「かたは」に関すること◆旧かな講座 | 日本語あれこれ研究室

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日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます



 

 ジョン・レノンに「Clippled Inside」といふ曲がある。アルバム「imagine」に収録されてゐます(尚このアルバム名は「imagine」といふふうに全部小文字で書きたい。さうしてある資料はあまりありません。別にどちらでもいいことなのかな?)。

 その「Clippled Inside」の歌詞の中の、

One thing you can’t hide is when you’re clippled Inside

 の部分の日本語対訳が、今のCDなどだと

「でもひとつだけ隠すことができないのは

 心がいびつになったとき」といふ感じになつてゐるのです。

 これ、昔のLPの時代には「心がかたわになったとき」と訳されてゐました。

 どちらがよいと思ふでせうか。私はだんぜん「かたわ」の方です。ただし歴史的仮名遣ひでは「かたは」ですので注意。漢字だと「片端」だからです。

 

 もちろん、「かたは」が差別語・放送禁止用語といふことになつたのでジョンの日本語訳も変はつたわけで、テレビの言ひ替へ集なんかでは「身体障害者」と言ふなんてことになつてゐるのですが、「かたは」と「身体障害者」とは断じて別の言葉だと思ふ。

 飲食店でアルバイトしてゐた当時のことだが、社員は調理と清掃と接客ができなければいけないとします。例へばそのうちの一部の仕事しかうまく出来ない社員がゐたとしたらさういう人は「片端」と言われたものです。現在からするとひどい言ひ方のやうですが、仕事が不完全といふ意味なのでかつては使ひ方としてあつたわけです。

 

 歴史的仮名遣ひの話をするならば、「片端」の方の仮名は「かたは」で、車輪の片方を意味する「片輪」ならば「かたわ」です。さういふふうに書き分けます。

 

 

 なほ「旧かな講座」がテーマの時は、自分の手元にある日本語関係の本を画像として掲載してゐます。