憲法の視点からのPTA改革 木村草太氏の朝日新聞投稿記事を読んで(その2) | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

憲法の視点からのPTA改革 木村草太氏の朝日新聞投稿記事を読んで(その2)

1.はじめに ―「強制加入は合憲」と言っているわけではない
今回の記事を読んでみての第一印象を率直に述べれば、「とうとうこんな記事が出てきたか。PTA問題解決の日がぐっと近づくに違いない!」と感動させられつつ、一方で、複雑な心境にもなった。
それは、私自身、何年も前から、文科省や教委相手に同様の主張をぶつけてきたからである。ぶつけたけれど、その批判ははね返されてと言うか、ブラックホールに吸い込まれてと言うか…、「強制の構造」はほとんど変わっていないからである。

もちろん、それには私の非力さが大きく与かっているとは思うのだが、それにしても、我々の「相手」はなかなかに“したたか”だと思うのだ。

木村氏の記事は、強制加入は憲法に言う「結社の自由」を侵すと明言し、「強制加入でかまわない」という判断を否定する。
しかし、問題は、教委・PTAが「強制加入でかまわない」という立場に立っているのかである。先方が「強制加入でかまわない」と言っているのであれば、「強制加入は違憲」との批判は有効だろう。しかし、教委・PTAは、その点、巧妙な立場をとっている。
彼らは、「強制加入は合憲」と言っているわけではないのだ。


2.教委の言い分(その1) 「『自動加入』は『強制加入』とは違って、違法性はない」
「県下の多くの公立学校において行われている、意思確認抜きに保護者を加入させるやり方は、強制性があり人権上の違法性があるのではないか?」との当方の問い合わせに対して、神奈川県教委は顧問弁護士に相談のうえ、文書にて回答した。
その回答は、次のようなものであった。

「県下PTAにおいて行われている『自動加入』は違法ではない。規約に自動加入と明記されており入学と同時に自動的に会員にされたとしても、脱退については、任意の退会を認めない旨を定めることはできず、会員はいつでもPTAに対する一方的な意思表示で脱退できるので、意に反して会員でなければならないという事態は容易に解消できる。また、規約に明記されず慣習として自動加入になっている場合においても、保護者が明らかに加入しないとの意思表示をしていない場合は、慣習に従う意思を有するものと推定される。よって、自動加入には強制性はなく、人権上の違法性はない。」(要約)

つまり、確かに「強制加入」なら違法だろうが、当県において行われている「自動加入」方式には強制性はなく、よって違法性はないという主張なのだ。
※拙ブログ記事(2011.01.04)「神奈川県教委生涯学習課からの「自動加入」のPTAにおける違法性をめぐる回答書」参照。

この立場は、意識的かどうかはともかくも、現在、多くの教委・PTAが立っている立場ではないだろうか。
入会の意思を確認することなく一律に保護者を入会させているPTAは数多く存在する。そして、そのことはどの教委も把握しているはずである。それにもかかわらず、是正の動きを見せないということは、彼らも、神奈川県教委と同様、「自動加入には強制性は認められないから問題はない」との立場に立っていると言わざるを得ない。

直近の例では、「PTAの現状はおかしいのでは?」との保護者からの疑問に対して、神戸市教委が次のように回答している(との情報をついこの間ネットで得た)。

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(1)入退会は、お子さまの入学と同時に加入し、卒業と同時に退会する仕組みが多いです。お子さま入学のときに入会の説明をし、総会で承認されるという流れが一般的です。任意団体であることの説明や入会申込については個々に状況は違いますが、しているところは少ないと思われます。
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http://www.inter-edu.com/forum/read.php?1647,2904283,page=7

「任意団体であることの説明や入会申込については個々に状況は違いますが、しているところは少ないと思われます。」と、教委が悪びれることなく述べている。

現在、神奈川県教委だけではなく多くの教委が、入会の意思の確認を行わないで一律に保護者を入会させるやり方であっても、入会拒否の姿勢を鮮明にした保護者を無理やり会員にとどめたりさえしなければ強制とはならないという立場に立っているのではないだろうか。
つまり、「争点」は、強制加入が合法か否かではなく、現状の多くのPTAには強制性があるか否かだと言える。


3.教委の言い分(その2) 「親なら参加してしかるべし」
もうひとつ、真の任意加入を実現するためには考えておく必要があると思われる教委の言い分がある。

昨年末から昨年度末にかけて、横浜市のP連の理事会で、PTAへの参加が任意(つまり、入退会は自由)である事実を保護者に周知すべきか否かが問題になった。そして結局、P連全体の方針としては、参加が任意との事実を各保護者に知らせることは見送られることになった(前エントリ参照)。その議論の最終局面で、教委事務局の生涯学習担当部長が次のように述べている。

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川﨑生涯学習担当部長:PTAは法的に設立した団体ではない。よって入会は強制ではない。趣旨に賛同する人が加入するものだが、本来PTAは、すべての子どもをすべての保護者と教員で支えるのが望ましい在り方と市教委は認識している。その仕組みについて説明し協力をいただくことが重要。
*****
(平成24年度 横浜市PTA連絡協議会 第8回理事会報告)

「本来PTAは、すべての子どもをすべての保護者と教員で支えるのが望ましい在り方と市教委は認識している。」の部分に注目したい。教委が、PTAには全保護者が加入することが「望ましい」と公の場で明言しているのである。そしてまた、「(各保護者に)その仕組みについて説明し協力をいただくことが重要」とも述べているのである。
このような発言は決して突発的なものではなく、2年前にも同趣旨の発言がなされている。

「規約の配布や説明がないままPTA 加入が前提で、ただ会費を集める手続きはしてもらうという学校の姿勢に不信感を持ちました」とする市民からの「声」に対して、横浜市教委は、次のように回答しているのだ。

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PTA 費は学校運営の中で児童全体にかかる事柄に使われ、児童個別ごとに分けることが難しいものであり、原則PTA の加入は任意ではありますが、全員加入をお願いしているところです。
〈問い合わせ先〉
教育委員会事務局北部学校教育事務所指導主事室
<公表日>
2011年4月4日
*****
(「横浜市『市民の声』の公表」)
ここで「学校運営の中で児童全体にかかる事柄に使われ、児童個別ごとに分けることが難しい」とされる「PTA 費」の具体的な使い道としては、「例えば、学校と地域が連携した活動を行う場合や運動会において全児童に配布する参加賞などで、一部PTA 会費から負担されるものがあります。」と回答されている(『市民の声』同年5/6付回答)。

この「回答」に対して、筆者が「加入の要請には法的な根拠があるのか。もしも法的な根拠がないのなら、教育行政が保護者全員の加入を要請するのは問題ではないか」と問いかけたところ、横浜市教委からは「強制ではなく『お願い』だから問題はない」との趣旨の回答があった(「回答のとおり「お願い」であって、法令に基づくものではありません。」(市民からの提案 第23-300498号))。
※拙ブログ記事(2011.09.16) 「“全員加入”をめぐり「市民の声」への投稿と横浜市教委事務局よりのメールでの回答」参照。

(注)教委自身が述べるごとく、「全員加入」の「お願い」は法令に基づくものではない。先に引いた教委部長の「全ての保護者の参加がPTA本来の望ましいあり方」との立場も、これまた法令(及び文科省の通知・通達)に基づくものではない。
法令や文科省の通知等に基づくことなく、教育行政が、保護者や社会教育団体のあり方について、たとえ命令でないとは言え、干渉することは行政のあり方として適法なのだろうか?


横浜市教委は「保護者全員が参加するのがPTA本来の望ましい姿である」と述べ、「全員加入」を「お願い」するわけだが、そのような立場の背景にある心根を理解するのに参考になるのは、次の栃木県教委の発言である。

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PTA は、会の趣旨に賛同した人が入会する民主的任意団体です(任意加入方式)。しかし、子供の幸福を願わない親や教師はいないので、大部分のPTA は加入率が100%になっています。それだけに、PTA を正しく理解し、会員意識を高める工夫が大切となります。
栃木県教委『あすのPTA のためのハンドブック』第3章PTA の特質より
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「しかし、子供の幸福を願わない親や教師はいないので、大部分のPTA は加入率が100%になっています。」の部分に注目したい。
ここには、「子どもの幸福を願う親なら当然のことPTAに入るものだ」との価値判断が認められる。


4.PTA問題の核心にあるもの ― 法に基づかない規範意識、及び学校の「しくみ」が保護者の選択の自由を奪う
「親ならPTAに入るべき」という法令に基づかない「規範意識」は、単なる規範意識にとどまらず、現実の「しくみ」として保護者の前に立ちはだかる。

それが、意思確認抜きの、つまりは「有無を言わせぬ会員化」(自動加入)であり、会費の給食費・教材費等との抱き合わせ徴収であり、入学式当日、記念写真を撮る前に行われるいきなりの役員決めであり、学年や学期の節目等に開催される「保護者懇談会」と「PTA会員の集会」との一体的開催等々である。

保護者の前に立ちはだかる学校の「しくみ」の最たるものは、「保護者懇談会」と「PTAの集い」との一体化であると考える。
それ以外のものについては、保護者が知識を持ち、ある程度毅然とした態度を取るならばクリアできるように思われる。「自動加入」の学校・PTAであろうと、非加入届を出せばいいのだし、抱きあわせ徴収に関しても、給食費と教材費のみの金額を納めるとの意思表示をすれば学校から拒否されることはないはずだ。
どれも、現実問題としては角が立ち、骨の折れることではあるが、やってやれないことはないように思われる。

ところが、「保護者懇談会」と「PTA会員の集い」とが一体的に開催されると、非常に悩ましくなる。「保護者懇談会」と「PTAの集い」とが一体的に開催されると、PTAに入らない保護者は、担任の先生や子どもの同級生の保護者と連携・協力すること( ― これを望まない保護者はいないと思う)が、とても困難になってしまう。親が、担任とそのクラスの保護者仲間のサークルから疎外されてしまうのである。
そして、親の疎外は、子どもの疎外につながることは容易に想像される(特に小学校低学年においては)。

この困難な状況を前にして、非加入の道を歩む決心ができる親はまずいないだろう。
現状、PTAの加入率が100パーセントに近いのは、任意であることが周知されていないこともあるだろうが、この「しくみ」が親を否も応もなくそう仕向けているという側面も大きいと思う。


5.まとめ ― 親がそれぞれの道を歩むには
木村氏の記事は一言一句が納得と感動の記事であったが、特に感銘を受けたのは次の一節だ。

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子どもや学校、地域社会のために何ができると考えるかは、人によって異なる。PTAの趣旨に賛同する人々は、PTAで活躍してほしい。他方、企業活動を通じた社会貢献や、家庭でじっくりと子どもと過ごす時間を重視したい人などには、その自由を認めるべきだ。
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それぞれの個性と環境に合わせて、子どもや学校、地域社会への貢献のあり方を各保護者が選択する。その選択を社会が認める。憲法の精神に合致した望ましい姿だと私も強く思う。
その選択を可能にするには、PTAには保護者なら加入して当然という「規範意識」、そしてその規範意識に基づいて作られている学校の「しくみ」、その両者を対象化し、克服していくことが必要だと考える。


学期の節目等に「保護者懇談会」に参加して、保護者が教師と、そして子供の同級生の保護者等と連携し協力を行うことは、子どもたちが健やかに学校生活を送るために必要なことだ。
だから、「保護者懇談会」への参加は、全ての保護者の義務であり権利であると言っていい。そしてそれは切なる願いでもある。

学校・教委には、PTA会費を給食費と抱き合わせに徴収すること等を考え直すだけではなく、ぜひ、保護者懇談会の適切な運営をお願いしたい。
保護者懇談会の適切な運営は、「保護者」(PTA会員ではなく!) と学校とが協力して子どもたちの教育を行っていくうえでどうしても必要なことだと思うのだ。

ミニマムをしっかりと押さえること。それが、それぞれの保護者がそれぞれの道を歩むための前提条件だと思う。