PTAの入退会自由をめぐる千葉市陳情審査(考察編) | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

PTAの入退会自由をめぐる千葉市陳情審査(考察編)

1.自動加入を容認するというのか?
<教委の発言>
審査の冒頭で、千葉市教委事務局が「参考意見」として以下のように述べている。
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PTAは、保護者及び教職員を構成員として、生涯学習を通じ児童生徒の健全育成を図るため、各家庭の実情や地域の実態等に応じ、学校から独立してさまざまな活動を行っている任意団体である。

このことから、PTAの自主性・自立性は尊重されるべきものであり、結果的にPTAの停滞や縮小につながるような、教育委員会による指導は行うことができないと考えている。

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(陳情第5号に関する「教育未来委員会説明資料」より)

前段部分には「PTAは各家庭の実情や地域の実態等に応じ活動するもの」と、「各家庭の自主性・自立性」に関わる言及があるのに、なぜか結論部分(後段)になると、「PTAの自主性・自立性」への配慮ばかりが示され、「各家庭の自主性・自立性」への考慮は消滅してしまう。
千葉市教委は、保護者個々人の自主性・自立性(つまり、人権)は侵害されても構わないというのだろうか?

<市議の発言>
PTAの自主性・自立性は尊重される一方で保護者個々人の自主性・自立性はないがしろにされるという興味深いアンバランスは、議員の発言により明瞭に認められる。

例えば、

この陳情書には「学校に対して指導すること」とあるが、これは、権力主義以外のなにものでもないと思う。(男性議員B)

まさしく、この共助の組織に対して、公権力が介入することはないと思う。陳情権は誰にも保障されているので、どんなものでも出されることは止められないが、こういうすべてを公で何とかしてくれというのは、これからの私たちの社会に対して非常に心配だ。(女性議員B)

そもそも、PTAというのは、自主的、自立的な任意団体なので、教育委員会に頼んでこのようにすべてをがっちりと、一つのルールに基づいて一律的に指導するというのが、まず違っていると思う。(男性議員E・副議長)


と、PTAの自主性・自立性を守ることに関しては厚い配慮が示される。しかしながらその一方で、

自動入会のことを問題にしているが、役員の手間や、入会のしやすさを考えると、「原則自動入会」にしておくのは、ある意味、配慮されている仕組みかなと思っている。
ただ、それがもし強制ということにとられるのなら、そうではないのだよ、ということをPTAの中で皆さんで勉強するのが私はいいと思う。(女性議員B)


と、「自動加入」を容認・肯定し、もしも問題を感じるのなら「PTAの中で皆さんで」話し合えと言う。つまり、「PTAに入らない」という選択は認めないのだ。
自動加入に関しては、男性議員D氏も「事実上、自動加入でもやむを得ないのではないかと思っている。」とはっきりと容認している。

そして、その他の議員も、事実上、「自動加入体制」を容認・肯定していると言える。
今回の陳情にもっとも同情、共感した女性議員A氏でさえ、

そのためにも、この陳情者にも、まずPTAの活動に関わって中側から変えていってほしい。

と、PTAに入らないという選択は認めていない。

また、男性議員A氏も、陳情者の問題提起にかなりの理解を示しているものの、

学校において保護者同士の中でやはり民主的にちゃんと会議を持って、そこでしっかりとした話し合いがもたれて決めていくことが本来の原則だ
(…)
確かに、PTAは入退会自由であるとは思うが、そのことを広報・周知すると、逆にまたどんどんなり手が減ってしまうのではないか。したがって、先ほども述べたように、当事者同士が決めるのが原則だと思うので、この陳情には賛同しづらい。


と、やはり、PTAに入らないという選択を認めない。

その他の議員の発言でも、
私も、ぜひPTAの中にいっしょに入ってもらって協力いただきたいと思う。(男性議員C)、

PTAの中で、いわゆる民主的に、それぞれの会員はお互いの立場を考慮・尊重しながら運営して行ってもらうしかないのでは(男性議員D)、

皆さんが言ったように、PTAの中で話し合って解決する問題(男性議員E)


と、皆一様に、「PTAの中での話し合い」を求め、「PTAに入らない」という選択を認めようとしない。

しかしながら、言うまでもなく、PTAは、社会教育法に言う社会教育関係団体であり、青年団や婦人会、老人クラブと同様の「任意加入の団体」である。
議員各位は、このPTAの基本的な性質をどう考えているのだろうか?
参加を義務付けられていない団体への参加を大前提とすることは、個人の選択の自由を認めないということになる。

今回の陳情審査において、教委事務局と市議の発言の中には、何度も「民主的」とか「民主主義」という言葉が使われていた。
だが、団体の自主性・自立性ばかりを大切にし、個人の自主性・自立性(つまり、人権)をないがしろにして、民主主義が成り立つとは思えない。


2.「くじ引き」等による役員の強制を認めるのか?
教委事務局は、男性議員A氏からの

・陳情書に指摘されているような役員の強制という事実があるのか?
・役員のなり手がいないという声は聞いているか?


という質問に対して、次のように回答している。

・「役員の強制はあるのか」について答える。先ほどから述べているように、PTAは民主的な組織なので、役員選びに当たっては、当然、会員同士の話し合いの中で決まっているものと認識している
・役員不足は全国的な話。ただ、今も述べたように、会員の中で民主的に話し合って役員を決めるのが本来の姿だと考えている。
(太字、引用者)


また、議員からも、以下に示すように、役職の強要・強制は許されない旨の発言もあった。

その中で強要することがないように気をつけてほしいと思う。(男性議員C)

やれない人はやれない事情を地域でも理解しながら、協力し合うことが大切。だから、強制とかはあってはならないと考える。(男性議員D)



本部役員や委員会の委員長などの負担の大きな仕事をくじ引き等によって押し付ける「役員の強制」が、PTA問題の核心だと考える。

何者かが独裁的に強権を発揮してくじ引きを強行するという場合、これは言うまでもなく民主的な決定と言えず、「認められない」ということになるだろう。
では、役員会なり選考委員会なりの場所で話し合いが行われ、その結果、「くじ引きによる決定もやむを得ない」となった場合、それは、千葉市教委の言う「民主的な話し合いによる役員決め」として認められるのだろうか?

陳情の審査に当たった教育未来委員会所属の議員たちは、先に見たように、「自動加入」を容認・肯定している。
千葉市教委、そして各議員は、くじ引きによる役員の決定も容認・肯定するのだろうか?
もしも、「自動加入」だけではなく「くじ引き」まで容認されるとしたら、保護者は、何の法的権限もない団体に一方的に会員にさせられ、その上、負担の重い仕事を強要されることになる。
このような非人道的かつ非民主主義的な行為が認められていいとは到底思われないのだが…。

千葉市教委の言う「民主的な話し合いによる役員決め」の中に、「くじ引きによる役員決め」が入るのか・入らないのか、近いうちに、ぜひ確認してみたい。