みちょるの子宮頚部腺癌闘病日記

みちょるの子宮頚部腺癌闘病日記

初診から手術、予後の経過までリアルタイムに発信します。

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2014年 3月 3日 手術当日 つづき

「みちょるさん・・・」

看護士さんに肩をトントンされて、意識が戻る。

「手術終わりました。 今、16時20分ですよ」

メガネをかけていないせいか(裸眼0.01) 視界がボンヤリ。

頭もボンヤリ。

靄がかかったような・・・とは、まさにこんな感じ?

なんだか、手術のBGMがAKB的なアイドルソングだったような・・・・?

クラシックじゃないのね。

あれ?手術の終了予定は 17時半だったはずだから、ずいぶん早いな・・・。

とツラツラ考えている間も、ガラガラとベットで移動しているらしい。

ちなみに手術台からベットに移された記憶は無い。

集中管理室?? つまり術後の「24時間完全看護される部屋」に到着。

「みちょる、大丈夫? 痛くない??」

などと母親や旦那ちゃんらしき声が話しかけてくるが、声が上手く出せない。

酸素の管を入れていたせいで喉がイガイガするのだ。

視界もぼやけたまま。

完全看護の為のこの仮住まいは、個室であるが普通の個室とは違って、トイレやシャワー、洗面

などはついてない。

ドアを入るとカーテンで仕切られて、細長い部屋にベットがあるのみ。

現在は私の引越し?私物が雑然と載せられたワゴンが部屋の置くにある。

意識はあったり、なかったり を繰り返す。

「なんか、さすがに顔色悪いね」

「死んでるみたいだよね」

とかの、家族の勝手な会話が耳に入ってくる。

一度はっきり意識が戻ったとき、ベットの右手に母と 旦那ちゃんがいて、私の顔を覗き込んでいた。

旦那 「あ、目が覚めたみたい・・・」

母 「どう? 気分は、、、」

気分はどうかと聞かれても、声が上手く出せず、答えられない。

首を振ると、察しの良い旦那ちゃんが

「たぶん今は、イエス・ノーでしか意思表示できないみたいですよ」

と母に言ってくれる。

なのに、母は 「何か取ってあげようか?」 とか 「気分はどうか」 とか何とか、答えられい事ばかり

話しかけてくるので、ムーーーーーーーッ としてると

「あ、ウザーって顔した」

と旦那ちゃん失笑。

なにはともあれ、身動き取れる気もしないし、術後6時間は水も飲めないのだ。

寝てるしかない。

結局、ボーっとてるうちに面会時間が終わって、家族は帰っていった。

いても何も出来ないし、完全看護状態なのだ。

ところで、現在の自分の状況はというと・・・

背中に硬膜外麻酔の管が刺さり、管の元は大きな注射器のような形をしていて、巾着袋に収まって

私の右側のガウンの紐に縛りつけぶら下げている。

左腕からは点滴の管が伸びている。

お腹には2本のドレーンが刺さっている。

これは、腹部の手術跡からリンパ液や血液を吸い出すためのもので、ストローよりちょっと太い

ゴムの管が、腰とヘソの間(盲腸のあたり)に左右2箇所刺さっている。

お腹の中には、このチューブ実に15センチくらい入っているんだよ!

しかも、刺さってる部分は肌に縫い付けられているのだ!

で、この2本の管が40か50センチくらい体から出てて、先に(アイスの)パピコの殻みたいな

ビニールボトルが付いている。

このビニールボトルに、血液や体液(リンパ液)が吸い出されて溜まっていくのだ。

で、この2つのパピコはまとめて、微妙な柄の巾着袋に入れられて、麻酔と逆側の、左のガウンの紐に

縛られてぶら下がっている。

アソコからは尿道管がつけられて、尿は自動的に排出されている。

膝下は、弾性ストッキングを履いたまま、上から脚揉みマシンが付けられて、一定時間で空気が送られ

プシューっといいながら自動でフクラハギをモミモミしています。

つまりは、身動きなんて取れねーよ! てな状態です。

しかも、夜中も1時間おきに看護士さんが、体温、血圧、酸素量 などを測りにくるのでまったく眠れない

、、というか、ウトウトしては起こされ、の繰り返し。

硬膜外麻酔(腰下)も効いているせいか、特に痛みは無いまま、体が不自由な不愉快さと一緒に夜は

ふけていくのです。