2016年、母の癌が分かった年に色々な保護犬団体のサイトを見ている中に前足の曲がった男の子のチワワを見つけてこの子がいいと思って問い合わせをするとトライアルが決まっていると言われた。
諦めたらこの子はどうですか?と言われたその子の名はひらりちゃん…それがぷりんと出逢いだった。
あの日から2度会ってトライアルをしてそのままうちの子になってくれた。
たったの5年と1ヶ月半でした。
昨年のクリスマス前から体調が急に悪くなりました。すぐにかかりつけの獣医さんのところへ行って血液検査をするが目に見える異常は無く…炎症の数値だけが何故かMAXを超えていた。
原因が不明だった。
その後何度か通院しても変わらないので、検査のために5日ほどはじめての入院となった。
しかし、変わらない数値…途中からセカンドオピニオンをと先生に相談して日本動物高度医療センターに予約を入れて頂き、年末に行き年明け2日に電話がかかってきた。
そこで言われた病名が組織球性肉腫という癌の中でも早すぎるものであった。
1/4に早くて1.2週間の命ですと余命宣告をされた。
その日のうちに抗がん剤治療と輸血をした。
それからステロイドの副作用で食欲が戻りゆっくりであったが歩けるようになったりタッチをしたりいつもと変わらないぷりんがそこにいた。
しかし、病には敵わなかった。直ぐにまた歩けなくなったり元気が無くなった。
数日後、末期癌患者を施術している氣功の先生を紹介してもらうと驚くほど回復して次の日お散歩で水から歩き走りニコニコと嬉しそうなぷりんになった。
でも…数日経つとまた酷い貧血と共に自分でトイレに行くことが難しくなった。
精密検査の新たな結果が出て病名が途中でリンパ腫となった。
余命宣告から26日間でぷりんは1月30日の午後に氣功の先生に施術をして貰っている途中に手足が冷たくなって来て私たち夫婦の目の前で息を引き取った。
あっけなかった。
最後の2週間ほどは24時間介護となり眠れない日々だったが、それでもぷりんのお世話をさせて貰えて幸せだったし…まるで新生児のお世話の如くで…ぷりんが身をもって私たちに眠れない日々と共に沢山の事を教えてくれた愛おしい時間となったのであった。
本当なら春過ぎにはぷりんはお姉ちゃんになる予定日だったのに…それは叶うことが無くなってしまった。
今日はぷりんの四十九日だった。
午前中からハーネスを持ってぷりんが1番大好きだったバカ走りをする場所、私たちの通称ダッシュ村に行ったら夫婦で泣いた。
私は1/4から今日まで泣かない日は無かった。
毎日ぷっちゃんが恋しくて寂しくて悲しすぎて泣いていた。
だって、子供に中々恵まれない私たち夫婦にとってぷりんは本当の娘のように毎日愛おしくて可愛くて仕方がなかったから…
母を亡くし辛い日々もぷりんが支えてくれた。
6年間の不妊治療も支えてくれた。
昨年赤ちゃんを亡くした時も毎日そばにいて癒してくれて支えてくれた。
母の癌が分かった年に出逢い、私が安定期に入った途端に病気になるとか…なんで??っていくら考えても答えは出なくて…
悲しい5年間をぷりんは知っていたかのように
次は赤ちゃんだよ、バトンタッチだよと言うかのように愛おしい命の炎を燃やしたぷりん。
今日は四十九日だから…ぷりんのベッドやハーネス、食器や服、小物達とさようならをした。
どうしても4枚だけ想い出が深すぎるほのかにまだ匂いがする服は捨てることが出来ずに、これは一周忌の日にさよならをしょうと夫婦で決めた。
本当に本当に本当に毎日愛おしくて、可愛すぎた
自慢の娘のぷりん
大好きだよ、また生まれ変わったら必ずパパとママがあなたを見つけてあげるからね!
約束だよ!
ありがとう。