また久しぶりに近況をメモしたいと思います。
ここのところ親子関係もいい感じが続いていました。
でも数日前、私の中で、い感じだった親子関係の時には「見ないようにしてた何か」に気づき暴れだしました。
それは母親からの愛情でした。
感情をぶつけながら自分の気持ちを整理している中で、私がいかに母親の「温かい眼差し」や「愛おしいという感情」や「わが子(私)への心配り」を渇望していたのかを、改めて再確認しました。
私の母はもしかしたら、祖母(母の実母)からも同じように「愛情」を向けられなかったのかもしれません。
でも、そこを考えると私の気持ちを無理やり折り合いをつけなきゃいけない方向に向かせてしまうので、あえてそこ抜きで書きます。
私は小さい頃から母親と祖母の顔色を見て生活してきました。
未だに親の顔色を窺う癖は抜けずに苦しい思いをかみしめています。
小さい頃、風邪をひいたり高熱を出すと、どこか嬉しい気持ちになっていました。
求めているものではなかったけど、母親が私に意識を向けてくれるからです。
それでも仕事があるから、祖母に怒られるからという理由で医者に連れて行くのも時間がもったいない!という感じでした。
小学校低学年の頃の高熱を出したある日、お医者さんに診てもらい、帰ってきて茶の間に寝かされました。急いで布団を敷いて私を寝かせると、顔も見ずに
「お母さん、畑に行ってくるからおとなしく寝てろよ」と言われました。
なんとも言えない気持ちでいると「何か欲しいものあるか?」と聞かれました。
その時の感情は鮮明に覚えています。
聞いてくれて嬉しかったんです。でも、ここで甘えて何か欲しいと答えたら母はどうするのだろう?急いでいるし機嫌も良くなさそうだし…でも甘えたい…
そんな葛藤してたのを思い出します。
私は「みかんが食べたい」といいました。その時の母の表情を見て、言ったことを後悔しました。
胸が締め付けられるようでした。
母は嫌そうな顔で私を振り返りました。そしてみかんを持ってきてくれ、皮のまま近くのテーブルへ置いて
「じゃあ畑行ってくるから」と、出て行ってしまいました。
みかんを食べたか食べなかったかの記憶はありませんが、悲しい気持ちになったのははっきり覚えています。
こんな母に、ずっと求めていたものを、諦めようとしたりもしたけど、やはり欲しいんだなーと・・・再認識。
それから、私を産んだとき、母が医療ミスであわない薬を注射されて大変な状態だったために、私は新生児室にずーっと預けられていたそうです。父も祖母も祖父も母につきっきりで、抱っこは色んな看護婦さんだったらしいです。
私はまだ母親になっていないので詳しいことはわかりませんが、子供は生まれてすぐ~数か月は母親に抱かれ母親におっぱいをもらったり母親のにおいに包まれていることで「安心感」を得るらしいのです。
初めてお腹の中から出てきて「安心感」を感じる大事な大事な時期なのだそうです。
その時期が私には欠けていたので、いつも不安で不安で仕方ないっていうのも、そこが根本的な部分なのかもしれないねと、カウンセラーさんに言われたことがあります。
それから行動療法(母親と寝る前にハグをしたり・・・)をしたり、私なりに母親の愛情を感じたくて安心したくて確認行為をやめられずにいたりしました。
だけど、母にしてみたら「私なりに愛情をかけてるつもり」「だけど、いつもYukiを怒らせるようなことをしてしまう」という悪循環でした。
今回はこういう私にとって、本当に必要な渇望してやまなかった感情について、母親に知ってもらう機会になったと思います。
父親は母とはまた違って「理解しようとしていないことにも気付いてない」くらいのラインにいる人なので、ひどいこと言われたりしてますが明日のカウンセリングで先生に入ってもらって話し合いをするつもりです。
私に必要な時にグッドタイミングで色んな事がやってきてくれます。
有難いなあと感謝の日々です。
また新たな一歩を踏み出せたことに感謝。