*Aurora Luce** -370ページ目

暁のうた・外伝 内なる声1

2008.9.22

※「暁のうた」第1部「言葉より5」のユートレクト視点の話です。
 「え、なにそれ?」という方は、
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リースル暗殺を企む襲撃者たちへの対抗策を話し合った後、
ユートレクトは自分の主君がいるはずの
リースルの私室へ向かっていた。

また言い過ぎたのかと考えると、
いつものこととはいえ、少なからず気が滅入っていた。
自分は感情のない人間のように思われがちだが、
そんなことはない、むしろ感情の起伏は激しいと自覚している。

間違ったことを言ったつもりはなかったし、
彼女のためを考えたつもりだった。

しかし『天界の大広間』を後にするとき見た主君の表情は、
今にも泣き出しそうだった。
恐らく周りに誰もいなくなれば、こらえきれずに泣き出すだろう。
あるいは便所の個室に籠りでもするか…

女に泣かれるのは嫌いだった。
だからといって手加減しようとは思わないが、
彼女が傷ついた表情を見せるたび、
いつも後悔と…もうひとつ別の思いに駆られる。

その思いはなんと呼ぶべきものなのか、まだ判然とはしていなかった。
主君の泣き出しそうな顔を目の当たりにすると、
心が取り残されたような、それでいていらだつような…
自分の中で消化しきれぬ思いを感じていた。

もうひとつ理解できないのは、
彼女が自分に臣下としての枠を越えた思いを寄せていることだった。

以前から気づいてはいた。
だが、確信したところで自分になにができるわけではない。
幾度自分の心に問いかけてみても、
彼女を異性として見ている意識はどこにも見当たらないのだから。
昨晩も寝台を共にしたものの、そのような気は全く起こらなかった。

あれも…自分の手に触れた彼女の指先を握り返したのも、
気丈過ぎるくらい元気に振舞ってはいたものの、
本当は囚われたことが余程怖かったのだろうと思ったからだ。
そうでなければ…

自分にできることは、気づかぬふりをすること、
そして可能ならば、彼女の思いをどこかへそらせることだと思っている。

無論、そのような理由で彼女に辛く当たっているのではない。
しかし、結果として自分を遠ざける一因になれば、
それもいいだろうと思っていた。

心の中でそんなことを思い巡らせながら、
何度目かで回廊を曲がったときだった。

(あれは…)

主君がいた。

その顔に涙がないこと…むしろ笑顔でいるのを認めると同時に、
主君の視線の先に思いも寄らぬ男がいることに気がつくと、
なにかの感情を自覚する前に、頭に血液が上昇するのを感じた。

やがてその不快な感覚が怒りだと判ると、
困惑するより、むしろ怒りを覚えたことに腹立たしくなった。

笑顔の主君を見たとき、安心からか少なからず心が明るくなっただけに、
その感情の現れはより恥ずべきものに思えた。

なぜ自分が怒らなくてはならない?
心を静めて冷静に考えれば、解明できないことなどなにもないはずだった。
今までもずっとそうしてきた、これからも…

そうして得た答えは2つ。
彼女が自分以外の人間に頼っているのが気に食わない。
そして、自分を頼らないのが気に入らない。

自分の心の狭さに唾を吐きかけたくなったが、
汚い感情は誰にでもある、それは仕方のないことだった。
肝心なのはそれを一切表に出さぬこと。
出したところで誰も幸せにはならないばかりか、自分の価値を下げるだけだ。
自分の内に封じてさえおけば、
誰にも不快な思いをさせなくて済むし、自分の評価も下がらない。

それより気になるのは、
得た答え以外にも、自分の感情になにかが潜んでいることだった。
しかし、それがどのような感情なのかわからない。
わからない感情に振り回されるのが、
一番厄介で愚かしいということは判っていたから、
この感情の姿を早く掴みたかった。

彼女とタンザ国王が談笑しているのを見守りながらも、
得体の知れない感情は膨らんでいき、不快感を増していく。

ここから立ち去った方がいい、と本能が告げていた。
この得体の知れない感情が溢れだす前に。
だが、脚はその場に打ちつけられたかのように動かなかった。
否、彼女から眼が離せなかった。
見飽きたはずの主君の顔なのに、なぜ今更眼が離せなくなるのだろう。
爽やかな初夏のような笑顔が、声が、神経を逆撫でしていく。
それにもかかわらず、
彼女から視線をそらすことができない自分が腹立たしかった。

冷たい壁に熱くなった背中を預けて、
ようやく少しは感情の昂りを静めたものの、
この黒く渦巻く感情の正体はわからない。

談笑の声が止んだ。

自分がここに留まっていることがどうにも許せなくて、
ここから立ち去ろうとしたが、
主君がなぜかこちらに近づいてきているのを認めると、
脚が動かせなくなった。
感情を制御できないことなど、久しくなかったというのに。

このような感情に支配されている今の自分は、
確実に無様な顔をしているはずだった。
誰にも顔を合わせたくなかった。

しかし、主君はこちらに近づいてきて、
植栽の陰になったのか自分には気づかず、
そのまま通り過ぎようとする。

このまま声をかけなければ、気づかずに済ませられる。

彼女の嬉しそうな横顔が通り過ぎて、
自分よりもずっと華奢な肩が、しなやかな背中が遠ざかろうとする。

それが黒く渦巻く感情を臨界点まで押し上げた。

怒りよりも暗く湿った感情が、彼女に道が違うと教えてやれと囁いた。
そうすれば、彼女はこちらを振り返るだろう、と。

自分にも笑顔を見せてほしいのだろう、と。

その瞬間、別の感情が怒声を上げた。

なぜ俺が、あいつに振り返ってほしいなどと思わなくてはならない?
それほど振り返らせたいのか、ならば振り返らせてやろう。
だが、おまえがほしがっているような笑顔など、見せてやるものか。
女の笑顔が見たいなどと、情けないことを考える奴に…

他人に向けた笑顔の残滓などいらない。

そんな思いに愕然としたときには、

「楽しそうだな」

既に言葉は空を突いていた。

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