名著のすゝめ

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自作の創作公開「桜 川」



          第 一 回 目



                「 桜 川 」
                                    昭和53年11月
                             葉月 二十八 著




 ―― 殺してしまわなくては、無理にでも…。



 朝方からどんよりとした曇り空であったが、土浦駅に着いた五時過ぎには、もう既に夜の気配が

辺りを領していた。十月に入ったばかりだし、九月の末まで厳しい残暑が何度かぶり返していて、

まだ完全には、人も自然も秋の雰囲気に馴染みきれない昨日迄であった。その中途半端な気持ちを

きっぱりと振り切り、はっきり こう と動かしがたい事実を、今日の曇天は指し示そうと意志し

ているかの如くであった。


 露子はいつものように、駅前広場の一隅で、ひっそりと、和巳が来るのを待っていた。― 薄い

ピンクのカーディガンを羽織った上半身と、蒼白い顔が、夕闇の中でそこだけが朧ろに、浮かび出

ているように感じられる。和巳の胸の動悸が、一瞬大きく轟いた様に、思われた。


 二人は当初の予定を変更して、駅前の通りを直ぐに左に折れ、花火競技会が行われる場所よりず

っと下流の、桜川の畔に出た。


 肌寒い程の冷気を含んだ川風が、人気のほとんどない土手の上をそぞろ歩く二人を包み、その儘

また摺り抜けて行く。和巳の直ぐ横を、半歩遅れる様について来た露子が、静かに彼の手を取っ

て、寄り添うように身を寄せてきた。露子の身体の温もりが、和巳の硬直した心に、抗いようのな

い力強さで浸透して来る。ついに和巳は、息苦しさに耐え切れなくなり、足を止め、露子の顔を見

た。―濡れたような光沢のある瞳が、例の寂しさを湛えながら、和巳の双眸をためらうように、ま

た、探るように窺っている。和巳はその視線に篭められた不審の表情を打ち消す事が目的かの如く

に、乱暴に露子を抱擁し、唇を押し重ねた。―― その時、打ち上げ花火の音が遠くで起こった。

何者かに弾かれた様に、和巳は露子から離れ、花火に眼を遣った。二発、三発と、連続して夜空に

大輪の華が開いている。と、夜空を鮮烈に彩り、そして一瞬にして散り去っていく、火の華が、和

巳の胸底に蠢めいている、或るドス黒い情念に飛火した…、おぞましい殺意の戦慄が、和巳の全身

を突き抜け、スパークした。


 “ お前は、やはりこの女を、殺さなければ、ならない!! ” ― 彼が聞くことを厭い、避

け続けてきた凶々しい声が、耳元で今、言い含めるように、また、諭すように、囁く。駄々っ子が

「嫌だ、嫌だ」をする時のように、和巳は懸命に首を竦め、両肩を萎めながら、頭を強く振った。

ダメだ、ダメだ、俺にはとても人殺しは出来ない、仮にも一時は心から愛し、心底心を許すことが

出来た相手を殺すなんて、そんな事は、俺にはできっこない。確かに、正直言って現在の俺には、

露子が邪魔になっている事実は、認めないわけにはいかない。だが、だからと言って、何も殺す程

のことはないではないか…、こうして、たった今も、この俺を信じ切って、身も心も捧げ尽くして

呉れているいじらしい恋人を―。


 しかし、正にその事実こそが、この女が何物をも省みずに、唯只管、ひたむきに打ち込んで来

る、その一途さが、心変わりした現在では重荷でもあり、煩わしく感じられて仕方のない、当の原

因なのではないか…。何もかも忘れて、甘美な恋の想いに溺れていた最中には、無性に嬉しくて、

それこそ天にも昇らんばかりの夢心地に誘ってくれた、露子の真剣な、いわば命懸けの恋情が、そ

の同じ女の変わらぬ真情こそが、今の自分に殺したいほどの烈しい憎悪を、掻き立てさせているの

だ。


 「こうして、遠くから見物する花火も、悪くはないものね……」


 間断なく打ち上げられる花火を、目で追いながら、露子が鼻に掛かった様な甘え声で言った。最

初の予定では、駅前からタクシーを拾い、市の外れで行われる花火大会の会場近くに行く筈だった

のが、和巳の突然で、一方的な言葉によって、この人気のない寂しい川下での花火見物に、変更に

なったのだ。だから、今の言葉に含まれた、そのことに対する露子の婉曲な迎合の感情が、普段よ

り病的に鋭敏になっている和巳の感受性を、強く刺激した。何故、露子は殊更に、俺に媚びる様な

言動をとるのか…?俺の心の変化を、愛する者の直感が、無意識の裡に察知したのであろうか。そ

う考えたとき、和巳の心臓はまた鼓動を速め、額に脂汗が浮き出るのが意識された。ここへ来る上

野からの電車の中で考えた、様々な想念がまるでフラッシュの映像の如くに点滅し、和巳の心理的

な焦りを、一層煽り立てる…、―― 和巳は今、露子に対して何か優しい言葉を、口にしなければ

ならない。口腔内が異常に乾燥して感じられ、喉がカラカラに乾いている。無理やり発した言葉

が、自分のものとも思われないのに、露子は実に嬉しげに、頬笑みを返している。その瞬間に、和

巳の胸元から、ムラムラと毒蛇の様な殺意が、鎌首を擡げて……



自作の創作公開「殉 愛」



         第 十四 回 目




 そんな僕がこう言うのも何か可笑しなものだけれど、橋爪は君、あれで我々には真似のできない

ような、またと無く素晴らしい人生を、一気呵成に生き抜いたのではあるまいか。僕は何故か、そ

んな気がして仕方がないのだ。あんな凄惨な奴の最後の姿を見た今でもさ。酔っ払った一時の感傷

で言うのではないのだぜ。あの銀座の街上で幸福感に満ち溢れ、生き生きとしていた橋爪の姿が、

実に後味のよい清涼感を伴った印象を、僕の心に落としていったのだから。あの夜、梅雨明けのせ

いか、珍しく澄んだ東京の空を横切って消え去った、流れ星のように…。


 橋爪の死因については、自殺説、他殺説いずれもが決め手を欠き、警察でも慎重な態度で、なお

訊き込み調査などを続けているらしいけれど、僕には以上話した事以外には、客観的な証拠となる

ような事実は、何ひとつ知ってはいない。むしろ、橋爪の変死事件の詳細な記事を、週刊誌に発表

した君の方が、僕などより遥かに冷静で、正確な事件の真相解明者だって気がする。だから、これ

はほんの蛇足、へぼテレビライターの個人的な、詰らない感想だと思って聞いて貰いたいのだけ

ど、僕には奴の血の気の失せた蒼い顔が、この上もない幸福に輝き、さながらこの世の物ならぬ歓

喜の表情を浮かべていた、ように見えて仕方なかった。それこそ、寝床の敷かれた六畳間から百号

以上という例の大作の置かれた板の間にかけて、一面の血の海という目も当てられない修羅場の惨

状と言い、自分の作品の上に折り重なるように倒れていた死体の、引き攣った如く断末魔の激しい

痙攣の様を呈している手足の形状と言い、誰だって強烈な苦悶の表情と見て取るに違いない。


 それから次には、制作者の鮮血を一杯に浴びて、見るも無残な姿をとどめていた、未完の傑作に

注目したい。確かに僕たちが眼にした橋爪の大作には、中心になる女性像の顔の部分が、仕上がっ

てはいなかった。いや、一旦は描き上げた様子だが、やはり満足が行かなかったのであろうか、ヘ

ラか何かで削り取ったように消されていた。僕はそれが妙だと思うのだ。橋爪は確信のある口調

で、近々に「傑作が完成する」と僕に言った。その声が今でも耳元に残っているくらいだ。僕は間

違いなく橋爪はあの大作を、自分の意図通りに、完璧に描き終えたのだと思う。僕はその点では、

橋爪の芸術家としての、純粋な良心と自信とを、信じきっている。その橋爪が、精魂傾けてやっと

の思いで完成させた己の傑作を、疵物にするだろうか?


 あの女性像の、顔の部分の抹消のされ方が、乱暴などという生易しい形容を許さない、実に凄ま

じい迫力を僕に感じさせたのさ。君はそれを僕の気のせいだと言うのだね、あるいはそうかもしれ

ない。僕は最初にも断ったように、自分の臆見を君に押し付けるつもりは毛頭ないのだから。ただ、

その消えた顔の傷跡を気詰めている裡に、その荒々しい暴力にも似た怨念の疵痕から、ゆらゆらと

立ち上ってくる不可思議な情感が、僕の悲痛な気持ちを微かに和ませて呉れるような気がした。そ

の瞬間に、僕は理由もなく、橋爪の一途な愛が成就したことを確信させられた。橋爪はその短い一

生を、愛の為に生き、愛の為に死んだことを、妬ましく、信じ込んでいたのさ。成る程、この世

に現実には存在しない、幽霊のような相手とだったら、現代でも純粋なメロドラマが成立すること

を知って、頷いたわけだ。


 我々にとっての愛とか恋とかは、要するにあの使い慣れたラブホテルという言葉の、ラブに代表

される意味の、極めて実用的な、そしてまた、現代的であるが故に合理的な範囲に、すっかり限定

されてしまっている感じだけど……。人間の欲望には、生活の便利さとか、計算ずくの合理性だけ

では到底割り切れない、化け物のような得体の知れない魔性の物が潜んでいる。などと、そんな今

更めいた感慨が、橋爪の突然の死によるショックで、ここの所僕の胸底に蟠っていたわけさ。と言

っても、僕の生活が明日からどう変わるという、性質のものでもないだろうがね、賢明なる君が、

既に推察している通りにだ、あはははは。いや、これはとんだ長話で失敬してしまった。それじゃ

また。いつかの美人のタレントさんに宜しく。機会があったら、僕に紹介して呉れないか。いや、

決して君に迷惑を掛けるようなことは、ないからさ。それじゃあ、お休み
                                            


                        《  完  》

自作の創作公開「殉 愛」



         第 十三 回 目





  今にして思えば、橋爪の奇妙な打ち明け話しを聴き終えた僕の方も、奴の放射していた怪しい

狂気のような情熱の発散に、大分感染していたのだね。橋爪が見詰めていたと言う水彩画の女が、

人知れず幽霊の如くに抜け出して、深夜のクラブでピアノを弾き、橋爪の部屋に電話する様子が、

何だかこう、一瞬目の前に彷彿と浮かぶ様な気がして、背筋がゾクッとしたのを覚えているくらい

だから…。勿論、今時は子供だって怪談噺や幽霊の存在など、本気じゃあ信じない程だし、まして

大の大人の僕が……。まあ、そんな事はどうでもいい、話が大分長くなってしまったので、この辺

で端折らないことには、それこそ夜が明けてしまうだろう。


 もっとも、話を端折ると言っても、話は既に終わったようなものなのだがね。その後、生きてい

る橋爪に会ったのはたった一度きり、それも宵の銀座で、通りすがりに一二分立ち話をしただけな

のだから。そりゃあ、いくら薄情な僕だって、心配だったから、その後二度三度は電話してみた

さ。しかしいつも仕事にでも出ているのか、留守のようだった。でも梅雨明けの清々しい七月の夕

方、久しぶりで妻と一緒に、買い物かたがた食事でもしようと、銀ぶらを楽しんでいると、思いの

ほかに元気そうな橋爪に出食わしたのさ。どこかのお店で買ったばかりらしい包装紙にくるまれた

小さな箱のような品物を、大事そうに持っている。余りにも前回の時と様子が違っているので、こ

っちが面食らってしまった程でね。女房を、奴とは初対面だったので、ちょっと紹介した際にも、

何か浮き浮きしたような上機嫌さで、うちの奴に挨拶を返すのさ。何だか薄気味が悪いくらいだっ

た。うちの奴は初めて会ったのだから、何とも感じなかったのか、後で「感じのいい方ね」なんて

言ってたっけが。いつも僕が橋爪のことを、陰気だの、変人だのと噂していたから、彼女とすれば

それに対する、反対の感想を表明したわけなのだろうね。


 その後どうしているのだ、随分心配していたのだぞって、言うと、ニヤニヤしながら、もう大丈

夫だ。心配かけて済まなかった。最近は体調も上々だし、絵の方も近々に傑作が完成するだろう。

そしたら待望の個展を開くから、その節には是非、奥さん共々見に来て呉れ給え。なんて、そんな

風のことを、抜け抜けと言うじゃないか。こっちは開いた口が暫くは塞がらない心持ちさ。すっか

り、奴さんの毒気に当てられた恰好でね。


 それでも内心は嬉しくて、あいつが自分で宣伝する程の大傑作でなくても、ともかく凝り性の奴

が、自分で満足できる大作が完成する日が、愈々間近になったことを知って、一日も早くその絵を

見たい気がしたものさ。同時に、こいつことによると恋をしているな。恐らく、生まれて初めての

経験に違いない本物の恋が、橋爪を生まれ変わらせ、そしてまた宿願の絵を完成させる原動力にな

っているのだ。そんな気が僕の心の底に、半分生まれかけていた。しかし、その先を考える事が、

僕には何だか恐ろしいようで、憚られた。橋爪が恋をしているとして、その相手は一体どんな女性

なのか?僕がその時、その問題をもう少し正面から、まともに考えていたら、あるいは今度の奴の

不幸な死を、防ぐことが可能だったかも知れない。算盤高い、ドライな現代っ子ライターと呼ばれ

ている僕でも、人情や友情の水っぽい要素を、全然持ち合わせていない訣じゃないので、それくら

いの良心の呵責は感じないこともない。でも逆に、友人の名に値しない高校同級生の僕に、橋爪の

為になる何が、一体してやれたのか。そんな力や資格が僕にあるのか。そんな反省も一方では頭を

擡げてくる。結局、僕と橋爪は最初から別々のレールの上を辿っていたので、橋爪の生き方が僕に

影響を持たなかったように、所詮は傍観者にしか過ぎない僕の中途半端な忠告や助言は、橋爪の、

謂わば 命懸けの直向きさの前には、ほとんど為すところを知らないほど、無力だったに相違な

い。

そんな僕がこう言うのも何か可笑しなものだけれど、橋爪は君、あれで我々には真似のできないよ

うな、またと無く素晴らしい人生を、一気呵成に生き抜いたのではあるまいか。僕は何故か、そん

な気がして仕方がないのだ。あんな凄惨な奴の最後の姿を見た今でもさ。酔っ払った一時の感傷で

言うのではないのだぜ。あの銀座の街上で幸福感に満ち溢れ、生き生きとしていた橋爪の姿が、実

に後味のよい清涼感を伴った印象を、僕の心に落としていったのだから。

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