朝も食事はほとんど食べれず、昼は半分くらい。

熱は37度8分くらい。

ボーッとするが、寒気はなし。

昼間、ホールで仕事する。

廃液量:120cc
ホテルをチェックアウトした両親が11:00に病室へ来てくれた。
熱が下がらず食欲ゼロの私の昼食を、母が「まじーまじー」言いながら完食。

熱は38度3分を行ったり来たり。
腰がめちゃくちゃ痛い。
前回(乳房切除)は麻酔室まで自分の足で歩いて行ったけど、
今回の手術では、病室から担架に乗せられ、麻酔の点滴が入る
頃には涙が止まらなかった。

自分が再建できるまで生きられるとは思わなかったという
嬉し涙と、担架に乗せられた時点で、自分の命を預けてしまって
いるという安堵感と諦め、そしてそんな私の周りを、優しいんだけど
ロボットのように事務的にワサワサと動きまくる看護師や医師たち
の姿を目の当たりにし、すっかり恐怖におののいてしまったのだ。
点滴が入って間もなく、1秒数えたら数えないくらいで意識沈没。

意識が戻ると、私の喉には太いチューブが差し込まれていた。
一度経験しているとは言え、痛いし苦しい。
遠のく意識を取り戻されながらも、看護師+医師の会話は全て覚えている。

「無事終わりましたよ」
「ゆっくり呼吸して下さいね」
「そうそう、呼吸を止めたらダメですよ」
「意識レベルずいぶん高いですね」
「大丈夫ですか?あ、笑ってますね」
「どこか痛い所ありますか?」
『の゙~ど~』←私

とここでぶっといチューブがゴボゴボと抜かれた。
エレベータで10Fに上がると、扉が開いたところで
父がいることがすぐ分かった。
親子の絆というヤツだろうか?
目も開いていない、父は一言も発してはいないのに、
すぐ父の存在に気付いた。とても安心したのを覚えている。

その晩は、熱が38度以上あり、座薬をしてもらった。
3年前と違って麻酔の技術は発達していたようで、吐き気も
頭痛も何もない。ただあるのは、背中の痛みと熱の苦しさだけ。

この日の廃液量:300ccくらい