今日のMedia & Social Changeのクラスでは、ファーガソンで起きた
アフリカンアメリカンの少年が白人警官に殺された事件を発端に全米で繰り広げられるデモについてのディスカッションが行われた。
日本人として、豊かな白人と同様に特権を持つ一人として、
アメリカにたった1年そこいらしか滞在していない外国人として、
人種差別について語るのは無知で、口を噤むべきことなのかもしれないけど、
肌の色に基づいた人種差別について日本語で語る人々は、あまりいないと思うから、
そして自分が聞いたこと、知ったことをただ書きたいから、これを書く事にした。
一人のアフリカンアメリカンの女子生徒、彼女の言うことはいつも的を射ていて、納得させられる。
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「私は、一人のブラックの少年が警官に殺されて、憤慨してる。色んな人が、この事件やレイシズムについて理解しよう、話そう、って言うけど、
本当にアメリカでブラックとして生きていく立場に置かれたことなくして、どうやって、
ここに生まれた黒人たちが強いられた状況が理解できるの?
1人の小さなブラックの少年が、母親と一緒に歩いていた話を聞いた。
その日は寒くて、雪が降ってたから、母親は『寒いから、早く軒下に入ろう』って言って
小走りで、そこら辺の軒下まで走ってった。
でも、その息子は母親について走っていかなかった。
『なんで、早く来ないのよ?』と母親が聞くと、
『だって、フードを被ってて、走ってたら、殺されちゃうかもしれないでしょ?』
この国では、ブラックの子供が子供として存在することさえ、許されてない。
皆に権利がある、っていうけれど、この状況で、各地で黒人の男たちが殺されてる状況で、
どうやって権利が平等にある、と言えるの?
男だけじゃない、黒人の女性達も、家の中で殺されてる。そしてメディアは何にも取り上げない。取り上げたとしたら、黒人の誰かが殺人を犯した、罪を犯した、盗んだ、そんなのばっかり。
黒人としてここに生まれてきていなければ、"ブラックの置かれてる立場は、正直自分とは関連してないし"って考えるけれど、もしも自分の家族が、今回のファーガソンで殺された黒人少年のように殺されたら、同じように見過ごせる?
私は母親になんてなりたくない。私が息子を生んだら、彼は殺されちゃうかもしれない。私が先に死ななかったら、子供が先に、誰かに殺されてしまうかも。私の兄弟が、明日にも、警官に撃たれて、同じように死んじゃうかもしれない。私の友達が、従妹が、殺されない保障なんてない。
正直、今ここに座ってるのも、居心地が悪い。この立場に置かれずして、どうやってこれを理解するの?クラスメートのディスカッションも、聞きたくないなって思う。」
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“Voiceless People”
声なき人々。
言葉を発して訴えなければいけない、無言だと不在と同じだと見なされるアメリカで、
どれだけブラックは権利を剥奪されてきたんだろうか?
言っても理解してくれない、話しても本当だと信じてもらえない、だから黙るしかない。
そうやってレイシズムに関して口を噤んできたけれど、彼らが一旦口を開いてディスカッションのリード権を手にすれば、その他の人々は聞く姿勢を取らざるを得なくなる。
ミシガンで、アフリカンスタディーズを学んだ時、
クラスの構成の4/5がアフリカンアメリカンで、どれだけレイシズムが社会に根付いているかのディスカッションが繰り広げられてた時、ブラックではない生徒たちは、簡単に意見を述べられなかった。
権力を握る人々こそ、時々Voicelessにならなければいけない。
だから私は黙ってることが多いのかもしれない。これを、英語が上達しない理由にはしたくないけれど、
知れば知るほど、話せば話すほど、自分が無知―ignoranceで、何も理解していないんだ、と考えれば考えるほど、何を喋っていいのか分からなくなるし、むしろ、口を噤んでいる方がマシなんだ、と思うことがある。
何でもかんでもケニアの話を出すのは好きではないけど、
18歳の時に、現地でたった1人の先進国から来た豊かな人間、白い肌の特権を握る人間として、
私は
世界の中では富を握る大多数の特権階級のうちに属するけれど、
ケニアのその場所では、Powerlessだった。
言うこと為すこと、分かり合えてるようで、ケニアのその地から出たことの無い人々との間には
完全に破れない膜があって
私はその時は訳が分からなかった。どうしてこんな目に遭わなければならないのか、
どうして、こんなに嘘をつかれなければならないのか。
今まで浸ってきた豊かさ、何も知らずに楽しんできた富の消費のツケが、一度に回ってきてる感じがした。
私の今まで付き合ったことのあるたった1人の人は、デトロイト出身のブラックだった。
「嘘をつくのはやめてくれ」と連絡すると
『嘘をつくのはお前ら皆だ。レイシストが皆俺の居場所を無くす。』と返事してきて、どうやら私も人種差別主義者みたい。理解しようと自分なりには精一杯努力はしているけれど、きっと、事実なんだと思う。私はこれからもずっと、レイシストの姿勢と視点を取り払うことは出来ないんだと思う。
だって、また貧困と人種差別の渦中に巻き込まれる人々との関係を断ちたくなったら、
私は豊かさに浸りに戻ってくれば良いだけ。
嘘をつかなければ、生きていけない人々もいる。
私はこの言葉を通じて、貧しい人は嘘つきだ、ブラックは嘘つきだ、って言いたいんじゃない。
でも、日本で平和に暮らしすぎて、
日本の中でも、部落にも属さず、在日コリアンとしてでもなく生まれてきた私は 平和ボケで、
どんなに苦労しても、取り払えない壁に囲まれて、そこから逃れられずして人生を終えるしかない人の人生を理解できずにいた。
けれど、可哀想なことに、物事はうまく回っていて、なるようになっていて、
嘘つきの嘘は いずればれてしまう。
『嘘つきじゃない』って言ったけれど、実際、ミシガンに会いに行った時
「シカゴにいるから会えない、仕方ない」って連絡してきた数時間後に、ばったり大学のキャンパスで会ってしまったじゃないか。
気まずそうな顔をして、逃げるように去って、
けれど、自分の置かれた苦境からは逃げ去れない。
それは私たちも同じ。
豊かさをこんなにも楽しんでいる私たちの生活の一方で、
同じ社会の裏側で、地球の裏側で、富を持たずに生きる意味も見いだせずに毎日を過ごすしかない人々がいる現実を放置して、見ず知らずのふりをして、ただ豊かさを享受し続けることはできないんじゃないか?
私はなんで“ケニア”なんだろう?と思う。
日本の貧困問題を取り扱わずに、日本国内の問題に無知のまま世界に飛び立って、無知だな、と思う。
でも、ずっと、アフリカの、アメリカの、“ブラック”というグループに属さざるを得ない人々との関わりの中で考えてきたレイシズムと肌の色との関わりを理解して、自分の特権を改めて理解したこのプロセスと視点は、
ブラックの大陸、と称されるアフリカでこそ、また活かせるのかもしれない。
大学をもうすぐ卒業して、すべての教育課程を終えようとする中で、自分が金持ちじゃない、っていうのは、また無知な人が発言する言葉だとは思う。
ただ、
ケニアから帰国後、現地の人を助けるために
1セメスターで38単位とりつつ、週末は全てアルバイトに捧げて、家電製品を売って、
バイト先から頂いたお金を現地に送って、
それでも助けられなくて、冗談抜きで6時間ぶっ通しで友達の前で泣きまくって、
その後、
アメリカにおけるブラックの人々の暮らしを聞いて、何もできないもどかしさを感じつつ、
私に出来ることは精一杯したい、せめて誰かを信じて待っていたいと思って待ってたけど
そんなに素直な人は多いわけでもなく(笑)
そして、もう一度、最後の教育の機会を最大限に活かして自分を教育する為に、留学を目指してお金を貯めて、ここに来て、
ここに来てからは、来年ケニアに行くためにほとんど毎日働いてる。
私は物質的に「リッチ」ではなくなってしまったけど、
私の視野と深い考え方、理解の姿勢は、前よりもずっとずっと「リッチ」になったと思う。
このファーガソンで黒人少年が殺されたことで、人種差別に対する理解は深まって、
人々が討論する場が与えられた。
命と引き換えに、こうした場と機会が与えられることは少なくない。
命は絶対に、大切にしなければいけない。
しかし、命を失わずに、これほどまで世間に影響を残し、人々の視点を変えて社会を動かすことは難しいのかもしれない。
世間はうまく回っていて、この尊い命は、社会を動かす原動力になった。
不正義を無くそう。