フランス流女性の幸せの引き寄せ方

フランス流女性の幸せの引き寄せ方

フランス留学や現在日仏芸術文化協会の代表をしている関係で、多くのフランス人と接し、実際の経験があります。商社マンの夫と共に世界の国々に住んでいたので、それらを客観的に見てきた事をブログで発信していきたいと思います。

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幸せを運んでくるものをフランス語で「ポルト ボナー」と言います。

今日は火曜日。

ポルト ボナーのお話をしましょう。

 

すてきなフランスレストランに行ってみたいと思うときがありませんか?

それも正式なフランス料理。

フランス人シェフが作る本格的なソース。

そのソースでフレッシュな素材をからめた料理。

 

そんな時、あなたはネットで検索すると思います。

ネット上では一流フレンチレストランは見つけにくいものです。

もちろん各正式なフランスレストランは美しいホームページを持っています。

しかしそのレストランの名前が分からないとたどり着けません。

 

一番いい方法はフランス通の友人、高級な所も知っている人に聞くことです。

二つ目は高級雑誌、例えば家庭画報から見つけることです。

人は不思議なものです。

「素敵なフランスレストランに行きたい」と思っていると、”一流レストラン特集”の記事に出会います。

見つけたら躊躇しないでください。

すぐに行ってみましょう。

まず、誰と行くか決めます。一人ではちょっと不安なので友人に声をかけます。

ディナーは一人3万円はすると思っていたほうがいいです。

ですから、ランチに行きます。

お店が決まったら、ホームページで確認します。

お店の立地を確認し、レストランのインテリアもよく見ておきます。

内装の色彩、ソファーの色などインプットしておきます。

洋服を選ぶときは、そのインテリアの色を意識して選びます。

同系色にするか、あるいは反対色にして自分の存在を際だたせるか、気分によって決めます。

 

一流レストランに行くときは、女性の胸が高まります。

それはおしゃれをしていけるところだからです。

ランチだったら、ワンピースかスーツ。

上品なハンドバックやくつ。

靴下も新しいのを下ろしたほうがいいかもしれません。

ヘヤースタイルもメーキャップも自然な感じがいいです。

 

特に手の指先は美しくネイルかジェルをしていってください。

テーブル上のカットラリーはすべて銀器です。

グラスも美しく磨き上げられています。

本物の美しい銀器をもつ。

クリスタルのシャンパーニュグラスやワイングラスを持つ。

その指先は、それらに負けずに美しくなければなりません。

 

ちょっと緊張しますが、その緊張感があなたを次のステージに持ち上げていってくれます。

 

大丈夫!そのうち慣れますから。

 

さあ、予約を入れましょう。

 

私はしばらく正式なフレンチレストランに行っていなかったので、本格的なフレンチを食べてみたいなと思っていました。

私も高級雑誌の特集の中で見つけました。

銀座にあります。

それはパリ風サロンをもったフレンチレストラン。

一歩足を踏み入れると、そこはパリ16区の高級アパルトマンのサロンのような雰囲気です。

エレガントです。

でも温かみもあります。

 

ここのシェフが大切にしていることは、伝統的なフランス料理です。

料理を華やかにするのはソースです。

ソースは要です。

ソースは時代の変化に敏感に対応していきます。

さらに新しいエッセンスを加えますと、仰っています。

 

確かに「オマールブルーのパルマンティエ ブール キャビア」は軽やかで繊細なソースのおいしさが光っていました。

シャンペン、白、赤ワインをいただきました。

 

デザートーも終わって帰るとき、お土産をいただきました。

それは、「塩の花」と書かれたお塩でした。有名なフランスのお塩、ゲラント産です。

文言が書いてありました。

このレストランのシェフが育ったブルターニュ半島南部からのものです。

子供のころ夏休みをそこで過ごしていました。

風が強い日、トンボみたいな木製の器具を使って、器用に表面の結晶をすくいとる様子を、目を丸くして見入っていたそうです。

料理人になってからは、この塩は大切な相棒のようなものだといいます。仕上げにほんの一つまみ加えるだけで

、太陽の光が海面を虹色に輝かせるように、料理の風味もぐんと上がります。と。

 

あなたも子供のころ、幸せにしてくれた何かを思い出してみましょう。

それはお母さんがつくてくれたおやつの味かもしれません。

また公園で見つけてきた木の実をそっと隠し持っていたことかもしれません。

 

お塩はおみやげです。

素敵なポルト ボナーです。

フランスレストランに行って、幼い時の幸福感をよびおこすきっかけを持てました。

あなたの中のその記憶もまた「幸福を運んでくるお守り」なのではないでしょうか。

 

一流のフランス料理を食べたいと思ったら、忙しい日常から離れて必ず実行しましょう。

 

外見もこころも豊かになり幸福感があなたを持ち上げます。 

 

おわり

例 その3 ボランティア活動をしていて幸せを感じるとき
  
~日本を大好きになった16歳のフランスの子供~

フランス東部にナンシー市があります。
そこの「子供音楽協会」の理事長から、私たちの日仏芸術文化協会に招待がありました。
日本の子供たちとナンシーの子供たちと一緒にコンサートを行いたいとのことです。

その前年、私たちはナンシーの子供17人、先生方、フランスの協会の方そしてフランスTV3のクルー総勢25人を広島に招いたのです。

2005年の夏のことでした。

”広島被爆60年記念”にちなんで何か素敵なことをしたいなと思っていました。

毎朝、ウオーキングをしています。
いつも何か求めて歩いていると”天”からアイディアが降ってくるのです。
1月の終わりに突然素敵なことが舞い降りてきました。

”日仏こども平和コンサート〝in HIROSIMA。

友達がいる国には爆弾を落とさないと、思いました。

広島のマドンナと言われている広島経済大学教授上田みどり氏にご協力をお願いしました。
広島の”マリンバ アンサンブル”の子供15人を紹介してくれました。

8月3日広島郵便貯金ホールを借り切ました。
下見をする時間がありませんでした。2月に予約に入ったのですが、8月で空いているのは8月3日のそこだけでした。
1,800人も収容すると後から知り、その人集めに奔走したものです。
東京から新幹線”のぞみ”に乗って何十回も広島へ通いました。

いろいろな困難もありました。
フランスとの連絡は日中は忙しいので夜中にします。
メールだと文章が残るので、辞書で確認しながら一語一語打っていきます。
はじめ協力したいと、親切にしてくれていた男性があるきっかけで、200万円を僕に預けろと、言われました。だれが聞いてもおかしい話なのです。

その方が会社に私を呼びつけました。
こじれたら大変です。
そこで土下座してあやまれと、言われました。
恐怖のあまり、言う通りに靴を脱いで土下座しました。
でもこじれました。

また、舞台はそんなに大げさにするつもりがなく、学芸会の延長ぐらいに思っていました。
舞台監督を入れないとだめだといわれ、急遽、紹介してもらいました。
照明、音響と次々と予想もしていなかった経費が膨らんできてしまいました。
笹川財団が100万円、友人が100万円寄付してくれました。その他にも寄付が100万ぐらい集まりました。自分も寄付しましたがそれでは追いつきません。

だからと言って、もうやめるわけにはいきません。
その前年、ナンシーを訪ね、ナンシーコンセルバトワールの校内を見学したり、音楽協会がやっている音楽学校の練習風景を見学し、子供たちに紹介されました。

楽しみにしているその子供たちを裏切ることはできません。
それと日本のおばさんは嘘ついたと思われたくありません。
これは私個人だけの問題ではなく、日本人は約束を守らないという、国の信用を失うことにもなってしまうと、思いました。
そこで、またかなりの貯金を解約せざるえませんでした。

人集めに、チラシを東京から広島に1,000枚送ってもらいます。事務所がないので泊まっているホテルへ送ってもらいます。足りずにまた印刷です。
上田先生のご紹介で、広島市の郵便局をまわり、それぞれの局長さんに挨拶してチラシを置いてもらうようにしました。
広島の教育委員会へ、カートでチラシを運びます。各小中学校に配ってもらうためです。

もちろん広島市長、広島テレビ社長、日仏広島の関係者とお会いさせていただきました。

フランスのテレビ局からは、各撮影場所の撮影許可証や日本の子供がフランスのテレビに映ってもいいという親御さんの許可を文書で送ってくれと要求されました。
予測以外のことが新しくどんどん起こります。

これまで病いの主人のそばにずっといました。なかなかよくなりませんでした。
2年半の闘病生活の後なくなりました。

いつも日仏のことで何かお役に立ちたいという、想いはありました。

大切な人を失った悲しみと喪失感は言葉にできません。
それを拭うようにはじめました。
ただの主婦で、すべてが初めてのことばかりのずぶの素人でしたが。


明日フランスから子供たちがやってきます。
子供たちの顔がみられると思うとうれしいです。
まだ、途中ですが、一様準備は整ってきました。
物事が進んでいる感じがして、体は疲れ切っているのですが、わくわく感もありました。

7月の末、フランスから子供たちがまず、成田に入りました。
トランジットを経て広島空港に着いたのは夜の9時でした。
広島でバスを借り切りました。
マリンバの子供たちが手作りのプレゼントをもって私たちと迎えに行きました。
空港で簡単なセレモニーを行いました。
ホテルまでバスで1時間半ぐらいかかります。
バスの中でお互い片言の英語や手ぶり、身振りで、すっかり友達になっていました。

翌日からリハーサルです。
日本の子供たちはとても上手に演奏し、聞いていて安心できます。
フランスの子供たちはなかなかうまくいかず、心配になります。
しかし当日は何とかうまく切り抜けることができました。

そのあとレセプションを行い、ナンシーと広島の交流を深めました。
同時に広島被爆60周年記念だったこともあり、フランス全土の村長さんたちが20人近くいらしていました。その方もレセプションに招きました。
協会からも多くの人が東京から広島にやってきてくれました。

みんなで広島市長を訪問し記念品を交換しました。
原爆資料館、灯篭流し、厳島神社にも連れて行きました。
上田先生が主催する大規模な「押し花展」も見ました。フランス人は押し花にとても興味を持ちました。
広島テレビが市長訪問や原爆資料館を見学しているフランスの子供たちを報道してくれました。
中国新聞にも記事にしてくれました。
こんなに頑張ってきているわが日仏文化協会のことは「日仏芸術文化協会主催の」で終わりです。

そして、京都で2泊し、新幹線で東京へ連れて来ました。
協会の理事で小学校の先生が京都の引率をよくやってくれました。
新宿の都庁をはじめ一通りの東京見物を終えた後は、グループに分けました。
浅草へ、原宿へ、秋葉原へ。
それぞれにフランス語ができる人を探して通訳してもらいました。

本屋さんへ連れて行ってくれと言われました。するとドラゴンボールなどの漫画をたくさん買っていました。日本語で読めないのではと、いうと、コレクションにするんだと言っていたのが印象的でした。

最後の一夜を東大の赤門のそばのホテルで過ごし、翌日成田へ見送りました。

無事帰国したとフランスからメールが入ってきました。

たくさんの人達を巻き込んでしまいました。
皆さんの善意に支えられました。
また、日本とフランスの大人たちの子供に対する愛を感じました。

日本とフランスの子供たちは、コンサートをしたことはもちろんですが、パーティや灯篭流しを一緒にして一気に交流が進みました。
日本の子供たちの優しいおもてなしに心動かされます。
子供ってすごい力があり、大人より簡単に国際的になれるんだとも思いました。

広島で協力してくださった方々へごあいさつのため新幹線に乗りました。
発車るとすると、「いい旅立ち」の音楽が流れます。
何十回と聞きました。
最後だと思うと感無量です。

冒頭へ戻りましょう。
つまり広島コンサートの翌年、
ナンシーへはお箏と尺八の子供ら15人とその先生方、協会の希望者30人余りをお連れしました。
お箏、13弦と17弦と16竿の運搬はJALにお世話になりました。
各自お着物と袴も用意してくれました。

フランスでは3か所で演奏しました。
特にナンシー市市庁舎でのコンサートは素晴らしいものでした。
由緒ある建物で、内部も歴史が刻まれていて豪華です。
市長はじめナンシー・コンセルヴァトワールの代表を含め500人もフランス人が集まってくれました。

私は震えながら、そんな大勢の人たちの前で一昨日から暗記していたフランス語でのスピーチをしました。
日本語でもしたことがないのに。
でも、いざとなったらこんな私でもできてしまうのだ、とも思いました。
人間ってその場になると何でもできるのだと感心したものです。

コンサートの第一部はフランス人の若い女子学生のピアノ独奏と、男子のコンクールで優勝したヴァイオリン演奏です。

二部は着物と袴のいでたちの子供たちが見事に演奏しました。
500人の観客の拍手は大変なものでした。

楽屋裏では先生方や日本から一緒に同行してくださった方々が、子供に着物を着せるのが大変でした。
あの立派な由緒あるナンシー市の市庁舎で、日本の子供たちが演奏するお箏や尺八は、めったにみられるものではありません。
フランスの建物とそのインテリアの荘厳さと、日本の着物、袴とその演奏と、二国の伝統美が融合されていました。
見事な二時間でした。
日本の子供たちを指導している先生方、その代表藤田先生に頭が下がる思いでした。

翌日、新聞に大きく写真入りで報道されました。
「日、出ずる国からのパファン【香り)」と見出しがでて、着物姿の女の子がお箏を弾いている写真がカラーで載りました。
子供達にはいい経験になったと、先生方も喜んでくれました。

最後のコンサートはナンシー市のそばのヴァンドヴィル市のシャルモワ城のお城の中です。
瀟洒なかわいいお城です。

その時の出来事です。
私はお城の階段を登りきったところで、来客を出迎えるために立っていました。
お客さんが続々と入ってきます。

階段の下のほうから私に手を振る背の高い青年に気が付きます。
一緒の婦人もニコニコしながら、私を見ています。
私はその二人を知りません。
青年は私の名前を呼びます。
私はまだどこで会ったか思い出せません。

階段を上ってきた青年は言いました。
「マダム、タニグチ、こんにちわ」
「僕は今、日本語の勉強をしています。あと2年したら日本へいきます。
日本が大好きになりました。
それはマダム谷口のおかげです。昨年広島に招いてくれたからです。
僕の母です」
お母さんも私にお礼を言ってくれました。

フランスの子供って1年でこんなに背が伸びるんだ、と感心してしまいました。

私たちが招待したことで、日本に興味を持ち、日本語まで勉強し、将来日本へ行くんだと、夢を語っているフランスの子供。

喜んで話しているその姿を見ていると、自分も夢の中にいるようでした。

このフランスでの日本の子供の箏曲コンサートは、観客動員数は3,000人を超えました。


最後に日仏の関係者に感謝いたします。

「ありがとうございます」

25ansや、家庭画報からフランスや美術関係のセミナー及び寄稿を依頼されます。
その原稿を書くためにカフェをよく使います。

私は翌日の「プライベートランチ」の挨拶文を考えるため夕方、駅前のカフェに入りました。
誠実そうな若い男の人が注文を取りに来ました。

コーヒーを頼みます。
少し長居するので、夕食前でしたがチーズケーキも頼みました。

原稿を書き終えます。
レジで支払いを済ませます。

お財布におつりをしまい、バックに入れます。
出口の方を見ると、先ほどの青年がドアを開けてくれています。
『ここのカフェはお茶とケーキだけでもドアも開けてくれるんだ』と思いました。
そして、ありがとうと言って外へ出るや否や、その青年が話しかけてきました。

「もしかしたら、中根公園の前に住んでいる方ではありませんか?」
「はい、そうですが」と私。

「僕は小学生の時、あのうちのサロンコンサートに先生に連れられて、
参加させていただきました。今もそのときの夢のような楽しさが心に残っています。
一言お礼が言いたくて・・・僕は今ここでアルバイトをし始めました。またいらしてください」

「それはそれは」と私。
「ええ、また来ます」と言うのが精一杯でした。

3月20日過ぎても今年はまだ寒いです。
左手で襟元をあわせ押さえながら暗くなった道を歩きます。

心がなんだかあたたかくなっています。

胸が熱くなっています。

あぁ、よかった。ほんとによかった。

私もお礼を言わなくては
子供たちを招いてサロンコンサートが出来るは、協会の会員様のおかげです。
子供たちをまとめたり、一人ひとりが私どもにお礼状を書きやすくする労をとってくださる先生のおかげです。

「ありがとう」。



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