「じぶん の 本質」
を
「信じている 分量」
が
「大きくなる」
と ・・・
「相 手」
から
「信じてもらえる 分量」
も
「大きくなる」 ・・・
「じぶん の 本質」
を
「信じている 分量」
と
「相 手」
から
「信じてもらえる 分量」
は
「比 例」
する ・・・
でも
そこで 一つ
「忘れてはいけない」
ことは ・・・
「じぶん の 本質」
を
「相 手」
に
「信んじてもらえる」
ことと
その
「相 手」
に
「好かれる」
ことは
いつも
「比 例」
するとは
「限らない」
し
「反比例」
してしまう
こともある ・・・
と
いうこと ・・・
だって ・・・
「相 手」
に
「信じてもらう」
ことと
「好かれる」
ことは
全く
「別次元」
のこと
なんだから ・・・
きっと
「どんな 相手」
にでも
「じぶん の 本質」
を
「信じさせる」
ことは
「できる」
だろう ・・・
だけど ・・・
「じぶん の 本質」
が
「どんな 相手」
からも
「好かれる」
ことは
残念ながら
「ありえない」
だろう ・・・
でも ・・・
「それで いい」 ・・・
と
思う ・・・