このブログは毎月更新です。内容は「闘病記(私が脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を中心に掲載)」と「旅行記(私が病気になってら車いすで旅行したもの)」と「デイサービス小景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを中心にデイサービスの日常を紹介したもの)」を交互に掲載。旅行記は障がい者(車いす利用者)と健常者との観光モデルコーともなっており、闘病記は発病からの経過を記録したものです。「旅行記」と「闘病記」と「デイサービス小景」の3部構成全体で障がい者や高齢者の理解が進めば幸いです。

 

 

●このブログ(闘病記)の中で夫婦の手記が混じっているため

 私の手記―太文字

 妻の手記―普通のサイズ

 とし書体を替えて、一目でわかるようにした

●文中によく出てくる略語の意味は次のとおりである

 ST[spceeh therapy(therapist)]:言語療法(言語聴覚士)

 PT[physical therapy(therapist)]:理学療法(士)

 ОT[ocupationn therapy(therapist)]:作業療法(士)

 

 

            目次

   第1章・・・・・発病してS病院に入院

   第2章・・・・・Kリハビリセンターに転院

   第3章・・・・・Мリハビリ病院に転院

   第4章・・・・・K医療センター

   第5章・・・・・再びセンターへ

   第6章・・・・・自宅での療養生活

   第7章・・・・・発症後、初めての旅行

   第8章・・・・・ショートステイ

 

 

第6章・・・・・自宅での療養生活(2005年8月~2008年)

 

 

■戸外で普通の食事に挑戦

 初めての酒についで新鮮な体験となったのが、外での食事と買い物だった。その日は天気も良く、デイサービスで私以外の利用者はいなかったので、公園で昼食をとろうということになった。車でスタッフ2人とスーパーへ買い物に行き、サンドイッチや寿司などを買った。病気になってスーパーへ買い物に来るなんて初めてのことだ。何てたくさんの物が溢れていることだろう。これからは家族の買い物になるべくついていくことにしよう。障がい者だからといって、家に閉じこもっていることはないのだ。好みを主張し、好きなものを買えばいいのだ。ただ通路は何とか車いすが通れるものの、陳列してある商品を横に見なければならず、極めて見ずらい。正面でも細かい字は見ずらいのに、横になると二重に見えてしまい、ほとんど何があるのかわからない。

 私たちは食べ物を調達し、近くの公園にある小山のふもとまで来ると、買ってきた食べ物を広げた。サンドイッチも寿司も食べやすいように、細かく切ってくれた。外で食べる食事は格別、だった。食事前の顔の運動もせず、それまでとろみのついた特別な食事内容だったのに、普通にスーパーで売っているものを食べるなんて、ちょっと信じられない。でも、外で普通、の食事にチャレンジするのは痛快だ。そんな食事にチャレンジさせるデイサービスも、ちょっとないだろう。私はけっこうサンドイッチを食べてしまったが、おかげで普通の食事に自信を持った。私はこうしてデイサービスでの経験を通して、食事の幅を広げていった。

 デイサービスのスタッフもいろいろな経験やチャレンジをさせてくれたが、ただむやみにさせているのではなかった。食後の吸引で何が引けるのかを記録し、固い物のほうが、飲み込みやすく、水分の多い物やねばねばのある物は、かえって誤嚥しやすいことなどを突き止めた。私の食事は徐々にとろみのついた物から刻んだ物へ、メニューも他の人と変わらない物へ、主食もおかゆからご飯へと変わっていった。この頃、家でも他の家族と変わらない食事を試し、連絡帳にお好み焼きを食べたとか、かつ丼を食べたとか、お互いに情報交換をしたりした。しかし、水分の多い物はどうしてもだめだった。また口があまり開かないので、刻んだ物でないと食べられない。

 

 

来月(9月)は旅行記「長崎編中編」を掲載する予定です。この続きの闘病記は第75回を10月初めに掲載する予定です。

このブログは毎月更新です。内容は「闘病記(私が脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を中心に掲載)」と「旅行記(私が病気になってから車いすで旅行したもの)」と「デイサービス少景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを中心にデイサービスの日常を紹介したもの)」を交互に掲載。旅行記は障がい者(車いす利用者)と健常者との観光モデルコースともなっており、闘病記は発病からの経過を記録したものです。「旅行記」と「闘病記」と「デイサービス少景」の3部構成全体で障がい者や高齢者の理解が進めば幸いです。

 

 

 長崎は坂と歴史の街である。山の頂き近くまで住宅は張り付く。路地を曲がると、片手を懐に入れた坂本龍馬がひょいと現れそうな、そんな想像をさせる街である。

 始めてきた町なのに、何故か前に来たような気がする。なんだか懐かしいような気がするのは何故だろう。

 長崎旅行を計画したが、新型コロナの影響で、3年かかってしまった。しかし、ようやく来ることができた。飛行機の便数や時間の関係で福岡空港に集合し、福岡空港からレンタカーで長崎に行くことになった。長崎は路地が多いということでレンタカーはいつもの大型車両ではなく、普通車の福祉車両である。高速で長崎ICを下りると、そのまま出島へ向かった。

 出島(車いすトイレあり)は教科書からイメージする海に突き出た小島という面影はなく、周りは埋め立てられ、ビルの谷間にポツンと存在する。入り口となる橋を渡ると、たちまち時間は逆行し、歴史のゴーストたちが現れる。バリアフリーコースに沿って、一周すると、荷揚げ作業をするゴーストたちが動き回っている。

橋を渡ると時間は逆戻りする

ゴーストたちが動き回る

 

 

 

 出島から車で平和公園(車いすトイレあり)へ。平和公園では坂の途中に地下駐車場があり、駐車場からエレベーターで、平和の像近くに出ることができる。そこには修学旅行の集団がいくつもできていて、混じって説明を聞くことができる。実際ちゃっかり修学旅行の集団についていった。

ヒバクシャのゴーストが叫ぶ「ゲンバクはいらない」「戦争はもう嫌だ」歴史は証明している〝核抑止〟が核を世界中に広めたことを。暴力は暴力を生む。唯一の被爆国が国連の核禁止条約に加盟してないことを。

ヒバクシャのゴーストは叫ぶ

平和の鐘

 

 

 そうか!この既視感、懐かしさはゴーストのせいだ!

 

 

 長崎は修学旅行や社員旅行といった集団旅行のメッカである。特に4~5月は最盛期で観光客向けのホテルの予約は満杯である。私も次々とホテルの予約を断られ、1泊朝食付きのビジネスホテルがやっと取れた。中華街近くの「ドーミイン長崎新地中華街」のバリアフリールームである。

夕食は予約した中華街の「江山楼」である。食事を済ませ外に出ると、笛やドラの音が聞こえる。ほの暗い中に一角だけ妙に明るい。長崎くんちの龍踊(じゃおどり)の練習をしているのだ。玉を追って、龍が暴れている。笛とドラは休むことなく響き渡る。私は何だか得した気持ちになった。

 

 

来月(8月)は闘病記第74回を掲載する予定です。この続きの旅行記は長崎編中編を9月初めに掲載する予定です。

 

 

 

 

このブログは毎月更新です。内容は「闘病記(私が脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を中心に掲載)」と「旅行記(私が病気になってら車いすで旅行したもの)」と「デイサービス小景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを中心にデイサービスの日常を紹介したもの)」を交互に掲載。旅行記は障がい者(車いす利用者)と健常者との観光モデルコーともなっており、闘病記は発病からの経過を記録したものです。「旅行記」と「闘病記」と「デイサービス小景」の3部構成全体で障がい者や高齢者の理解が進めば幸いです。

 

 

●このブログ(闘病記)の中で夫婦の手記が混じっているため

 私の手記―太文字

 妻の手記―普通のサイズ

 とし書体を替えて、一目でわかるようにした

●文中によく出てくる略語の意味は次のとおりである

 ST[spceeh therapy(therapist)]:言語療法(言語聴覚士)

 PT[physical therapy(therapist)]:理学療法(士)

 ОT[ocupationn therapy(therapist)]:作業療法(士)

 

 

             目次

   第1章・・・・・発病してS病院に入院

   第2章・・・・・Kリハビリセンターに転院

   第3章・・・・・Мリハビリ病院に転院

   第4章・・・・・K医療センター

   第5章・・・・・再びセンターへ

   第6章・・・・・自宅での療養生活

   第7章・・・・・発症後、初めての旅行

   第8章・・・・・ショートステイ

 

 

第6章・・・・・自宅での療養生活(2005年8月~2008年、

 

■春の楽しみ

 私は春になると毎年決まってすることがあり、楽しみにしていることがある。それは私の家の隣が駐車場になっていて、そこに土筆が咲くのを見ることである。それは毎年必ず春になると伸びてくる。人や車に踏まれようと、したたかに、しなやかに、力強く春の風と共に顔を出し、成長する。

 私はそれを見て、毎年途切れることなく小さな命が芽吹くのに感動する。愛おしくさえ思う。以前だったら当たり前とか、そんな小さなこと思ったであろう。それは些細なことだが、命のきらめきであり、力強さでもある。そして私は春が来たことを実感する。