楽しくポジポジ♪

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摂食障害の克服を目的に日々のんびりと記録♪

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また久しぶりに近況をメモしたいと思います。


ここのところ親子関係もいい感じが続いていました。

でも数日前、私の中で、い感じだった親子関係の時には「見ないようにしてた何か」に気づき暴れだしました。


それは母親からの愛情でした。

感情をぶつけながら自分の気持ちを整理している中で、私がいかに母親の「温かい眼差し」や「愛おしいという感情」や「わが子(私)への心配り」を渇望していたのかを、改めて再確認しました。


私の母はもしかしたら、祖母(母の実母)からも同じように「愛情」を向けられなかったのかもしれません。

でも、そこを考えると私の気持ちを無理やり折り合いをつけなきゃいけない方向に向かせてしまうので、あえてそこ抜きで書きます。


私は小さい頃から母親と祖母の顔色を見て生活してきました。

未だに親の顔色を窺う癖は抜けずに苦しい思いをかみしめています。

小さい頃、風邪をひいたり高熱を出すと、どこか嬉しい気持ちになっていました。

求めているものではなかったけど、母親が私に意識を向けてくれるからです。

それでも仕事があるから、祖母に怒られるからという理由で医者に連れて行くのも時間がもったいない!という感じでした。

小学校低学年の頃の高熱を出したある日、お医者さんに診てもらい、帰ってきて茶の間に寝かされました。急いで布団を敷いて私を寝かせると、顔も見ずに

「お母さん、畑に行ってくるからおとなしく寝てろよ」と言われました。

なんとも言えない気持ちでいると「何か欲しいものあるか?」と聞かれました。

その時の感情は鮮明に覚えています。

聞いてくれて嬉しかったんです。でも、ここで甘えて何か欲しいと答えたら母はどうするのだろう?急いでいるし機嫌も良くなさそうだし…でも甘えたい…

そんな葛藤してたのを思い出します。

私は「みかんが食べたい」といいました。その時の母の表情を見て、言ったことを後悔しました。

胸が締め付けられるようでした。

母は嫌そうな顔で私を振り返りました。そしてみかんを持ってきてくれ、皮のまま近くのテーブルへ置いて

「じゃあ畑行ってくるから」と、出て行ってしまいました。

みかんを食べたか食べなかったかの記憶はありませんが、悲しい気持ちになったのははっきり覚えています。


こんな母に、ずっと求めていたものを、諦めようとしたりもしたけど、やはり欲しいんだなーと・・・再認識。


それから、私を産んだとき、母が医療ミスであわない薬を注射されて大変な状態だったために、私は新生児室にずーっと預けられていたそうです。父も祖母も祖父も母につきっきりで、抱っこは色んな看護婦さんだったらしいです。

私はまだ母親になっていないので詳しいことはわかりませんが、子供は生まれてすぐ~数か月は母親に抱かれ母親におっぱいをもらったり母親のにおいに包まれていることで「安心感」を得るらしいのです。

初めてお腹の中から出てきて「安心感」を感じる大事な大事な時期なのだそうです。

その時期が私には欠けていたので、いつも不安で不安で仕方ないっていうのも、そこが根本的な部分なのかもしれないねと、カウンセラーさんに言われたことがあります。

それから行動療法(母親と寝る前にハグをしたり・・・)をしたり、私なりに母親の愛情を感じたくて安心したくて確認行為をやめられずにいたりしました。


だけど、母にしてみたら「私なりに愛情をかけてるつもり」「だけど、いつもYukiを怒らせるようなことをしてしまう」という悪循環でした。


今回はこういう私にとって、本当に必要な渇望してやまなかった感情について、母親に知ってもらう機会になったと思います。

父親は母とはまた違って「理解しようとしていないことにも気付いてない」くらいのラインにいる人なので、ひどいこと言われたりしてますが明日のカウンセリングで先生に入ってもらって話し合いをするつもりです。


私に必要な時にグッドタイミングで色んな事がやってきてくれます。

有難いなあと感謝の日々です。


また新たな一歩を踏み出せたことに感謝。

体の変化。


体型の変化ではありませんよ。

(体型の変化はまだ受け入れきれずクヨクヨする日が多いです。)


拒食の時、過食嘔吐をしていた時、下剤乱用していた時、過食嘔吐がぐんと減っても偏食していた時。。。

便秘なのが当たり前でした。


今、ほぼ偏食もなく、お米もパンも美味しく頂けるようになりました。

3食食べて、食べたい時に間食もして・・・普通の食生活ができてると思います。

やっぱり私は食べることが大好きなんだな~って、美味しいものを食べてるとき、すごく幸せな気持ちになります。(たまに不安になることも、今はまだあります)


そんな今・・・

「すごく喉がかわいてるぞ。これはお通じ前ののどの渇き方だな」

とか

「そんなのお腹すいてないのに食べたい頭になってる・・・たぶんこれはお通じ関係の、脳からの指令だ」

とか

感じる・・・というか、分かるようになってきました(笑)


体が教えてくれる感覚。

自分の体を愛おしくなる瞬間です(^-^)



これからの変化も楽しみ!



明日は早いので、ここで終わりにします。


おやすみなさ~い(^-^)/眠い~♪

こんばんわ。


今日は、ここ最近に気がついた心の変化と体の変化についてメモします。


まずは心の変化について。。。

両親との関係・・・やっぱり根深いもので、私の中に溜まりに溜まった「怒り」は、そう簡単になくなってはくれません。

母に対して、父に対して・・・それぞれ思うことが少なからずあります。デリカシーのない言動だったり、やめてって何度も言い続けてることを平気で繰り返したり・・・私の「お母さん」でいて欲しいのに「子供か!」とツッコミたくなるような言動だったり。。。

そういうことに私は怒り悲しみます。そしてそれを言葉で伝えます。

しかし、言葉でいくら伝えても、相手(母・父)の心が深く掘れていないから、伝わらないようです。


母も父もその場では「ごめんね」と言ってくれますが、数時間後~後日にはまた、同じような内容を繰り返す・・・そんな毎日なのです。虚しく悲しくなります。

何年もこんな繰り返しだった為に、母の言葉も父の言葉も「信じたくても信じられない」心(頭?)になっています。

これは私にとってすごく悲しいことです。

素直に信じられたら気持がいいんだろうな・・・。


母の生い立ちを考えると、母の心が深く掘れていないのは仕方のないことなのです。

が・・・どうしても私の心は納得してくれないみたいです。

母に分かってもらえなかったり、毎日繰り返してるやり取りをする度に、私の心は「また繰り返される前提」で反応してしまいます。

これって本当に悪循環・・・。わかってるんだけど・・・難しい。。。


母を変えるのはとっても難しいことだから、私が変わるしかない・・・。そう言い聞かせてずーっとやってきています。

「母は深く考えること」等、心に欠落しているところが結構あるそうです。

カウンセリングの先生に助けていただきながら、ここを今すこしづつ納得しかけているところです。


これが最近気づいた心の変化のポイントです。

「謝っても、本当は分かってないんでしょ?!ただ、今この場をやり過ごすために、ただ言葉として謝罪を口にしてるだけなんでしょ?!」「そしてまた繰り返すんだから!」

そう思うことは(無意識に心がそう感じている)変わりないのです。

でもこの後、私のほうが「切り替え」をして話題を変えたり、いつまでも怒りっぱなしじゃなく(コトによっては怒り続けることもしばしばですが・・・)数時間後~次の日にはまた笑顔で話が出来たり・・・になりました。


前と比べると「楽だな~」って感じています。

怒るって、すっごくエネルギー使うんですよね。(私の場合は大きな声で怒鳴るからなおさら・・・(-ー;))

そうそう・・!この間、気絶しまして・・・原因は自律神経の乱れからくる低血圧でした。ストレスだそうです。


心と体はつながってるんだな~と、またも自分の体で痛い目見て再認識いたしました(苦笑)



つづく。