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松本さんの絵  第126◎居酒屋、刺身、お銚子、煮物、蕎麦など日頃、たびたびお世話になる漢字から

 

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 図233      チューター とは  その2


 国際交流会館の日本語教室は、9月から新学期です。ここへ来ると空調がよく効いて快適です。たぶん喫茶店やレストランで過ごすと無駄な費用がかかります。チューターだけでなく、授業が休みの留学生とか、暇な外国人も一日いたほうが賢明ではないかとおもいます。そもそもここの教室は、

授業料がほとんどかかりません。そしていつ来てもOKです。その日のマッチングでレベルを分けて、それぞれに応じたチューターが担当します。

チューターとしては先週に担当した外国人が続いて出会える保証はありません。もし、よく教えてくれるチューターがいれば、その名前を覚えて、来週来たときに指定すれば、続けて会話できます。なかには熱心なひとがいて

文法の教科書にそって、教えてほしいという人もいます。でも日本語会話学校ではないので、そのあたりは授業料を払って学校を探す必要がありそうです。また外国の人が家にチューターを招待してくれて異国料理を作ってくれるような事もあるようです。

きょうは、フランスからきた人を受け持ちました。ひらがなと月火水木金土日の漢字は書けるそうです。ヨーロッパ、アメリカ圏の人が漢字を覚えるのはたぶん苦痛だと思います。漢字をイラストとしておおよその形を認識する方法でどうだろうかと、思うのです。当然、仕事として日本語を使う企業には勤まりませんが、日本での生活はやってゆけるかもしれません。

 このフランスの人は、一日一漢字を覚えたいそうです。そういう意志があれば、日本の小学校一年生の教科書から、覚えたらどうかと考えます。子供が覚えるなら、お母さん、お父さん、兄弟、姉、妹、朝、夜、早起き、遅刻、学校、友達、遊び、水泳から覚えた方が生活に関連していて納得しながら覚えられそうです。しかし子供ではなく、一般の大人が覚えるとしたら、興味のある漢字をひとつずつマスターしたほうが確実です。酒、飲む、酔う、居酒屋、刺身、お銚子、煮物、蕎麦など、日頃たびたびお世話になる漢字から覚えることを奨めます。そんなわけで来週の資料をつくるにあたり、おおよその枠は決めました。彼はアーティスト だそうです。歴史、美術、絵画に多大の興味があるので、そのあたりを中心に漢字を作っていきます。


本日は中国の若者(二人連れ)2、大学生1,飲食関係1,フランス1,ほか3





松本さんの絵  第125◎重たかった缶も、それとなく軽く、ゆすると、かさかさと乾いた音がします。


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図232        友達の親は、親同士も友達だった


  子供のころ、吉田君の家に遊びに行った。友達の父は絵描きさんで、風変わりな感じでした。戦後のモノがないときでしたが、油絵を描いていた。日本人離れした顔立ちで、愛想が良かった。いま思うと、絵で食べてゆけたとは思えないですが、地主だから心配はいらないかも。

 その家の隣は竹屋さんだった。石田くんの部屋に上がるときは入り口に多量の竹が積んであり、そのそばを抜けて二階に上がった。竹は壁に立て、乾かしていた。我が家にはモノがない時代だったが、部屋には蓄音機があり、ハンドルを差し込んでねじを巻いて、レコードを聴かせてくれた。

 そのさきに小児科、内科医があった、沢田くんは部屋に入れてくれなかったが、風邪で熱を出すと、ここで看てもらった。沢田君は医者の子であるのを自覚しているのか、それとなくよそよそしかった。

 京都は戦災で家屋が焼ける事がなかったせいで、戦後も昔のままの隣近所のつきあいが普通で、僕の遊び友達は、その親もまた古き友達だった。



 当時の家の近くには、いまも散髪屋があります。川島さんの父は、僕の父よりも数年先輩で、南洋諸島の守備に徴兵されたため、玉砕で亡くなった。父は大学生だったころに辞書を破って紙巻きタバコを吸っていたが、川島さんが、それをみてパイプを一つ呉れた。黒いパイプを手にとって、父は嬉しかったそうです。パイプタバコのこつは、分るまで辛くて、おいしい味はしないそうです。そのこつが分った時はうれしかったといっていた。パイプをすうと川島さんを思い出すのだそうです。川島さんは、すでに戦死して、帰らぬ人になっていたので伝える事が出来なかったそうです。僕が1973年にロンドンに行くとき、父はおみやげに缶入りのパイプタバコ を欲しいと言った。注文どおりケンタッキークラブ2缶をおみやげに買った。一缶は満足して吸っていたが、のこり一缶はなぜか吸わなかった。そして数年後に亡くなった。いまも蓋を開けずにあります。30年以上もすぎると、重たかった缶も、それとなく軽く、ゆすると、かさかさと乾いた音がします。

            

        父の手記 (戦場にて)

                     

                   1937年10月5日


 未明の敵前上陸( 現在は上海国際ターミナルの税関付近 )。寸前の墜ちる敵機の爆弾。砲煙雨下の難行進軍。言語に絶した泥寧雨中の敵前架橋作業。死んで不思議はない光景。闇の対岸に潜む敵から間断なく火を吐く敵の機銃のおと、耳をつんざく弾雨、倒れる戦友の異様な断末の叫び、ここでは死に直面して、死の瞬間の不思議な心の落ち着きがある。あぶないと思った瞬間耳もとすうセンチを弾丸が抜ける、その音のすさまじさは言いようがない。泥に潜り込み鼻だけを水面に出して息をする。


 戦場の体験は消えがたい。煙草、パイプをくゆらすと、かっての若き日々の事象がまざまざと蘇ってきた。この黒いパイプをとても大事にしている。ある人からもらったもので、自分のパイプ歴の始まりを意味するからである。学友は誰彼となく紙巻き煙草を吸っていて自分も10銭でチェリーを買っていた。親しかったKさんからもらったのは支那事変に応召せれる前だった。半年は辛くてもてあましたが、ある日忽然とうまみを会得した。Kさんの真意がわかり爾来いっそう身近なものになった。一つ一つのパイプに思いでがあるが、そのころの思想の弾圧、軍の台頭、御用学者の出現には失望した。学生の懐柔、刹那主義へ逃避、我が国の戦争は忠誠も批判も懐疑もすべて呑み込んで破壊に突き進んだ。南方の海に戦死したKさんは再び会うこともなく敗戦を迎えた。








松本さんの絵  第124◎岩切り道と呼ばれています。62年ほどまえ、穂高山荘50周年を記念して作


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図231   新穂高露天風呂付近



          重太郎橋    8月18、19,20日


  ひと月ぶりに新穂高温泉に来ました。良い天気図なので、数日は予想どおり快晴でした。都会の熱中症とは無縁で、飛騨の山中は25、27度といったところです。白出し沢をひと目見たいので、穂高平山荘から一時間半ほど登りました。笹をとおり抜ける風の音が、沢の水の音であることに気がつき、やがて眼下に蒲田川の支流が見え、大きな岩があちこちにありました。この支流は白出し沢です。沢におりて岩にかかった橋を越えました。

角材4本を二本の太い針金で縛ったような簡単なものでした。対岸に渡ると、岩にへばりついた木材のハシゴを10米ほどのぼり、更に鉄パイプの橋を3米ほどのぼると、岩に打ち込んだ鉄の杭につながった鎖が上に伸びています。下を見ると岩斜面の谷底に急流が見えます。

 岩に切り込みを入れた、巾数十センチの足場に頼って、鎖を握りながら上に登っていく200米ほどの難コースです。岩切り道と呼ばれています。62年ほどまえ、穂高山荘50周年を記念して作られたとプレートに説明があります。岩切道であやまって転落したら、大けがしそうな感じです。ハシゴを登ったところで、引き返しました。

 右手に雪渓が見えます。暗い空洞に入ったら崩落で危険だし、雪渓を歩くにしても、穴に落ちたら救助が難しいようで危険な場所に違いありません。つまりここは夏場の最高気温でも雪が溶けない場所で、冬に転落して埋まっても、夏に見つかるというわけには、ゆかないようです。昨年の暮れから、夫婦連れ登山者が見つかりませんし、写真からは50,60代の人に見えます。登山届けを出す山岳警備詰め所でも、単独女性の登山者の写真もあります。こちらも50代後半に見えます。小鍋沢から白出し沢の間は行方不明者発生地帯のようです。この上を4時間ほど詰めると奧穂高山荘に着きます。その途中に昨年救助中に事故をおこしたヘリの墜落現場 があるはずですが。

 ことしの夏山の遭難はどうなんでしょうか、山と渓谷のAccident 欄に、  

 9,10月あたりから3ヶ月前の7月夏山シーズン開始以後の遭難記事が出てきます。今の時期は、新穂高温泉の鍋平駐車場隣接のヘリポートはヘリが常駐しているようで、ここ以外にも新穂高露天風呂よこにも 円形の中に H のマークのあるヘリポートが見えます。新穂高温泉は行楽地のような印象をうけますが、そうでもなさそうです。岐阜県飛騨側の登山者は、おおむね健脚で登山経験のレベルが高いのですが、高齢化しているので事故が多いのかと思ってしまいます。

 帰り道に新穂高温泉の露天ぶろに入りました。先月は熱すぎ てすこししか入ってられなかったのですが、きょうは37度ほどでぬる湯でした。いつもと違うのは混浴が盛況で、若いカップル2組、老齢の男性なのに、若い女性連れなど、全部で10人ほどでした。水着もあれば、タオルのひともいました。お湯の中で世間話などは、にがてです。

ここの湯の水位は水門の漏れ具合で、浅くも深くもなります。それとなく話を聞いていると、以前に蒲田川が増水して水門とおなじ高さになった事があるそうです。湯船の水位が上がり、無料の温泉にしては快適だったそうですが、管理人が来て、危ないから命の惜しくない人だけにしてくださいと言ったそうです。水門が破壊されると激流が湯船に入り温泉客の命の保証は無いそうです。増水すると、蒲田川の川幅は30米ほど有り、そのうえに急流にのみこまれると、まず助からない気がします。よくこんな場所 に岩風呂が出来たものです。

白出し(しらだし)沢に行けたので、次の目標が出来ました。来年は、蒲田川左岸 (蒲田右俣林道) に沿って槍方面に林道をあるき、槍平小屋で一泊するものです。

このコースは飛騨側から滝谷の岩壁を見ることができます。このあたりの岩場は、谷川岳と同じく転落遭難者の数が多く、現在進行形のノンフィクションや、山岳遭難小説の舞台でもあります。


松本さんの絵  第123◎たいていのビアホールは早くからの客で、席の確保は無理です。


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 図227  ここまでは、見えません





               2010  8月15日


 一年が過ぎるのは早い気がします。大文字の送り火をする準備作業の季節です。林道の終点から、歩いて25分はかかる大文字の点火場所までリフトで資材を運びます。リフトの動力部分は、小屋の中にありますので、実際は、関係者しか見ることが出来ません。

 小屋の前には、灯油缶数十個、松の木の薪が積み上げてあります。山焼きの当日朝からは銀閣寺の山門で受け付けた、お札の束が小屋に運ばれてきます。

 私の家から双眼鏡で山頂を見ることが出来ます。大の文字の付近で天幕がみえます。多少の雨でも関係者が作業するのだと思います。数十人の人がなにやら準備作業中のようです。消火作業のために地元の消防団員が背中に水入りのタンクを背負って立ち会うそうです

 山焼きはあす16日の夜です。20時に左大文字から点火が始まります。 昨年よく見えたスポット に従い、最初に点火する左大文字を見るために、京都の東面が見える左京図書館の三階 に行きます。点火から、5分過ぎたら、歩いて2分ほど北にあるQUNAT(カナート)の屋上駐車場に直行します。そこからは、混雑もなく、北の妙法と、西の右大文字、船形が見られます。屋上から下を見ると、鴨川にそって橋や、思いおもいのスポットに、人がいます。あちこちあるくよりも屋上が一番とおもうのですが。ただし、ビアホールの屋上などは、早くからの客で混雑して、席の確保は無理なので行ったことがありません。





松本さんの絵  第122◎いままで、使った事もないし、馴染みがなかったです。外国人に負けそうです


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図224    8月7日    チューター って なに


 最近私はチューターしています。チューターとは語学の補助をする講師です。先生でもなし、外国人に日本語で話をする役目があります。ですから標準語の上手な人が適当と思いますが、残念ながら私は京都生まれなので関西の訛りがあります。でも東京で人生の半分は過ごしたから、努力すれば、少しは標準語を話せます。京都に、国際交流会館があります。夏はすずしく、冬は暖かいので、半日いるだけで気分転換になります。もっともこういう事をしているのは、外国人と交流を深めたいのかも知れません。ですから、事前に日本語の資料をつくり、それなりにきちんと勉強します。

 当日は早めに自転車で国際交流会館に行きます。資料のコピーをしてきょうの来館者を待ちます。誰がやって来るのか分りませんが、大半は京都に在住しているリピータです。学生か、海外から出張できている家族です。今は夏休みなので、海外版の猿岩石のような旅行者も、ふらりとやってきます。格別勉強するのが目的でもないし、せっかく京都にきたのだし、日本人と話してみたいということかも知れません。顔立ちは欧米人でも、日本語をそれなりに聞いたり、話せたりできる外人が多くなりました。語学は勉強してもあまり楽しくないので、ゲームとか会話を中心にしますが、やはりきちんと資料は持って帰って欲しいです。英会話学校であきるほどゲームをやってきたので、そのあたりはよく知っています。

私としては、会話はわかりやすく話すと、日常の生活で役にたたないと思っています、意見の分かれるところです。英会話学校での英語は先生が、生徒にわかりやすく話してくれるNOVA英語だったり、ECC英語だったりで、つまらないと思います。日本人の会話の早さで、おおよそでも内容が分ることをおすすめします。そういうことで普通の話し方をすると、さっそく早くて分らないといってきます。そのときには、丁寧に話して、また普通の話し方に戻ります。生徒には不満とおもいますので、ゲームをします。「私は誰でしょう」は全員参加の会話になるので、きっと満足してくれると思います。諺はA4に15題ほど書いて配ります。

世界共通の内容なので表現は違っても、言いたいことはおなじだから、みんなきっと満足してくれると思います。丸暗記しなさいといいます。

自分の国でおなじ諺を尋ねると半分以上◎をつけてくれます。そこで、諺をもとに日本語会話をすすめます。

なくて、ななくせ、、、にとおうもの、いっとをえず、、、ちりもつもれば、やまとなる、、、日本人があまり使わない諺が外国では知られていたりします。

寸鉄人を刺す、、、すんてつ、ひとをさす、、、The tongue is not steel ,yet it cuts 言葉といえ、人を倒す力があるという感じです。いままで、使った事もないし、馴染みがなかったです。外国人に負けそう。ちなみに、ある土曜日はドイツ親子、フランス1,ベトナム4,中国5,ベルギー4,残留孤児2、アメリカ1が学びに来ました。


松本さんの絵  第121◎水深は浅く、2米くらいしかありません、すぐ下流は浅瀬になります。


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「図222   


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図223   

      永源寺湖   8月6日


滋賀県と三重県の県境に竜王岳があります。京都からだと片道60キロはあるのですが、峠まで車では入れませんので原付バイクで行きました。

県境では通行止め、立ち入り禁止とものものしい看板があります、越えたところから土砂崩れになっていて、ブルやユンボが動いて工事中です。

三重県側に行くには工事のじゃまをするので、諦めて、峠から岩で急角度のガレ場を登りました。しばらくで日陰の樹林帯になりましたが湿度が高く

快適ではないです。30分も登ると肩に出ました、上高地から見上げる常念岳のようで、見事な山頂です。ここは風が吹いて、三重、愛知の方角に伊勢湾が見えます。夏らしい入道雲が、あちこちに見えます。ここで休憩して引き返す事にしました。帰り道は永源寺ダムの上流に出ました。キャンプサイトで川あそびをしています。入場料はバイク400円とのことですが夕方なので200円にまけて:くれました。

といっても20分ほど川にはいって、すぐに出発です。川の水は冷たいですが、この時期がいちばん暖かいそうです。こどもや、大人が岩から飛び込んでいますが、水深は浅く、2米くらいしかありません、すぐ下流は浅瀬になります。付近にイワナの養殖があり、料理も出来るようです。8月6日で、琵琶湖の花火大会なので、帰り道にマクドの駐車場で一時間ほど鑑賞しました。遠くて花火が小さいので、大津市内まで走りましたが交通規制で、前に進みませんが、真上に見える花火は迫力が違います。スーターマインが連続しています。終わりのようなので、混雑を予想して一斉に京都方面に帰宅する車、バイク、人の波です。やはりバイクがもっとも早く混雑を抜けました。たいていのバイクは二人乗りで、中には浴衣姿の彼女を乗せたバイクもありました。屋根つきの全天候仕様のバイクで来ているのもいました。大型は、原付に遅れていましたが逢坂山、滋賀、京都県境の峠で原付のすべて抜いてしまいました。それまでは原付や二人乗りの集団が100台ほど群れて走るので、まるで暴走族のようでした




松本さんの絵  第120◎数百年前に剣豪の塚原ト伝が入った湯だとか、しばらく住んでいたとか


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 図221             ト伝の湯


 平湯から上高地、長野方面に出るには、安房トンネルを抜けます。

昨年まで有料で1400円ほど払いました。無料になりましたが、それまではタダで抜けたければ、安房峠を越えるしかありません。大雨などで、崖崩れや落石などあるので車が傷つきそうで通りたくない道です。トンネルを抜けるか、峠を越えて、しばらく走ると梓川の橋を渡ったすぐの左手に上高地へ向かう観光バスや車が並んでいます。夏のシーズンは一般車はここで通行止めにあいます。

 橋の手前に、急流を眼下に、崖があり、崖にへばりつくように木製のドアがあります。ト伝の湯と表示があります。橋を越えた左に車3台ほど止めれる空き地があり、土産ものを売る茶店があります。用があれば、車を止めさせてくれます。ここでト伝の湯の料金700円を払いしばらく待ちます。

30分ほど鍵をかけて入るため、順番が来るまで、しばらくまちます。

ラーメンやコーヒーを頼んで待ちました。中ノ湯温泉の管理人がいろいろと話かけてきます。歩いて橋を渡り鍵で木製のドアを開けると、中は湯気で湿っていました。脱衣所で服を置いて、まどから下を見ると、2,30米下に濁流が流れていますので、冷たい急流に落ちたら命がないような、恐怖があります。巾一米ほどの廊下の奧には、下に降りる階段があり、その奧に湯船があります。37度ほどで、熱い湯では無いのでがっかりです。6畳ほどの広さで、洞窟の天井は広く、5,6人は入れます。

湯船をまめに、洗わないために茶色の湯ゴミが、層をなして底に貯まっているので、お湯をかきまわさず入りました。洞窟の奧に湯が沸き出していて、その近くは暖かいです。話のタネに入りましたが、秘湯という感じはします。時間に制限があるし、きれいでないのと、おちつかないのであまり魅力はなかったです。数百年前に剣豪の塚原ト伝が入った湯だとか、しばらく住んでいたとか、適当なうわさ話は聞いていました。










松本さんの絵  第119◎女性3人ほどが、露天風呂に入るつもりらしい。


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図219          蓮華温泉

  

  鹿島槍に登り、五竜岳、唐松岳からロープウエイで下山した年は、白馬岳の目前で下山したのが悔しかった。翌年は蓮華岳から白馬に登るつもりで、蓮華岳登山口の山小屋に泊りました。翌朝、小屋から十分ほど、あるいて蓮華温泉の露天風呂に入ることにしました。硫黄臭の、赤土の、はげ山に粗末な湯船が二つほどあったが、お湯がぬるくて、脱衣所もなく、がっかりしました。

途中の藪の中に木枠で囲んだ湯船があり、少しだけ暖かいので、入ることにしました。しばらくすると山小屋から登って来た人の声がします。女性3人ほどが、露天風呂に入るつもりらしい。「ちょっとまって、まもなく出ます」と声をかけると、あ、誰かは入っているなどと話し声が聞こえてきます。

樹木で隠れていますが数米先まで来て待っているようで、お湯を楽しむ気になれず、急いで服を着ました。うわさでは、暗くなると露天風呂は混浴になるらしく人気があるそうです。しかし早朝では、やはりそれは無理、つまらない思い出が残りました。

 

松本さんの絵  第118◎がっかりしていたのですが、思いもかけないすばらしい岩風呂でした




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図218     二岐温泉


 会津の二岐渓谷で温泉にはいった事があります。渓谷は急流でその川の中州に岩で囲った露天風呂がありました。夕方で、まだ明るいのに、男女が6,7人が狭い湯船にかたまって入っていました。そちらの露天に入りたかったのですが、とても一緒に加わる勇気がありません。窓こしに内風呂から覗くと、なにやら楽しそうに話をしているようで、とても仲間に入れてもらえるとは思えません。関西人の自分は、そういう雰囲気が苦手です。黙っていると、話かけられそうですし、気楽な気持ちで会話にあわせる自信がないのです。

 それでもあれこれと友好的な事を一応考えているのですが、陰気な人とか思われそうで、それが、気になって、ますますひけます。

 さて内湯は誰もはいっていませんでした。。それが自然の岩をくり抜いたような湯船で、底あたりから一筋、二筋の熱湯が絶え間なく上がって来ます。風呂の温度は熱くホースで川の水をいれますが、長く浸かって入られませんでした。底まで一米50ほどあり、かなり深いので、少し潜ってみましたら、快適な温度で、なかなかいい体験でした。つげ義春のマンガにでてくる「二岐渓谷」の湯治場がこの場所かどうか確認出来ませんが、何となく雰囲気がピッタリでした。マンガでは、川の中州にある露天風呂が台風の増水で、岩ごと下流に流されます。猿も出てきそうな渓谷でした。






松本さんの絵  第117◎2個のLEDでは、明るくはありません。将来のモデルですが。


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図217                 LED電球


 「我が家には自家発電装置があります」 というのを目標に、まずはLED省エネ電球を一個買ってきました。ゆくゆくは太陽光発電パネルから電源を得て、LED電球で部屋の照明をとりたいという希望があります。

普通の電球や蛍光灯を使う限り小さな太陽光パネルからの電力では無駄が多すぎます。

このLED球は、一個につき120のLEDがついています。これで9Wだそうで、60W相当の明るさと書いてあります。送料込みで、値段は1800円ほどかかりました。部屋の60W電球と交換しても電気代は年間6分の一に減ります。しかしながら、チャイナ製なので、あやしいです。

ずいぶん期待したのですが、思った以上に暗い。隣の13W(60W相当)の蛍光球のそばでは、蛍120匹分の明るさしか感じないです。35Wくらいのあかるさでした。

そういうわけで電球代を取り戻すまでに2,3年かかりそうです。

しかしいずれ安くなって明るいLED電球が普及するかもしれません。今は13Wの蛍光球が明るくて、600円ほどですから、それを使います。

3個つければ39Wですが、80W相当の明るさになります。8畳の部屋の80Wの蛍光灯と総入れ替えできます。6畳の部屋も72Wの照明を昼間からつけたままですからこれも交換の対象です。出来たら玄関も変えたいです。風呂場は60Wでも100Wの電球でもかまわないです。使わないときは、消すからです。

そんなわけで図のような照明器具を試作して自分の部屋で使っています。ここはすでに80Wの蛍光灯ははずして35W(9+13+13)になりました。2号機はもう少しモダンなデザインにします。

いずれLED球が安くて、明るくなれば13Wの蛍光灯もLEDに総入れ替えします。太陽光パネルも小さくなって電力がとれる製品が出来ています。照明だけは自家発電でまかなうのが、将来の目標です。


いまは、ベランダに5Wの太陽光パネルがあり、あさ5時頃からあかるくなると、夕方まで、LEDの電球が点灯します。ただし2個のLEDでは、明るくはありません。将来の我が家のモデルです。