父が亡くなり
父の本家が没落し、
父の本家には、(他人の土地を含めて)広い田んぼを見渡せる田んぼのど真ん中にうちの田んぼにだけ墓土地があった。

他の田んぼより地面を高く盛って作られたその場所は、お墓なのに白い玉砂利が敷かれ、私にとって清々しく楽しい場所で、私は大好きだった。

でも、お墓は跡継ぎを失い、今は無縁仏の墓に統合されたらしい。
父の遺骨は、弟が建てた別の墓に納めたらしい。
(30年前に養女になった私はお墓の場所も母が住んでいる家も知らない)

でも、時々電話で話す母はいつも楽しそうで、
生まれ育った地元での一人暮らしが楽で良いと離れて暮らす兄弟の所には行かず、田舎の小さな、本当に小さな町から出ずに一生を終えた。

県外で暮らす転勤族の弟やマスオさん生活をしている兄が、ひと月に何度も母を訪ねるとか、孫達の自慢話をする母は、電話ではいつも上機嫌だった。

母は、70歳にして(若くして亡くなった)父の借金をやっと返し終わったと喜んでいた。

そういえば、
母の昔の記憶の年号と年の覚え方は独特だったな。
「誰それの3回忌の法事があった時だから昭和⚫︎年、誰それが亡くなった時だから平成▲年」と過去の記憶を辿る。
頭が良いんだか何だかよく分からないけど、何故かその年に誰それが総理大臣になったとか、どこそこで地震があったとか…年号とその年に国と親族に何があったかを正確に覚えているのが生き字引というか、無駄知識?という人だった。

私が思い出す母は、とにかく朝から晩まで、借金の為に仕事を掛け持ちして働いていて、体が丈夫な母は疲れ知らずなのか風邪もひかない。
ただ淡々と仕事に向かっていた気がする。

母と私は全く、全然、驚くほど似ていなかったけど、
今思えば、辛い時に飄々としている(様に見える)所は似ていたらしい。
腹が立ったり、文句を言うよりただ黙って困った顔で笑うだけの所も似ているらしい。
(私は怒りをぶつけても跳ね返って来るのが怖いから誰とも戦わない主義なだけだけど…)

さて、
ひと月前に兄が、運転免許を返上したと母に報告し、これからは自動車が運転できなくなるから兄嫁の運転でしか母の元に行けなくなるから今までの様に頻繁に母の元に行けなくなる事を伝えて、その日、母と兄は半日一緒に過ごしたと。
その日、母の元に行った兄は、私と母が話せる様に私にも電話をくれて、私は元気そうな母と話した。
私は母にそのうち会いに行くと…

そう話したのに…

それが、最後だった。

母は、独りで亡くなっていた。
誰にも看取られずに…

親不孝者の私の代わりに
兄と弟は、母を大切にしてくれて
本当に充分親孝行をしてくれていた。

お母ちゃん、産んでくれて有難う。

看取ってあげられなくてごめんなさい。

兄に母の遺体とは会えないかもしれないと言われた。
私は通夜にも葬儀にも出れない。
(多分、親戚が入れてくれないと思う)
私は、母の家すら知らない。

父のお墓も知らない。


お母ちゃんに会いたい…

お母ちゃんに会いたい…

お母ちゃんに会いたい…




私は、いつか母の元に帰れると、

自分が本当に困ったら母と生きて行く道があると…思っていたのかもしれない。



自業自得だけど親を捨てた私は子に捨てられるでしょう。


本当に一人ぼっちになってしまいましたね。