KENYA / HIV women × me

KENYA / HIV women × me

18歳の新鮮な目で見た ケニアに暮らすHIV女性たちの生きる姿を綴ります。
周りには自分の知ってる人は誰もいなかった。頼れるのは自分だけ。

日本っていう国に生まれて、困ることなく毎日を過ごして
こんな幸せ者な私がちょっとでも貢献できることってなんやろ?

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今日のMedia & Social Changeのクラスでは、ファーガソンで起きた
アフリカンアメリカンの少年が白人警官に殺された事件を発端に全米で繰り広げられるデモについてのディスカッションが行われた。

日本人として、豊かな白人と同様に特権を持つ一人として、
アメリカにたった1年そこいらしか滞在していない外国人として、
人種差別について語るのは無知で、口を噤むべきことなのかもしれないけど、
肌の色に基づいた人種差別について日本語で語る人々は、あまりいないと思うから、
そして自分が聞いたこと、知ったことをただ書きたいから、これを書く事にした。

一人のアフリカンアメリカンの女子生徒、彼女の言うことはいつも的を射ていて、納得させられる。
・・・・・・
「私は、一人のブラックの少年が警官に殺されて、憤慨してる。色んな人が、この事件やレイシズムについて理解しよう、話そう、って言うけど、
本当にアメリカでブラックとして生きていく立場に置かれたことなくして、どうやって、
ここに生まれた黒人たちが強いられた状況が理解できるの?

1人の小さなブラックの少年が、母親と一緒に歩いていた話を聞いた。
その日は寒くて、雪が降ってたから、母親は『寒いから、早く軒下に入ろう』って言って
小走りで、そこら辺の軒下まで走ってった。
でも、その息子は母親について走っていかなかった。
『なんで、早く来ないのよ?』と母親が聞くと、
『だって、フードを被ってて、走ってたら、殺されちゃうかもしれないでしょ?』

この国では、ブラックの子供が子供として存在することさえ、許されてない。
皆に権利がある、っていうけれど、この状況で、各地で黒人の男たちが殺されてる状況で、
どうやって権利が平等にある、と言えるの?
男だけじゃない、黒人の女性達も、家の中で殺されてる。そしてメディアは何にも取り上げない。取り上げたとしたら、黒人の誰かが殺人を犯した、罪を犯した、盗んだ、そんなのばっかり。
黒人としてここに生まれてきていなければ、"ブラックの置かれてる立場は、正直自分とは関連してないし"って考えるけれど、もしも自分の家族が、今回のファーガソンで殺された黒人少年のように殺されたら、同じように見過ごせる?

私は母親になんてなりたくない。私が息子を生んだら、彼は殺されちゃうかもしれない。私が先に死ななかったら、子供が先に、誰かに殺されてしまうかも。私の兄弟が、明日にも、警官に撃たれて、同じように死んじゃうかもしれない。私の友達が、従妹が、殺されない保障なんてない。
正直、今ここに座ってるのも、居心地が悪い。この立場に置かれずして、どうやってこれを理解するの?クラスメートのディスカッションも、聞きたくないなって思う。」
・・・・・・

“Voiceless People”
声なき人々。
言葉を発して訴えなければいけない、無言だと不在と同じだと見なされるアメリカで、
どれだけブラックは権利を剥奪されてきたんだろうか?
言っても理解してくれない、話しても本当だと信じてもらえない、だから黙るしかない。
そうやってレイシズムに関して口を噤んできたけれど、彼らが一旦口を開いてディスカッションのリード権を手にすれば、その他の人々は聞く姿勢を取らざるを得なくなる。
ミシガンで、アフリカンスタディーズを学んだ時、
クラスの構成の4/5がアフリカンアメリカンで、どれだけレイシズムが社会に根付いているかのディスカッションが繰り広げられてた時、ブラックではない生徒たちは、簡単に意見を述べられなかった。
権力を握る人々こそ、時々Voicelessにならなければいけない。
だから私は黙ってることが多いのかもしれない。これを、英語が上達しない理由にはしたくないけれど、
知れば知るほど、話せば話すほど、自分が無知―ignoranceで、何も理解していないんだ、と考えれば考えるほど、何を喋っていいのか分からなくなるし、むしろ、口を噤んでいる方がマシなんだ、と思うことがある。

何でもかんでもケニアの話を出すのは好きではないけど、
18歳の時に、現地でたった1人の先進国から来た豊かな人間、白い肌の特権を握る人間として、
私は 
世界の中では富を握る大多数の特権階級のうちに属するけれど、
ケニアのその場所では、Powerlessだった。

言うこと為すこと、分かり合えてるようで、ケニアのその地から出たことの無い人々との間には
完全に破れない膜があって
私はその時は訳が分からなかった。どうしてこんな目に遭わなければならないのか、
どうして、こんなに嘘をつかれなければならないのか。
今まで浸ってきた豊かさ、何も知らずに楽しんできた富の消費のツケが、一度に回ってきてる感じがした。

私の今まで付き合ったことのあるたった1人の人は、デトロイト出身のブラックだった。
「嘘をつくのはやめてくれ」と連絡すると
『嘘をつくのはお前ら皆だ。レイシストが皆俺の居場所を無くす。』と返事してきて、どうやら私も人種差別主義者みたい。理解しようと自分なりには精一杯努力はしているけれど、きっと、事実なんだと思う。私はこれからもずっと、レイシストの姿勢と視点を取り払うことは出来ないんだと思う。
だって、また貧困と人種差別の渦中に巻き込まれる人々との関係を断ちたくなったら、
私は豊かさに浸りに戻ってくれば良いだけ。

嘘をつかなければ、生きていけない人々もいる。
私はこの言葉を通じて、貧しい人は嘘つきだ、ブラックは嘘つきだ、って言いたいんじゃない。
でも、日本で平和に暮らしすぎて、
日本の中でも、部落にも属さず、在日コリアンとしてでもなく生まれてきた私は 平和ボケで、
どんなに苦労しても、取り払えない壁に囲まれて、そこから逃れられずして人生を終えるしかない人の人生を理解できずにいた。

けれど、可哀想なことに、物事はうまく回っていて、なるようになっていて、
嘘つきの嘘は いずればれてしまう。
『嘘つきじゃない』って言ったけれど、実際、ミシガンに会いに行った時
「シカゴにいるから会えない、仕方ない」って連絡してきた数時間後に、ばったり大学のキャンパスで会ってしまったじゃないか。
気まずそうな顔をして、逃げるように去って、
けれど、自分の置かれた苦境からは逃げ去れない。
それは私たちも同じ。

豊かさをこんなにも楽しんでいる私たちの生活の一方で、
同じ社会の裏側で、地球の裏側で、富を持たずに生きる意味も見いだせずに毎日を過ごすしかない人々がいる現実を放置して、見ず知らずのふりをして、ただ豊かさを享受し続けることはできないんじゃないか?

私はなんで“ケニア”なんだろう?と思う。
日本の貧困問題を取り扱わずに、日本国内の問題に無知のまま世界に飛び立って、無知だな、と思う。
でも、ずっと、アフリカの、アメリカの、“ブラック”というグループに属さざるを得ない人々との関わりの中で考えてきたレイシズムと肌の色との関わりを理解して、自分の特権を改めて理解したこのプロセスと視点は、
ブラックの大陸、と称されるアフリカでこそ、また活かせるのかもしれない。

大学をもうすぐ卒業して、すべての教育課程を終えようとする中で、自分が金持ちじゃない、っていうのは、また無知な人が発言する言葉だとは思う。
ただ、
ケニアから帰国後、現地の人を助けるために
1セメスターで38単位とりつつ、週末は全てアルバイトに捧げて、家電製品を売って、
バイト先から頂いたお金を現地に送って、
それでも助けられなくて、冗談抜きで6時間ぶっ通しで友達の前で泣きまくって、

その後、
アメリカにおけるブラックの人々の暮らしを聞いて、何もできないもどかしさを感じつつ、
私に出来ることは精一杯したい、せめて誰かを信じて待っていたいと思って待ってたけど
そんなに素直な人は多いわけでもなく(笑)
そして、もう一度、最後の教育の機会を最大限に活かして自分を教育する為に、留学を目指してお金を貯めて、ここに来て、
ここに来てからは、来年ケニアに行くためにほとんど毎日働いてる。
私は物質的に「リッチ」ではなくなってしまったけど、
私の視野と深い考え方、理解の姿勢は、前よりもずっとずっと「リッチ」になったと思う。


このファーガソンで黒人少年が殺されたことで、人種差別に対する理解は深まって、
人々が討論する場が与えられた。
命と引き換えに、こうした場と機会が与えられることは少なくない。
命は絶対に、大切にしなければいけない。
しかし、命を失わずに、これほどまで世間に影響を残し、人々の視点を変えて社会を動かすことは難しいのかもしれない。
世間はうまく回っていて、この尊い命は、社会を動かす原動力になった。

不正義を無くそう。
言葉 というものは本当に大切で、
先立って口から発せられた言葉が思考まで変えてしまうのも珍しくない。

去年の10月、11月くらい、ただ単にこの留学に来たかった。
留学に行くために、目標や目的を設定した感じだった。
けど、それらを紙に書いて、口で発して、他者に伝える過程で、
無意識のうちに、それは思考の一部としてインプットされてしまったみたい。

ただ単に怖いんだと思う。
悪いことではないけれど、
自分の考え・世界を見る視点・物事を捉える目・それぞれの人を観察する眼 すべてを
ぜーんぶぜーんぶすっかり変えてしまった経験を積んだところにまた戻るのが、
朝から晩まで、ずっと気を張って注視しなければ、
いつの間にか誰かの計算に巻き込まれてとんでもない目に遭うかもしれないのが。
戻ることが良いのか、むしろ外部者が無理に手を出さない方が
良いように働くのであれば、戻らない方が良いし、本当に本当に戻るのか自分も知らない。
ポジティブに考えれば、もう色んな人を見て色んなことを経験したから、前ほど辛くはない、
前よりも、事情や状況、“Development”に集約されるプロセスに外部者はどう関わるべきか
分かるようにはなった、と言えるけど、自信満々ではない。
でも、戻らないことには、今のどうしようもない状況を飲み込むこともできないように思うし
きっと、口から発した言葉の通りに、身体を動かしていくんだと思う。

今度こそ、もう“普通の人”が楽しむような生活に沿うことは無くなるかも、
と思ってたけど
意外なことに、もうそうなってしまってる自分がいる気もする。
まだ少し中途半端で、弱音を吐くこともあるけど、
目標に向かって完全に一直線か?と言われると、すこし枝が生えてるけど、
気づいたら“おもんない奴”一直線になった。
「せっかくのアメリカ」「せっかくの留学」と俗に言われそうやけど
まったくパーティーに行かないし、
ルームメイト全員が遊ぶのに頭いっぱいでも、まったく私は気が向かないし
遊ばないし、
むしろ、もっと働こうとしてる。
時間の無駄だと思うことを省いていったら、
目を向けるべきところに集中する時間がつくれて、
一般からすると「何がおもろいん」て感じになった。
「皆いいなぁ。楽しそうやなぁ。」と前は思ってたけど
集中すべきことにそぐわないお遊びに付き合っても、「楽しい」と自分は思わない
と、ほぼ確信するようになった。

けど、必ずしもそれが悪いとは思ってない。
学び、考える時間をつくるために、独りで来ることにしたから、
今は周りからしても自分自身も「おもんな」くても
自分の人生だけに囚われない将来に必ず役立つと思うから。

それを後押ししてくれてるのか、
ここの先生たちも、私の今後に目を向けてくれるし、
考えるべきことを考えるのに必要な授業をピンポイントで受講できる許可が下りた。
社会問題を必死に変えようと頑張ってる人はみんなよく
「友達も自分の周りから去って行った」と口をそろえて言うけど
なんとなくなぜか、分かる気がする。

最近ドタバタしていて、頭も身体もクタクタやったけど
またじわじわとパワーが湧いてきました!

6月で観光シーズンじゃないはずやのに、ゲストハウスでは大忙し。
落とし物、足折れた・・・大変やったけど、全部解決したので達成感ははんぱない!
みんな笑顔で帰って行ってくれると、こっちまで幸せになりますね^o^

英語がちょっと話せるだけなのに、
日本で楽しみたい外国人の人たちのお役にこんなに立てるなんて光栄です!




内定が決まった時は言動と行動と、伴ってなかった。
心の声は聞こえかけていたのに、気持ちがついていけずにいた。

やっと最近、目指すことに気持ちが付いて行っている気がします。
といっても、お金がなければどこへ行くにもいけないので、
どっかに着いても何もできないので、とりあえず、今は働きまくってます。
休息日は、3月以来 ほぼゼロです。
でも、やるべきことが見えてきたから どんな時でも前を向けます。
それから、ゲストハウスの皆さんがとーっても とーっても優しくて、
いつでもどこでも良くしてくれるので、毎日たのしいでーす^o^


心の声は、自分よりも周りのほうがわかってるんですね。

ずーっと前に作ったAbout.meページ。
Western Michigan Universityにいたときに、宿題としてつくった自己紹介。
何にも変化がなかったのに、そして、何も変えてないのに、
最近、
世界中から毎日毎日、何百人っていう人が私のAbout.meページを訪れて、
多い日には1日に2000人以上も私のページを見てくれた。
逃げかけてた時は何にも変わらなかったのに、
よし・・がんばろうかな、もう一回。と思ってると、(思ってるだけなのに)
自然に世界中の人たちが私のページを見に来てくれた。

見ず知らずのインド人が「この人すごいよ!」って
Twitterでつぶやいてくれて、自分のツイートで私の紹介してくれたり、
パナマのNGOで働いてる人が「君の活動興味深いよ、FBで友達なりましょう」
って言ってくれたり。

そして、立命館大学でみーんなの前でプレゼンさせてもらって、
オフィスのみなさんが、そのプロジェクトのためにたくさん助けてくれて、

また勇気を出すことができました。
ありがとう

立命館宇治高校で3回も授業させていただいて
ひたすら私がお話しできることを話した。
人種差別の話、ルワンダで見たこと、アメリカで聞いたこと。
そんなタブーの話は、どこでもできるもんじゃない。
けど、そんな人種差別のせいで将来を照らせない、そんな人たちの声を伝えなあかん。
一見、そんなものと関係のない私が、第3者の立場からだからこそ、それができると思った。
高校生のみんなありがとう。聞いてくれて感謝です。

そして昨日、成果報告会で10分間のプレゼンを聞いてくださった皆さん。
後からも温かいお言葉をかけてくださったみなさん、ありがとうございました。
+R

ビビりで、どうやったら逃げられるのか、辞められるのか、必死で考えてた時もありました。
でも、道って自然に決まっていくんですね。
ある時には、周りの人が背中をプッシュし、
ある時には、願ってもみない賞や機会がケニアの経験を通して舞い降りてきて、
ある時には、気づいたら自分の口から どうしようもない思いがこぼれてた。

本当に、私は「すごく」ないです。
誰も助けられなかった、プロジェクトもなくなってしまった。止まってしまった。
そんな悲壮感に打ちひしがれてばっかり。
不器用なので、空回りもするし、切羽詰まってばかり。
というとまた、ネガティブ野郎になるのでストップするけど、
本当に足りないところばかり。
つい最近も、HIVに罹った売春婦のお母さんをどうするかで自分なりに悩み、頭の中が渦巻いてた。
涙も出るけど、不思議ですね。
そんなのにも 時間とともに慣れる時が来るんですね。

昨日、いろんな人と出会って、また一歩進む勇気が持てた。
大きな海外の機関でのインターン生、力強いお母さん、生徒を必死に支えてくださる方々、
みんな、私にはない力を持ってて尊敬します。

「足るを知る」ことを理解するようになって、謙虚になったと思います。
と言うと、またおごり高ぶりすぎなのかもしれませんが。

謙虚になれ、と、どストレートに指摘くださった方のおかげでもあるし
この たった2カ月間くらいで、ヒトを理解する大切さを思い知ったからでもある。

今日も、朝8時からゲストハウスでアルバイト、
お昼、掃除が終わって、その1時間後にはカフェでバイト、そのあとで授業。
それなりにハードやけど、これにも慣れた。

飲み会の誘いもあるけど、今はいいかな。
「言ってること矛盾してるで?
この人が売春やめることはないんやろ?」
そう私が言ったから。そんな問題をさておいて、自分が快楽に走るのはよくない。

というわけで、明日は立命館宇治高校へふたたび。
ふたたび、というか、再々々々くらいの機会をいただいております。
本当に感謝です。

ケニアのことをまたお話しするということで、一旦直近のことも整理。

悩まされた問題。
売春婦の子供2人(どちらも男の子。8歳と10歳。)のスポンサーに、
その他の数多くのスポンサーを待つ子供を差し置いて、なる?
簡潔に言えば、こうなる。


スポンサーになる子を選ぶのが大変なら、こっちで選んだげるよ。
ということで提示された2人。
その売春して働いているマザーは、HIVについての教育をコミュニティで行う人でもある。
HIVは、こうやってうつるんやで、やから、こんなことやったらあかんのやで?
と自分で言いつつ、
そして、「わかってるなら売春なんてしたらあかん!!!!!」
と、どれだけ周りの人から言われても、
自分がHIV持っていて、それをその行為によってまき散らしているのも知ってるのに

「生きるためには仕方ないの。」
といって、他の仕事にシフトするわけでもなく、今でも売春によって生計立ててる人。

といっても、現地には雇用も無ければ働き場所もない。
そうなると、その考えに至るのも仕方ないかもしれないのかもしれないけど。



そんな母親の働き方と生活を見てる子供は、どんな気持ちなんでしょうか。
その子たちにスポンサーになるのであれば、これからの5年間(or more)、
トータルで20万円くらいいるんじゃないか、という金額。
必死で働けば不可能ではないけれど
今の私にはとてつもない金額。
前、ひいひい言って、必死で稼いでも助けられなかったHIV女性のことを思い出した。
泣きまくって、どうしようもなくなった自分も思い出した。

そして、もしも学校へ行けたとして、将来その子たちはどんな選択肢を持つんでしょうか。


私は医者になりたい、看護師になりたい、
そう言って、小学校以上の教育を求めて、将来人の役に立ちたいと夢を語る子供達をさておき
とりわけ提示された2人を優先しなければいけない理由はある?

HIVの蔓延は、かなり減らせるのかもしれない。
売春婦1人辞めるだけで、何十人もの人への感染が防げるかも。
そして、その感染の危機を免れ得る人は誰かというと、
ほとんどの場合、どちらにせよ、どこかしらで買春をする男の人ではないんですか。
人を助ける事は究極に大事だけれども、
なんか意味なく感じる。

HIVコミュニティのエンパワメントを行う団体の安定を目指すのと
その売春婦もメンバーだから、優先権がある?
目の前で
「お金が必要なの、生活費も子供たちの教育費も払えないの。だから今の仕事を続けるしかないの。」
そんな風に言われれば、もちろん放ってはおけない。
私も、今日本で地理的にも、気持ち的にも離れた場所で考えることができるから、
矛盾することや疑問に思うことは はっきり述べられる。というか述べてしまう。


ムズングを頼りにして団体に仲間入りしてお金だけ奪ってったメンバーがいたなぁ。
もうHIV女性のエンパワメントのために2年くらいも働いてるのに、そのマザーはいまだに売春するという方法でしか、稼ぐ当てを見つけないんやなぁ。

まず、スポンサーになった先進国側メンバーはいるのに
なぜ、メンバーでもある彼女には誰も助けを差し伸べてこなかった?
スポンサーシップのリストに一番に入ってもいいくらい、なのに
なぜリストにもまだ入ってない?

エドワード(この人はたぶん騙す人ではない。)が お金がらみで頼んでくることは
「他のメンバーは出さない(出せない)から。彼らは他のことで忙しいんだって。」
といって言いくるめられることもある。
無垢すぎて私も言いくるめられまくったけど、
もうそんなにアホではない..
支援は、自分の自立が確保できなければ、続かない。

しかし、同時に可哀そう。そして私はとてもひどい。

頑張っても、今は2人いる息子のどちらか一方の学費に貢献するのが精一杯。
でも、1人に払って、もう1人が行けない状況なら?
母さんは、もう1人の為に、また頑張って稼ぐんじゃないか?
稼ぐ方法は、限られてるんじゃない?
どっちにしても、生活費を稼ぐために、売春という方法を使ってるんやろ?

もしも本当に彼らのスポンサーになったら。

そんな仮定を何度も何度も描いたけれど
綱渡り状態の支援になることに間違いはないようにしか思えなかった。

私の疑い深さも 矯正が必要かもしれないけど
みんな計算高い。
世界各国にメンバーがいるけど、
主にスポンサーになってる欧米系の人も、しっかりしてるなぁ。

ボランティア→ (とりあえず)団体 →皆で支援
という、日本の大学生(日本の多くの組織・団体かなぁ)に典型的な方法は、
見方によればコミュニティライトプログラムでも同じ、と言えるかもしれないけど
ほとんどの場合、全然違う。

“貧者救済”はキリスト教では結構常識だから、スポンサーになることに抵抗はないのか?
私には理解できない点も、まだまだある。

確実なのは、
職が必要だということ。
お金をあげても、新たな職の機会が無く、お金が足りなくなったら、
また売春する人はそうするしかなくなる。
そして、しっかり賃金を払えるような事業を設置すること。


私はただひねくれてしまってるだけではないと信じたい。
売春婦の道を進まざるを得ない人たちも可哀そう。
生きるために、好きでもない人とそうせざるを得ないのは、悲しい。
それから、悲しいけれど、支援対象には線を引かなければ。
じゃないと、際限がない。
だから貧困問題は根深いのだけれど。

まったく したたかに思えてならないですね。

支援者も被支援者も
境遇や状況が辛いのは分かってる、
富裕層だらけの先進国に住んでる人が
偉そうなことは何も言うべきじゃ無いんでしょうが

ムズングに頼ればいい。
そんな感じが漂ってるのも心ならないです。

生活費が稼げないから 買春して稼ぐ。
自分もHIVに罹ってて
自分のせいでHIVが広がることも理解してる
のに、お金が稼げないから続ける。
そして同時に、HIV女性にHIVとの闘い方について教えている。
自分の子供は学校へ行く金が無い。
だから買春もやめられない。

まったく矛盾している。
たまには記録を書いて残さないと、
考えるばかりで堂々巡りをするだけになったり、ひと段落つけなかったりすることがある。
なので、とりわけ大きなことがあったわけじゃないですが、ブログを書こうと思いました。

―現状―
ゲストハウスで毎日働いてます。とっても優しい人たちに囲まれて、
世界中から来たゲストと話せる所です。
この夏からの留学に向けて、英語慣れも出来てると思う。
朝8時~お昼12時 働いて 13:00~の授業に直行。
チャリで移動、それから 16:00~ラストまで 働く のサイクル。
最初はきつかったけど、慣れてきました。土日祝日平日、関係ありません。
ふつうの人が暇で旅行してるときほど、こっちは忙しい。

目標は、この夏までに60万貯めること。これ以上は期間的にも難しいかも。

理由は
① アメリカの交換留学費用
お金が有り余ってるから、留学楽しいから、という理由だけで
またまた交換留学に申し込んだ訳じゃないです。
バカ高い保険代と、現地での生活費用、航空券、家賃、ワクチン。
60万貯めたらやっとカバーできるかなぁという感じ。

4ヶ月間で、他国の人と事業やプロジェクトを回し、
政府関係者と話す上でも引けを取らない英語力を必ず身につける。
でないと、意見を主張する場も議論に参加する機会も 提供されない。
そして、政府のせいでプロジェクトが簡単に壊されてしまうの、腹が立つ。
負けたくない。やから、がんばる。

② ケニアにきっと行く
寄付とか、支援金調達とか、そんなことしてる間に働いて、自分で金貯めろよ。
そんな厳しい意見も、世間でいわれる「国際協力」という活動をしてる中で浴びせられます。
正当な意見です。
もちろん、色んな奨学金・Grant Opportunity・助成金にも応募しているけど
全落ちした時、なにも補助金の当てが得られない時、
そうでなくとも、
生きる金もない人を対象にしてると、お金はどれだけあっても足りない。
お金があるに越したことは無い。
お金が無いと、何にも役立たない。それは前回ケニアにいたときに、身に沁みました。

ケニアにいる子のためにスポンサーとなるのも、お金が有り余ってるからじゃない。
スポンサーになるなら、働いて、その中から充てていかなあかん。
けど、その子の将来は大きく照らされていくと信じているから、
そして、
スウェーデン、アメリカ、ケニア、ブラジル、イギリス、
世界中のメンバー達(アクティブかどうかは知りません)とかかわっていく中で
(日本では「自己責任論」が強いけれども)
メンバー達はChristianityに基づくからか、貧者に施しを与えることに抵抗を示さない。
そうやって動いている組織の一員としては、メンバー達の求める期待に沿うことも大事。


私は、こうしたいなぁ。と思っていることは、後々
どんな手段を使っても実現させようとします。
どちらかというと“無言実行”派だと思うので
突然 ぶっこんだことをすることもあります。多々あります。笑
来年の1月~3月はケニア(予定のめどは全く立っていないけれど)
に行く必要性を感じます。とりたてて誰にも言ってません。今書きました。
だから、実現に向けて邁進するつもりです。


こんな目標があるから、毎日頑張れます。

けど
また 意味の無い遠回りをしてるのかもしれませんね。
空回りの努力になってしまわないようには します。
最近、エドワードの前のめり具合は 落ち着いてる。
現実を常に見て、向き合って、考えてるから
私が聞いた質問・投げかけ、どんなことにもすぐに答えを導いてくる。

賢いし、発想の転換もすばらしい。

けれども、貧しさが「選択の貧しさ」からきていること
選択が現実的に少ないというよりも、
貧しい人々は選択する余地を持たず、
生きる上で選択をする、という一つ一つの決定が
新たな貧しさを生んでいる
という事実を踏まえて

貧困は「心」から来ている と

その貧しさの描写に「We」といって
自分までも含んでいること自体が

すごく悲観的で

しかし同時に

“エンパワーメント”、貧者救済、
という目的の為に、最も大切な姿勢を兼ね備えてるな、と思う。

以下は最近交換し合ったメッセージ。
暇な人読んで。

私はこうして貧困問題について真剣に語り合えるような
アフリカ人の友達を持ってることを とても誇りに思う

-------------------------------------------------------------
僕たちは たくさん資源を持ってるのに
そして 数多くの先進諸国がそれを求めてくるのに

まだ僕たちは貧しい。
なんで?

だって、心が貧しいから。
どうやって選択するのか
どうやって物事を運ぶか
どうやって物事を見るか
キャパシティービルディングが僕たちには足りない。

起業家がいない、それがまた大きな問題。

色んな国から支援・援助の為に、僕たちを助けるために来る。
なぜなら、僕たちがそれを欠いてるから。

(私)でも、エドワードは起業家になるんやろ?

でも、何人くらい僕みたいなのがいるの?
他の問題は、
君はさっき、ケニアには仕事が無いって言ったよね?
確かにそうやけど、なんで? 仕事はあるんだよ。
でも、ほとんどの金持ちの人たちは子供たちを海外に留学させて
彼らはそこでスキルを蓄えて、もちろん良い教育も、レベルも高い

そんな彼らがここへ戻ってきて、地元で育った、大した教育も受けてない子供達と
競い合う。ここで育った子供達にチャンスなんてめぐって来ない。

他の例。
ヨーロッパでも、おんなじような問題があるんでしょ?
でも、どうやってその問題を扱うのか、ってのが全然違う。
それが、国によるキャパシティーの大きさの違いを示してる。

ここなんて、人々はただ争い合って前に進もうとするだけ。
選挙でもそう。だって考え方が幼稚で、問題解決の手法にそれほど多くの種類を見出せない。
日本でも、ヨーロッパでも、昔はそうやったんやろ?
けど、今は座って、物事を解決できるようになったんやろ?


だから、もし誰かが教育を受けているにもかかわらず仕事が無いのなら、
その彼(女)は、どうやって収入を自分で得られるのか考えることが出来る
それがアントレプレナーシップ。
けど、第一段階である教育を受けていないというところで
彼らのライフスキルは失われる。

しかも、海外で教育を受けたアフリカ人は、たくさんいるけど
そして、みんな色んな専門分野で活躍しているけど
決してここに戻ってこない。
彼らはそこに留まる。
そうやってコミュニティに還元しなかったら、彼らの経済価値なんてここで開花しない。
とっても悲しい。そうやって置き去りにされる。
それに僕はとっても腹が立つんだ。


君は、布ナプキンのアイデアを携えてここに来たんでしょ?
それはアフリカではけっこうな問題だけど、日本ではほとんど無い問題でしょ?
そうした問題をここでは抱えてるのに、困ってるのに
僕たちは、そうした再利用可能の布ナプキンというアイデアに辿り着くことさえできなかった。
だって、キャパシティーが小さくて、考え方さえも、その小ささに影響されてるから。
それが、僕たちの弱さ。

(私)どうやったら、謙虚な姿勢で、行動を起こすことができるんかなぁー?

謙虚な姿勢で。
僕たちはエンパワーメントのために働いてるよね?
そして、継続性を保障してエンパワーメントに取り組むとき、
色んなターゲットと方法と方向がある。

けれども それ以前に
自分の今までの経験の反映を一時中断して、彼らの経験に浸かること。
彼らのスタンダードに身を置き、
自分の価値観や信じてきたものを押し付けない。
彼らと、彼らのしようとすることを理解するように努めて
彼らがどうやって正しいことをするか、もしくは間違うのか

そして、彼らに耳を傾ける。彼らを巻き込み、彼らの“ローカル・パッション”を見つける。

ここのコミュニティができることは、日本でのそれとはちがう。
だから、その「ローカル・パッション」に辿り着いたあとは
彼らがどのように彼らのレベルで物事を運ぶのか、見ること。
どうやってマネージして、どうやって協力するのか。

そうして、彼らが自分たちの努力によって得られた果実を確認できたとき、
やっと君はInvolvementを達成できたと言って良い。

チャレンジはね、
忍耐が必要なこと。彼らは君のような理由づけをしないし、
プロセスの段階で彼らは失敗もするし、ミスも犯す。

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きのうはゼミの追いコンで、いろんな先輩方とお話できて楽しかったです。
と同時に、これから貧困問題にかかわっていくには、自分の行動も割り切っていかないと、
と感じました。何事も楽しみながら、というのは大切ですが。

内定が出てから、それまでには得られなかった視点であったり、視座が養われたと思います。

まず、自分の家族が、これまでの自営業の会社の在り方や、
自分達が行ってきたビジネスについて、私の将来について、意見をくれるようになりました。
改めて、
小さな電気屋さんではあるけれど、こんなうちに生まれてこられてよかったなぁ、と
つくづく思います。
小さいけれど、周りの人たちやこれまでの取引先を大事にして、
利益ばかり追求するわけではなく、「正しいこと」、正しいと思ったことを実践する
両親の姿は、尊敬すべきものだと感じました。

また、これは個人的な話ですが、内定をもらった日を境に
じんましんが治りました(笑)
中学校が移転し、中3の頃から通った新しい校舎には色んな化学塗料が使われていたらしく、
それ以来・・・約7年ほど、ずっとじんましんの薬を飲み続けていました。
それが、内定をもらってから、飲まなくて良いようになった。
ストレスというか、重圧から解放されたせいなのか、開放感にあふれています。

そして、ゆったり物事を見られるようになったために、
みんなの動きや空気、話、雰囲気など
様々な物事の見方・感じ方が、以前とは少し変わった気がします。



これはケニアから帰ってからずっと思っていたことですが
飲み会とかで遊ぶお金で、世の中をもう少し良くする貢献ができる。
そして、こんなに早くに内定をもらって、1年も自分のやりたいことができる環境に置かれている、というのは、とても恵まれてる。
そんな恵まれた環境を活かして、自分の夢に近づくことをしよう。