もーもー夫です。
妻のこと、私たち家族を応援してくださった方々へのご報告とさせていただきます。
気持ちの整理がつかない中での文書ですので読みにくいかと思いますが、ご容赦ください。
今年の二月から妻が入院していました。
妻は去年の四月にも入院して、肺にあった腫瘍を摘出
するために、右肺上葉を切除手術をしていました。病理検査の結果悪性ではありませんでした。
また肺に悪性でないであろう腫瘍があるとのことで、二月に入院しました。
入院後に腫瘍を小さくするためのエンドキサン治療を行いました。薬剤で免疫力が下がった肺の腫瘍に、アスペルギルスというカビ菌が巣作り、去年の手術後に残っていた右肺の中葉が空洞化してしまいました。
ここからが辛い戦いになりました。
アスペルギルにより、肺から出血があるために、元々飲んでいた血液をサラサラにする薬のワーファリンがつかない。すると、血栓が腎臓にでてしまい、尿が出なくなってしまう。尿が出ないので手や足が腫れたり、お腹に腹水として溜まってしまう。
肺を治すにはワーファリンを止めないと手術もできないが、腎臓の治療にはワーファリンを飲まないといけない。
どちらの治療もできないような状況になってしまいました。
腎臓は透析もできるし、先ずは肺の空洞化部分を切除する治しましょうという治療方針に決まったのがGWあたりだったか。
しかし入院先の聖マリアンナの呼吸器外科には手術できないと断られました。
代わりに紹介された千葉大学病院でも、右肺を全部取るようだから、取ったら死んじゃうからできないとこちらも断られました。
途方にくれましたが、何とか妻を助けたくてネットでアスペルギルスの手術経験がある病院を探し、セカンドオピニオンを3つの病院に申し込みました。
3つの病院で最初に僕と面談してくれたのが、虎ノ門病院の河野匡先生でした。
胸腔鏡下手術の名医でキャスターの鳥越俊太郎さんの肺癌手術もした方でした。
河野先生は即決で取れるよ、すぐにやりましょうとその場で手術日まで決めてくれました。
虎ノ門病院に6月に転院し、手術は成功し、右肺の中葉の空洞化した部分だけを上手に取っていただき、出血も600ccしかありませんでした。
また6月末ごろに聖マリアンナに戻り、腎臓の治療を再開できることになりました。
このまま順調に退院できるかと思っていた7月に、今度は胃から出血しているかもしれないとの事でワーファリンをまた止める事になりました。
結局2週間くらい絶食とワーファリン中止でだいぶ弱ってしまって、胃カメラの結果出血はなくて、何だったの?という結果だったのですが…
ワーファリンをやめた影響でまた腎臓に血栓と頭に脳梗塞と硬膜下血腫を併発してしまいました。
七月末に硬膜下血腫が広がり右手の麻痺がひどくなり、ロレツも回らなくなったので急遽手術する事になり、夕方に手術を終えて戻ってきました。病室に戻ってきてすぐに会話もできていたのですが…
30分くらいしたら、急に頭が痛いと言った後に意識不明になってしまいました。
手術後にさらに脳内で出血し、脳内ヘルニアという命が危険な状態になってしまいました。
その日に2回目の手術にはかなりの時間を要しました。頭は丸刈り、何針も縫ったような頭にはかなり大きいな痕。人工呼吸器をつけて意識がない状態で戻ってきました。
数日間意識が戻らない状況が続きました。
医師からは脳が血液でかなり押されたから後遺症で視力を失うかもしれないとも言われていました。
急な手術だったから術前に息子に会わせられませんでした。だから何としても意識を戻して、もう一度息子の顔を妻に見せてあげたい。そればかり祈っていました。
意識がない中、看護師さんのアドバイスで音楽を聴かせました。息子がカラオケで熱唱しているビデオでしたが、すると手でトントンとリズムを取りました。耳は最後まで聞こえているそうです。
数日後意識が戻ると、目は見えていることがわかりました。でも、話せない失語という状況になってしまい。筆談したり、あーとかうーとか言っていることである程度理解するような生活になりました。
そんな中でも、回復させたいという本人の意思があり、リハビリも頑張っていましたが、脳梗塞と腎臓は悪くなっていきました。
そんななか、アスペルギルスの手術先が決まらず六月ごろは悩んでいた私もストレスから物が食べれなくなり、これもらストレスで腸から出血し、貧血状態でフラフラで立てない状況に。10kgも痩せ、8月は私まで1ヶ月入院していました。
九月からはやっと私もお見舞いができる状態になったのですが…
人間は尿が出ないとら体が酸性かしていき、やがて意識を無くすそうです。
先週金曜日まで、動く左手でipadを自分で触り動画を見ていたのに、土曜日に意識を無くし、脈も50まで下がり命が危ないところでした。
日曜日にはそれを聞いた妻方、私の親戚たちがたくさん見舞いに来てくれて。奇跡的に意識が戻り、手を握ったり、頷いたり、来てくれた人たちに反応していました。
9/11の朝方3時前に病院からまた急変したと連絡を受け息子と病院に向かいました。
最後まで目を開けて何かを言おうとしてくれてました。大阪の母、妹、私の母、息子に看取られて11日朝6時ごろに息を引き取りました。
息子が1歳の頃に難病のSLEを発症し、10年間入退院を繰り返し、今年は3回も手術をし、ここ数日は過呼吸な状況で苦しそうでした。
ずっと自分の病と闘いながら、母として妻として頑張ってくれました。
1番は息子を産んでくれたこと。これを最後にありがとうと伝えました。
妻からは脳内ヘルニアで、喋れなくなる前、手術前に珍しく泣きながら私に
いつも夫くん、優しいね。ありがとうと言ってくれました。これが最後のちゃんとした夫婦の会話でした。
これからもらこの言葉を糧に、病気になってまで残してくれた息子を大切に育てていきたいと思います。
葬儀は家族葬で既にとり行いました。直接のお付き合いがあった方については自宅までいらして頂いて御線香をあげていただければと思います。
これまで妻のブログを読んで頂いていた方々に感謝申し上げます。
妻の闘病日記がこれからも、同じ様に難病と闘うの方々のお力に少しでもなれれば幸いです。