家康殿 不惑シリーズ(いつの間にかシリーズに・・)の続きです。
第1回目で、40歳の年にはあまり動きがない、と書きましたが
この年齢に先だった、39歳は、悲運な年でした。
39歳。年代でいうと、1579年。
この年には
長男の信康(のぶやす)と 正室の築山御前という 2人の家族をなくします。
史実では、
両名が 武田氏と内通しているという疑いをかけられ
信康には切腹を、築山午前は暗殺を という"指示"が信長から出た
となっていますが、真偽のほどは諸説ありますね。
家康の生涯、戦国まっさかりの領土獲得に動いていた時期としては
ある意味、クライマックスです。
山岡宗八さんの小説でも、この辺は詳細に物語化されています。
正室に手を焼いていたとか、信康は人望もあつく、武術にも長けているけれど
庶民を冷遇するなど、問題時だったとかとか・・・伏線っぽい話もあり、
この事件自体、家康自身が書いたシナリオだという説もあるようなので
長男と嫁の死というのが、一概に ”悲運”とは言い切れない側面もありそうですが・・・
悲嘆にくれて動けなかったか、派手な動きをして目立たないことを心がけたか
いずれにしても
翌年の40歳は目立った活動をしていないことは事実です。
次回は、武田を破って駿河国を獲得するところを。