あれから…

2013年1月、救急車で運ばれ突然の卵巣がんの手術、抗がん剤治療7クール、両側乳がんの手術、放射線50回、そしてまだ珍しかった遺伝子検査をして陽性でしたの怒涛の1年間

気持ちも沈んで沈んで沈んで…宗教にでもすがりつきたいってこんな時なんだなぁと

何度もマーカーの数値は上がったり下がったり上がったりビビったり…結局再発はしませんでしたけど

でも気づけばもう2024年、もう丸10年以上経ってるんですね

婦人科の先生も乳腺外科の先生も名残惜しそうでしたが、こちらで決断して完全に病院を卒業しました

乳がんのホルモン治療薬も飲んでません

骨粗鬆症ですがその薬も止めました

今は膝が痛くて腰も痛い、朝起きると身体がバキバキの少し不具合があるくらいの普通のおばさんです


そしてガーデニングに目覚めた!

植物に魅せられて庭はいつの間にか野菜畑から花壇に

野菜はプロにお任せ、でもフルーツはたくさん育ててて、特に南国フルーツが大好き

パッションフルーツ、パイナップル、グァバ、ドラゴンフルーツ、マンゴー、コーヒー、失敗もたくさん、でもまだまだ育てたいものもたくさん!

他にはさくらんぼ、ブルーベリー、ラズベリー、ボイソンベリー、みかん、巨峰にシャインマスカット、すっごく狭い庭ですけどね


花は月下美人のよう、赤実ドラゴンフルーツ


同じ株で年2回、毎年実をつけてくれるパッションフルーツ


冬は室内で日光浴のコーヒーの実、自家焙煎して頂きます


バラが終わって今の時期はボイソンベリーが沢山


種とも言えないような粉みたいな物体からたくさんの花が咲いて実がなって、根っこからでも、葉っぱからでも、茎を挿してもまた根がでて芽がでて同じ花を咲かせて復活できる

人間もこんな風に悪いところは切って、何かの液に浸けておいたら新しく再生できたらいいのに

なんて思いながらどんどん植物の生命の力強さに魅了されていきました


ポピーアメージンググレイ、種は驚くほど細かい、一株がこんなに!


春はバラがメイン

道行く人に一番名前を聞かれるレイニーブルー


小輪だけど爆咲きするザ・フェアリー


夕暮れ時のアントニオガウディ


病気になりたてはバラとか果樹は値段も高いし手がだせなくて、だって自分の先さえ見えないのに花とか実とか完成形を見られるのか?

でも育ててみると、特に種をまいたら毎日観察したいし発芽したら本葉が見たい、成長したら花が見たい、実らせたい、種をとりたい、来年はもっと綺麗に咲かせたい

どんどんワクワクして夢中で明日が楽しみな、そんな一日一日を積み重ねてきました


周りにも突っ込まれた話をしたくなかったので病気だと話すこともなく、患者会にも縁がなく…

卵巣がんの会だと乳がんも現在形で患ってるし、乳がんの会だと卵巣がんも現在形で患ってるし、どっちの会に顔を出しても一番の悩みの遺伝性のがんについては語りづらいし、参加しても自分が消化不良で終わると思って

思春期の子供がいたので、遺伝性がんにまつわる悩みは遺伝子カウンセラーと夫、実家族以外、誰にも話すこともなく、色々警戒していましたが今は違うのかな?

当時はHBOCのことを他人に大っぴらに語る感じではなかったから、ひっそりと10年を生きてきました

そしてそれはまだ未解決、成人した子供らには話せてないですね、悩みます


さて、私の病気の話はもうおしまい

せっかくなので私の病気の記録を書いた過去のブログを数日くらい公開して、病気のブログは葬りさろうと思います←葬り去りました6/28


追記…復元しようとしたら記事の中身が消えているものもあったり、どうでもいい花の話が後半は増えてくるので病気の話を中心に公開しました、昔のブログをチラリと読みましたが恥ずかしいですね、でも頑張っていてかわいい


何か特別なことをしての10年ではありませんが、私のストーリーをよかったらのぞいてみてください

ブログ内で交流のあった数少ない方々ありがとうございました

また治療中の方、治療を終えた方、このブログを読まれている方には様々なシーンがあると思います

どんな時もいつか良い方向に導きがありますよう願っています


最後に

昔はよく中島みゆきさんの時代を聴きながら涙を流して散歩してました、涙活すっきりしますね

今はこの曲でしょうか

死はいつか訪れることなのかもしれないけど、温かく優しく力強く応援して見守ってくれる感じが大好きです、泣きます(貼れる動画がこれしかなくて残念)

大好きな歌を添えて