yuma-story☆急性骨髄性白血病のこと

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2010.4 急性骨髄性白血病.約2年の治療・自宅療養.
明けない夜はない!
一歩ずつ,半歩ずつ歩いていこうと思います.
→2019.4拡張型心筋症で入院.今は自宅療養中.これからどうなるの?

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こんにちは。

雨が降って寒かったり、お天気が良くて暑かったり、体調を崩しやすいので気をつけなければ。

 

前回は入院するまでの経過をざっと書きました。

今回は緊急入院した日のことを少し。

 

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まず、いつも通っていた大学病院の血液内科を受診しました。

主治医にクリニックの先生が書いてくれた手紙を見せたら、一気に顔が引きつったのを覚えています。

いつも冷静で飄々としている先生なので、その慌てた様子が印象的でした。

 

この感じ、思い出した。

前にもあった。

白血病と診断された時の感じ。

 

でも、この時点では入院するなんて思っていませんでした。

そして、循環器内科を受診できるように手配してくれました。

「あなたは大丈夫。」と送り出してくれました。

循環器内科の先生は物腰柔らかで、安心できる感じ。

いろいろな検査をしたと思います。(もう前の話なので忘れてしまいました…)

で、「緊急入院」。

 

え?本当に?
いやいや、そんなことある?

普通に過ごしてきたし、脈が速いくらいだし。

そんなに悪いの?

 

内服薬もらって、定期的に循環器内科を受診するぐらいに考えてたので、まさかの展開でした。

有無を言わせない様子なので、これは本当なんだ…と感じました。

 

しかし、緊急入院ですよね?

当時一人暮らしで、家族は飛行機じゃないと来れない。

入院の準備はどうするの?

ゴミ溜まってるよ?

昨日作ったビーフシチュー、ほとんど食べてないよ?

 

いろんなことが頭を駆け巡り、

「一回家に帰らせて欲しい!」と懇願。

物腰柔らかな先生の眉間にシワが・・・。

「往復タクシーで行くから!」

「30分で戻ってくるから!」

ありとあらゆることを伝えて、やっと許可してくれました。

 

徒歩10分ぐらいの距離をタクシーで帰り、

思いつく限りの入院グッズをかき集め、

冷蔵庫のものをとりあえず冷凍庫に入れ、

家族に電話し、

何とか終了。

タクシーを待っていたら、病院から電話。

看護師さんが「大丈夫ですか?」と。

わざわざ電話しなくても…と思ったけど、そんなに悪い状態だったのね…。

病院に到着したら、玄関まで看護師さんが車椅子で迎えに来てくれてました。

え?車椅子?

「いや、私歩けますよ」って思ったけど、大人しく従いました。

そして、病棟に入院することになりました。

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結構細かいところまで覚えましたね~

というか、思い出しました。

 

緊急入院直後からの様子はまた今度。

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

前回投稿してからもう5か月以上…。

こちらは、もうそろそろ梅雨入りしそうで、雨が続いています。

雨だとなんとなくだるいし、眠い。

 

このブログを再開してから、白血病のことを振り返ってみました。

ここからは、拡張型心筋症のことを書いていこうと思います。

 

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骨髄移植後、薬剤性の心不全になり、1か月入院したことがありましたが、それ以降症状は全くなく過ごしていました。

 

ある日、脈が速いことに気づき測定してみると100以上。ストレスのせい⁈

他の症状は、疲れが抜けないことくらい。

イライラしてないときもずっと脈が速く、これはおかしいと感じて近所のクリニックを受診。

「大きな病院を受診せよ」と言われ、利尿剤だけ処方される。

びっくりするほどの尿が・・・。

白血病のこともあるので、かかりつけの大学病院を受診。

「緊急入院が必要」

しぶしぶ入院。

 

流れはこんな感じ。だいぶ端折りました。

この行間にはいろいろありましたが、また書きます。

 

内服薬でどうにかなると思っていたので、まさか入院することになるなんて思ってもみませんでした。

脈が速いのは、半年くらい劇的に忙しかったのと、人間関係の悩みもあったので、それが原因と思い込んでいたけど、

そんなレベルの話じゃなかった~

 

すぐに退院できるよね?

長くて1か月くらいだよね?

 

こんな思いなんて吹き飛ばされ、奈落の底へ。

白血病に続く2回目の緊急入院はダメージが強かった。

 

つづきはまた今度。

私自身が忘れないように、アメンバー限定記事に書いていたことを再掲。


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2010年4月●日、忘れられない日となりました。


朝、重い体を何とか起こし、研修へ。


同僚は、帰ったほうがいいと思うと言ってくれましたが、そんなこともできず。

本当に体調が悪く・・・。

ご迷惑をおかけするのは気が引けたけれど、自分の担当の研修以外はお休みさせてもらいたいと上司に伝えました。


部屋はまだ準備ができないということで、医務室のベットで休むことになりました。


体は限界をむかえていたのでしょうか。

こんなところでは眠れないだろうと思ったけれど、結局2時間くらい眠りました。


お昼御飯を食べに食堂へ向かっていたところ、1番上の上司から『病院受診しなさい!』と連絡が入りました。

すでに、直属の上司にも連絡が入っていました。

そして、受診の手配もされていました。


その時、体のしんどさより、配慮して下さった方に対し、申し訳なく感じていました。

この後、なんとお詫びをしたらよいのか。

一番下っ端の私がご迷惑をかけてしまった・・・。

社会人なのに、健康管理ができていないなんて…。

反省しきりでした。


『何ともなければ、それでいい。しっかり検査してもらったほうがいい』と声をかけて下さいました。

後にも引けず、ここ数週間の体調のことを思い、受診することにしました。


病院に到着し、診察してもらい採血することに。

採血の結果がなかなか出てこない・・・。


待っている間、あまりに体がだるかったので、家まで帰る自信もないなぁと思っていました。

「もしかしたら、本当に入院することになるかも?」と不安が脳裏をよぎりました。


やっと名前を呼ばれ、診察室へ。

医師は開口一番に「白血球が60000です。血液内科を受診してもらうように手配しましたから。すぐ呼ばれます」と。

1ケタ間違えてる?誰かの検体と間違えてる?

全く信じられない。

血液内科を受診すると聞いても、頭がいっぱいいっぱいで何の病気かもわからない。


救急の処置室のような、カーテンで仕切られた処置ベットに案内される。

医師から「白血病が疑われます」と伝えられる。


「はっ?」です。

あの白血病?

まさか?

全く信じられず。

他人事のような気持ち。


あっという間に採血とルート確保をされ、マルクしました。

マルクの強い痛みで、何となく少し実感して、

痛みのせいなのか、白血病という事実になのか、泣きそうになりました。


しばらく安静が必要なため、その間に家族に連絡してくださいと言われ、お姉ちゃんに電話。

でも、姪っ子もいるし、これなかったら明日でいいよ。なんて言ってた。

そんなにタイヘンなことになってるなんて思ってないし。

あくまで「疑い」だし。


先生にお姉ちゃんは来れないって伝えると、まずいなぁ・・・って顔。

その様子を見て、ただ事じゃないって思った。


その様子は、病院で働いてたときにたくさん見てきた。

医師の真剣に話す様子。

告知する時の様子。

まずいなぁって顔は、その時の患者の状態。

それが、今の私。

やっぱり、まずいんだね。

血液の「がん」だもんね。

もう「疑い」っていうレベルじゃないって分かった。

私の体の中で、タイヘンなことが起こってるっていうことね。


結局、お姉ちゃんから「行けるよ」って連絡が入った。

その時すごく冷静に、パンツとか持ってきてってお願いしてた。


そして同僚に連絡を入れると、すぐに駆けつけてくれた。

顔を見ると涙があふれる。


X-PとCTを撮って病棟へ。

お姉ちゃんも到着し、医師からIC。

やはり、急性骨髄性白血病だと。

よくわからない。

涙があふれる。


IC後、同僚が待っていてくれて、少し話す。

「一緒に頑張りましょう!」と言って下さる。

本当にありがたい。


その日からケモ開始。

夜はほとんど眠れず。

いろいろ考えてしまって、涙があふれる。

でも、何を考えていいのか分からない。

どう感じているか分からない。

でも、いろいろ考えたい。

たくさん考えることがある。

眠剤で眠るより、起きていたほうが気が楽に思う。


こうして、2010年4月●日は過ぎて行きました。

本当に忘れることのない日。

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治療の途中に書いた記事。

その時のなんとも言えない感情のままに書いたことがよくわかる。

いきなり入院して、数時間後には治療が始まって、必死に理解しようと思っても、全く追いつかない。

苦しい日々の始まりでした。