日経新聞夕刊PTA関連記事にコメントが紹介されました | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

日経新聞夕刊PTA関連記事にコメントが紹介されました

日経新聞1月21日(火)の夕刊に、PTA関連記事(「PTA嫌い解消へ ボランティア制で『やりがい』」)が掲載されました。

記事は、任意加入の徹底やボランティア制の導入などの改革を試みるPTAの紹介が中心。
各校のPTA会長に取材をして、改革を思い至ったきっかけや改革を進める上での苦労、自由意思を大切にしつつも活動を進めていくための工夫等が紹介されています。

記事の末尾に紹介された拙コメントは、以下の通りです。

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「できる人」から「やりたい人」へ
 共働きの増加や介護でPTA活動をする余裕のある人が減っているのに、活動の規模は変わらない。保護者間で委員の押しつけ合いが起きるのも無理はなく、10年ほど前から一層深刻化している。
 PTAは「誰かがやらなくてはいけない」との意識が強い。だが、学校が主催する行事や地域の活動がすでにあり、PTAがしなければならない活動は何かを見つめ直す必要がある。
 入会を義務付ける法律はなく、ボーイスカウトや婦人会と同じ位置付けだ。「できる人」がやるのではなく「やりたい人」がやり、希望者がいなければやらない、という選択肢もあるのではないか。
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<取材時にお話ししたこと>
日経新聞の田中裕介記者( ― お子さんが来年小学校に入られるそうです)から取材の依頼があり、「変わりつつあるPTAの現状を紹介する記事を考えている。ついては、PTA改革の現状と今後の展望、改革における評価される点と課題について話を聞きたい」とのことでした。
また、実際にお目にかかったときには、改革に成功している学校はまだまだごく少数であること、改革に成功しているPTA会長はいずれも男性であることの背景には何があるのかも話題になりました。

年末に、千葉市教委事務局と意見交換したり(最近の拙ブログコメント欄で言及)、文科省主催のPTA関連フォーラム(2013.12.07)に参加したりなどして、年末年始、「改革は進んではいるものの、まだまだ解決への道は遠いよな・・」ともやもやとした思いを抱いていたところだったので、今回の取材は、そのもやもやを整理するよい機会になったと思っています。


<三つの課題>
ここでは、今後改革を進めていくために必要なものとして述べた、次の三つの点について触れておきたいと思います。


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1. PTA活動の相対化
2. 保護者会のPTAからの分離
3. 文科省・教委による責任ある対応
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1.PTA活動の相対化

法的位置づけからしても、PTA活動は「誰かによって必ず担われなければならないもの」ではない。有志がいてはじめて成立する活動である。
PTAを絶対化するのではなく、相対化することが必要だと思う。

「できる人が、できる時に、できることを」というスローガンは、PTAの強制性に対するアンチーテーゼとして意味を持ち大きな役割を果たしてきたが、その一方で、保護者を追い詰める側面があることを見逃してはいけないと思う。
このスローガンは、PTA活動を「誰かがやらなくてはならないもの」とする価値観と実は深いところで結びついているのではないか。

委員・役員の選出で問題になる、「診断書の提出」や、「皆の前でできない事情を申告させ、皆が認めた場合に限り役職を免除する」等の人権侵害的行為は、その人が「できる人」か「できない人」かの吟味をしていると言える。
悪名高きくじ引きも、「できるのにやらない人たち」の中から、「やってもらう人」を選んでいると言える。
「できない人に仕事を押し付けるのはよくない」とはPTAの現状に肯定的な人の口からも出てくる言葉だが、この言葉は「できる人はやるべきだ」との考え方と隣り合わせであることに注意したい。

「できる人」がやるのではなく「やりたい人(やる意思のある人)」がやる、逆に言えば、「有志がいなければやらないもの」へと価値観をスイッチするべきだと考える。
「できるかできないか」は個人の一存では決めにくい。いっぽう「やりたいかやりたくないか」は個人の一存で決められる。個人に決定権が与えられるべきである。

(札苗小と嶺町小の改革について)

札苗小PTAや嶺町小PTAの実践は本当にすばらしいと思う。しかし、PTA活動に参画することへの意義づけにやや行き過ぎを感じることがある。
例:「そうだ学校に行こう。子どもたちに笑顔を。大人たちに感動を!」(嶺町小)。

おやじの会のノリとしてなら分かるが、ふつうの保護者(特に母親たち)はすでに年に何回となく学校に足を運んでいる。次に引用するような、「学校とは静かにかかわりたい」とする保護者の立場も尊重されるべきではないか。

「私が学校に望んでいるのは、『安心して静かに学べる場』です。それすら危ぶまれているのに、町会とのつきあいのもちつきなどなくてもけっこうです。町ぐるみ運動会、バスハイクも歩こう会もラジオ体操も講演会もいりません。しっかりとした授業があり年1-2回の遠足があり、休み時間に子供達が仲良く遊べればいいのではないでしょうか。なぜそれ以上母親が時間をけずってPTAの仕事をしなければならないのかわかりません。」
(岩竹美加子「国家の装置としてのPTA」(『国立歴史民俗博物館研究報告・第132集』2006年)に引用されているある保護者の声)

また、保護者や地域が子どもたちのためにあれこれと世話を焼くことに対する批判的な立場もあることも考慮されるべきではないだろうか。
参照:拙ブログ<してあげたい病>


2.保護者会のPTAからの分離

PTA活動の相対化の一方で必要になるのが保護者会のPTAからの分離・独立である。ここで言う「保護者会」とは、学校主催の集会としての保護者懇談会を指す。

任意加入が徹底されれば、PTAには入会しない保護者も今後増えてくるものと予想される。PTAの会員・非会員に関わらず、学校と保護者、保護者と保護者が連携・協力できるような枠組み作りが必要だ。
従来のあり方はPTAへの全員参加が大前提になっていて、ここで言う「保護者会」と「PTA懇談会」との区分けがあいまいになっている。そこをきちんと区分けしていく必要がある。

PTAからの「保護者会」の分離・独立に関しては、元文部官僚の寺脇研氏の次の発言が参考になる。

寺脇 校長の立場としては、全員が加入している親の団体があるのはいろんな意味で便利ですよね。いろんなことがあった時に、インフルエンザどうしましょうかなんていう時だって相談できる。それはそれで別に作りゃあいいんですよ。
吉田 保護者会。
寺脇 それは保護者会。それこそ保護者にはいろんな諸連絡があるじゃないですか、今年の遠足はこうしますとか。いろんなことについて保護者の意見を聞くっていう意味での保護者会はあるわけですよ。今まであいまいに包括的にPTA 活動って言ってきたものの中に、保護者会的部分とその学校を良くするための社会運動的部分があるわけだからそこを整理しなければいけないんで、その保護者会的部分に参加すると困るとかそこが問題ってことはないわけでしょ。結局、社会活動的部分についてやりたくないとか、大変だとかいろんな要素が出てくるから問題なんじゃないの。

(「平成21 年度文部科学省『保護者を中心とした学校・家庭・地域連携強化及び活性化推進事業』PTA を活性化するための調査報告書」p.41)


3.文科省・教委による責任ある対応

教育行政には「退会を認めなければ違法だが、自動加入は容認される」という、「まっ黒じゃなければ構わない」とするスタンスが残念ながら認められる。
PTA執行部による抵抗や市議や有力校長による自動加入を容認する立場表明等、影響力の強い人々による現体制を守ろうとする動きもあり、困難を伴うことは理解できるが、法令遵守と人権尊重の観点から、教育行政には責任ある取り組みを求めたい。(注)

その点において、先進的な事例として注目されるのが、(学童保育についてのものだが)川越市教委による議会答弁(2013.06.19)。
そこでは、「保護者個人の自由意志による入会申し込み手続を実施することなどを要請」していることが明言されている。
参照:ブログ『とどくおもうⅡ』<ぷ~た資料998:教育委員会からの要請>


(注)

拙ブログの以下の記事参照。
・<神奈川県教委生涯学習課からの「自動加入」のPTAにおける違法性をめぐる回答書> (2011.01.04)
・<横浜市のPTA 任意加入周知の動き、失速> (2013.04.29)
・<PTAの入退会自由をめぐる千葉市陳情審査(考察編)>(2013.07.16)
・<「入退会自由なPTAを求めて」を聞いて(4) 校長先生との立ち話から考えた>(2012.01.07)
※地域の人材養成の観点から、全員加入を容認


追記1

「『できる人』から『やりたい人』へ」という考え方は、比較的最近思い至ったものです。その部分の「考察」は、家内から「『できる人ができる時にできることを』という言葉はどうもひっかかる。自分の場合は『あなたはできるはずなのに』という感じのプレッシャーで苦しんだ。」と言われ、それがきっかけでまとまったものです。

追記2

PTA活動は「やりたい人」がやるべきとの考え方は、カワバタさんやその他の方もすでに述べられています。
<“やりたい人がやるPTA”が学校共同体を強くする>
<ゆるく、自由に、そして有意義に「やりたい人がやるPTA」その1>