悪足掻きの集大成

悪足掻きの集大成

子宮頸癌Ⅰb-1期をconizationで乗り切る記録

病にまつわる回顧録です
話が前後してるので読みにくかったらスミマセン・・・


子宮頸ガンⅠb-1期を円錐切除のみで経過をみることになかなか賛同を得られず

様々なことに難航しました。

他人からみたら悪足掻きでしかないことも自分にとっては譲れないこと

それを貫き通すのも自分自身、責任を負うのも自分自身。

結局そんな選択の積み重ねが人生なんじゃないかなと私は思います。


疾患を通して感じたこと考えたこと、

嬉しかったことや悲しかったこと、困ったことや辛かったこと、ありのままに綴っています。

もしも、そのことで気分を害される方がいらっしゃったら申し訳ないですがご容赦ください。

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期待と不安の混じった気持ちで日本を発った2010年1月5日。
一度、中間検診のために戻った10月から14ヶ月。
2012年1月4日に無事帰国しまして、久しぶりの日本。

変わってないような、それでいて大きく変わっているような。
まだなんか浮遊感、否めない。
馴染めない、というのか。
なんだろう、この違和感。
きっとギャップが激しいんだ。
また感覚が戻ってくるだろうと思って早、17日。
仕事復帰して、もう10日。
まだ、違和感拭えない。

日本は眩しい。
人工的な照明の明るさみたいな眩しさで、
正直目が痛い・・・

2年間でかなりの量、紫外線浴びただろうお肌は
向こうに住んでる時は気付かなかったけれど
この眩しい日本では毛穴の奥の汚れまで見えるよう。
同じ鏡で見ていても、劣化激しい。

この国で生活を再スタートするには、
外見のメンテナンスも必要だ。



昨日、今日と心を奪われている出来事がある。

同じく途上国で活動していた同志の体調不良。
それを知ったとき、何だか胸騒ぎがした。
5年前の自分を思い出して。

どうか結果がよいものでありますようにと祈った。

昨日、検査の結果を知った。
彼女の病気は決してよいものではなかった。

これから苦しい治療が待ってるんだと思うと切ない。
彼女には大切な人がたくさんいるから、
彼女を大切に思う人はもっとたくさんいるから、なお切ない。

太陽みたいに明るい彼女が、
今頃どんな気持ちなのかとか考えるけれど
私にできることはないのかな、とか思い巡らせるけれど
どうか、治療に効果がありますようにとただ祈るばかり。
10月頭から約20日間、日本へ一時帰国飛行機

10ヶ月ぶりの受診へ行ってきました。
検診結果は案外早くて日本滞在中に届いた手紙

結果は異状ナシ。
これで安心してしばらく生活できることに感謝心

次の受診は平成24年の1月。
まだ1年以上先だー。

その時はもう術後5年目になるのかな??
と思うとホントに早いなー。
この村で生活していると、自分が病気だったことを忘れがちになる。

それくらい元気で過ごせてることに感謝ブーケ1

この国に来て早8ヶ月が経過しようとしている。
日々の主な活動先は村の診療所。
でも、わたしにとって興味があるのは村落住民の健康と暮らし。
村と言ってもわたしの住んでるところは村の中心部(半径300mほどの小さなもの)

村落の女性は無知ゆえにいろんな病気になる。
子宮下垂もそのひとつ。
クロッキー帳に自作の解剖図を描き
「こうだから、こうなるよ。こうしたら防げるよ」
なんてことを紙芝居みたいにして村を廻る。

子宮ガン患者もそれなりにいるみたい。

でも早期発見とか、この国のレベルではなかなか。
村落に住んでるともっとアクセスが悪い。



わたしの住む村は夜になるとホタルが飛ぶ。
ハイウェイ沿いで、ディーゼル車一台通っただけで
排気がひどい。
ゴミ箱にゴミを捨てるという習慣もうすく、
キレイな川もゴミいっぱい。

中心部はレンガ造りの商店が並び雑然として見える。
涼しくなると住民がぞろぞろと軒先に出て夕涼み。

街の灯りが極端に少ないのでたくさんの星が見える。
そんななかをゆらゆらとホタルが飛んでいるのです。

日本よりも体感的に空気は悪く感じるけれど、
そうでもないのか、このホタルの数星空

10月は一旦帰国して10ヶ月ぶりの検診へ病院

はやくチケット取りたいのに、なかなかうまくいかないのもこの国ならでは。
ずいぶん更新していなかったら1年以上経ってた。
月日の流れはホントに早い。

2009年12月。
当面最後の受診。

主治医は
「次は半年から1年後でいいから~。
 適当な頃に電話で予約入れて~。
 またそのときに楽しい話、聞かせて~」

軽く、そして明るく送り出してくれた。

検査結果が郵便で届いた頃
わたしは既に日本を発っていた。

妹からのお知らせでは『異常ナシ』とのこと。

これで次の受診まで、余計な心配しないで過ごせる。



2010年6月。
アジアの某内陸国に来て早半年。
現地スタッフと拙い現地語で悪戦苦闘の日々。

この国では、日本でなら救える命が消えていく。
無知ゆえの誤りも多い。

この村でたった1人の日本人のわたし。
ときに迷い、ときに流され、先を見失いそうになるけれど
わたしが病気になったとき、わたしを支えていたのは希望だったと
いま、改めて思い出した。
病院に勤めていたら、少しアンテナを伸ばすと情報が手に入る。

ある日、ドクターの机に無造作に置かれている本が目に留まった。
遺伝子絡みの学会雑誌。

表紙のトピック。
【子宮上皮内癌手術の~】

詳細なタイトルは忘れたのだけれど、2ヶ月に渡って子宮ガンにまつわる題材で書かれていた。

HPVのことやら、術後の妊孕性のことやら。

わたしの場合。
進行ガンⅠb-1期ではあるが上皮内ガンというひとつ前の段階の手術で済ませている。
経膣で取れる必要な範囲だけの切除。
病理組織結果を見るに、深度は浅いものの広範囲。
それを取り残すことなくギリギリで取るというのは、
上皮内ガンの症例よりも広範囲に切除していることになる。

論文ではLEEPなら、コールドメスなら、レーザーなら。。。
と手術手技により術後の妊娠率に有意差が出るか否かの比較をしていた。

仮に妊娠したとしても、流産や早産の率が上がることなど一般的に知られているような内容もあって。
知ってはいるし、理解もしているのだけれど。。。
こう。
活字となりデータとなって目の前にあると、複雑な心境。

その中に気になる一文もある。

子宮内遠隔転移とハイリスクHPV。

有り得るガクリ
次の受診で訊いてみよう。