平成27年、あけましておめでとうございます!
さて私事都合により当ブログの更新ができなくなりましたので暫時「休止」させていただきます。
また再開できる日まで準備・休養期間とさせていたきます。
平成27年元旦
こばやし★あきら
平成27年、あけましておめでとうございます!
さて私事都合により当ブログの更新ができなくなりましたので暫時「休止」させていただきます。
また再開できる日まで準備・休養期間とさせていたきます。
平成27年元旦
こばやし★あきら
昭和29年生れの「午年」です。
「午年」にはこんな事があったようです。
明治3年 横浜・新橋間鉄道が着工。
明治15年 上野動物園開業。
明治27年 北里柴三郎、ペスト菌発見。
明治39年 年賀郵便制度。
昭和5年 「お子様ランチ」誕生。
昭和17年 「関門トンネル」開通。
そして...昭和29年 怪獣ゴジラ誕生!!
昭和41年 日本の人口が一億人突破。
昭和53年 巨人軍、王貞治が本塁打800号達成。
平成2年 任天堂「スーパーファミコン」発売。
あとは.....「屁垂れ」と「詐欺師」と「嘘つき野郎」と「そいつらに毛が生えたような連中」が大手を振ってまかり通る世の中のまま今日に至っているのではないか、と思っているのは私だけでしょうか...
今日はこの辺で。
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今日は「ひなまつり・復活版・第4回」です。
我が家は女系なので‘端午の節句’はやったことがありませんでした。
娘達も‘お嫁’に行ったり、ほぼ独立したりしたために‘桃の節句’も結構長く途絶えていました。
平成21年に‘初孫’で‘孫娘’が誕生して復活。
お陰さまで今年で4回目ができました。
ここまで無事に育ってくれて‘親’以上に嬉しい限りです。
そして23年についに56年ぶりに男の子が産まれました。義理の息子は男系なので‘端午の節供’はお任せしてあります。
孫娘が1歳、孫息子が産まれて2カ月の時、里帰り中に「東日本大震災」が発生してちょうど3年。
どうか、いつまでも、いつまでも‘ジージ’のおひざに乗ってお祝いができるように...なんて無理な願いはさておき、いつまでもいつまでも‘日本の平和’が続きますように祈っています。
今日はこの辺で。
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明けましておめでとうございます!
今年も大晦日に家族みんなで「良い年だったなあ!良かったねえ。」と笑いながら言える年であることを心から祈念致します。
さて私ごとですが、今年は‘最後の大厄’でございます。
‘亡父’はこの‘後厄’の時に急死致しました。
自分がもうそんな年齢になったのかと感慨深いものがあります。
今年、家族で行った初詣で‘おみくじ’は‘末吉’。
「何事も努力しても成果は上がらず、焦れば焦るほど深みにはまる。」とか。
そして「無理をせず、時が解決するのを辛抱強く待つ事で来年は明るい春と幸運が来る。」との御告げです。
‘大厄’の身の心構えにこれほど当てはまり、身の引き締まる言葉はないと、うれしく思いました。
いつまでも心身共に健康で元気で‘可愛いお孫軍団’と遊べるように、そして‘軍団’の数が増えますように、と今年の‘OJIJIE’は‘スロー&セーブ’で運航して行く所存です。
年の初めはここまで。
今年も‘たま~のアップ’となりますが、お時間が許すお方でお暇なら、今年もよろしくお願い申し上げます!
少し前まで、まるで海水浴にでも行くような服装の若者達と、ここは極寒の地かと見まごうばかりの中高年・高齢者の真冬の服装姿が混じり合っていた街もすっかり冬の服装に統一されつつあります。
最近はすっかり我が国に定着した‘ハロウィン’なるバカ騒ぎも終わり、商人達は‘クリスマス’へと舵を切りつつ、正月の準備に余念がありません。
こうして街はだんだん年末・年始へ向けて‘喧騒の渦’に巻き込まれて行くのでしょうか。
しかし‘ふと’振りかえれば、今からたった43年前、‘三島由紀夫’以下、‘森田必勝’達「楯の会」隊員が憂国の行動を行った月でもあります。昨日の事のように思い出しますね。
そして、たった70年前の今月には祖国の為に戦っていた祖先達がいました。
例えば、昭和19年11月8日、大津島(徳島県)からウルシー、パラオ海域へ出撃し初の水中特攻を行い散華した、人間魚雷「回天」第一陣の「菊水隊(隊長:仁科少佐)」。
また同じく11月12日、レイテ湾に初出撃し散華した陸軍特別攻撃隊「万朶隊(隊長:田中少尉)」。
残念ながら同23日‘パラオ群島ぺリリュー島’では、奮闘むなしく我が軍守備隊が玉砕しています。
翌24日には米軍が我が軍が玉砕した‘マリアナ基地’から‘B29戦略爆撃機’を初めて東京へ飛ばし、焼夷弾(ナパーム弾)で徹底的な無差別絨毯爆撃を行い多数の罪なき民間人の犠牲者も出ています。
そして、年が明けて昭和20年の‘暑い夏’まで最後の戦いが続いていくのです。
‘太平洋戦争(大東亜戦争)’は、‘夏の風物詩’ではないのです。
残念ながら`敗戦国’の我が国は今だ‘主権国家’の名には程遠い形のまま米軍の‘占領・駐留’状態が継続し‘一応戦勝国’である中華人民共和国や大韓民国が嵩にかかって‘もっと謝れ、もっとよこせ、もっと、もっと!’と声高に叫び、想像を絶する不遜な行動を国をあげて行っている始末です。
今年もあと56日あまり。
来年は私も(今ではどうってことないですが)「還暦」なる節目をむかえます。
‘喧騒の渦’や‘余計な事’に巻き込まれないようにじっくりと成果の確認、失敗の反省を振りかえっていきたいと思う‘霜月’です。
今日はこの辺で。
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(↑孫娘の産まれたて) (↑孫息子の産まれたて)
今年の12月で‘孫娘’は4歳になり、来年の1月で‘孫息子’は3歳になる。
本当に月日の経つのは早い。
いまのところ、まだうれしい事に来る度に私を呼んでくれるし帰る時には帰りたくない、と泣いてくれる。
(1ちゃい) (2ちゃい)
でも、きっと、そのうちに寄りつかなくなるかもしれないなあ。
(家族に‘しつこい!’と言われても尚...)
その時の為にこうして‘ツーショット’や‘スリーショット’を沢山撮ってあるのだが、「かんけーねー。」とか「だから?」とか言われたらの為に次の言葉を用意してある。
「カネ返せ―!」
(けつの穴の小さいOJIJIEで、どうもすいません。)
(2013・夏)
今日はこの辺で。
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(ベーッだ!)
「猛暑」のせいか、街を行く人々がみんな眉間に皺を寄せ、目が吊りあがり、ブスっとしていて怒ったような顔になっている気がしますね。
中には本当に怒っている人も居て、わざわざ‘熱中症’になりかかりながら、そういう「怒った顔の連中」を眺めに都内まで出かけたりする‘オッサン’もいるのですからどうしようもありませんね(私です...)。
なんだか‘おとなの怒った顔’もすっかり見飽きてきた今日,上半期の‘お孫軍団のえがお’でも見て一服の清涼剤としよう、と勝手に孫自慢します。
さあ、明日から猛暑でも‘えがお’でやろう!
(....と今日は思う‘OJIJIE'であった。)
今日はこの辺で。
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年々‘猛暑’と‘参列者の増加’と‘警備強化’を感じる「8月15日終戦記念日」の「靖国神社」へ今年も参拝致しました。
今年は同じ昭和29年生れの‘アベチアン’がビビって来なかったのでその分‘気を引き締めて’参拝致しました。
「地下鉄‘九段下駅’から続く人人人の波」
「本殿へ入るのもこの人込み」
「在日中国人学者‘関先生’の熱弁!」
「台湾の靖国神社慰霊訪問団」
「正午・黙祷」
「ミギな人々も黙祷」
‘軍装な人々(混成部隊)’です。
「その1」
「その2」
「その3」
「ドイツ兵?」
さて参拝も終わり「九段下」駅交差点に戻ると沢山の機動隊と頑丈そうなバリケード、そして装甲車。
毎年、繰り広げられる‘愛国派’と‘反日派’のデモ行進を待っているのです。
「白襷姿で今にも突撃しそうな人」
「がんばれ日本!行動委員会‘日の丸行進隊’」
「機動隊に完全に守られて進む反日デモ隊」
今年は‘愛国派’も‘反日派’もそれに抗議するそれぞれの陣営も‘見渡す限りの機動隊、装甲車両、強靭なバリケードで国家権力に完全に抑制・制圧され、小競り合いはあったものの概ね‘大過無く’終了した模様です。
これが‘今の日本のみんなのミンシュ主義の平和’だと言えばきっとそうなのでしょうか。
ちなみに昨年の同時刻にはこんな事までは可能でした.....。
今日はこの辺で。
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3年前の「東日本大震災」の時は、ちょうど嫁に行った娘が二番目の孫を年子で産み「里帰り」中でした。
当時、‘人生で一番暇’だった私は、娘が疲れないようにと上の孫娘を外へ連れ出し、ついでに不足していた‘牛乳’や‘おムツ’を連日探していました。
そんなに可愛がった‘お孫軍団’も今は、働きたくてムズムズしていた‘ママ’に幼稚園と保育園に預けられてしまい、週に1回来るかどうかになりました。
しかし‘夏’です。
今月は‘長女ママ’が娘婿にいろいろと理由をつけては、「里帰り(と言う食い稼ぎ)」に来るようです。
‘長女ママ一家’が来て帰ると冷蔵庫の中からは食料品が、そして次女のクローゼットからは服が、下駄箱からは靴が無くなります。
おまけにオクサンはこそこそと娘に隠れてお小遣いを渡しているようです。
とにかく隠せ!隠さなければ......
今日はこの辺で。
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今年、7月15日の「靖国神社」は、陽ざしは強いものの、昨日までの‘猛暑’とは打って変わり、涼しさを感じる気候でした。
まるで‘南方の戦場や海で亡くなった英霊’が、
「せっかく来てくれたのに、こんな亜熱帯のような暑さは俺達も好かん!たくさんだ!」
と‘涼風’を吹かせてくれているようなそんな気にもなりました。
不肖、私も‘献灯’させて頂きました。
沢山の著名人の‘献灯’の中から少しご紹介です。
「台湾‘李登輝総統’」
「漫画家‘ちばてつや先生’」
「降伏せず!ルバング島‘小野田寛郎中尉’」
「神楽殿」では、共に独立を戦った‘インドネシア’の民族舞踊が奉納されていました。
さあ、帰宅後は、二泊三日で降りてきてくれた先祖を見送る‘我が家の送り火’です。
‘どうかこれから一年。
素晴らしい未来が待っているお孫軍団が健やかに育ち、身内一家一族全員が健康第一で大過なく家内安全で過ごせますように....’
今日はこの辺で。
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