スタジオジブリ作品『君たちはどう生きるか』の感想とちょっとした考察です。
映画公開前に得ていた情報
スタジオジブリ最新作、そして宮崎駿監督の最新作でもある『君たちはどう生きるか』が公開されました。
正直なところ2013年に公開された『風立ちぬ』が最後の作品だと思っていたし、
その心積もりで当時は鑑賞していたので、2023年の今日という日にまた劇場で宮崎監督の作品を観られたということがとても感慨深いです。
さて、今回の作品ですが、公開前に広告が一切されませんでした。
鈴木プロデューサーの戦略とはいえ、思い切った決断ですよね。
「噂」では、、
・宮崎駿の半生を描いたもの
・キャラクターがスタジオジブリスタッフをオマージュして描かれている
この程度で、そもそも本当かどうかわからないような情報しかありませんでした。
公開後数日間の反応
本作は2023年7月14日公開ですが、僕は公開から7日後の21日に鑑賞しました。
たぶんですが、まだちゃんとしたレビューというか考察は出ていないんじゃないかなぁと思います。
出てますか?わかりませんが。
なんとなくTwitterとかTikTokのおすすめで出てくる感想としては、
「前半は冒険活劇感があって面白いけど、後半がわけわからない。宮崎駿が最後の作品だと思って好き勝手やったんだな。」みたいなものがほとんどの印象ですね。
そう思ったことに関して批判をするつもりはありませんが、「んな単純なわけないでしょうが!」というのが長年スタジオジブリ作品を愛してきた僕の思いです。
宮崎監督が82歳になってまで、この世に放ってくれたメッセージをしっかり受け取るべく今日は鑑賞したし、普段書かないレビューも書いてみたいと思います。
物語の背景
これに関して言うと、公開前情報にあった通り「宮崎駿の半生」とまではいきませんが、宮崎駿の少年時代が基となっているのはたしかなようです。
母が継母だったかどうかは知りませんが病気ではあったはず。
父親はたしか航空機製造の会社をやっていましたよね。
軍事産業で家が儲かっていて、貧乏な農家の子達と溝があったことや、心の葛藤があったような記事を読んだ記憶があります。
あと、火事のシーンで街の様子がボヤーっと描かれているのは過去の記憶であることを表しているのかなと思いました。
というのも、僕自身にも幼い頃に家の近くの中学校の体育館が全焼する大火事の記憶があって、父親に肩車してもらって火を見つめていた強い印象と、逆にその周りの野次馬たちの曖昧なイメージが、そのシーンとマッチしたからです。
世界観
主人公の眞人(まひと)が、アオサギという鳥に「下の世界」と呼ばれる異世界に引き込まれていく・・という内容から、「千と千尋の神隠し」を想起する人が多いようです。
なので、また千と千尋の焼き回しか・・とか、異世界に行って不思議な体験して帰ってきましたチャンチャン・・とか、そんな感想であふれていますよね。
ただここで引っかかるのが「下の世界」という呼び方。
不思議ですよね。
幻想的な夢のような場所なら普通「上の世界」っていう感じがします。
もしくはパラレルワールドなら「並行世界」といいますよね。
なぜ「下の世界」なのでしょうか。
地獄??・・それにしては、そこに住む住人は苦しんでいる様子はないし、石を積み上げている「大叔父」は、「悪意」があってはこの石は積めないとまで言っています。
とても地獄とは思えません。
考察
かなり独特な考察となるということを前置いておきます。
僕がこの考察に至るにあたって、足掛かりとしてインスパイアされたのは主人公の名前「眞人」。
そして、アオサギの容姿です。
※以下、異世界を「下の世界」。作中では明言されていませんが、現実世界を「上の世界」と表現します。
ー主人公の名前「眞人」ー
真の人と聞いて僕は仏教でいうところの「真我」を想起しました。
「下の世界」でこの眞人という名前にわざわざ言及するシーンがありますが、「自我」に対しての「真我」。
このあたりからなぜ「下の世界」という表現をしているのか、彼がなぜここに導かれたのかのヒントがうかがい知れます。
ーアオサギー
普段は鳥のサギそのものの見た目をしているのですが、中身は禿げたおっさんです。
ただそのおっさんの鼻がとても大きく印象的なんです。
このぶつぶつででかい鼻どこかで見たことある・・。
そう、手塚治虫の作品にでてくるキャラクターです。
宮崎駿はもともと手塚治虫に憧れて漫画家を目指していたので、そのオマージュの可能性は大いにありますよね。
特にこの「アオサギ」というキャラクターは、漫画「火の鳥」にでてくる「猿田」がモデルになっているのではないでしょうか。
ここで余談・・ではなく、この考察においてはかなり重要な話になりますが、
手塚治虫の漫画『火の鳥』は、「黎明編」「宇宙編」「未来編」といったように各エピソードが異なる登場人物、そして異なるストーリーで紡ぐオムニバス形式となっています。
多くの作品を世に残した彼ですが、この「火の鳥」は彼が生涯ライフワークとして描き続け、
その中において、「火の鳥」と「猿田」は、すべてのエピソードに姿や形を変えて登場するキャラクターです。
僕が考えるこの作品における各キャラクターの役割として、
火の鳥=観察者
猿田=体験者
です。
体験者である猿田(を含む各エピソードの主人公および出演者)があらゆるパラレルワールドを体験し、火の鳥はそれを観察しています。
これはこの世界の「真の」構造を表しています。
仏教(その他の宗教・哲学でも同様ですが)の世界では、
この宇宙はもともと一つで、
それが「ただ存在するもの」と「それを認識するもの」に分離し、
「陰(女性性)」と「陽(男性性)」に分離し、
五行(木火土金水)に分離し、
木の枝のようにどんどん分離していった先に我々が存在していると考えられています。
その枝の先に存在する小宇宙である我々「自我」が、あらゆるパラレルワールドを体験しているというわけです。
「猿田」は、そのあらゆるパラレルに存在し、ある意味ではストーリーテラーのような役割を果たしています。
ここで話が戻ってきますが、
「アオサギ」もこの作品における案内人という役割を担っているのではないでしょうか。
ーで、結局「下の世界」って?ー
これまでに考察してきたことを基にすると、物質的な「上の世界」が枝の先端である現実世界。
幻想的な「下の世界」が気の幹である真の世界(により近い世界)であると言えます。
「下の世界」が夢の世界のように思われますが、実は逆で「上の世界」が本当の意味での夢なのです。
「下の世界」では時間の概念が薄く、意思の具現化がとても早いです。
でもそれが本来ある姿なのだと考えられます。
自我に邪魔されない真我の世界ですね。
まとめ
この映画のタイトル『君たちはどう生きるか』ですが、
人はそもそもこの世界で歩む道というのはある程度決めてきているのだと思います。
ただその中で、その道をどのように歩くかは自由なのです。
僅かなツール(芸術的才能や容姿の美醜など)を持ち、記憶を失った上で、この物質世界に旅立ちます。
※最後にキリコさんの人形を持ち帰るのももしかして・・・。
作中では、
上の世界では「社会の構造が個人に影響を与えている」
下の世界では「個人の行動が世界を創っている」
ことがはっきり描かれています。
では、本当の意味で『生きる』とは。
初見なので、僕のレビューはこの程度ですが、
またじっくり見て思慮を深めたいと思います。
素敵な作品をありがとうございます。