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おそらく形而上学の初心者は、真の指導者から、最初にこう指示されるでしょう。


死の意味と、人生が授けてくれる機会について熟考せよ、と。この2つの命題は、セットで考えることによって、健全かつ穏健に考察することができます。


個々に考察すると、不健全なほど悲観的になったり、過度に楽観的になったりしてしまいます。


では、どのようにしてじっくりと考え始めればいいでしょうか?次のように内省してみてください。


まず、肉体の面から見れば、私たちは誰もが死に向かっているのだということを理解しましょう。望みがないように見えるかもしれません。それでも、これは真実であり、否定することはできないのです。


1秒ごとに、息をするたびに、私たちは墓場へと近づいています。神は私たちの人生に何も約束してくれません。


しかし、死だけは定められています。死こそが、神からの約束なのです。私たちは、いつ自分が肉体から永遠に離れるのか知りません。1時間後かもしれませんし、今日中かもしれませんし、明日かもしれません。


しかし、なるようになるのです。そう考えると、新たな疑問が浮かび上がります。「では、人生の意味は何なのだろう?」「人生の目的は何なのだろう?」と。物質主義者のように、「明日には死ぬかもしれないんだから、食べて、飲んで、陽気に楽しもう」と言いますか?


疑問に対する答えを得られぬ哲学など、何の意味があるのでしょうか。だから、こう考えましょう。「いつ死ぬか分からないのだから、人生の目的と意味について探究しよう。遊びに時間を費やしていては、神が私たちに与えた目的は果たせないだろう」。




さらに熟考すると、私たちは1つの重大なことに気がつきます。


人生は、この世で与えられた機会であるということです。何のための機会でしょうか?成長し、変化し、調和するための機会です。古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは「万物は流転する」と説きました。万物流転の法則です。形而上学的な視点からすると、彼は進化の法則について言及していたのだと分かります。



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レナード・リー(通称Luxamore

形而上学講師、カウンセラー、心霊治療家、インドネシア製の神秘的な魔法のアイテム販売

インドネシア製の魔法のアイテム:護符、ムスティカ真珠、クリス(短剣)

インドネシア製の魔法のベゾアール石(ヤギの胃石)、ムスティカ真珠






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オカルト小説:皆さんの蔵書コレクションにお勧めの小説(2)




現代のオカルト小説をコレクションするなら、ジム・ブッチャーの「ドレスデン・ファイル」シリーズ抜きには語れません。このシリーズはファンタジー推理小説のファンに大人気を博しました。このシリーズを原案にして、同名のTVドラマも制作されました。 




これまでにブッチャーは、シリーズ8冊を執筆しました。聞くところによると、同氏はあと12冊は執筆するつもりでいるそうです。オカルト小説のファンには、非常に嬉しい知らせですね!




ハリー・ドレスデンは、シカゴで広告を出す唯一の魔法使いで、がらんとしたオフィスで働いています。どれくらい慌ただしくなるかは、来訪者が人間かそうでないかにかかっています。事件が彼の予想どおりの展開をたどることは、めったにないため、毎月、なんとか家賃をまかなっています。そうなる原因のひとつは、怪しげなお客がひっきりなしに来るからです。しかし、大きな原因は、ハリーの美しすぎる心です。さらに、彼は自分の懐事情をまったく顧みないのです。




ハリーは、地下のアパートで電気なしの生活を送っています。魔法使いのエネルギーにさらされると、電気製品が故障してしまうためです。だから、ハリーはろうそくで明かりをともし、冷たいシャワーに震えています。ハリーの“実験室”はアパートの下にあり、そこには魔法をかけるのに必要な何百ものアイテムが置いてあります。“実験室”には古代の空気の精霊、ボブがいます。ボブは埃の積もった人間の頭蓋骨をすみかにしています。ハリーの魔法はほとんど、ボブの知識によるもので、さながら歩く魔法事典です。また、ボブは皮肉めいた冗談で、ハリーの混迷の

日々に、絶妙なユーモアと真理を与えます。




ブッチャーは、愉快で複雑なキャラクターたちを上手に作り出しました。それでいてこれらの小説のそれぞれのシーンは、蛇口をひねれば出てくる水道水のようにスムーズに流れます。彼の小説家としての才能は、語り尽くせません。ブッチャーは、このシリーズの最初の本を、学生のときに書きました。当時の出来はひどいものでした。しかしブッチャーは、最初の物語がオカルト小説ファンの要求に応えうる高いレベルに達するまで、数年かけて修正しました。その後は、皆さんもご存知のとおりです。




凝ったファンタジー推理小説、目もくらむような魔法、速いストーリー展開、愉快なキャラクターが登場する小説が好きなら、ジム・ブッチャーの「ドレスデン・ファイル」シリーズをコレクションに加えましょう。私なら、迷わず加えます。




ローラ・スタンプスは、受賞歴をもつ小説家で、魔術崇拝者でもあります。また、野良猫の保護活動も行っています。ピューリッツァー賞にノミネートされ、プッシュカート賞 には7回ノミネートされました。スタンプスは、女性向けオカルト小説の人気シリーズを執筆しています。


詳しくは以下のウェブサイトをご覧ください。

www.KittyfeatherPress.blogspot.com


投稿者:アーサー・ラルストン




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学ぶ動機

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形而上学を学ぶ人は、まず、形而上学を学ぼうと思った動機を深く考え、分析してください。


どうして形而上学や関連する分野を学ぶのでしょうか?なぜ、魔法や神秘体験、秘教やサイコメトリー、ダウジング、テレパシーなどの様々な能力について知りたいのでしょうか。理由は何でしょう?動機は何でしょうか。他者より優位に立ち、影響力を及ぼしたいからでしょうか?それとも単に名声を得たいからでしょうか。あるいは、名声によって得られる財産が目当てでしょうか?


そのような理由で形而上学を学ぼうとしても、霊的な成長の妨げになります。教えを請う価値のある指導者は、そのような下心を見逃しません。純粋で高潔な動機とは、神と人類に仕えるということです。この物質的な世界に精神的な意味を与え、地上の楽園を出現させることです。そうなれば人類は、真理、正義、公正、愛、平和、そして善意に包まれるでしょう。


皆さんの動機が私利私欲に基づくものなら、今すぐ心構えを変えるよう勧めます。動機について、自分をごまかしてはいけません。




他にも私たちがしてはいけないことがあります。天国の秘密を盗むこと、あるいは無理やり天国に入り込もうとすることです。


つまり、いかがわしい修行に没頭して無理に神秘的な成長を図ってはならないというこです。


高潔さもなく、教えを伝える権限もないところで修練を重ねるのはやめてください。怪しげな修行を実践し、すぐに成長を望むのはやめましょう。もし神秘的な能力を“即効で”得られても、それは永久的な力ではありません。


むしろ、ほとんどの場合は、やがて悪影響を及ぼします。温室栽培の植物より、自然の空の下で栽培された植物のほうが丈夫だというのは、周知の事実です。


霊的な成長も、同じことなのです。天は、神を汚す者には、自らの秘密を明かしません。もし仮に秘密を得ても、正しい動機や高潔さを持たずに秘密を利用すれば、私たちは知らぬ間に自らを呪うことになります。


聖書には、「神は、人から侮られることはありません」と書かれています。これは、因果応報の法則を示す象徴的な言葉です。因果応報の法則は、常に発動しており、誰も法則の影響から逃れることはできないのです。




形而上学を学ぶ人は、うわべだけの指導者がいるということに注意しましょう。指導者の教えに従うかどうか、慎重に検討すべきです。うわべだけの指導者は、皆さんに甘い言葉をかけるでしょう。でも甘い言葉は、後で、皆さんの心をむしばみます。このような指導者は、責任感など、まるでありません。偽の指導者は、よからぬ目的を持って自分の支持者の心を操り、コントロールします。支持者が異常なほど指導者に依存するよう、仕向けるのです。




うわべだけの“指導者”に従って修行を積むと、精神面の発達は制限され、霊的な成長も止まってしまいます。たとえ精神面を鍛えようとしても、失敗に終わるのです。ですから、清浄道論を通じて、正しく適切に準備をしておきましょう。


より高尚な神秘学・神秘主義を身に付けるには、精神が成熟している必要があります。そして精神を十分に発達させるには、小宇宙の浄化が不可欠です。




神秘学や形而上学の指導者は、不純な動機を持つ学習者には、用心深く慎重に接します。導師が弟子入りの志願者を断ったり、志願者に何らかのテストを課したりするのは、よくあることです。


また、何か助言をしたり、しばらく経ってから、また来るように言ったりすることもあります。1週間後に来るよう伝えることもあるし、1年後に来るよう諭すこともあります。志願者が神秘学を学びたいと切望しても、本人の準備が整っているとは限りません。


志願したからといって指導者や達人に必ず受け入れられるわけではないのです。真の指導者に受け入れられ、秘伝を教えてもらうには、高潔な動機はもちろん、それ以上の意志が必要です。


しかし、偽りの指導者は、不純な動機を持った志願者でも、受け入れるかもしれません。名声、見栄、富といった個人的な目的のために、志願者を受け入れるのです。一方、真の指導者は、決して、そんなことを基準にして志願者の受け入れを決めません。


ただし、志願者を試すため、一見すると理不尽で非合理的な、奇妙な行動を取るかもしれません。神秘学の格言に以下のような言葉があります。


「学ぶ者の準備が整ったとき、師が現れる」。ここでの助言は、手をこまねいて、ただ座って待つのではなく、適切な方法で準備をしようということです。この格言のとおり、指導者が、スピリチュアルな存在、あるいは内なるガイドや守護天使へと、皆さんを導いてくれるかもしれません。あるいは、形而上学の修練の場を与えてくれるかもしれません。




形而上学を学ぶ道のりは険しいものです。常に絶え間なく努力が必要です。空いた時間で形而上学を学ぶことなど、ありえません。形而上学を学ぼうと思うなら、研究し、実践するための時間を作ってください。


不必要な付き合いに時間を費やすのはやめましょう。テレビや映画を見るのも、最低限にとどめてください。できれば、そうしたことには全く時間を割かないのがベストです。


皆さんが形而上学を学ぶために、新たなライフスタイルを確立すると、友人や親族との間には、衝突が起こるかもしれません。でも、こう考えてみてください。重要なことは何でしょうか?


友人たちの自分本位な要求を満たすことが大事でしょうか?それとも、永久に価値のある真理について学び、人類の営みに精神的な意味を見いだすことが大事でしょうか?決めるのは皆さんです。


でも、十分に修練をしなかったせいで成果が得られなかったなら、それは皆さん自身の責任です。ひとつアドバイスをしましょう。皆さんは、形而上学の研究を投げ出してしまうかもしれません。


しかし決して人生は投げ出さないでください。形而上学を教えてくれるのは、人生そのものかもしれないのです。人生そのものが、形而上学の真の指導者なのです。


人生で起こることを受け入れ、そこから教訓を学んでください。人生における出来事を受け入れられないなら、天賦の創造力を利用して、人生を変えてしまいましょう。


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師の助言

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かつては、スピリチュアルあるいは神秘学の師に教えを請うと、「器を空にせよ」と言われたものです。師は、すでにいっぱいまで液体が入った器に、淹れたてのお茶を注ぐことによって、話の意図を説明します。


お茶は当然あふれてしまいます。師は「これと同じです」と言い、話を続けます。「私があなたに教えを説いても、あなたは教えを受け入れないでしょう。あなたの心は、すでに誤った信念やこれまでの考えで満たされているからです。


だから、器を空にするのです」。つまり、別の言い方をすると、「既成概念や固定観念を捨てましょう」ということです。ほとんどの人は、進んで新しい考えを受け入れようとはしません。変化を嫌うのです。それでも、先へ進みたいのなら、前向きに変わらなければなりません。


多くの人が、脳の機能を活用することに対し、わけもなく不安を抱いています。頭を使って考察することを面倒だと考える人も多くいます。私たちの心はオープンで柔軟でなければなりません。しかしながら、新しい考えを受け入れる前には、しっかりと検証する必要があります。


新しい概念を受け入れるときには、論理的であるか、合理的であるかということを見極めなければなりません。つまり、私たちは考えなければならないということです!何かについて批評を述べるにしても、その批評が的を射ているなら、悪いことではありません。


ポジティブかつ建設的に批評をするのなら、新しい思想や宗教に関する話題を論じても構わないのです。心には限界があります。でも、心には役割がありますから、その役割を生かすべきです。




神秘学を学ぶ人は、自分自身について誤った考えを持たないように注意してください。自尊心を低めるような誤った考えは、持たないことが大切です。神秘学を学ぶのなら、「これはできません」「あれはできません」などと言って、自分の心や天啓を限定するべきではありません。


試してみない限り、何ができるかは分からないのです。すべての学問や研究において言えることです。私たちはよく、「完璧な人などいない」という言葉を耳にします。そして人々はこの言葉を言い訳にして、人格や道徳心、精神を高めることを怠ります。


また、「完璧な人などいない」からと、社会的な地位を得ることをあきらめている人もいます。このような姿勢で形而上学や神秘学を学べば、失敗するに決まっています。形而上学を学ぶのは大変なことなのです。ですから、労を惜しむような人は、形而上学に手を出すべきではありません。


形而上学の真実は、自己満足の境地から、人を覚醒させます。致命的な過ちから、人を目覚めさせるのです。形而上学を学ぶ人は、その変化を受け入れるべく備えましょう。突然の変化に反発してはいけません。毎日の活動の中で、形而上学以外のことは何も考えられなくなったら、形而上学者になれたということです。


1日24時間、毎日、形而上学のことを考えてください。




神秘学と形而上学を学ぶには、強い忍耐力、それに辛抱強さや我慢強さ、不屈の精神が必要です。さらに、ある程度の知力まで必要です。決して教育や知識の話をしているわけではありません。教育を受けて知識を身に付けると、かえって心の成長の妨げになることがあるのです。


形而上学を修め、神のより崇高な法則を知るためには、広い心で、既成概念の誤りを正さなければなりません。私たちは科学や宗教を通じて、様々な固定観念を身に付けていますが、そうした知識は、形而上学的な観点から見れば、誤りだらけです。


教育によって得られる知識というのは、積み上げられたブロックにすぎません。一方で知力というのは、それらのブロックを体系的に組み立てる、意識的な力です。教育を受けたということは、データや情報を蓄積したということです。


しかし、その情報が正しいかどうかは分かりませんし、そのデータが人生に関係があるのかも分かりません。私たちは、日々、多くの問題や課題に直面します。ですから、毎日の生活にも生かせるような知識が必要です。人類の問題を解決するのは、まさに職人技です。


形而上学の原理を理解するには、知力が必要です。しかし、知力が欠けていても心配は無用です。形而上学の実践を通じて、知能指数・感情知能指数・スピリチュアル知能指数を高められるからです。




神秘学者や形而上学者や神秘主義者の中には、学位を取得するより、神秘学の研究で成果を上げるほうが難しいと断言する人もいます。これはまさに真実です。神秘学の研究では、内面の感覚を明らかにする必要があるからです。より高レベルな振動や、高次における様々な現象を記録しなければなりません。


こうした神秘学の実践や修練には、かなりの時間やエネルギーがかかります。形而上学を学ぶのは、あらゆる人を、真理に目覚めさせるためです。真理のために活動し、真理の中に生き、真理を広めるのです。そうすれば、必ずや神の光に包まれるでしょう。しかし、見返りを求めて行動してはいけません。




霊的な成長を望むなら、時間が必要です。我慢や忍耐、強い集中力も必要です。集中力と言っても、平均的な人はほとんど持っていないような集中力が必要です。精神を自在に操り、完璧に形而上学を実践できるようになるには、一生かかるかもしれません。


でも、ひるんではなりません。イエス大師は「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」と言っています。形而上学を学ぶ人は皆、この言葉を真剣に受け止めるべきです。形而上学を学ぶ人は忍耐強く、魂が暗黒の力に乗っ取られることのないように、しっかりと注意してください。


形而上学においては、私たちはロウワーセルフをコントロールすることを学びます。自分でコントロールしないと、ロウワーセルフはネガティブな力によって操られてしまいます。




形而上学を学ぶ人は、あらゆる偏見や宗教的な考えを、頭や心から取り除くといいでしょう。時として、形而上学の指導者は、形而上学の概念を説明するために、ひとつの宗教を取り上げるかもしれません。いくつかの宗教の中から、ある特定の宗教の文献を引用するのは、形而上学の概念を具体的に説明するためです。


個人的な事情で特定の宗教を取り上げるわけではありません。他の宗教に悪意があるわけでもありません。ただ便宜上、そうしているのです。私たちは、すべての宗教の本質は真理にあると知っています。


だから、形而上学者は、いつでも、すべての宗教の真理について教え、言及するのです。ここで、ひとつの問題が浮上します。狂信です。過激な信仰というのは、形而上学においても、宗教においても、また人間のあらゆる営みにおいても、許されるものではありません。


狂信とは、原理や思想をひたすら盲目的に信じることです。しかし、それらの思想は大抵、疑わしいものです。過激な信仰というのは、分離主義的で、狭量です。破壊行為を伴うこともあり、絶対に避けるべきです。狂信は、分裂をもたらし、派閥を生み出して、調和を崩します。スピリチュアリティーの大原則“多様性との調和”とは正反対です。暗黒の力は常に“分裂させて征服する”をモットーにしています。




人類は大宇宙の中の小宇宙です。宗教的な面から見れば、人は神を反映しています。人は神の姿に合わせて作られたからです。神は完璧ですから、人間も同じように、霊的な面では完璧です。


人は内面に完璧になるための種を持っています。ですから、内に眠る種が芽生えるようにすればいいのです。完璧になるための神聖な種を育てれば、すべてが可能になります。神聖な種を育てるには、惰性に打ち勝つ必要があります。神の進化の力を借りましょう。



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