最上典世のJAZZCamel

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 ミニマルミュージック ステーブ・ライヒ 「ライヒベスト」

 ミニマルミュージック、あまり聞いたことがない言葉だ。さまざま音楽を聞いて、もう聞く曲がなくなったというときに、ほら、まだこんなのがあると、知らない所から差しだされる音楽と言うべきか? 普通、これまでの曲は前奏(イントロ)があって、やがて主題旋律が流れてくる。しかし、ミニマルミュージックは、その作法を壊す。極端な話、最初に出てきた音、あるいはリズム、あるいは人間の声、それが限りなく繰り返される。

 コヨーテの叫び。鳥の羽ばたき。滝の音。浜に打ち寄せる波の音。恋の呟き。ドラムの音。カエルの声。ライオンの吠え声。どんな音でもいい。それが延々と続く。

 ライヒはこのミニマルミュージックに到達するまで、哲学的な思索を積み、いろいろな音楽を調べ、他の経験を重ねた。だから、ここには一つの到達点がある。思いつきでこの方法を編み出したのではない。

 彼の方法が知られるようになるまで長い年月がかかっている。

 だが、正直に言って、音楽は単調だ。それに馴染むまで人は経験を積まないとならない。

 朝日新聞「折々の言葉」にあった。華道家、中川幸夫。

「なんだ、これは?」って、「ああ、これは生け花なんだ」って思うより、ずっといいよね。

「なんだ、これは?」――ライヒの音楽である。

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 映画、「テイクシェルター」 監督ジェフ・ニコルズ

 この映画は、主人公の病的な心に映る幻想、妄想がドラマの大きなポイントになっている。

 普通の人間ならどうということのない嵐におびえたり、空に展開される鳥の大群の形、夢の中にあった悪夢、それらが彼の心を次第にむしばんでいく。彼、主人公の母は、彼が小学生の頃に突然に失踪する。記憶を失って、知らない土地にいた。それから母はずうっと病院にいる。映画の中で、彼は母を見舞う場面がある。母は彼をちゃんと覚えていた。母は子供たちを愛しているのに一緒に生活しなかった。母の心の病が息子に引き継がれている。

 彼は常人にはおかしい行動をするようになる。ものすごい竜巻がくると予測し、家の庭に穴を掘り、シェルターを作る。幼い一人娘は失語症で、手話でしか語れず、同じ年ごろの子供とも遊ばない。

 彼の妻は、娘の治療費に金をためている。ところが、彼はシェルターの資材を買うためにその金を使ってしまう。また、庭に穴を掘るために会社の重機を無断で使用して、それがばれて会社を首になる。

 心の悩みを打ち明けていた公的機関の相談所の黒人の女も配置転換で消えて、親友の同僚にも愛想をつかされ、妻にもあなたの行動はおかしい、お金をどうしたのと詰問され、ようやく悩みを打ち明ける。

 嵐がくる。家族3人はシェルターに避難する。

 一夜をそこで過ごして、次の日、嵐が去ったからとびらを開けてという妻の願いを最初は聞き入れない。

 分かった。君があけるといい。夫の言葉に対して妻はこう言う。

「あなたがとびらを開けないかぎり、再び同じ生活に戻る」

 よく分からないことがある。

 アメリカ人は、アメリカの良心というのを信じているのだろうか? この映画のテーマは、シェルターから出る場面で、妻が言う言葉、そこの意味にあるにちがいない。

 日本ならば、君が開けるといいと夫に言われて、妻は何の疑いもなく、すっとカギをとって、とびらを開けるところだ。

 映画は日常の市民の生活、男の労働、女たちの陰口、町内会の集まり(パーテイ)、中西部の田舎の風景というように、特別な場面があるのではない。だから、この映画は世間受けしない。反対に、退屈だ。その退屈さをよく映画に仕上げた、と言うべきだ。

 監督のジェフ・ニコルズには、最新作「ラビング 愛という名前の二人」がある。

 

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 この映画は華々しい冒険映画ではない。水戸黄門が出てきて、悪人をやっつける痛快な物語ではない。反対に、見慣れない小説を読むときの推理力が要求される映画だ。

 映画は時代の影を引きずる。1946年制作であるから、第二次世界大戦の暗い空気がある。

 アメリカ東部の海岸で警備に当たる部隊があり、そこに勤める若い将校(ロバート・ライアン)がいる。彼は先に駆逐艦に勤務し、その艦が敵弾に当たって沈没した際に、精神的な傷を負う。それからは悪夢にさいなまされて、精神治療のために入院を経験した。今は陸地勤務であるが、同じ町に婚約者がいる。彼女は一般の会社に働いている。彼はすぐに結婚して、軍を離れて別の町で暮らしたい希望がある。

 彼は気分転換のために馬で海岸線を行く。浜辺で黒い服を着た若い女(ジョーン・ベネット)――どこか妖艶で、影がある雰囲気の女に出会う。二度目の散策で再会したとき、話しかける。女は家に行きましょうと言い、家で画家の夫を紹介する。画家は妻より30歳も年上の、髪の毛の白い中年の男。しかも目は開いているのに盲目である。

 何度か会っているうちに互いに惹かれる。君と結婚したい。それなら、画家の盲目が彼女を引き留める口実になっていると思われるから、このうそをあばけばいい。将校は画家を試す。一度目は崖に連れて行って突き落とす。しかし、画家は額を切るだけで他の傷はない。二度目は釣りに行くと言って、荒れる海に小舟をだす。決着をつけてやるぞ。線上でもみあう。二人は海に落ちるが、女から危険を知らされた軍の者がモーターボートを出して、二人を救う。

 ところで、こうしたやりとりの間も、女は画家とソファに座って、画家の肩に腕を回して、ニューヨークで過ごした良き時代の思い出を語り合う。画家は妻を、君はあの将校が好きなんだろうとけしかける。時には、おれではなくおれの絵が欲しいだけの腐った根性の女だと難癖をつけて、なぐりつける。盲目になった画家の絵は市場価値が上がっている。一方で、女は将校と逢引きを重ねる。彼の方でも、女が一筋縄でいかないことがようやく分かってくる。ときどき、性根が据わったように冷淡になる。すぐに結婚しようと言っていた性格のいい恋人とは関係が冷え込む。

 ここの三角関係は、女の本当の気落ちが明らかにされないために、映画を見る者は、将校の殺意が報われるかどうか、自分が将校になったような気分になり、常に強迫観念におびやかされる。

 もっぱら夜に生きる目的のない生き物。そのように一貫性のない女の言葉と行動。そのあやしいムードに若い将校は振り回される。

 ある夜、将校は何かいたたまれない気持ちで画家の家にやってくる。画家は将校と妻の前で叫ぶ。もうおれは何もいらない。この家を全部燃やして自由になる。おまえもおれから離れて自由になれ。絵を次々と火に投げ入れる。三人は家が爆発する前に闇に退く。燃え盛る火が三人を照らす。

 さて、最後に、この三人はどういう行動をとるか? 

 わたしはこれで晴れてあなたと結ばれると女が将校に言うか? 

 それとも、三人は互いの存在を認めて握手をするか? 

 それとも、女は将校ではなく、夫である画家を選ぶか?


 この映画はドラマに主眼をおくために、普通の私生活には起こり得ないことがいくつか起こる。崖から落ちた老画家が無傷でしゃんと歩く、というのは一例である。

 それをいちいち上げれば、ドラマの展開は味気なくなる。

 地味な映画であるが、冒険物語よりもおもしろい。

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