無い。


と、今までの過去から経験上思っていましたが、やはり無いのだと痛感しました。


昨日は私のbirthdayでした。
生まれてきた意味、生きる意味など考えていた最近でしたが、それなりに自分なりの答えをだし、それに向けて歩もうとしていたある日、私は大切な人を亡くしました。

6月2日あちらの世界へ旅立っていった、私の二人目のお姉ちゃん。


12年前、私は実姉をODで亡くしました。
それから、不眠になり、精神科にかかり、睡眠薬、安定剤を処方されましたが、当時お付き合いしていた方から、お薬を禁じられました。

その後、仕事柄もあり、お酒の量は増えました。

アルコール依存症だとあちこちで診断を受けました。

お酒を断つまで、10年はゆうにかかったと思います。

ようやく断つことができました。


それは、2人目となるお姉ちゃんに出会えたからです。

お姉ちゃんは、去年の入院中に知り合いました。

入院中旦那さまが自殺され、その翌日私は愛猫まりにゃんに先立たれ、2人でたくさん泣きました。

20年連れ添った旦那さまが亡くなるという事、どれほどの苦しみか、寂しさか、未婚の私にはわかりません。

まだ未知の世界です。

そんなお姉ちゃんと、私の実姉は誕生日と命日が同じでした。

運命を感じました。

とてもとても妹として可愛がってくれたり、時には母親のように叱ってくれたり。

多い時で週6は、朝から夜まで一緒にいました。

どこに行くにも一緒、何をするにも相談。

今までたくさんの事、人間関係、失ってきた私にはようやく手に入れたかけがえのない存在でした。

失ってきた、もう失いたくないからこそ大切に、大事に接してきました。

自分に出来ることは全て、後悔の残らないようにしてきたつもりです。


明日でいいや、後でいいや、今度会った時でいいや。

その感覚は私にはありません。

生きている以上何が起こるかわからないからです。


でも、いつもと変わらない日常を送っていると、ついその事を忘れてしまいがちです。

確実なものなんて、大丈夫とか、絶対なんてないのだから。

今自分が置かれている状況、環境、全て恵まれていると思います。

些細な、見落としてしまいがちな、住む家がある、話ができる相手がいる、ケンカできる家族、友人、恋人がいる、食べる物がある、食べることができる健康な歯が、からだがある。

目で見て、耳で聞いて、鼻で感じて、口で話をしたり、呼吸をしたり。

当たり前のようですが、当たり前なんかではありません。

全て、恵まれている、感謝すべき事だと思います。

自分が苦労して作ったわけではないので、物心ついた頃から、何も考えずに使っていることだからです。

でも、そんな些細な事過ぎて、見落としてしまいがちな事は生きていく上で多々あります。

ケンカしたのに、すぐ謝らなかった。

何かしてもらったのに、ありがとうをその場で言わなかった。

虫の居所が悪いからと、話しかけられたのに返事をしなかった。

数えてみるとキリがありません。

でも、何かあったらきっとその時に後悔すると思います。

あの時○○しておけば、ちゃんと伝えておけばと思う時があると思います。

良く言われるのは、孝行したい時には親はもう居ないという事。

そんな後悔をしたくないから、常に全力で一緒に過ごしました。

もちろん誰にでもと言うわけではありません。

自分にとって大切な人には、そうしています。


そういう意味では、アルコール依存症と診断され、迷惑わかけてしまったが故に、離れていった方たち、断捨離できたのかもしれません。

今、私は本当に自分にとって必要で、相手も私を必要としてくれる、そういう方たちとしかお付き合いはいたしません。

他の方たちとの交友が無駄だとはけして思いませんが、必要最小限にとどめています。








ふたりのお姉ちゃん、

また私を置いて逝くのね。

つらい、つらいよ。。。

でも、わたしは2人から教わったことを守って、生きてゆきます。


ありがとう、と言えるくらい大人になるにはまだ時間はかかるけれど、短かったけど、そばにいてくれて本当に本当に幸せでした。



ゆっくりおやすみなさい.+*:゚+。.☆









今日は私がこの世に生を受けた日です。

病気になってからというもの、生きるという事について、今までたくさん考えてきました。

生まれた意味についても考えてきました。

12年前まで、そんな事を考えもせず、当たり前に過ごしていた恵まれた日常。

家族がいて、住む家があって、親友と呼べる友達もいて、仕事もできる健康で、当たり前過ぎて気付きませんでした。


12年前、私の姉は薬をたくさん飲んで、他界しました。

私の両親は、自営業だったこともあり、私と姉は祖父母に育てられました。

両親は、娘二人を育てる為に、何不自由ない暮らしをさせるために、共働きでお仕事をしていました。

私は、幼い頃父と食卓に並んだ記憶がほぼありません。

一度だけ覚えていますが、知らない人がいるかのように恐怖感だけが残っています。

幼い頃、さみしさと引き換えに、もっとお父さん、お母さんと過ごしたい、風邪をひいたら、お母さんにそばにいて欲しい、そんな気持ちも幼心に我慢して、言えずに過ごしてきた私たち姉妹。

思春期までは、親は忙しいけれど、大きな家、立派な車、面倒を見てくれる祖父母がいました。

高校生の時に、父の会社は無くなりました。
さみしさと引換に両親が頑張って建ててくれた家も、乗せてくれていた車も無くなりました。

私は今思えば、寂しくて仕方なかった、鍵っ子だった頃、帰る家もなくなり、何が残ったのだろう、私の元には何があったのだろうと今でも考えてしまいます。

良くないこと、考えても仕方のないこと、理解できますが、何も残らなかったのかな?と思ってしまう時があります。

両親には多額の借金が残ったというのに、私はそこまで考える余地はありませんでした。

親なりに、必死だったと思います。
多額の返済、子供の面倒、自分たちの暮らし、わからないわけではありません。

しかしながら、10代後半高校に通うことをやめました。
不登校になりました。
姉も大学を休学して働きました。

通える学校があるのに通わない、わがままですね。
卒業はなんとかできたけど、卒業式には出させてもらえませんでした。

姉は弁護士になりたいと、法学部にいましたが、大学を辞めました。

辞めて、東京に行きました。


私も数年たってから姉を頼って上京しました。

上京して、3ヶ月も経たない頃に姉は他界しました。






先日主治医から、


パーソナリティ障害だという事を伝えられました。

なに?それ。


早速調べてみる事に。

はじめは、傾向と対策を練るために、自分の病気ならば、知っておきたい、何かあった時のために備えておけたら…そんな思いからでした。

不安もありました。

知らなくていいことまで知ってしまうのではないか、怖いけど調べてみました。



パーソナリティ障害

大多数の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり、周りが困っているケースに診断される精神疾患。
認知(ものの捉え方や考え方)や感情、衝動コントロール、対人関係と言った広範囲のパーソナリティ機能の障害(問題)が生じること。

他の精神疾患を引き起こす性質があること、パーソナリティ障害と合併した他の精神疾患が全面に出ることが多いということ、パーソナリティ障害は背後から悪影響を及ぼす黒幕のような病気だということ。


はじめ、不調を感じ受診するきっかけになったのは、姉の死でした。
眠れなくなりました。
精神科を受診し、安定剤と睡眠導入剤を処方されました。

しかし、当時お付き合いしていた人に、

『薬なんかやめなさい』

と、飲む事を禁じられました。
私は飲む、医師に処方されたお薬だから、今は必要だから飲むのだと言うことが言えませんでした。

暴力をふるう人だったからです。

恐怖が先に来るので、飲むことをやめました。

でも、眠れないので、寝酒を始めました。

仕事も辞め、生活をしていくには、暴力を振るう人であろうともその人の存在がなくては私は生活していける力がありませんでした。

経済的援助、精神的身体的苦痛、不眠、アルコール、その頃から始まったのだと思います。

隠れて飲酒し、さみしさを紛らわし、酔って眠る。
翌日お酒の匂いをさせるわけにも行かないので、ジムに行って抜く、夜になればまた飲む日々でした。

それでも、その頃はまだお酒は二日に一度ほどしか飲んではいませんでした。

眠れずとも、仕事をしている訳では無いので、困ることもありません。

夕方までに食事を作って待っている暮らしでした。

今考えたら、その時きちんと処方されたお薬を決められたとおりに飲んでさえいたら、今のように悪化はしていなかったのかもしれません。

数ヶ月経ち、少しずつ現実と向き合えるようになり、復職しました。

私のしていた仕事は、高級店といわれるクラブのホステスです。

日々、お酒を飲むようになりました。

もともと飲めないわけではありません。

ヘルプは、飲んでなんぼと言われ、勤務時間は4時間弱と短いものの、摂取するアルコールは日に日に増えていきます。

気がついた頃には、酔っていなければ、接客ができない自分に気がつきました。

飲みなさいと席にヘルプで入り、飲むともちろんのこと酔いますよね、なのに、酔うなと言われ。

矛盾してる、でもどちらも真実。

飲まなければならない、しかし酔えば仕事にならない。

若いからでしょう、二日酔いはしてもちゃんと仕事には毎晩行けましたし、健康診断を受けることもしませんでした。

特に体に不調もなく、飲んでいるせいか、夜も良く眠れました。

そんな毎日が5年ほど続きました。

酔わずには出来なくなってしまった接客。

でも、お酒を飲んでいる状態だと、自分にも平気で嘘が付けるのです。

仕事なの、と言う名目で。

自分の本心に目を背け続け、お酒と、男女の戯言、駆け引き、笑顔で、思ってもいない事をお酒の力に任せて言い続けました。

そんな事をしていると、お席にもたくさん呼んでいただけるようになりました。

いろいろなお客様に、たくさん可愛がっていただけました。

酔って覚えてないけれど、そこには本心2割、本心でないものが8割ほどあったと思います。

しかし、みんな好きで働いているわけではないということ。

仕事だと割り切り、お酒も飲めば、楽しくもなり笑顔にもなる。

あくまでもそれは自分自身で自分を売り込むために作り上げた源氏名の私がいました。

それでも良かった、都会で働きながら一人暮らしをし、姉が居ない穴を埋めるのにはちょうどよかった。

呼んでいただける、=寂しさを埋める
構図だったと思います。

平日は入念に化粧をし、美容院でセットしてもらい、華やかなきらびやかなドレスに身を包み出勤。

その代わりに、休日の私は、全く化粧もしなくなり、着ているものも、平日の私とは真逆のもの。

カジュアルな装いに、ノーメイク、帽子を目深にかぶり自分の存在を消すようにしていました。

その頃から、仕事だと割り切り、源氏名の私と、本当の私をはっきりと区別するようになりました。

それ自体は特に問題のないことだと思います。

ON/OFFをしっかり分ける、大人のすることだと思います。

でも、私は本来の自分を否定するようになりました。

仕事中の自分は可愛がってもらえる、でもオフタイムの私はそうではない、寂しくてひとりで無理して都会に暮らしている感じでした。


続きはまた後日。
間もなく訪問看護を受けるようになって、1年になります。

鹿児島での、精神科の訪問看護ステーションはとてもとても少ないらしく、知人の家で出会ったスタッフさんに、週3回来てもらってます(*^^*)

1年前は、何の希望も、未来も、30分後の事さえ、楽しみもなければ、生きていることへの苦痛、自殺願望、ただただ募る漠然とした大きな不安感に苦しんでいました。

食べる事も、お酒を飲むことも、何のためにしているんだろう、
今この不安な時間を乗り切るためだけの行為だったとしか思えません。

食べては嘔吐し、気を紛らわせるために、起きてはお酒を飲み、することが無いから、更に食べては飲むだけの繰り返し。

そんな時に出会ったのが、以前入院していた病院の看護師さんが転職された、訪問看護でした。

今まで受けたことはありましたが、月2回の、ただ形ばかりの訪問看護。

新しいステーションのスタッフは、週3回来てくれました。

ちゃんと服薬しているか、気分の波はどうか、血圧、検温、食欲、入浴の可否、いろいろな事をサポートしてくれました。

やがて、2014になり、さすがにこれではいけないと一念発起し、入院を決めました。

およそ3ヶ月半の入院期間を無事過ごし、私が手に入れたものは、約15kgの減量成功、お酒を飲まない精神力、過食嘔吐をしない食事の方法を学ぶという事でした。

間もなく、1年です。

体重も維持し、アルコールは一切飲んでいません。

過食もしなくなり、食べたいものを少しずつバランス良く食べるという健康的な日々を送ることができています。

毎日が、ただただ不安で、逃げるように暴飲暴食を繰り返した日々、見えない未来への不安から、薬を大量服薬して、救急車で何度運ばれたことか。

そんな日々から、立ち直ることが出来ました。

わたしに関わってくれたすべての方たち、たくさんご迷惑もおかけしました。

離れていった人も大勢います。

でも、それでもちゃんと『そこ』にいて、すぐ会える距離でなくても、

言葉ではない『がんばれ』をくれた方達、

ちゃんと前を向いて、復活を待っていてくれた方たち、どれだけ支えられたかわかりません。

無言って、寂しいようですが、とてもとても温かく見守られているのだと痛感しました。

治療途中で天使になった『まりにゃん』も、わたしに大切な事を残していってくれました。

あの子が居なくなり、縁側で餌付けをしていたにゃにゃ子にも子どもが生まれました。

はじめは、2匹だった野良ちゃんも、今では、家族を増やし、母親になり、8~9匹になりました。

生まれた子猫も、けして五体満足に生まれたわけではない子も居ます。

それでも、寒くても、雨が降っても、灰が降っても、ごはんが食べられなくても、一生懸命生きています。

わたしは、その子達から多くの事を学びました。

一人では生きていけないこと、支え合い、譲り合い、思いやり合いながら、成長して行く事。

35年生きてきて、34年目の頃は自分の事しか見えてなかったんだろうな。

今でも、周りのことに気が付かなかったり、自分がかわいいし、わがままや、思いやりを持てない時も多々あります。

それでも、1年前よりは成長したかな。

たくさんの方たちに支えられて、見守られて、生きていて良いのだと、自分の存在をようやく自分で認められた気がします。

生きていて、良かった、命があるって素晴らしい、健康のありがたみ、すべての環境に感謝する事、してもらったことに対して同じ事をお返しできなくても、今の自分に出来る精一杯を返すという事、またそれを教えてくれた、新しく知り合ってくれたご縁のある方たち、何があっても、見方でいてくれた両親、言葉にならない『ありがとう』を伝えたい。

わたしに関わってくれた、出会ってくれた、全ての人や、動物や、環境に心から感謝します。

何ができるかはわからないけれど、何も出来ないかもだけど、ちゃんとわたしはここに居ます。

生きます。

がんばらない、無理はしない、だけど、自然体で生きていきたいと、心から思うようになりました。


何があるかわからないからこそ、楽しい人生。

何かあったからこそ、人に周りに優しく思いやりを持つことができる人生。

生きていく、簡単なようで、とても難しく、とても尊い道。

目の前の一歩から、歩んでいきます。

生き直します。

人間って、進化する事を身を持って知った1年。

わたしは進化していきたいと思います。

でも、焦らない、高望みしない、無理しない、当たり前のことなんか何もないから、そんな保証もないし、ただ目の前のひとつからクリアし続けていく。

後悔しないように、悲しくさせないように、出来ることなら、楽しみながら。



皆さま、これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m♪
毎日にゃにゃこ達が来ます(*^^)

はじめは2匹だったにゃんこちゃん達が、多いときで6匹来るようになりました(*^^*)


はじめの頃は、居着くからダメ!と反対していたオカシャンも、今では毎日朝、昼、晩と餌付け(笑)



そういえば、ミルクをあげてみました(^^;)

まりにゃんは、ミルクはおなかを緩くしていたから、あげなかったけど、

さすがノラちゃん達は強いです(≧∇≦)


よく食べ、よく飲み、よくゴロゴロして、お庭でまったりと過ごしてます。





この子達にどれだけ支えられてきたことか(>_<)


本当にありがとう…

毎日来てくれてありがとう…

淋しさを慰めてくれてありがとう…


最近、にゃにゃこが私の目をじーっと見ます(*^^*)

瞬きもせず、じーっと見ては眠そうな甘えているような目つきになります。



はぁ、おばちゃんはたまらないε=ε=(ノ≧∇≦)ノ



退院して調子が悪い日がありません。

何かの前触れなのか、寛解されたのか分からないけれど、

日々穏やかな暮らしです。


それも、にゃにゃこ達の存在が大きいんだろうなーー‥



一日中縁側でにゃにゃこ達とお話をしていると、ストレスも吹き飛んで行ってる気がします。

わたしの気持ちを察するように行動してくれるにゃにゃこ達には、本当に感謝しています(*^^*)



怪我をしているにゃにゃこもいます。

中猫だったにゃにゃこが、少し身体が成長しました。

ごはんを取り合って泣きわめいていた子が、鳴かなく鳴りました。

みんな、成長してきてます。


しましまちゃん。


にゃ子とにゃにゃこと、しましまちゃん。


並んで食事するにゃにゃこ達は、愛おしいです。


また、明日もいらっしゃいなー(*´ω`*)

おばちゃんは、デレデレです…(っ´ω`c)
私は最近、日がな一日縁側で過ごします。


にゃにゃことの時間がとても大切だからです(*^^)


朝、訪問看護のスタッフが来てから、午前中にゃにゃこと話して、お昼を済ませてはまた、にゃにゃことまったり音楽聞いたり、

まばたきでお返事してくれるから、ずーっと話しかけてみたり(*^^*)


私がまばたきをすると、そっとにゃにゃこもまばたきをします。


不思議だけど、とても癒されるにゃにゃこからの愛情ーーーーー


たまんない(≧∇≦)b



迷うにゃにゃこ!



食べるにゃにゃこ!



食べ終わって、こちらをうかがうにゃにゃこ!



ごちそうさまで、くつろぐにゃにゃこ(●´ω`●)




幸せです(>_<)!!!


今日は少しだけ、にゃにゃこの頭にタッチしてみたけど、まだまだ警戒態勢‥


これから、少しずつなれていってね(^_-)-☆
退院6日目。


今日も元気ににゃにゃこに餌付けをしました(*^^*)


初日はこの距離。

少しずつ、すこーしずつ距離が縮まって、





すこーしずつ。





毎日毎日肉球を触りたい願望を押さえつつ!





ある日は二匹来てくれたり(*^^*)






待っててくれたり(*p´д`q)゜。





すこーしずつ。




けさは、この距離までー(≧∇≦)b


可愛いです!




またおいでねー(●´ω`●)
今日は、猫カフェに行ってきました。


平日で、開店早々にいったので、ほぼ貸切状態(*´ー`*)



可愛すぎました◎!








少しゆっくりしてから、病院に戻ります(*^^*)


また、行こーっとε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
今月いっぱいでの退院が、先ほど決まりました。


期間は、まぁまぁあったけど、いろんな事が解決したり、仲間が増えたりと、

充実した入院生活でした。



メッセージをくださった方々、こんなただの記録的なブログにもかかわらず読んでくださった方々、



本当にありがとうございました(*^^*)

とってもとっても励みになりました。



あと数日、しっかり送りたいと思います。



取り急ぎ、ご報告でした(^-^*)


今朝、シェフが変わったのかと思った献立。


当然ながら、栄養士さんはいても、シェフなんていない(^^;)


どうして今日は、手書きだったんだろー?!



謎のままです。






来週、退院出来そうです(*^-^*)

詳しくは、明日決まります!




さーて、、。
今日のネイルは、いつまでもつかな(*´ー`*)?



手がしわしわだー…(*p´д`q)゜。

クリームでマッサージしよ!