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あれから4年――父はいまだ帰ってきません


わたしは松本智津夫の次女です。
2018年7月6日、父の死刑が執行されました。
1995年に父が逮捕され、面会室で再開したのは、9年後のことです。しかしこのころ父はすでに、壊れた人形のようになっていました。精神科医の先生によると、父は外的刺激に反応できない、昏迷状態にあったそうです。
 

父には聞きたいこと、話したいこと、たくさんありました。それが贅沢な望みであれば、一言だけでも話がしたい。名前だけでも呼んで欲しい。せめて治療だけでも受けさせてあげたいと、そう願っていました。
しかし、父は逝きました。
 

14歳で生き別れてから、一度も話ができないまま迎えた、永遠の別れ。
……お父さん、お父さん、お父さん!
喪失感は言葉に尽くせず、自分が空っぽになったかのように感じられました。
 

考えたくはなかったけれど、いずれ万が一のときが来るかもしれない。それさえ耐えれば、つらいことは終わる。あとはお父さんを迎えに行くだけだ。そう考え、おそれていた時がついに来てしまったのです。
 

雲が空を覆い尽くし、小雨が降る中、わたしは父を迎えるため東京拘置所に向かいました。
――あの日から4年以上の年月が流れました。しかし父はいまだ、東京拘置所から帰ってきていません。

赤ちゃんのときからお世話をしてくれたお父さん
 

母の育児記録によると、わたしの出産に際して、父はお湯を運ぶなど手伝いをしてくれたそうです。生後2ヶ月になると、父は首も据わっていないわたしを初めてお風呂にいれてくれました。
 

わたしが少し大きくなると、父は食べやすいようにおせんべいを割ってくれ、おもちゃの使い方を優しく教えてくれました。父には春の日差しを思わせる温もりがあり、一緒にいるだけで安心できるひとでした。


(子どもたちにおもちゃの使い方を教える父)
 

教祖にならずわたしたちだけのお父さんでいて欲しかった
 

親に連れられて教団施設へ引っ越し、父が教祖となったのは、わたしが7歳のときのことです。
 

父はわたしたちだけのお父さんではなくなり、オウム真理教の教祖となりました。まるで外国に移住したかのように環境や家族の形が変わり、幼かったわたしにはつらく感じられました。
道場沿いの田舎道で、車の音が聞こえれば「おじいちゃんとおばあちゃんが迎えに来たのかもしれない。お家に帰れるのかもしれない」と、そんな期待を込めて振り返っていたわたしも、あの家に帰ることは二度とないのだと、ゆっくりと理解していきました。
 

それでもわたしが父を大切に想い続けたのは、父が教祖となったあとも、父親としてわたしを愛してくれたからでしょう。
教祖となったあとは忙しくしていた父ですが、わたしが高熱を出して寝込んだときは、熱が下がるまで数日間添い寝をし、看病をしてくれました。ときどき本屋さんへ連れて行ってくれ、「好きな本を選んでいいぞ」と子どもたちが本を選ぶのを待っていてくれました。父との思い出は書き切れないほどにたくさんあります。
 

わたしは父が教祖となることを、望んだことはありません。悲しい事件など起こらないでほしかった。わたしたちだけのお父さんでいてくれたら、それ以上に望むものはありませんでした。
ましてや大切な父に、23年間に及ぶ拘禁生活や、あのような死に方を望むはずもありません。わたしは父にも、幸せでいてほしかったのです。

教団とは闘ってきたのになぜ……
 

わたしが教団から離れたのは、今から22年以上前、2000年のことです。当時わたしは未成年で、信頼のできる弁護士さんとの出会いがあり、多くの方のお支えがあったからこそできたことでした。
 

オウム真理教の後継団体とされる組織とは、訴訟で闘ってもまいりました。他にも妹弟が2人、教団と闘っています。これは訴訟記録も残る客観的な事実です。
しかし、なぜでしょうか。
 

父の死後、一番下の妹以外の家族は教団と関係があることにされ、父の遺骨を家族が引き取ることを許せば、それを「仏舎利」として利用し、売って資金源にし、あるいは聖地化して教勢を拡大するといった事実無根のことがいわれるようになりました。
わたしはそれを、鳥肌が立つ思いで見ていました。
 

父が逮捕された14歳のときから、わたしは23年ものあいだ、父を支えようと力を尽くしてまいりました。父に対する慕情や感謝がなければ、耐えきることはできなかったでしょう。それはまた、いつ訪れるかわからない父の死におびえ、心が削られていく日々でもあったのです。
 

その愛する父親の骨を切り売りし、商売の道具にするといわれたのです。その口にするもはばかられる非人間的発想を、一部のマスメディアは当事者であるわたしに確認することなく、無批判に報じました。
わたしは遺骨を家族に引き渡さないために、情報操作が行われたのだと感じています。

祭祀承継者に指定されて
 

わたしは父を政治的にも宗教的にも利用されることなく、静かに悼みたいと願ってきました。その思いは今も変わっていません。
細かい経緯は割愛させていただきますが、わたしは父を引き取り静かに悼むため、やむを得ず裁判所の判断を仰ぎました。
 

2020年9月、東京家庭裁判所は、
「祭祀は死者に対する慕情、愛情、感謝の気持ちといった心情により行われるものであるから, 被相続人(父のことです)と緊密な生活関係・親和関係にあって、被相続人に対し上記のような心情を最も強く持ち、他方、被相続人からみれば、同人が生存していたのであれば、おそらく指定したであろう者」として、わたしを祭祀承継者に指定してくださいました。
 

2021年3月、東京高等裁判所も家庭裁判所の判断を維持。このとき東京高裁はわたしについて、
「現在もオウム真理教やその後継団体と関係を有していることを裏付ける的確な資料はなく、相手方○○(わたしの名前です)が被相続人の遺骨・遺髪を取得した場合に、オウム真理教に帰依する者がその一部を確保する状況になる具体的なおそれがあることを認めるに足る資料もない」
と判断してくださっています。
同年7月、わたしを祭祀承継者とする家庭裁判所の判断は、最高裁で確定しました。事実に基づいて判断してくださった裁判所に、心から感謝申し上げます。
 

判断が確定するまでの、おそろしく不安な日々。裁判所に提出する陳述書や上申書を書くときは、こらえきれぬ涙とともに文字をつづりました。優しい記憶でさえ、父がこの世にもういないという喪失感とともに思い出され、いくども心が折れそうになりました。父の写真を見ることさえ悲しく、目を背けてしまうこともありました。
 

わたしが祭祀承継者に確定したときは、真摯に裁判所と向き合い、最後まであきらめなくてよかったと、心の底から思いました。やっと終わった。これでようやくお父さんに「お帰りなさい」と言ってあげられると、あのころのわたしは、愚かにもそう思っていたのです。

無視された司法判断
 

東京拘置所は父の遺骨等について、家族間で誰が引き取るか決まるまで、拘置所で預かる旨主張していました。
司法判断が出た以上、わたしは当然に、法務省が遺骨等の返還をするものだと思っていました。しかし国は、現在に至るまで返還を拒んでいます。
 

わたしは、この国には法治国家であって欲しい。法務省の偉い人や、一部の官僚の思惑で、何ら法的根拠もなく遺骨等の返還を拒むことが許されるなら、それは人の支配であり、法の支配ではありません。
国家が率先して法を無視し、どうして国民に法を守るよう求められるのでしょうか。

これ以上父を利用しないでください
 

国が父の遺骨を特別視し、司法判断を無視して遺骨を引き渡さないのは、父を松本智津夫という一個人として扱うのではなく、今後も「麻原彰晃」として利用するということです。
悪名は無名に勝るという言葉があるように、国家が「麻原彰晃」を特別扱いする姿勢を示し、その価値を維持し続ければ、オウム真理教の後継団体を勢いづけることにもなりかねません。
 

わたしは、国であれ、オウム真理教の後継団体であれ、政治的にも宗教的にも、これ以上父の遺骨を利用させたくありません。
もう父はわたしたちだけのお父さんであり、「教祖」ではありません。

父が帰ってきますように
 

わたしは国の不誠実な対応に振り回され、もてあそばれたと感じ、心身ともに疲弊し、日常生活を送ることさえままならなくなってしまいました。
国側の代理人は、裁判所でわたしが倒れる姿を見ています。国はわたしがどのような状態にあるかを、よくご存じのことと思います。
 

正直に申し上げると、国は松本智津夫の娘にはどんな要求をしてもいい。どれだけ苦しんでも、発作を起こして倒れても、たとえ自死に追い込もうとも、松本智津夫の娘だから問題にはならない。問題にならなければ何をしてもいい。と、そう考えているように感じています。
 

遺骨の引き渡し訴訟を提起すれば、わたしは再び訴訟の負担を負わねばなりません。国が司法判断を尊重さえすれば不要だった訴訟に、わたしの人生と命が削られるのです。
しかし、国に実質的に返還の意思がない以上、ほかに方法もありません。やむを得ず、裁判所に救済を求めさせていただくことにしました。

終わりに――静かに父を悼み弔わせてください
 

父が亡くなってからすでに4年以上の歳月が経ちました。大切な人を悼み弔うことは、その死を受け入れ新たな人生を歩むためにも必要なことであると、痛感しています。
わたしは国家に介入されることなく、娘として父を静かに悼み、弔いたいと切願しております。このささやかで切実な想いが一刻もはやく結実することを、願ってやみません。