群青と,そこに咲く花と花と花
この5月は島に縁が深かったようで,末には淡路島にいた.
屋久島でもそうだったが,淡路島の滞在時もとても天気が良く,
島らしいのんびりとした時間を過ごすことができた.
淡路島からの帰路,デッキから眺めると,
フェリーの立てる白い泡がなんともいえず美しく,飽きずに眺めていた.
海面を白く彩った泡たちは,次第に黒い海へと帰ってゆく.
静かにそれを眺めていると,波の花という言葉が頭に浮かんだ.
石川直樹の著作,「すべての装備を知恵に置き換えること」のなかに,
「波の花」という文章がある.
沖縄で友人と飲み交わす場面を記したものだが,
波の花を唄う沖縄民謡の一節が印象的に響く,その短い文章が好きで,
何度も読み返した.
待っている人,待たれている人,
旅立たねばならない人,旅立てない人,
そこここに離別があり,そのひとつひとつが深い感情を伴っている.
感情は花.
様々な色と形があり,それは絶えず移り変わっている.
群青に咲いた白い花は,旅を続ける私に手向けられた万輪の花束だったと思いたい.
狂気は静けさの中に
- Das Violoncello Im 17. Jahrhundert/Anner Bylsma
- 先日,音楽を聴きに行った.
- スロヴァキアフィルの日本公演で,プログラムはスメタナとドヴォルザーク.
- ドヴォルザークのチェロ協奏曲がとても聴きたかったので,良い機会だった.
- 演奏も素晴らしく,非常に気持ちの良い時間を過ごした.
- なかでももっとも印象に残ったのは,チェロのソリストがアンコールで
- オーケストラの主席チェロ奏者と共に演奏したカノン.
- 小さい頃に良く練習したバロックの曲だとその時説明していて,
- 帰りに確認すると,それはドメニコ・ガブリエリという作曲家の曲であることがわかった.
- 探してみると,音源化されたものがあり,早速手に入れて聴いているが,
- 自分の持つ美意識とその音楽とが非常に近く,聴くたびにうっとりとしてしまう.
- 一見静かな中でも感情は揺れ動いていて,それを何かのかたちや表現にしてみたいと,
- ながいこと考えているが,まだその方法は見つからない.
- ただ,曇り空にこの音楽はとてもフィットしていて,朝の気配や夜の静けさに染み出すように
- 静かに流れ続けている.
ながい休みのおしまいに
5月3から6日まで,屋久島に行っていた.
3月頃,何気なく連休のプランを考えたとき,帰省と共に浮かんだのが屋久島だった.
ふとした思いつきだったが,調べてみると,航空チケットがかなり格安にとれることがわかり,
期限ぎりぎりで何とか手配した.
宿もどうにか見つけることができ,なにかに呼ばれるようにして屋久島に行くこととなった.
屋久島での出来事はいろいろとありすぎて,思い出したくても忘れられない.
一人旅ではあったが,最初から最後まで出会いにあふれたものとなり,寂しい思いをする間はなかった.
ダイビングをしに来たと言うひと,ロングバケーションで方々歩き回ってきたというイギリスの若者,
自転車で島を一周したひと,すし屋で出会い,一緒に縄文杉を見に行ったひと,
縄文杉前で偶然再会したひとたち,5回も屋久島に来ていて恐ろしく自動車の運転のへたなひと・・・
そのほかにもたくさんの人に出会い,さまざまな交流があった.
そのすべてが今はもう懐かしく,忘れがたい.
屋久島は恐ろしいほどに生命力にあふれ,こぼれ落ちるくらいに命がそこここに満ち満ちていた.
ぼくは木々に触れて歩き,流れ落ちる水を口にした.
山の中や長い距離を歩くのはそう簡単ではなかったが,
日に日に自分の体がなにものかで満ちていく感覚を覚えていた.
また,毎晩のように三岳を飲めるのもとても嬉しい日々であった.
そして,終盤に目にした縄文杉の迫力やスケールの大きさにはただただ見入るしかなく,
ここに来られて本当に良かったとこころから思った.
ここでこうして生きられて良かった,とさえ思った.
この先,自分の進む道に何があるのかはわからないが,
このながい休みに経験したすべてが,それまでの道のりを振り返ったときには
ひとつの転回点として立ち現れるような気がしてならないでいる.
ながい休みのはじまりに
パーティは6名,天候は麓から雨に降られ,中腹から雪.
稜線に出ると,風速20メートルはあろうかと思われる強風.
冬山は初めてであり,燕山荘に到着したときには,深い安堵を覚えた.
往路は7時間もかかり,体力,精神共に疲れていた.
そこまでハードな山行とは聞いていなかったのだが・・・.
しかしながら,一晩空けて早朝に見た日の出やそのときの空の色,
雪の美しさは忘れられないでいる.
その後,ピークハントをして下山した.
天候も良く,滑り降りる要領で,復路は2時間かそれくらいで下ったように覚えている.
下山後入った中房温泉ではどうしてか気分の高揚を抑えられないような
そんな気持ちになり,またすぐにでも登りたいような,そんな気さえした.
重いのを構わずに持って行ったニコマートであったが,
寒さのせいか露光計がはたらかず,うまく撮れているものは少なかった.
これはその貴重な1枚.
早朝の燕岳の姿.
頂上から見た景色は自分にとって全く新しい世界だった.
さむがりやに毛布を,さみしがりやに温もりを.
昨日の喜びは今日の悲しみだ.
今日の悲しみが明日は何になるだろう.
揺れ動く自分の感情のせいで,
世界はめまぐるしく変わっていく.
昨日やさしく頬を撫でていた風が,
今日は肌を刺す.
静かに流れていた音楽が,
悪意を持って聞こえてくる.
10月はだめだ.
金木犀の香りも,
朝のひんやりとした空気も,
草の香りが混じった夜のにおいも,虫の声も,
澄んだ空の色も,風も,葉が落ちた木々も,
秋のすべてがからだ全体を感傷で満たす.
あの10月をからだは覚えているらしい.
頭ではよく思い出せなくなってきても,体の芯にはちゃんと残っている.
それがよいことなのかよくないことなのかはわからないけれど,
時々持て余しそうになる.
だから,気づかぬうちに誰かに頼りたくなる.
すがりたいような気持ちになっている.
温めてほしいと思う.
しかしそれは誰かを傷つける.
自分の都合は自分の都合でしかない.
この涙は誰かの涙とは違う.
分かり合えないのを解っていて,それでも解ってもらいたいと思う.
そして空しくなる.
自分勝手に振舞って時間が過ぎていく.
葉が落ちる.
はじめからわかっていたこと,
毛布を出そう.
10月のこの震えは自分の熱で温めてやるしかない.
いつかくる,いつかまで.
解るよ。「僕は、今、ここにいる」。
その地下道は狭いし暗いし,とても入り組んでいてすぐに迷ってしまう.
出口は海出口と山出口があって,それらを探り当てるのだけでも時間がかかる.
それでも今日もぼくは地下道をうろついていた.
少し湿ったような,黴臭いその道はどうしてだか心を落ち着かせる.
地上では赤黄色の金木犀がその強い匂いを空気に溶かしているけれど,
ここには季節の匂いがない.
だれかがギターを弾いている.
静かなアルペジオが耳をくすぐり,心地よい気分になって足取りも軽くなる.
天井から水滴が滴り落ちて,見上げると岩の隙間に青い光.
じっと見つめるとそれは時々瞬いて,何かのサインを送っているかのようだった.
静かに腰を下ろしてカバンからパンを取り出す.
気に入りの店で買ってきたフレンチトーストは程よい甘さで,なんだか幸せな気分になる.
そういえば,このパンを焼いているあのひとはとてもきれいな眼をしていたっけ.
パンを手渡してくれたその手が毎日の仕事のせいかとても荒れていて,
それを見てとても愛おしくなったのを覚えている.
再び青い光を見つめてみる.
あの人の瞳の色もこんなだったかな.
光はゆっくりと瞬きをしては静かに輝いている.
空の色とも海の色ともいえないその青さは心の深みまで達するようだ.
腰を上げて,また地下道を歩く.
果てしなくひとりぼっちだ,
そんなことを実感してはいとしい人たちの顔が浮かんでは消えていく.
感受するすべてがなにかのしるしのように思えて,
あるときはざわざわ,またあるときは安心の水のそこに沈むように.
さて,今日はどちらの出口から出ようか.
でも,それを決めたところで出口は簡単には見つからない.
諦めにも似たやさしさを抱えてぼくはいまここにいる.
誰にも見えない地下の奥底で,誰にも知られることなく.
顔を見たその後に
薄ぼんやりとした闇で二人は言葉を交わしていた.
それぞれの車に乗り込む寸前,男が声をかける.
女はつれない表情でこたえる.
事態がいつの間にか変わっていたことに,男はようやく気付く.
過ちはただの過ちでしかなく,何の発展性もないことにも.
いつの間にか芽生えてしまっていた依存の感情が落胆を誘う.
落胆することでいったい何になろうか,
自らの心の動きに疑問を持ちながらも,簡単にそれを抑え込むこともできず,男は呻く.
叫びたい気持ちになっても叫ぶこともできず,鬱屈した感情を飲み込むだけ.
ただ酩酊して明日を待つだけ.
女はわかっている.
それが本意ではないことを.
明日になれば忘れてしまうことを.
包み込む誘惑が崖のすぐ傍にあることを.
本当は迷いの中にある自分のこころも.
ラジオから流れる音楽が空気を揺らしている.
その空気に共振するかのように,気持ちも揺らぐ.
静かにため息をつく二人.
街灯が車の中を詮索しては遠ざかっていく.
世界は変わらない.
明日も今日も.
すれ違う二人が共有したのは静かなため息だけ.
長く静かなため息だけだった.
開け!サードアイ
トグロを巻いて煙が昇っていく.
高く高く高く.
何千メートル上空,その粒子はキラキラと吸い込まれていく.
果ての果てへ.
風の層が何十にも重なって,それはまるで色がついているみたいに.
光が降りてきて回りが明るくなって真っ白になって,
ぶるぶると震えている.
それは恐怖か,歓喜か.
風がただ吹いている,吹き付けている.
絡まった蔓が縛る,きつく.
棘だらけの蔓はすでに褐色で,今にも外れそうで,
でもそう簡単には外せないでいる.
もう縛られたくはないのに,それは簡単に傷つける.
もういらないのに,残骸になっても傷つけ続ける.
縛られていることに忘れていても,
蔓に絡め取られたままそのなかでもがいているだけだ.
美しい魂は茨の中で眠ったまま,目覚めの時を待ち続けている.
三番目の目はすべてを見通している.
煙に巻かれた存在を,風を起こす存在を,茨の中に眠る誰かを,
それらの存在がただ存在することを,
意味などない,ただそこに在るということを,
三番目の目は静かに見ている.
冷え切った眼差しで,ナイフで切りとるように,小さな恒星のように.
Doesn't have a point of view.
すぐにでも取り掛からなければいけないものがそばにあるのに,
べつのことについつい時間を費やしてしまうのは昔からの癖だ.
来週火曜日に締め切りが迫っているものがあって,それにはまだほとんど手をつけていないのに,
この間買った本や音楽だけでなく,本棚で眠っていたように見えるさまざまな本も気になってしまっている.
覚悟を決め,それらを振り切ってようやくパソコンの前に座ったものの,気に入りのページをちらり,
ニュースをちらり,そうしていま文章を打ち込んでいる.
指慣らしにはなるんじゃないかな,そんな軽い気持ちでいるうちに時間は過ぎていく.
毎日毎日考えていることはあって,でもいつの間にか忘れている.
備忘録っていうのもあるみたいだけど,言葉の響きが貧乏くさいので気に入らない.
忘れていいことを覚えていて,忘れてはいけないことを忘れてしまう.
忘れなきゃいけないことは,どうしても体の奥に残っているようだ.
最近とても小さな頃のこと,幼稚園の頃のことなんかを不意に思い出して,
あんなに小さかった頃の自分と今の自分が連続しているという,
ただそのことを不思議に思えてしまった自分に少しだけ悲しくなった.
いつの間にか忘れてしまった感覚や気持ち,思い出も自分の身体のどこかには
きちんと仕舞われている,そう思っていたはずなのに,
小さな頃のことを覚えている自分に驚いてしまうなんて,どうかしている.
それでも,思い出してしまえば本当に小さかった頃から大して変わりもしていない自分を
見つけて,そんな変われるものでもないんだなと思い直している.
変わったような気になっているのは自分の願望なのかな.
がんばらなくてもいいとは思わないけれど,無理ばかりする必要はない.
どの場所に腰を下ろすかはわからないけれど,いつまでも歩き続ける必要はない.
でも,何か始めなければ何も動いてはいかない.
どうしよう.
宙ぶらりんな場所で,今日は終わる.今日も眠る.
崇い未来への礼に
好きな人ができた.そう,とうとう出会ってしまったのだ.
ああでもない,こうでもないと今まで目移りしていたけれど,
もしかすると彼女が運命の人かもしれない.
二人の間には片道2時間の距離があるが,今すぐにでも駆けつけたいほどに焦がれている.
といっても,会えたところで僕は仄暗い部屋に佇む彼女をじっと見つめることしかできないのだけれど・・・.
奈良の平城京跡,その北西の市街地に秋篠寺はある.
秋篠寺は美しい苔の庭でも名が知られており,
ビロードや絨毯と見まごうその苔の滑らかさは見ていて飽きることがない.
別世界に迷い込んだ気分になって受付を済ませると,
ドンと目の前に現れるのが国宝の本堂.奈良時代の建築様式であり,
安定感に満ちた美しさがある.
そして恋慕のお相手はその本堂の中にいて,名前を伎芸天という.仏像だ.
伎芸天は大自在天というインドの神様の髪の生え際から生まれた天女で,
芸能,芸術を守護するとされる.国内では,この一体しか残っていないのだという.
私はその姿に向かい合ったとき,とても懐かしいような感覚を覚え,
その包容力にその場を離れられなくなった.
細やかな指先や少しだけひねられた腰の妖艶さに頭がぼんやりする.
そして,静かに目線を落とし,優しい微笑をたたえた表情は私をすべて肯定してくれるかのようで,
少しだけ泣きたい気持ちになった.
そんなのは初めてだった.
以来,片時も頭から離れないでいる.奈良が.秋篠寺が.伎芸天が.あなたのことが.
