私は、昔、とっても厳しい女子高に通っていた。
規則づくめ。
髪の毛、前髪、眉毛より上、
耳から長くなったらゴムで縛る。なぜか、一つにくぐるのはいけなくて、二つに分けてくぐる。ださださ、ダサすぎーーーー!(今から考えると、一つにくぐるどcute . 二つだと、ださいけど男をそそらない、それしか理由がないように思える。こんな私は不謹慎だろうか?)
スカートの丈、厳重チェック。
学生カバンはバンバンでイモくさくなくてはならず。
薄いストッキングでは❌黒いタイツが⭕
朝は早よから、肛門いえ校門のところで生活指導部の先生が三人、(一人は70才はゆうに超えておられた老齢の女子先生。ワニみたいだなとその当時私は思ってた。ワニを見ると、私はいつもその先生を思い出す。彼女は、大人になった私の夢に出てくるぐらい怖かった! !! )   どんなに暑い日でも雪のちらつくような日でも、ワニ軍団は、私達乙女をを門の前で待ち構えていた。



勉強も(その頃は受験のための学校とかなかったのに)、何でかすごく厳しくて、
TEST、TEST、漢字のTEST、歴史のTEST、英語のTEST、数学のTEST、おまけに新年早々、百人一首の丸暗記のTESTまで待っていて、中高全校生徒の中の上位百人ぐらいの名前を大廊下にデカデカと貼る、そんな学校だった。

私なんか勉強嫌いだったから、もちろん、そんなランキングには入れない部族だった。

家で、夜、お笑いTVの前で仕方なくTEST勉強してると、それを見た母や妹が「また、TESTなん~?タイヘンやねェ」と漏らしたぐらいだった。

男女交際?、そんなのばれたら、もちろんガス室送り。

そんな厳しい学校、思春期の女子に反発されないわけがない。

みんな、窮屈さと理不尽さにブーブーブーブー、ずっと不平不満をかかえていた。
やっと迎えた卒業式には、晴れて解放されたねと、あんな学校ほんまにしんどかったねと皆で喜びあった。


私は少し反抗的なとこがある生徒だったので、御多分にもれず、ほんまセイセイしたと、その後の大学生活を謳歌した。自由はほんとに嬉しかった。
でも、ほとんど勉強しなくなった。



さて、

現在の私を省みて、

文学少女でも何でもなく、国語の能力が高かった訳でもなく(本当。成績もふるわなかった)それなのに、何でこんなにBlogを書き続けられるのか、、自分でなんでだろうと問うてみた。


高3の時、文系の大学を志望していた私は現代国語の時間に、、タイマーでカチカチ計られて毎度毎度小論文を書かされていた。私は、感動もクソもないのに、強制的に書かされる、その事が苦痛で苦痛で、いつも怒っていた。その先生のことを、はっきり言うと、憎むぐらい・ほんとにいつも怒っていた。


でも、今、こうして、Blogに文章を書くことができるのは、あの時鍛えられたからかな???と、ふと思った。


英会話に関して、私はとてもいい加減で、ルー大柴さんみたいな感じ。恥ずかしいのだが(ルー大柴さんごめんなさい)、、、それでも、そんな適当な私でも、どうにか一人で出かけたり、英語でかろうじてやり取りが出来たりするのは、、たぶんあの学校で地獄のTEST責めにあって、最低限の基本的な事を叩き込まれたおかげだと思う。



私は、こんなとしになって感じました。

あの当時の私には、その学校は厳しくてとても苦痛だったけど、、あんなに厳しくされなかったら、たぶん今の私に残っているモノは違うだろうと感じました。

もう、先生方も既に退職なさっているけれど、ホントは、あの当時の国語のみゆき先生と、英語のトオルちゃんに、ホントにありがとうございましたっていつの日か伝えたかったのです。


でも、たぶん、私は同窓会には行かないので、

この場を借りて、あの先生がたに、お礼を伝えたいと思いました。




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先生ありがとう。



ほんとうに感謝しています。