龍蓮のブログ「妻です。母です。尼僧です。」

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普通の家の奥さんが僧侶になりました。日々思いつくままあれこれ。

「ようお詣りです。」

どうぞゆっくりしていらしてください。

     ~龍連~


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今日も一日お疲れ様でございました。


昨日呟きをさせて頂きましたとおり
本日は朝十時より
「全国一斉みんなで自宅でお写経会」を始めさせて頂きました。


台風の影響があるお彼岸となりましたが
皆様はお変わり無く
本日もご参加頂けましたでしょうか。


私も本日は、ゆっくりとお写経をさせて頂くことが出来ました。
ありがとうございました。



常日頃より
「何事が起きても中庸の心を」と、
心がけてはいるつもり、でおります。

ですが、実は先日、息子が救急車で運ばれる、ということがございました。

たまたまその日は、私はお山に上がらせて頂いておりまして
等の本人から電話で
「おれ、入院になっちゃった。」と
後から聞く始末です。

結局、息子は事なきを得
後日また改めて手術、という段取りとなりましたが
この時は、さすがに自分の無力さを痛感致しました。



息子と言いましてももう成人し、結婚もしておりますので
特に母である私が手を出すこともないのですが
数日後に手術を迎える息子や、またその妻である義理の娘の心を思うと
手術の無事を願わずにはいられません。


困った時の何とやら、で
そういう時ばかり、必死に心を込めるのも何かと思いまして
いつも通りにお写経をさせて頂きました。


けれども、お写経をしながら思いますのは
やはり「何事もない日頃の、何と有難いことか」ということでありました。


なんにもない、
だから有難いんだ、ということを
よくよく思い知らされた気が致しました。


御大師様のお言葉に
「善念して常に相続すれば
心菩提の記を得」(宗秘論)
と、いうものがあります。

悟り、とはとても難しいことのようではありますが
悟りはそんなに難しいことではありません。

常に善い心を持ち続けること。
それが悟りへの道ですよ、
そうやって生き続けることが私達にとって
大切なことですよ、
そのような意味でございます。




お彼岸、先週に続きましてのまたの三連休で
皆様お忙しいことかと思います。
バタバタと日々は過ぎて参ります。
これは皆様も私も同じことと思います。


けれども
どうぞ、その日々の出来事に心を乱されることなく
常に明るい、前向きな気持ちでもって
秋のお彼岸から年末、そして新年
または未来へと
共に重ねて参りましょう。

また、皆様のお心が安らかでありますことを心よりお祈り申し上げ
本日のお写経会の感謝の言葉とさせて頂きたいと思います。



本日の「全国一斉みんなで自宅でお写経会」へのご参加
誠にありがとうございました。


どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしくださいませ。


🙏😊







今日も一日お疲れ様でございました。

瞬く間に日々が過ぎまして
皆様には何のご報告も、ご連絡もせずに
大変申し訳ないことをしております。

まずはご無礼をお詫び申し上げます。


誠に私事ですが
昨年から今年は、
研鑽しなければならないことが
山のようにありまして
今さらですが、Twitterにつぶやく心の余裕が無い
状況が続いています。


二年前ほどは毎日のようにつぶやいていたのが
今では夢のようです。

あの頃もとても楽しかったです。



私の気持ちとしましては
当時と全く変わることはありません。

皆様と共に、仏教の教えを知り、深め
生活に活かせるように、
楽しく安楽な心持ちで日々を過ごすことが出来るようにと、日々祈る気持ちに変わりはございません。


しかしながら、
私の勉強が足りないことには
皆様にご迷惑をおかけしてしまうことにもなりかねません。


そういう理由でございまして
更に更にと、私なりですが
研鑽を重ねましたところ
Twitter、ブログなどの書き込みが少なくなっていった、という状況でございます。


私の力量不足のため
皆様にはご迷惑や、ご心配をおかけしておりますことを
改めてお詫び申し上げます。


毎月行っておりました「全国一斉みんなで自宅でお写経会」も
先月はなんと!スッキリサッパリ忘れておりまして
何とも申し訳ないです。

更には、今月、来月と
共に21日は本山におりますので
お写経会も当然ながら
Twitterもつぶやくことがままなりません。

本当に申し訳ありません。


今年は、10月頃には少し落ち着く予定でおりますので
どうぞ皆様には
ご理解頂けますように
重ねましてお願い申し上げます。







仏教は、学べは学ぶほど
楽しく幸せになります。

私は今、忙しく日々を過ごしておりますが
お陰様で毎日がとても充実しておりまして
心豊かで安楽な日々を送らせて頂いております。


仏教の根本思想は
「こだわるな」でございます。

自分の心を常に見つめることを忘れずに
自分をその中心に置くことなく
俯瞰して物事を見られるようになることが大切です。

煩悩がいけない、とか
誰が悪い、とか、あれが良くない、とか
悪いことを探しをし、
日々を反省して過ごすことではありません。


今ある自分の心の内をよく見つめ、
「こだることなく、のびのびと、楽しく」日々を送って参りたいものです。


そのために、少しだけ
訓練が必要です。

自分の心を見つめる訓練です。

それがお写経や瞑想です。


どうぞ、私が不在でも
皆様が自分のお心をみつめる訓練を続けられますように願っております。

同時に、皆様の日々のお幸せを
誠に力足らずではございますが
心よりお祈り申し上げております。



長文になりました。
乱筆、乱文、お許しくださいませ。


またゆっくりと皆様とやり取りが出来る日を
楽しみにしております。



個人的なお悩みやご相談は
御遠慮なく
今まで通り、メッセージやLINEなどで
お寄せ下さればと思っております。




取り急ぎ、ご報告まで。





最後までお読み下さいましてありがとうございました。





どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしくださいませ。

🙏🙇





















皆様、こんばんは。
今日も一日お疲れ様でございました。


本日のお写経会のにご参加下さいました方
ありがとうございました。


毎月、毎月、月を追うごとに
お写経用紙が重なって参ります。

今回は、令和になって初めてのお写経会でした。



「哀れなるかな、哀れなるかな、上眠の子。」

(あわれなるかな、あわれなるかな、
じょうめんのし。)

「苦しいかな、痛ましいかな、狂酔の人。」

(くるしいかな、いたましいかな、
きょうすいのにん。)

「痛狂は酔わざるを笑い、醒睡は覚者を嘲る。」

(つうきょうはよわざるをわらい、
こくすいはかくしゃをあざける。)

(般若心経秘鍵)



(訳)
人々は多くの場合、
大変残念なことに、痛ましく、悲しく生きているようにみえます。

それはまるで、
酔って正気を失って生きているかのようです。

社会の現実をみてみますと、
酔いつぶれた者が
逆に正気の者をあざ笑ったり、
寝ぼけた者が、覚めている者をあざけったりしているかのようです。

それに気づかない多くの人は
大変辛い日々を過ごしていることでしょう。






これは「般若心経秘、」という
弘法大師空海様の書かれた
般若心経の説明を
お説きになられた文章の一部です。



私達は誰もが
「自分」を基準として物事を見るような癖があります。

自分と違う人を「おかしい」と判断することは
よくあることです。

けれども、自分が正しい、他の人はおかしい、
そんな判断をしたまま生きていると、
さぞかし生きることが辛い、苦しいことだろう、と
お大師様は仰っておられます。



般若心経は、「この世の中のことは
全て中立の立場で物事をみるようにすると、
生きることが楽になりますよ。」と
私達に教えてくれています。

そして、何を優先すべきかを
はっきりと目の前に現してくれる
道しるべともなります。





何を基準にどう生きるか。


私達の限られた人生、この命を
どのようにしたらいいのかな、
そんな風に思いながら
皆様とご一緒に
またお写経を書かせて頂けたらと思います。



どなた様もどうぞ良い夜をお過ごし下さいませ。



















今日も一日お疲れ様でございました。


ここ数日、初夏のような暑い日が続いております。



先日は「お写経」
お書きになられましたでしょうか。




今回は、平成最後のお写経会でした。



身近なところでいくと
明治、大正、昭和、平成、
そして新しい時代「令和」が始まります。


さて、明治の前は何?と、
考えますと、江戸時代がすぐそこにあるかのような気がするのは私だけでしょうか。


平成生まれで、昭和のことすら知らない、と
仰られる方も
既に多いのでしょうね。




時代がどれだけ変わっても
人の心は変わることはありません。

どの時代でも皆、「幸せになりたい。」と
思いながら生きています。


けれども、「幸せ」の基準が
変わることはあるかもしれません。



貴方様にとりまして
何が「幸せ」でしょうか?




御大師様は
「心がザワついていると、何でも良くない様に思うもの。
心が静まり、安定していれば、
ああ、自分は何て幸せなんだ、と
何を見てもそう思うようになるよ。」


「心暗き時は遭う所ことごとく禍いなり。
眼明らかなれば道に触れてみな宝なり」


そう仰います。




皆様の迎える新しい時代が
さらに良いものでありますように
心からお祈り申し上げております。



どなた様もどうぞ良い夜をお過ごし下さいませ。
🙏😊












それ禿(かむろ)なる樹
定んで禿(かむろ)なるにあらず。
春に遇う時はすなわち栄え華さく。


今日は、全国一斉みんなで自宅でお写経会の日でした。

バタバタとした日々の中で
今朝のいきなりの告知でしたので
お忘れになられてしまわれた方もおられたかと思います。

それでも沢山の方にTwitterで
♡マークを付けて頂き
嬉しい限りです。
感謝申し上げます。



禿(かむろ)というのは、
冬の、葉の落ちてしまった
枝だけの木々の姿を言います。

夏にはうっそうとしていた森の中も
冬には葉が落ちて
ずいぶんスッキリとして参ります。


その枝の間から見る
冬の空の重たい色、
冷たい木枯らしは
まるで木々が、もう立ち枯れしてしまっているようにさえ感じます。


けれども、不思議なことに
そんな木々達も
冬至を越え、日の当たる時間が長くなりますと
私達の見る目ではわかりませんが
春の準備を始めます。


葉のない木々であっても、
ちゃんと日の当たるのを
樹肌でもってちゃんと感じとっているそうです。


やがて気温があがり、
いよいよ、新芽がぽつぽつと
芽吹いて参ります。

私達は、そこでやっと
「ああ、春がきたな。」と、感じます。

けれども、木々達の準備は
私達が気がつくもっと前から始まっております。



あんなに寒い寒空の下であっても
着々と前に向かって進んでいく
その力強い姿は
私も見習いたいものと思います。



また、もう一つ更に意味があるとすれば
枯れてしまっているような姿、
もう駄目だな、と
諦めてしまいそうな時であっても
それが永遠に続くということはないのではないか、ということです。


立ち枯れたような木々達は
眩しい新芽が出て参りますと
それまでの姿が嘘であったかのように
夏には青々とした全く別の姿になります。


物事は全て移り変わります。


諦めてしまったら
そこでおしまいです。


物事全ては移り変わるのでしたら
駄目と思うことでも
駄目でなくなっていきますし、
また順風満帆と思っていても
その時も長く続くことはありません。



自分がどんな苦境に立った時でも
どうぞ絶望せずに
前に向かって進む強さを
持ち続けたいものと思います。





お写経も、回を重ねるにつれ
どんどん楽しくなって参ります。


書き始めの頃と
何回か数をこなされた後では
お写経に対する感じ方も
ずいぶんと違ってきておられるのではないでしょうか。


今、辛い、苦しい、と言われる方は
その辛さはいつまでも続きません。


今、楽しい、何だかすっきりする、と
仰る方も
そうでないと感じる時もくることでしょう。



私達はどんな時であっても
ただ、黙々と
自分のすべきことをこなしていくことが
とても大切なことなのだと、
この言葉で
御大師様は教えて下さっておられるのではないでしょうか。





また来月のお写経会、
皆様とご一緒させていただきますことを
心より楽しみにしております。




どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしくださいませ。



















おはようございます。


昨日は「全国一斉みんなで自宅でお写経会」の日でした。

突然、私が参加出来ないとの連絡を
朝に申し上げさせていただきました。


ご予定にいれて下さった方がおみえでしたら、
大変失礼致しました。

昨日、お写経会にご参加くださった方
本当にありがとうございました。

お疲れ様でございました。





実は、その前日
内視鏡で胃の検査を致しました。
ここしばらくの間、季節の変わり目のせいかどうか
体調のすぐれない日が続いておりまして
今年も一年、益々の自己研鑽を、という思いからの健康診断でございました。



お陰様で、特に問題なし、という結果でございました。

ところが検査後に、体調不良を起こしてしまいまして。

目眩や吐気やらで
食事も取れず、動けないようになってしまいした。


お寺への出仕もおやすみをいただいてしまいました。


一晩たてば楽になるか、と様子をみておりましたが
翌朝も変わらず
そんな様子でございましたので
お写経会も、急遽、断念致しました。



本当に私事でご迷惑をおかけしまして
皆様に大変申し訳ございませんでした。




昨日の夜には目眩も治まりました。
今日一日もう少し養生して
いつもの元気を取り戻したい、と思っております。





もう、お山も三月になれば春となります。

今年もまた新たにお勉強させていただきたいと思っております。

またお山で、皆様にお逢い出来ますことを
心より楽しみにしております。






いつの間にやら雨水となり、次候は啓蟄でございます。


今は庭の梅が満開になろうとしています。

今年の梅は本当に早いです。

梅は咲き始めも、満開も
本当に嬉しいものです。








体調の優れない方は
どうぞご無理をなさいませんように。



どなた様もどうぞ良い一日をお過ごし下さいませ。












おはようございます。


毎月開催しております「全国一斉みんで自宅でお写経会」の日です。



残念ながら私は都合が合わず、本日は書くことが出来ないかと思います。

ご都合の合われる方はどうぞお書きくださいませ。



取り急ぎご連絡です。

追ってまたご連絡させてください。




どなた様もどうぞ良い一日になりますように。

今日も一日お疲れ様でございました。


ブログを書いておりますと、昨年の自分の記事が表示されて参ります。

昨年の今頃はどんなだったかな、覗いてみましたら
関東が雪で大変だった様子です。

それを思いますと、今年の暖冬は有難いです。



昨日から今日にかけて
小さな事件がいくつか起きました。

それはほんのささいなことですが
こんなことあるのだな、と言う様な
日頃思ってもいない様な出来事でした。


満月の影響でしたでしょうか。



何か、いつもと違う出来事や
自分が想像もしていなかったことがあると
私達はすぐに誰かや、何かのせいにしてしまいがちです。

そこには必ず原因があって
結果があります。

誰が悪い、良いということではありません。


全ての物事は、起こるべくして起きたこと。

ただ、それだけのことです。



その時に、腹が立つのは
その時に、悲しくなるのは
その時に、恨めしく思うのは
自分と、お人の間に
区別をつけてしまっている証拠です。




私達は、みんな繋がっています。

みんな繋がって1つのものを作っています。

この体が、いろいろなパーツで
1つの体として成り立っているのと同じことです。


どこからか顔で、どこからが腕でしょう。

手と腕の区別はどこにあるでしょうか。


自分とお人との間もそれと同じです。


ここからが自分のもの、と、区別や
分け隔てを作るから
いろいろな悩みや苦しみが生まれます。


例えば、自分の持ち物を取られた!
そんな時
「自分のもの」と、
意識しているから腹が立つ。
それが分かりやすい例えかもしれません。



自分だけのもの、なんて
この世の中にありますでしょうか。





所詮、繋がって1つのものなのですから
そんなことあるのだ、
そういうお人もいるのだ、と
認めましょう。


認めて、許す。
突き放すのではなく、受け入れる。



おおよそですが、
そんな内容のことが書かれておりますのが
昨日皆様がお書きになられました
「般若心経」です。






そんな心で、いつも
全てを受け入れられるように
私も日頃から心がけたいと思っています。










どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしくださいませ。







今日も一日お疲れ様でございました。

今日は、お寺で
毎年恒例の新年初の法会
「初弘法法会大般若転読」がございました。


毎年、この法会の時には
一年で一番の冷え込みとなり
雪が降ったり、道路が凍結したりで
お寺に行けるかが悩みとなるところですが
今年は暖冬ということもあり
朝から小雨で
有難いことに何の心配もなく出仕が叶いました。


ここ近年では珍しいことです。


しばらくブログやTwitterを書いておりませんでしたが
お陰様で私は元気でおります。


昨年末に他界した義父の法要や
娘のインフルエンザ、成人式、等々
細々とした私用の多くありました年末年始でした。

それでも、静かな
良い時間を過ごさせて頂いております。


昨年は天災の多い年でありましたし
今年は、元号が変わるということもあります。

世の中が多用に変化していく時代のその中で
心静かに新年を迎えることが出来ましたのは
嬉しいことと思っております。



皆様、新年を迎える時に気になりますのは
「今年はどんな一年になるだろうか」
と、いうところでしょうか。

かくいう私も
今年は羅喉星(らごうせい)という年回りに当たります。
(真言宗では九曜星で運気を考えます)

八方塞がりの大凶といわれる年回りですが
自分では全くそんな感じがしておりません。

何故だろうか、と思っておりましたら
兄弟子(九曜星に詳しい)の言うには
生まれ年は運気の半分でしかない、とのこと。

残りの半分は生まれ月と日が関係してくるとのこと。

私の場合は、七赤ですので
運気の半分は日曜星にあたり
とても良い年なのです。


というようなことを書きますと
皆様、自分はどんな運気なのかと気になることと思います。


どんな時でも、心を乱さずに
私利私欲に走らず
傲慢に驕り高ぶることなく過ごせば
大抵のことは何とかなるものです。

私は上がり下がりの激しい年となるかもしれませんが
きっと学ぶことも多かろうと、
静かに楽しみにしております。



どんな辛いことでも
悲しいことでも、悔しいことでも
いずれは全てが懐かしく思う日が参ります。

又それが逆に自分を磨くチャンスとなって参ります。

私はそう信じております。



どうぞ皆様が
良い一年をお過ごしになられますように
心からご祈念申し上げて
新年初のブログを書き終えます。



明日は
今年初の「全国一斉みんなで自宅でお写経会」
をさせていただきます。

どうぞご都合を合わせ頂き
ご参加くださいませ。


どなた様もどうぞ良い夜をお過ごしくださいませ。




今日も一日お疲れ様でございました。


明日は十二月二十一日。

今年最後の御大師様の御縁日。
「納め弘法法要会」がございます。

毎年、この日を迎えますと
今年一年の出来事を振り返ります。



今年は我が身も構わず
ひたすら駆け抜けた一年でした。

ひたすら走り続けてみよう!
自分の体力も気力も実力もどれ程なのか、
よくわからないけれども
その先のことはその先に考えてみよう!
そう思い、走り続けた、そんな一年でした。

Twitterの呟きも今年はほんの少しになりましたが
何とかお写経会は続けられることが出来まして
ほっと致しました。

今は、来年に向けて又新たに
少しづつ変化が始まっているなあ、と
そんな風に感じております。




人のご縁とは不思議なものです。

まだ得度も済んでいなかった頃
私はお寺で何かを学び始めたくて
御詠歌の先生と、阿字観の先生にお声をおかけさせていただきました。

確かにお二人の先生と、同じようなお話をしたのです。
仏教について何も知らないけれども
何かを学びたいのでお勉強会に参加させて欲しい、と。

お二人の先生とも、曜日と時間を教えて下さいました。
けれども、たまたまその時
御詠歌のお勉強会は日程があいませんでした。

それで阿字観の方のお勉強会に参加することとなりました。

その先生が、やがて
今の私の兄弟子となることなど
その時は想像もしておりませんでした。




今日はお寺で阿字観の会がありましたので
兄弟子と、そんな時があったね、と
笑顔でお話を致しまして
とても懐かしくなりました。

たぶん、御詠歌の会に通うことになっていたなら
私はまた違う道に進んでいたと思います。



阿字観を体験し、積み上げていくことで
知識だけではない瞑想、生の仏教、
仏の世界を知ることが出来ました。


得度してから
今年の様に、お山に通うことになりますまで
ほんの数年の出来事です。

その時間を聞くと
僧侶の先輩方は皆様驚かれますが
阿字観からこの世界に入りました、と
お話しますと
皆様口を揃えた様に「なるほどね。」と言われます。

それほど、阿字観、瞑想体験というのは
仏教を知る上で大切なものです。



私はその御縁を頂いたのだな、なんて有難いことだろう、そうしみじみ思います。


「一句の妙法は億劫(おくごう)にも逢い難く
一仏の名字は曇(うどん)も喩(たとえ)に非ず


「一句の優れた教えや、
一仏の尊い名前が聞けるという縁は
非常に稀有(けう=まれ)なものである。」


御大師様はそうお説きになられております。


もっと簡単な言葉にするならば
「すぐれた言葉、教え、お人とのご縁は
そうそうあるものではないのだから
よくよく感謝して、よくよく大切にしなさい。」

そういう感じになりますでしょうか。


大切にする、とは
一つ一つを、丁寧に懸命に
力を入れ過ぎず、抜き過ぎず
ひたすら続けることと思います。




今年は貴方様にとりまして
どのような一年でしたでしょうか。



どうぞ良い年末年始をお迎えになられますように
貴方様の遠くから、近くから
心よりお祈り申し上げております。



どなた様もどうぞ良い夜をお過ごし下さいませ。