小学校生活もあと少し。

震災後も幾度とない地震に怯える日々。

あれから、もう少しで3年がたとうとしている。いつまた巨大地震が来て、地球が滅亡するんじゃないかと心配している。

ママが君を守るから!毎回語りかける。
これではダメなのは分かってるけど、パニックになると他の人では落ち着かせられないからショック!

学年が上がって来たら、そんな回数も減ってきて、成長した証となっている音譜

卒業式は号泣しちゃいそう
震災から1年。

私たちは世界遺産の平泉の側で内陸だから自宅の被害は少しだけだが、息子にとっては凄いストレスだったようだ。

地震のあった日はたまたま母の体調が良くなくて、子供達を見れないと言うので午後からお休みを貰い自宅で子供達をお昼寝させようとしてた時に地響きと共にけたたましい緊急地震速報が鳴り続ける中の激しい揺れ。

思わず外に逃げようにも母と子供達4人(甥&姪も)と歩く事もままならず少し弱まった時に裸足で裏の畑の駐車場に逃げた途端またしても激しい揺れに6人で肩を寄せ合い座り込んで増した。

余震が何回も来る中子供達をどうにかしないとと靴とワゴン車の鍵を取りに私が家の中に。

車に乗っても揺れは幾度となく続きとうとうすぐ側の川の堤防が崩れてしまった。
お兄ちゃんはパニックを起こしてしまい震え続け小さい心臓が壊れそうな程激しく動いていた。

家の中には入りたくないと言うがとりあえずご飯はお家の中で。

お兄ちゃんは顔色も悪く何も喉を通らず早くお家から出て車の中に行きたいと落ち着かず。

車の中でも余震を感じ眠れずに2挽過ごした。
さすがに3日目からは家族10人で居間のこたつに寝ることにしたが、停電が続き夜は真っ暗な中でこのまま夜が明けないんじゃないかと思った。

幸い4日目の夜中に電気が付いた時は涙が流れた。

私達はすぐに逃げれるようにとパジャマではなく普段着で半年位寝ていた。
お兄ちゃんも半年ぐらい過ぎると余震でも(震度1位)夜中に起きる事は無くなった。


あれから1年が経とうとしていた矢先どうもお兄ちゃんの様子がおかしい…
昔のいじめられた事を思いだし気分が優れないし夜中の震度にならない地震に目を覚ます。

思い切って聞いてみたらまた巨大地震が来るんじゃないかと恐怖に思っていたらしい。

遠く離れたこの地でも自宅周辺は放射能のホットスポットになっていて県内で唯一線量が高い。

この一年、子供達の心の病や放射能の問題と将来の事など心配な事は山積みになっている。

午後2時46分、私達は犠牲になられた方々に対し静かに黙祷した。
バレンタインは会社の同僚の子供達にあげました。もちろんパパや家族にも。

家族の中で一番チョコをgetしたのは、なんと息子でしたあせる

私の会社の同僚から沢山貰いにやけながら机にしまってました


知らない間にコッソリと1人で食べてしまうんですショック!


毎日普通クラスで頑張ってお勉強しているご褒美と言うことにしました