組などで聞いたことはありましたが、たび重なる飢饉から救ってくれたジャガイモにたいする感謝の念が感じられる名前ですよね。

また、ドイツでは、「カルトッフェル」と呼ばれているそうで、これは、トリュフを意味するイタリア語から由来だといわれています。地下茎がトリュフのように見えたのでしょうね。



ジャガイモは、スペイン人が持ち帰ったものの中で、最良のもの

スペイン人ピサロは、インカの宮殿の装飾につかわれていた黄金を、溶かして延べ棒にして、本国スペインに持ち帰り、賞賛を浴びましたが、これらの金は、結局、母国にインフレを招いただけで、なにも残しませんでした。

一方で、船員のお土産としてスペインにもたされたジャガイモは、17世紀~19世紀のヨーロッパでの度重なる飢饉や戦乱のたびに、普及・栽培されて、食糧難から人民を救いました。、

飢饉の原因は、当時のヨーロッパを襲った慢性的な冷害だったようです。ジャガイモは冷涼な気候でも栽培できるのですが、芽にアルカロイド系毒素のソラニンがあるため、食用にできないという偏見があったようです。

ジャガイモのことを別名「貧者のパン」と呼ぶらしいですが、まさしく、冷害で貧しくなった北ヨーロッパの国で、満足に収穫できない麦に代わって、飢餓から人民を救ったという点で、スペイン人がジャガイモを新大陸から持ち帰ったことは、素晴らしい貢献だと思います。


次回につづきます。


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