オリンピック開催地が東京になったそうで、いやはや驚きました。

 7年後ですか、近くて遠いのかな。


 当初、前のに追加を試みたのですが、あれより長くするのもいかがかと思い、新しく書くことします。


 というわけで、最近の諸々もあって、何かの意図があるのか定かではありませんけれども、事実と異なることを広められるのはよろしくないとの意図による補足説明の続きです。


 と言っておきながらいきなりの寄り道です。

 世の中には、どうにも鋭い方がいるようです。

 世間様を試す意図など一貫して毛頭ないのですが、そういう例を耳にすると、「蒲焼で鰻の生態を説明するようなことしても、実はあまり支障はないんじゃないの?」と目的から外れて余計なことを考えそうにはなってしまいます。たとえ簡明に書いたとしても、ありえない誤読をした上でそれを省みないなんて厄介さんな例だって現実にあるのですから、ジェンガの終局のようなお話をするにあたって、深く考えるものでもないのかもしれません。


 さて、前回、初代担当の通常であればありえない数々の言動によって生じたトラブルが、編集側の対応によってかえって混迷の具合が激増、それによってもたらされた年単位の多難を経て、小山さんから「部長として」の謝罪をどうにか頂いたところまでお話しました。


 ところが、この謝罪は私の立場からするとあくまで「一先ずの区切り」でしかありませんでした。

 その理由について途中でしたが、改めて最初から述べていきます。


 ・小山さんが担当になった際に「部長の私が担当になるのだから」という理由で、以後の私は『担当交代を訴える』ことができなくなっていました。

 「部長としての自分の判断に誤りがあった」との謝罪を経ても、これは変わりませんでした。

『誤認逮捕だと認めて謝罪をしておきながら、それでいて逮捕歴は消してくれずに前科つきのまま』

 という理不尽な扱いです。
 この状態自体にも納得がいかない、ということを小山さんは最後まで理解しようとさえしませんでした。そんな特殊な感情ではないはずなのですけれど。


 ・「部長としての謝罪」と言いますが、あくまで小山さん個人から謝罪の言葉があったのみです。

 会社組織に所属していながらこういうことが罷り通るのがよく分からないのですが、張本人はそれで省みることも態度を改めることもありませんでした。

「部長としての謝罪」があった後も、いざこざがあったのですが、それ以後も同様です。
 このことへの言及に小山さんからは、
「部長として謝罪した意味を考えろ」
 と返されたことがありますが、言うべき相手が違うのでは。


 と謝罪の件に触れて思い出したことです。

 とある創作工程の途中で小山さんと意見の相違がメールのやり取りで生じました。
 こちらの指摘に小山さんは落ち度があったと(言うまでもなくメール上にて)詫びられたのですが、ところが、これについてかなり根に持たれたようで、通達の場で信頼関係喪失の理由の一つにされました。

 世の中には理非曲直がどうであれ、謝罪の行為が嫌いという人がいるらしく、もしかしたら、私と小山さんでは「謝罪(の意味ではなく)行為そのもの」の重みに相当の差があったのかもしれません。

 もしそうだとしても、「当事者の代わりに、部長が謝る」を選択した(こちらはそんな要求してない)のは小山さんご自身なのですけど、ね……。


・現状で大きかった問題は、謝罪を経ても創作面での混乱が解消されなかったことです。


 デビュー作が商業的に残念な結果であったなら、話はまだ(にしろ)簡単でした。
「何が悪かったのでしょうね?」
 と編集側の意見に耳を傾けるだけだったのですから。


ところが、続刊を出すのに問題ないほどには売れました。ですから、
「その路線でやればいいじゃないか」
 と訴えたのですが、それについて

「(編集者の自分の)経験則」
「(編集者の自分が思う)綺麗な終わり方だったから」
「(編集者の自分が考える)電撃的じゃないから」
 という、ビジネス論理からかけ離れた主張で、シリーズのみならず方向性さえも潰してきたわけですから、こちらは困惑します。しかも、これによるリスクは私が一方的に負わされました。


 初代担当がゴリ押しして、編集部さえもが肯定する方針は、しかしながら、数字として報われませんでした。
「担当編集が書かせて出版したい」と「出版した実績」に明らかな乖離が生じたわけです

 嘘をつかれたり、無理強いされたのをさておくとしても、この結果に対して編集側は、デビュー作の実績にケチをつけたり、「判断は間違ってない」と言い張るばかりでした。

「では、今後それを創作にどう活かしていくべきか」
 といったことにさえ、具体的でまともな答えを得られたことはありません。

 挙句に、初代担当のみならず編集側から「結局、同意したじゃないか(文句言うな)」と言われたのですから、さすがに憤然としました。

「数ヶ月に渡って、再考をひたすら訴え続けたのに、壊れたレコードみたいに『私の経験則』と『時間と機会の損失は痛手だから早く完成させろ』しか繰り返さなかったあの人に、何と言えば通じたのか教えてくれ!」
 との抗議にも、答えはありませんでした。

 その頃の編集部は初代担当の扱いに苦慮していたとのことだから、私の心情は他人事ではなかったはずなんですけどねえ……。


「担当編集の自分の意見に従え。商業的にどうであれ、続けるかどうかは編集の判断次第だ。それで売れるかは分からない。売れたら編集たる自分の手柄、でも、売れない場合はそっちの責任、過程がどうあれ結果、方針に応じたのなら文句を言うな」
 ともあれ、トラブルの過程で、編集側より示されたのがこれです。

 これで「電撃編集部や、編集たる自分を信じられないのか」と言われても、「はい、わかりました」はさすがに無理なわけです。

 そのために俎上に上げるのですが、編集側から「そうじゃない」とは言われても、では「どこが、どう違うのか?」になると途端に「ごにょごにょ」となって、本当に進展しませんでした。それこそ鰻を素手で掴むようなやりとりです。

『売り上げとは無関係に、編集者が自分の好みでシリーズをどうするかなど判断したのは間違いだった。編集者の個人的判断で、作品の可能性を潰すなどしない』
 といった単純明快な答えさえどうして編集側が拒むのか、私には分かりません。


 創作に限っての編集側とのトラブルの本質は、ジャンルがどうとかではなく、
『編集側が自分の判断について、明確で説得力のある論理を展開しようとせず、しかも、その責任からはとにかく逃げたがる』
 ことでした。


 ですから、一貫してそこは明らかにしていますが、「ハーレムはイヤッ!!」は嫌々、書いたことはありません。

 これの関連で言及しているのは、「デビュー作が売れなくて、ラブコメを書かされた」とのいつまで経っても消えない偽りと、「(シリーズの見通しが立てられないといった背景から)ラブコメとして書いておらず、宣伝でもその文句の使用を避けたのに『ラブコメとしてどうよ?』と言われる」事についてです。


 本当に難しくないことのはずなのです。
 だって、デビュー作の認識に限って言えば、
「売れたものを売る。それをあえて何もかも無視して嘘までついてやらしたそちらの方針は、数字で報われなかった。結果が出ているのに、『それでもなお』間違いじゃないと言い張るのなら、ビジネス戦略としてどう意義があり、どう活かせばいいのかちゃんと説明してください」
 というだけのことなんですから。


 ところが、これは通達の席で明らかにされたことですが、電撃編集部の部長としての小山さんの認識では、電撃編集部の編集者はこれについてまともに答えることができないそうです(私は小山さん個人の問題であって、全員がそうだとは思いません)。


 それはともかく、デビュー作の方針変更の意義と同様に、それこそ「ジャンル的な違いの売り出す側の評価」とか「シリーズの取り扱い」についても、責任ある明確な見解をもらったことはありません。
 必要な情報、求めている判断材料がいつまで経っても得られなかったのです。

 それが故の長期的な見通しの創作ができない事情(と何より不都合)を新作の話の度に伝えていたのですが、その場その場での意見を聞き入れられなかった小山さんからすると、このことは、単に私のワガママとしか認識されていなかったようでした。


小山さん「前に言ったじゃないか、なのにお前は私の意見を聞かなかったじゃないか」
私「それに応じるには解決して欲しい前提があるとそれより以前から訴えていて、ご存知のはずではないか」 
 という状態です。


 しかしながら、 こういう行き違いは、小山さんが担当になる前段階でさえ生じていました。

 だから、「事情を知っていると言う人間に(トラブルも創作も)何もかも任せるやり方はやめてくれ」と私は訴えたわけです。

 小山さんはそれをご承知の上で担当になられたのだから、「自分にはその解決(回答と説明の)能力がある」と、それこそ『自負があってのこと』のはずでした。

 ところが、実際には全くその問題認識をお持ちになってないようで、挙句に

「部長の私が担当になった意味をよく考えろ」

 とまで言ってくる始末です。


「忙しい部長の私がわざわざ担当になってやっているのは特別なことなんだからありがたがれ」

 とのことなのですから、処世術としてはこちらは黙るしかありません。


 けれども、そもそも小山さんが私の担当になったのは繰り返しますが

1.初代担当のトラブルの際に「それは解決策にならない」、「もし、するとしても、想定される人選はまずい」との私の必死の訴えに対して、小山さんが自分の判断の方が正しいと、避けるべきと訴えた処置をわざわざピンポイントで強行して、結果、事態を悪化させた。


2.その次に「(この結果が明らかになっているのだから)『事情を知っている』と言う人に何もかも任せるのはやめてください」とのこれまた私の必死の訴えに、「いや、私自身がやるから大丈夫」との部長判断からご自身が担当になられた。


 というわけで、こちらの声を無視した上でのご自身の判断ミスと、これまたこちらの声を無視した「強い自負心」の結果です。


 しかも、この時点で、
3.(事前に「事情を知っていた」はずだけれども)こんがらがっていた真相を知り、「部長としての自身の判断にミスがあった」ことを明確に認められて謝罪をされた。

 事情も存在していました。

 これで、
「部長の私が担当になった意味をよく考えろ」

 と言われては、率直に言えば

「こちらの訴えを重ねて無視したことで招いた自分の失敗を棚上げして、何を言っているのか(小山さんの言うこちらのためにかけている手間だって、そもそもこの背景を無視しているがために生じている点を無視されるのか)」

 にしかならないわけです。


「こうした担当になった前提をなかったことにして、『部長の私は忙しい』と対話さえも疎かにされるのでしたら、自負心よりも『当初のこちらの訴え』を受け入れてもらって、交代した方が良くないですか」
 と言えれば良かったのですが、生憎、部長が謝罪された後も『担当交代を申し出る選択肢は奪われたまま』の私にはそれは手段としてありませんでした。

 ですから、
「小山さんとは話がこじれやすくなりますよ(担当になるのは避けて欲しい、とだから!私は訴えたのに。それを承知で担当になったのではないですか)」

 と伝えたのですが、それすらも何ら理解があったようには見えませんでした。


 おかげでこちらは「小山さんは自分のミスやこちらの声を無視して担当になったことを、どう認識されているのだろう」という状態となったわけです。


 それで、やってきた通達前の打ち合わせの席は、愕然とするしかありませんでした。
 小山さんが事前のアポを無視してきたのもありますが、

「部下のミスについては、部長として謝ったじゃないか」

 と、部長としての自身のミスについては、私が想定していたよりもっと綺麗さっぱりデリートされてしまっていたのです。

 通達の席で「私が担当になった時のこと」と切り出されましたが、謝罪はそれよりも新しい記憶なんですよ……。


 しかも、そこへきての、デビュー作と二作目に関するやりとりでした。
「ビジネス戦略として、間違いと思わない。その意義について『新しい読者がついたかもしれない』」
 これが初代担当とのごたごたの事情も、結果の数字も、長期的見通しが立てられない理由も、以後の私の創作の混乱と苦闘も、全て把握しているはずの電撃編集部の部長の見解です……。

 この話題になる直前、小山さんは初代担当のトラブルを巡って不手際を犯した部下について「馬鹿だ、馬鹿だ」と言われていました。

 しかしながら、創作面に関して言えば、小山さんの見解はその方と同水準で、小山さんにその方を批判する資格が欠片もあるとは思えません。


「部長として謝っている」
 と小山さんは再三、繰り返されましたが、結局、「何について謝ったのか」というのと、「こちらの声を無視した上で、どうして自分が担当をやったならば上手く行く」と思われたのか、今となっては分かりません。

「電撃の編集者は責任から逃げない」
 といったことを小山さんは通達の席で言われました。

 通達以降は完璧に「部長の私が担当として無理だと感じたのだから、他の担当でも駄目だろう」という明言されたスタンスで、小山さんは通されました。

 『水鏡はそう言うが、私の判断の方が正しい』との自身の判断ミスを重ねて、更に同じ事情から担当になったことは部下への責任転嫁という形にしろ、忘却という手段にしろ完璧になくなったわけですから、私の前からでさえ、小山さんは自らの責任について最後には徹底的に逃げたのは確かです。

 ということからも小山さんの部長としての対応があまりに横暴だと感じた次第でした。

 一連のことで小山さんはご自身に落ち度はないとの主張ですが。


 もう一つ、続くと思います。
 この経緯をお話しようと思った大きな要因についてです。

 もったいぶるつもりはないので、個人的な?事柄です、と念のため。

 暑気と紫外線にすっかりやられてしまいましたよ……。
 肌は赤くはならないのですが、紫外線に弱くなっているみたいです。私のためにオゾン層を守って。
 
 不思議なのですが、一貫して「そうではない」とわざわざ伝えているのに、全く逆の話が実しやかに語られたりします。
 こういった嘘やデマがネットで書かれて、更にまとめサイトが取り上げて広がっていくというのは、良くあることと言われればそうなんですが、最近の数々の事態に触れると、「どこかの誰かが何かの意図で、事実ではないこと広げているんじゃないか?」との指摘に笑ってすまされないと感じるものがあります。
 というわけで、冒頭の理由から随分と時間が経ってしまいましたが、前回の補足を主観的にはひっそりと。
 あくまで私個人にまつわる事柄について。


 まず端的に。
 ・私はデビュー作が売れなくて路線変更を強いられたわけではありません。
 ・デビュー作がだめでラブコメ書かされたなんて事実ではないし、そういった主旨の発言をしたことはありません。
 ・私個人は嫌ってませんが、これまでラブコメを書いたことはありません。
 ・私はMW文庫のために創作をしたことはありません。文庫間の移動の理由に、作者の作風への考慮を含む戦略的?事情はありません。
 ・数字の話が出てきたのは初めてのことで、しかもこれは最新作の評価のみについてです。


 さて、私と電撃編集部との間に起こった問題は、本来ならば難しくはないはずなんです。 
 という以前に、「通常ならば起こらないだろ」との真っ当な突っ込みを入れざるを得ないはずなんです。と言ったら、初代担当の存在から言及せねばならないのでしょうけれど。


 ともあれ、最初から最後まで続いた問題の柱は『何を、どう、創作していくか』という認識について、編集側と「一致」どころか「前進」できなかったことでした。
 それ故に、創作においては、最近の場合であっても小山さんの目から見てさえ「効率が悪い」ものにはなってしまっていたわけです。

 だから、この事情を無視して小山さんが唐突に持ち出してきた、枠を嵌めることを優先的な解決策とするのは、横たわる問題からすると本質的に的外れなわけでした。そもそも、通達前にこちらがアポを取って申し込んだ「打ち合わせ」は、少しでもこれを是正するためでした。いざ当日、出向いてみれば小山さんにアポを反古にされ潰されてしまったわけですが。


 そこに至るまでに建設的な進展が上手く捗らなかったのには、主に二つの理由がありました。


 一つはデビュー作に関することです。
 これには貴重なビジネスチャンスを、編集側というかお花畑な初代担当に潰された、純粋で痛恨な痛手があったのは言うまでもありません。
 しかも、二作目は初代担当が自ら約束(というか取引条件)があったにも関わらず、「実績のない新人作家の新シリーズ」扱いでしたので、発行部数は大幅に減らされました。
 私がこの事実を知ったのは発行してからしばらく後です。
 「デビュー作はシリーズにしないで、私の指示する方針と方法でやれ」と言われた時も、初代担当からはこういった説明は何らありませんでした。
 他の多くの重要な事柄と同じくこのことも「伝えたと思ってて言ってなかった(それぐらいで文句、言うなよ)」のか、プロデュースする者としてそれによるリスクをまともに考察できなかったのか。
 ともあれ、この一事に限っても、「私は悪くない。上手く行かなかったのは、私の指示に水鏡が消極的だったからだ」と省みない初代担当は「他者と創作する編集者という役割を、同人ごっこ(水準)ならともかく本来は職業でやってはいけない人」なんでしょう。


 ところで、このデビュー作を巡る問題は、編集部の他の方との意思疎通と関係性の構築でも重大な問題を生じさせました。

「売れると思って自分たちで評価して、それで賞を与えて出版して、しかも、実際に『ちゃんと売れた』のだから、それを活かせばいいだけのことではないか。
 それをわざわざ全否定した方針を作者に強いてやって数字で報われなかったのだから、その編集方針は間違っていた以外にはならないでしょう?」
 という点について、プロデュースする編集側が「間違ってはいない」と言い張ったのです。
 
 「間違っていない」と言い張っていながら、編集側からは一度として『明確な論拠や責任ある論理』を提示されたことはありません。 
 これが「ビジネス感覚として」、基本的に私には全く理解ができないのでした。
 逆に言えば、
「『明確な論拠や責任ある論理』を提示できないにも関わらず、ビジネスの基準である数字の結果が出ている事柄について「間違ってはいない」と無責任に言い張る『プロデュースを担う職業人としての神経』が理解ができない」
 という状態だったのです。
 それがために、「自分は事情を知っている」と称して登場してくる編集部の方に「話せば通じるだろう」と試みて「間違ってない」と返ってくるので「え、なんで!?」と混乱して、という構図が繰り返されることになりました。


 しかも、これにまた別の要素が加わって、諍いを厄介なものにさせました。
 
 例えですが、
「私はやらないが、万引きが間違ったこととも悪いこととも思わない」
 と、私が真面目に公言したとします。
 すると、強い批判が生じるでしょう。
 これに対して私が
「私はやらない、と言っているじゃないか。なんで責められるのか!」
 と返したら、多くの人は戸惑うなり呆れるなりするのではないでしょうか。

 万事となるとおおげさですが、小山さんを始めとした編集側との対話でこれと同質のやりとりがかなりあったのです。
 例の「アポしたのに潰された打ち合わせの席」でも、小山さんから「二作目の方針が(ビジネス)戦略として間違っているとは思わない」と言われました。
 しかも、「(出版も販売も)数字を把握している」と明言もされた上で「(ビジネス戦略として)間違いと思わない」と小山さんは主張を重ねられました。

 この「間違ってない」というのは小山さん自身の論理と見解です。
 これについて、おかしいのではないか、と私は強く訴えたのですが、ところが、小山さんは「自身の見解(問題)」を問われていることを、どうしたものか理解されようとしませんでした。

 その象徴が、この場面でも持ち出された「部長として謝っている(過去の部下の不手際は謝っているじゃないか。蒸し返すなよ)」でした。
 こちらが訴えていることと噛み合わないわけです。

 この無理解は、通達とやらを告げてきた席でも変わらずで、「部長として謝ったじゃないか」と部下の問題だとの主張を繰り返されても、ご自身の問題だとの面には最後までノータッチでした。


 そして、更にこのトラブルが続いたのと、この双方の認識に重大なズレをもたらしていたのに、「小山さんの部長判断」は非常に大きな要因でした。

 初代担当とのトラブルをやっと(!)一片とは認識してくれた際に、編集側より担当交代について提案されました。
 これについて私は必死に反対しましたが、最終的に部長判断により無視されて強行されました。
 その方によると「『結果的に』、円滑な創作ができなかったから(でも、自分ならできる)」とのことでしたが……。

 ・デビュー作自体も作風も自分は気に入らないので、嘘をついてまで路線変更を強いた初代担当の判断は間違ってない。
 ・それを修正する必要を感じない。
 ・デビュー作の売り上げは考慮しない。
 →以上のことから、デビュー作の二巻は芽は潰え、多大な苦労を経て「私がお花畑の住人になれないことは理解してもらった」ことで得た初代担当との間での合意もぶち壊し。
 つまりは『編集者の自分の考える電撃的なものを書くように』。
 ・初代担当とのトラブルについてろくにそれまで編集部よりまともな説明がなかったので、「事情説明をしてもらいたい」と訴えていて編集長からはそれに応じるとの言質を得ていた件について。
 →「今更、そんな説明が要るのか」との態度。
 ・それ以前の初代担当による自分に都合のいい報告を鵜呑みにして、こちらへの数々の心無い言動及びその後の初代担当の態度について。
 →自身について省みるつもりもないし、事実誤認があるとの訴えにも「今更、事実を確認するつもりはない」
 ・「『結果的に』、円滑な創作ができなかった(上述も含めた)数々の事情」について。 
 →「初代担当の件は申し訳なかった。『だけど、こうして人が変わったのだから、心機一転しろ(お前の言う個別事情について、自分は検討するつもりなどない!)』」
 
 ま、人の思考法や価値観、好き嫌いはそれぞれですから、私もいちいち言いたかないですけど……。
 こういう価値観や姿勢そのままで「信頼関係があるチームの形成」に挑むというのはどうなんでしょうか。しかも、この方、これまでの事情をほぼ全て把握された上でのことです。明言されて絶句しましたが、その方の主観では「誠実にやっている(いた)」とのことでした。


 ぶっちゃけなことを言えば、この姿勢で「自分なら上手くやれる」と手を上げる方も上げる方だし、任せる方も任せる方だと思います。


 私はこの件について、それ以前の接点から「十分な前兆」があったので、担当交代に言及された当初から悪い予感しかしてませんでした。
 だから、初代担当には悲愴な思いを抱きながらも「この処置はやめてくれ」と訴え、更に「もし、やるとしても、その人選は望ましくない」との声は編集側に伝えていたのにも拘らず、部長判断で強行されました。
 そうして、予想通りとしか言いようがない綻びが実施後、早々に明らかになります。おかげで、私は以後「この処置は間違っている」とひたすら訴えを繰り返す羽目になりました。


 そうして結果どうなったかといえば、時間と労力を浪費して双方の間の亀裂を徒に深くしただけです。
「『この騒動にあの人が当初から何ら関与しなかったとしたら?』というIFだけでも十分に検討に値するのではないですか!?」
 と後に訴えたのですが、小山さんによればこの展開は「想定外」だったそうです。勘弁してください。
 
 ところで、この過程で理由はどうであれ、「これまでの経緯を踏まえた上で、編集側と創作のための論理的な対話が望めない」という結論を受け入れるしかないと悟りました。
 一方で過去のやりとりが蓄積していったことが、編集側との意思の疎通を妨げる新たな要因になっていました。

 そのため、こちらは「肩書きがどうであれ『事情を分かっていると言う人間』に何もかも任せるのはやめてほしい」、「事情を知らない人間であればこんな話になりません」など訴えるようになりました。


 そうした経緯を経て、小山さんが私の担当となるとのご自身の判断による決定をします。
 当時の私は心身磨耗しきっていたので頭を抱える余力さえありませんでしたが、白状すれば、この部長判断は意味が分かりません。
 小山さん自身はこれまでトラブルについて前面に出てくることはありませんでした
 ただご本人によれば、「報告を受けていて、事情を把握しているし、お前(水鏡)からの編集部宛のメールも転送してもらって、全てに目を通していた」と明言されています。

 担当をやられていた際に「私は自負心をもってやっている!」と言われましたから、この新たな『部長判断』は「水鏡はそう言うけど、自分なら大丈夫だから!」という小山さんの『自負心の強さ』かもしれません。
 リスクがあろうが挑戦することは悪いことではないと思うのですが、問題だったのは、この自負心のツケを誰が払うことになるかでした。
 散々「この処置はやめてくれ」というこちらの訴えに、「そうは言うが、私の判断の方が正しいから」と部長判断を強行して、結局、事態の悪化を招き、それを私がもろかぶりした上での、更なる小山さんの判断です。
 しかも、「部長の自分が担当になるんだから」と、私は担当交代を申し出る権利を一方的に奪われてしまいました。


 そうして、小山さんが担当になってしばらく後、とある会話により小山さんがトラブルに関して事実誤認をされていることが判明します。 
「報告を受けて事情を把握している。お前のメールも読んでいる」
 と明言されているのに、どうしてこういう事態が発生するかは私に聞かないでください。
 これより以前に「忙しいのに時間のかなりをお前のために割いてやっている」ととある話し合いの場にて出席された編集部の方から言われたのですが、その人は席上よく喋った割りに見当違いな意見が多々あって場は空転しました。
「私のためにかなりの時間を割いてくれていた、と言われたことがありますが、長時間、何を話し合ったら、あんな認識になるんですか?」
 と真剣に聞いてみたのですが、
「(関与した各人が事態を)わかってない」
 との答えしか小山さんからは得られていません。


 こうして「部長としての謝罪」へとなったわけですが、案の定と言うべきか、この時の話で小山さんには結構、事実認識に不足があることが明らかになりました。
「事情は分かっている。だから、もう説明してくれなくていい」 
 と(私には)言っていた方から、報告を受けているはずなのにです。

 ともあれ、「編集者として云々以前に社会人として問題があった初代担当」が引き起こしたトラブルは、こうして数年がかりで一区切りついたわけですが、これが、小山さんの認識である「全て解決」ではなく、私にとってはあくまで「一区切り」でしかなかったのは理由があります。


 一つ目は、
「自分の(部長)判断が誤りだった」
 と認識した上で謝罪されたはずなのに、小山さんの担当就任時の「温情扱い」は変わらず、私は「担当交代を言う権利は剥奪されたまま」の点でした。
 要するに、
「それまでのアウトの判定は誤審だった。謝罪する。……というわけで、ゲーム再開! アウトカウントはそのまま」
 状態だったのです。
 それに対して、
「ちょっと待って、それおかしいですよね?」
 と訴えても、
「(部長として)謝ってるじゃないか! まだ文句あるのか!?」
 でした。

 結局、この扱いは最後まで変えられませんでした。
「自分が担当になる時に言ったこと忘れてないよね?」
 小山さんが担当になったのは、そもそも『数々の自分の判断ミスが原因』で、しかもそれを後日に認められた上で謝罪されている事実は、通達を決断された時点で小山さんの頭からは綺麗さっぱりなくなっていました。
「そういう人事は避けて」との私の訴えを無視して、「自分なら大丈夫」とのご自身で判断されて担当となった責任についてもまた同様です。


 二つ目は、「部長としての謝罪の意義」でした。
 部下が巻き起こしたトラブルについて部長が謝罪したと言うと、相応に重みがあることと私も理解しています。
 しかしながら、実際に私に対して行われたことは、
「部長『も』部下のトラブルについて謝罪した」
 わけでは決してなく、あくまで
「部長が『トラブルを起こした部下本人の代わりに』謝罪した」
 でした。

 実際にどういうことかと言えば、
「上司(それこそ部長)が代わりに謝罪するという奇異な事態を招いていながら、張本人は『何ら省みることも改めるところもない』」
 という状態だったのです。 


 どうしてこんな不可解な現象が起こってしまうのか、私には不可解なんですけどね……。
 初代担当は、編集者としての技量、責任意識、社会人としての意識など何もかも不足してはいても、気位に限っては余裕で三人前はあったのだろうな、と言うしかなく。
 これで当人の不誠実な態度や振る舞いへの言及に
「部長として謝罪した意味を考えろ」
 といった反応を小山にされると、こちらとしては「言う順番と相手が間違っているのではないか(本人の態度が改まらないの放置してそれはないだろう)」と言いたくなるわけです。
 ちなみに「事情はよく知らないがお前に原因がある」など象徴ですが、トラブルを巡るやり取りで「言う相手が間違っている(理非を無視して、こちらを安易に批判したり、忍耐を強いる)」という場面は少なくなります。


 と、他ごとやりながら書いていたらなんだか長くなりました。
 ながら動作だとどうもいけません。
 

 続き別にします。 

 まとめサイトと言うのでしょうか、それを目にしてがくっと来ました。
 「水鏡が俺たち読者にこう言っている!」とブチギレフンガーみたいに(すっかり内輪でネタ化してます)、言ってもいないことを言ったと勝手に憤慨してキレられたりとか(だから、言ってねーよ)、あるいは本人が明確に伝えている事実を歪めるような形での拡散はやめて頂きたく思います。
 ほんと、他人の名前持ち出して嘘や誤りを流し続けるのはやめてもらいたいんですけど、なんとかなりませんかねえ……。


・誤解が生じる余地がないようにはっきり申し上げますが、デビュー作は売れたんです。
 2作目の路線変更は「売れなかったから」が理由ではありません。
 あくまで作者が理解できない『初代担当の感性』です。
 売れない場合の路線変更という考えはあって当然と思ってますが、しかしながら、これ以後でも電撃編集部とそんな理由でゴタゴタしたことはありません。
 ジャンルが原因で騒動が起こったわけではありません。


 ある受け取り方をされるのがとにかく避けたかったので、以前はその意図に基づいた事情説明をしましたが、それがために(なのか???)こうも言ってもいない形で広まったり、本文を細切れにされてあり得ない突っ込みをされるのを見ると、さすがによろしくないと思いましたので、もう少しだけにしろ、明確に改めてのご説明をしておきます。


 初代担当が社会人としてとにかく問題があった点にはさらりと触れるのみとして、創作に関してのごたごたは本来はややこしくないのです。
 繰り返しますが、デビュー作は売れました。

 しかも、この「売れた」には二つの意味がありました。
 ①客観的数字として売れた。
 ②編集側の評価としても売れた。

 この事実と編集側が自ら認める「ラノベはシリーズで巻を重ねて売っていくのがセオリー」と、それに担当編集者が『自分からした約束』からすれば、デビュー作の路線をあえて避ける理由など本来ありませんでした。
 それなのに、わざわざしなくてもいいイレギュラーなことをやり続けたのと、その後の処理がおかしいことの連続だったから問題になったのです。


 初代担当の間で言えば、
①編集者が自分からした約束を破り、繰り返しの作家の反対を押しのけて自分の方針を強いたこと。
②その「私の経験則」に基づいた担当の方針は、勝算が薄いことは容易に予想できたこと。
 ラブコメが良い悪いではなくて、順調なデビュー作のあらゆる可能性(同じ系統や同じ路線の作品の選択肢)さえも捨てて、あの一冊目の後にあの二作目で勝負する必要性があるのかを問題視したのです。
 これって、わざわざ実際にやらないとわからないことでしょうか?
 初代担当に限って言えば、こういった問題が発生することをあの人が全く考えが及ばなかったとしても、今なら理解もできますし信じられます。当時はとても理解も信じることもできませんでしたけど(若かったんですかね……)。
③「私の経験則」なるものに基づいた初代担当が指示してきた創作工程がとにかく無茶苦茶だったこと。
 「こんな方法で、シリーズを立ち上げて成功できる作家ってどれだけいるんですか?」と部長の小山さんに聞いても答えを頂けませんでしたから、それぐらいあり得ないのでしょう。これは今でもそう思います。勘弁してください。

 こういった独り善がりに、諸々の手落ちや社会人として如何なものかと言うほどの初代担当の逆切れが加わりました。


 ところで、初期の段階で、「事情はよく知らないがお前が悪い」という心無い批判を浴びながらも、別の角度からも問題が生じたこともあり、編集側より解決策として担当交代を提示されました。
 実は、私はこれについて、ひたすら、それはもう最後の瞬間まで反対しました。

 ①問題の本質は別にあって担当交代で解決することではないこと。
 ②担当交代をした場合の具体的選択肢及びその場合のより悪い展開が予見できたこと。
 ③「上手くいかないのは、私のやり方が間違っているのではなくて、水鏡が前向きではないから」という絶句するばかりの認識ではあっても(……。)、それでも、この段階で「私の経験則」に基づいた工程や方針がそもそも滅茶苦茶であることを、初代担当もやっと理解してくれたらしく、ジャンルを含めてこちらに主導権を任せてくれるとの合意にまでどうにか漕ぎ着けていたこと(ほんと頑張りましたよ)。


 ところが、私の必死の訴えにも拘わらず、部長判断で初代担当は降ろされました。
 その後の展開は、何もかもがこちらの懸念した通りとなりました。
 デビュー作の二巻の芽が完全に摘まれたのは、実はこの担当交代の結果です。
 それどころかデビュー作の路線さえも冷ややかに否定されました。おかげでデビューの出だしを台無しにされ無駄に時間と労力を代価にしてどうにか得た合意も、これで打ち壊しになりました。
「私にメリットなんてちっともないじゃん! 何のための解決策で変更なのかっ!(だから散々、反対したのにぃぃぃ!!)」
 正直に白状すれば、この時はさすがに発狂しました。

 ……小山さんはよく話のすり替えをされるのですが、後日にこの処置についての私への説明は「組織の異動は作家の意思とは関係なく行われる」でしたから、これもその一例です。


 その後も創作の混乱は続きましたが、理由は色々とあります。
 ・ジャンルに関して言えば、「デビュー作路線とそうではない路線、どちらがいいのか」といった大雑把な問題についてさえ、作家の適性の面からも、ビジネス面からも、そして、読者に対してさえも、何度も問い合わせましたが、誰からも総合的で論理的な見解や助言を一度ももらったことがありません。
「数字の結果も出てるし、そんな程度の見解すらも出せないなら、それはもう間違ってるんじゃないの?」
 となるはずですが、編集側の見解はあくまで「間違ってない」でした。セオリーから外れたことを編集側の主導でやったのに、教訓も反省も提示されないのです。
 ちなみに、二作目の具体的成果についての最終的な小山部長見解は「新しい読者がついたかもしれない」たったそれだけでした……。なら、私がリスクを負わされてやらなくてもいいじゃん。
 
 ・売り上げとは別の理由で、編集側が主体性を発揮してシリーズを閉じることのおかしさも、一度も否定されませんでした。
 「デビュー作のあの終わり方で続きがありかなしか」について、人それぞれだと思います。
 ただ作者としては、シリーズ化前提がラノベの売り方で、続刊を望んだファンレターも頂いたのでなおのこと、ビジネスとして「綺麗な終わり方なのでシリーズを閉じよう」という考えがさっぱり理解できません。
 私からすると「あの程度で終わらせられる」との認識です。しかも、「今後は、しない」との答えも編集側から頑なに拒否されました。
 それでいて、「シリーズが終わったら作家の責任」との明言はあったので、こちらも、それによる考慮と懸念をするしかなく、なんちゅう制約じゃと思いながら、それで創作のたびに「拘束性はありません。構成から何もかもそれに基づいて曖昧にしています」と伝えるしかありませんでした。
 
 ・おかげで背表紙とともに、絵師さんにも同じ厄介な問題が生じました。
 絵師さんにだって都合があると小山さんは言いますが、これは当然です。
 ところが、その事情を踏まえてなお、その面でご自身も苦労されているのに小山さんの見解では「デビュー作をシリーズ化にしないでの路線変更は、間違ってない」となるのです。
 これについての戦略的整合性を考えてくれませんでした。

 これで「戦略がない」と言われても、こちらとしては「こちらは散々言っているのに、今更何を仰いますのん!」状態なわけです。


 「好きなように書いてくれていい。責任は持つ」と言ってくれるんだったら、それはそれはこっちも楽です。と言っても、そんな要求したことはないですけど。

 ただ、
 約束違反や伝えるべきことを伝えてないことに抗議したら、「電撃では作家と編集はチームだ」と第一に諭してきたり(こちらがなお耐えろということか?)、
 事前に何度も説明は求めているのだからそれは大事にしてもらいたいとの訴えに、「編集は作家の言う通り動くロボットになれと言っているように聞こえる」と半ギレ気味に言われたり(こういう解釈になる耳と論理について私に聞かないでください)、
 とまで編集者の立場を主張されるのであれば、問うてもいるのですから責任ある態度は示してほしかったわけです。
 そういう意味で私は電撃の編集者を一貫して尊重していて、手順と合意を軽んじたことはありませんでした。それでいざ踏み込んだ話になると、途端に言葉を濁されるわけで、しかも、そうした状況であるが故のこちらの手探りを=お前のわがままを聞いてやっていると認識をされるので、それはおかしいのではないかとなるわけです。


 しかも、私はこの問題について「担当交代は解決の正しい手段ではない」と以後も頻りに訴えていました。
 それを無視して、「円滑な創作ができなかった」から交代したのであれば、それによって解決されなければなりません。
 ところが、実際は上述の通り、何もかもこちらが事前に懸念と予想した通りの展開となって、結局、事態の悪化を招いて話が徒にややこしくなっただけだったので、
「風邪の処置を誤って肺炎になったとこちらは訴えているのに、それで整形外科医連れてきて腰痛の治療しても意味ないですよね」(ほぼ原文)
 とさすがに言わずにはいられませんでした。

 「新しい体制」にするなら中途半端に事情を知っている人間ではなく、そもそも事情を知らない人間が担当になった方がずっとよい再構築ができるのです。

 この有効な選択肢は何故か考慮されず、話がこじれた段階でも改めてそれを訴えましたが、小山さんには最後まで一顧だにされませんでした。


 こうした背景があった上で行われた話の席で、事前の約束を無視されたわけなのですが、それとは別に驚いたのが部長としての謝罪です。
 謝罪の席ではご自身の判断や差配に誤りがあったと述べられていたはずなのに、通達の席を含めた「部長として謝っている」と繰り返された場では、「部下の手際が悪かった(自分の差配そのものが誤っていたわけではない)」に変わってしまっていたのです。


 殊、人的問題に関して言えば、

「小山さんは三度の局面で、三度申し上げていた私の意思を、三度いずれでも聞き入れずに部長としてのご自身の判断を優先されて、それで三度とも失敗した挙句に、三度全てにおいて私に最大のリスクを負わされました」
 
 「風邪薬を買ってきてくれ」とこちらが財布を渡しているのに、
 それで葱や蜂蜜を買ってこられた挙句に
 「お前のために、こっちは手間をかけていい葱や貴重な蜂蜜を探し回ったのに、なんでまだ文句を言うんだ!?」
 とキレられても、こちらは「だって土台、間違ってるじゃん」を言うのは避けられないんですが。


 そして、巷の騒動は「四度目」になります。まあ、最大のリスクを私(だけ)が負わされたかは不明ですが。


 こちらの意見を無視して部長判断を優先し、それで失敗した度に小山さんが言われたのが
「今までそういう失敗はなかった(から、今度もそうだと思ってこちらの意見を無視して部長判断を優先した)」
 でした。
 それはそれで判断材料になるとは思うのですけどね。
 でも、(個人的認識の範囲において)今までそういうリスクが発生しなかったからといって、諸要因を無視していいことにならないし、挙句に失敗となればその責任とリスクは誰が負うことになるのかの問題が発生するんですが。


 こちらが訴えた懸念に対して、小山さんはどういった反応をしたかといえば、
「『お前の目から見たら』電撃文庫編集部はだめな連中なんだろうが」
 ととても悪意ある嫌味を繰り返された挙句に
「電撃の編集者が無用なリスクをもたらすとか、リスクに向き合えないとか、能力的にも人間的にもそういう疑念を向けるような人間とは信頼関係は成立しない」
 と通達の理由にしてきただけでした。
 
 本当に私の目から見ただけのこと(水鏡の悪意ある偏見)なら、本来なら現状みたいな騒動は起こらないかとっくに収束しているはずでしょうに(私はこういった事態を未然の防止できるほうがより有益だと思ってあえて訴えたのですけど)。

 小山さんは今も変わらず快適な職場で仕事に励まれているのでしょうが、では、私の前でさんざん振り翳した『電撃編集部の部長としての”自負心”』とやらは、どこへ行ってしまったのか。
 そもそも、職業人としての自負心なんてものは、それほど都合よく着脱できるものなんでしょうか???


 ジャンルがどうとか、謝罪の「事実のみ」が問題だったわけではありません。
 これなんて象徴ですが、たかだか「職業人としての自負心」でさえも、これほど意味合いが違う(変わってくる)のです。
 私の前で振り翳され、いざその真価を問われた段階で、途端に意味合いや重みが激変するってのはこれが最新の事例であっても、無論、最初の事例ではありません。
 そして、多分、最後の事例ですらないような気がします。


 最初に事情を明らかにした背景と今回の騒動は、結局、本質は一緒なんでしょうが、そのあたりは別の機会が、もし、あったなら。