ジローの写真紀行

ジローの写真紀行

「オジサン」の眼をデジカメに託し、四季折々の出来事・風景を
  「あなた」伝えたい。by middle-age(ジロー)

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コロナ感染が広がり始めた年に、

知人からの紹介で「小児救急夜間診療所」で働く事になり、

趣味の写真撮影に出掛ける事も出来ず。

(感染して診療所に迷惑掛ける事はまずいだろう・・・と判断)

 

でも、ワクチン接種も4回済み、5回目の接種券が来た。

そんな中、

昨日、バス釣りの聖地として名高い霞ヶ浦水系の『北浦』へ行く。

 

初秋の北浦は、爺さんが来た事を喜んでいるようでした。

古希過ぎの年寄りに夕暮れに吹く風が心地良かったな~

 

桁5連の大橋。別名 サン・ブリッジとも言われてます。

湖水湖に架かる橋(琵琶湖大橋に次ぐ長さ 約1,296mで日本2位)です。

 

その大橋に夕陽が当たり5連の桁が輝いていました。

 

 

 

 

 一昨日、コロナワクチンの2回目の接種を終えた。

メディアで副反応ついて、いろいろと言われてます。

 

「参照」

2回目の接種後の方が、37.5℃以上の発熱が38.1%(1回目3.3%)、

全身倦怠感は69%(1回目23%)、

頭痛は54%(1回目21%)と全身反応の副反応が高率で認められます。

 

 

 接種翌日の体調は、熱が36.8度(平熱36.3度)で、

 

倦怠感に付いては、少し怠さを感じた。

 ステーイホームstay home)で生活していたら、全身倦怠感に

襲われそうなので、近くの北浦湖畔を散歩した。

気分転換(憂さ晴らし)に効果が有った。

風が強く、雲の流れに見とれる。

見慣れてる風景に心地よい。

すると、鳶がオジサンに曲芸飛行を見せてくれた。

明日の夜は「救急診療所」で勤務。

受付時に接する患者さん・親御さんに接する事に不安を感じていたが、

ワクチン接種を済ませて事で安心感が出て来た。

 

感染防止は、国で無く「自分自身」の行動です。

最終的に命は、他人任せでは守れないのだ。

 

 

 

 今の医療機関で微力を注ぐ事になって1年。

 

 先日、医療機関で働いていると言うことで優先的に、

1回目のワクチンを接種しました。

 

 テレビで接種の映像を見ると、注射針が射される場面を

見て、頭の中では「痛い!」だろうと思っていた。

実際接種をしてみると痛みは殆ど感じ無かった。

副反応は無く1回目の接種を終えた。

 

 今、高齢者(65歳以上)の接種予約が各地で始まっています。

電話やネットで予約をすることになっているが・・・

ネット予約はスムーズに予約が出来ている。

しかし、

子供や孫と同居してない高齢者夫婦などは電話だけが頼り。

だが、その電話が混雑して繋がらない問題が発生して困っている。

次回の予約時も同じことなるだろう。

諦めてる高齢者もいるようだ。

 

通信弱者は切り捨て?

何とかできないものだろうか?

 

オジサンは、ご近所の高齢者に手を差し伸べます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日、 コロナ過で細心の注意を払って、秋の風景に出会いに行く。

 

此処は、茨城県行方市(ナメカタシ)の西連寺(天台宗の寺院)。

 

重要文化財が多数あるが、目的は樹齢1000年以上の大イチョウである。

 

仁王門(山門)を潜り、境内へ。

 

早速、大イチョウが迎えてくれた。

 

地面はイチョウの落ち葉で黄色一色に染まり、

 

絨毯を敷き詰めているようだ。

 

数名の人が写真撮影に興じている。

 

散歩中の犬も跳ね回っていた。

 

 

常行堂の前に設置してある水槽(防火設備か?)

 

を覗くと「小さな秋」が水面に映り出されていた。

 

樹齢1000年以上の大イチョウが目の前に・・・

 

 

古木とは言え「風格」があり、圧倒される。

 

そして大勢の人が見て感激するのだ。

 

先日、友人から頂いた「蒸気機関車」も、

 

大勢の人を引き付ける魅力があるのだ。

 

 

オジサンも今年「古希」を迎えた。

 

今、小児救急夜間診療所(19:00~23:00)で、

微力を捧げている。

 

高齢者でも、この「大イチョウ」「蒸気機関車」の様に、魅力ある

 

老人になりたい。

 

 

医療機関の仕事に就いて3ヶ月が過ぎた。

 

 この話が有った(仕事の)時は2月に入った頃で、

コロナウイルスも、1月末頃に中国武漢から帰国した男性から

コロナウイルスが検出されたとの話でした。

 この頃はまだ日本での感染は無いだろうと甘く見ていたオジサンです。

しかし、日本で大勢の感染者が続々と発表されて「不安」が過る。

それも、年配者ほど重篤になりやすいとメディアが・・・

そんな不安と怯えに仕事の就いた。

 

 「夜間小児救急診療所」が仕事場で、17:30~23:00まで、

月に10日程の勤務に就きます。

私の仕事は、受付と診療所の管理がメインです。

 

そんな中、

若い夫婦が心配顔でお子さんを連れて来る。

高熱・腹痛・吐き気・蕁麻疹等々。

当初はぎこちなかったオジサンですが、話好きが功を奏して

仕事には直ぐに慣れた。

高熱があるお子さんは、市が用意した車の中でドクター診察。

市ではコロナウイルス感染予防と感染ルートが解るように

問診票と共に、コロナに関するアンケートを書いて貰います。

 

仕事の話を事細かく書いても面白味が無いのでこの辺で

診察完了にします。

 

茨城も梅雨明けし、蒸し暑い日が続いてます。

外出自粛も自宅周辺ならと思い、近くをドライブして来た。

北浦べりには、ハスの生産が盛んな地区がある。

梅雨明けの青空の中を走る。目の前にハス田が広がって来た。

花満開とは行かないが、所々に咲いているのが見える。

開花した薄いピンクの花がオジサンを呼んでいるので

ハス田の中へ。

ハスの花言葉は「清らかな心」「神聖」「離れゆく愛」「雄弁」等々

オジサンには「清らかな心」と「雄弁」かな?

炎天下の中、1時間ほど散策し家路につく。

 

我が家で待っていたのは、身の丈2.5mほどもある「ヒマワリ」と

傍らに咲く「オクラの花」です。

 

もう直ぐ「古希」を迎えるオジサンですが、

まだまだ現役で行きたいものです。

孫のような患者さんに「お爺さん有難う」と言われると

嬉しいですね。

 

「人や物の命は永遠ではないけれど、大切な思い出は

 永遠に心の中で生き続ける。

オジサンのモットーは、

出会いは人生の宝物

診療所で出会った患者さんや親御さん、そして、

医師・看護師さん・薬剤師さん・医療事務員さんが

宝物」です。

 

 

 

今日、テレビで航空自衛隊所属の「ブルーインパルス」が

 

東京の上空・・・医療機関の上空でアクロバット飛行をした。

 

テレビニュースで映し出されたのは、

 

病院の屋上で、医療従事者が手を振り跳ねまわっている姿だ。

また、テレビでインタビューを受けた看護師さんが

 

「力を頂いた・・・」と。

涙を流しているようだ。

 

この飛行は唯のアクロバットではない、6機が息を合わせて出来る業です。

 

 医療従事者もドクター・ナースを中心に戦ってる。これが共に戦う姿なのだろう。

 

国民の皆さんも心の中できっと、

 

「医療に従事者してる皆さん、ありがとう。」と呟いているだろうね。

 

 

 

コロナウイルスが世界的に感染し、多くの人が亡くなられいます。

 

「3蜜」を守る為、私もカメラ撮影に出掛けるのを自粛しています。

 

そして、医療機関が多忙で「医療崩壊」の声が聞こえてきます。

 

そんな中、4月より「夜間小児救急診療所」で働く事にしました。

 

勤務は19:30~23:30の4時間で年中無休です。

(3人で交替して手伝い)

 

仕事の内容は、診療所の管理及び患者の受付をしています。

 

組織はドクター・ナース・薬剤師・医療事務・そして私の5名です。

 

診察は、コロナ感染予防という事で、ドクター・ナースは、

 

完全防備です。

 

コロナウイルスが終息し、社会活動が通常になれば

 

ブログを再開したい。

 

 

今年、古希を迎える。

長年、働き続け昨年の9月でピリオドを打ったオジサン。

 

先日、生まれ故郷へ行って来た。

一番行きたかった懐かしい場所へと向かい,

車内で子供の頃の思い出が浮かんで来た。

産まれた時・七五三・小学校入学時・・・そして、

就職した時も・・・お参りした地元の鎮守様です。

特に、結婚式の当日の朝にもお参りに行った記憶が

蘇って来た。

 

子供の頃に見た当時の様子は、木々に囲まれ鬱蒼とした神秘的な

鎮守様でした・・・そんな光景を思い浮かべて行ったが

今は、大きな木々は伐採され明るい環境に神社は佇んでいた。

あの鎮守の森は無かった。

木の鳥居が石に変わっている。

屋根も綺麗になっていた(以前は黒だったかな?)

 

この風景では記憶が蘇って来ない。

暫く目を瞑り昔の風景を思い出す。ここで走り回った事や

藁で作った人形の馬・牛の背に、前日に集めた枯れ木を

縛り付け家まで帰った事がかすかに浮かんで来た。

 

家に帰って、実家で見つけた村の生活誌には「昭和時代の風景」が

記載されているので目を通してみる。

田植えの風景。

 

田んぼに水を汲み入れる風景。

秋になると水路には刈り取った稲がギッシリと干す風景

(オダ掛け)

この水路を地元では「エンマ(江間)」と呼んでいた。

 

人や物・・・そして風景の命は永遠で無いけれど

       大切な思い出は、永遠に心の中に生き続ける

 

誰もが持っている思い出を掘り起こしてみる事も良いかもね。

 

 

 

 

2020年、あけましておめでとうございます。

 

例年、年の初めと言えば・・・初日の出撮影に翻弄されていましたが

今年は曇り空で見る事が出来なかった。

だが、テレビニュースや番組で見ることが出来ました。

 

でも・・・

この歳になると「日の出よりも日の入り」と自分に言い聞かせ

近くの北浦や里山に行って来た。

日は沈むが、必ず明日はやって来る。

夕日には「明日への活力」が漲っているのだ。

そして・・・

右肩上がりの夕日は「縁起」良い事は昔から言われていたので(?)

夕日は里山がイチバン!

右肩の夕日。

山間の田んぼの水たまりには「青空」が、

古希を迎えるオジサン。

夕日の活力を頂き帰路についた。

日の出だけに脚光する片想いよりも

夕陽へ感謝することも良いのかも。

きっと明日は・・・

人生、気の持ち方で変わるのだから・・・

 

 

 

 

オジサンの、冬の始まりは「柚子」です。

今年もその季節の到来。

 

先日、友人宅へ柚子を頂きに行った。

屋敷には大きな柚子の木が5~6本あり、香りが漂っている。

 

オジサンの頭の中は「柚子汁を焼酎に垂らして飲む」

この光景が浮かんできた。

この時までは・・・

 

さて収穫です。

トゲがあり、腕に指に刺さる。

イターッ・・・

 

友人二人でコンテナ5箱分を収穫した。

約450~500個。

我が家の持ち帰る。

早速、柚子搾りの始まりです。

搾り器、塩。そして、夏から買い集めたワインの瓶

目標は15本。アルコール中毒寸前なオジサンでした。

先ず、柚子の水洗いを行い、大きな実は半分に切る。

絞り器に1個入れ、取っ手を持って搾る

この作業の繰り返す。450~500個分ですですから

古希を迎えるオジサンには辛い工程です。

でも、分けてあげる友人の笑顔が辛さを癒してくれます。

二日掛けての搾りも終わり、

今は、友人知人の笑顔を見に配達しています。

尚、今年は柚子の皮を干して粉に・・・と考えてます。

出来たら、作ったトウガラシと一緒にミキサーで粉に。

出来たらいいな~

 

(喜ぶ笑顔を浮かべて)

本気を持って取り組めば、誰でもやり遂げる事が出来る。

今年も柚子から得た

そんな思いを込めてオジサンの令和元年の締めくくりです。

また、来年へと続く。