本日大晦日。
もちろん例年のように年の瀬の感覚は全くない。

昨年の今日は高校の同窓会だった。
あれから1年。
年々速くなる時間経過。

今年はひさびさにいろいろとあったと思える年だった。
もしかしたら40歳になる、という時期的なものもあったのかもしれないけど。

40歳は、やはり大きな区切りだったような気がする。
それは身体が知らせてきた。

白髪が増える、傷口が治りにくい、物覚えが悪くなる、体重が落ちにくい、量を食べれない、シミ皺が目立ち出す、同じ事を繰り返して喋る、車庫入れの後方確認で身体を捻るのを億劫がって目視しない…。

これまで嫌悪していた「おっさん」の領域そのもの。

けど、受け入れざるを得ないんじゃないの、と割り切ろうとした1年だった。

なら、と、判断基準を大事から小事にいたるまで「迷ったら変える、やってみる」ことにした。

正月早々、髪を短く切った。
大学卒業以来、面倒くさいのもあり髪型は同じだった。
(これは寒くなってきたのでまたもとに戻したけど)

どうしようかと、この2-3年考えていた6月のウルトラマラソンにもエントリーを決めた。100キロという距離に躊躇してたが、久々に自分で決めた「中期目標」。半年かけてのプロジェクトみたいなものだった。

そして完走。
運に恵まれたといえ、結果は残せた。

私事でも業務でも、いろいろと前例を覆して動いてみた。

瑣末なところでは現地滞在18時間の出張強行とか、家電の事前買い替えとか、食べ物屋の新規開拓とか…。

躊躇するならとりあえず、後悔よりはましだと前に進む。
このあたり、歳を取って物事を突き詰めず考えるのが面倒くさくなったのが効を奏したのか、ハードルは年々低くなってる。

幸い、外部環境がよかったせいもあり、今日「まあまあ今年はよかったんじゃないの」と思えてはいる。


と、いうことろで今年のRUNレビュー


2007・01 #8  谷川真理ハーフ 1:42:24

          当日参加できるよ~と、いうことで出てみたものの、寒いし高いし・・・

2007・03 #10 荒川マラソン(フル) 3:46:48

          やっぱり風があって寒かったものの、走ってない割にはそこそこ。

2007・04 #17 かすみがうらマラソン(フル) 4:04:45

          結構自信をもって挑んだものの、30キロ地点で歩き惨敗。

          水の取り方使い方とペース配分に問題あり。

2007・06 #27 千歳JAL国際マラソン(フル) 3:34:40

          3週間後のサロマ前哨戦で日帰り参戦。

          体重が絞れていたためか、走り込みができていたためか自己ベスト更新。

2007・06 #22 サロマ湖100キロウルトラマラソン 12:42:33

          初ウルトラ。ものすごいインパクトのある体験だった。

          今年のレースはこれで燃え尽きてしまった感強し。
2007・10 #13 手賀沼エコマラソン(ハーフ) 1:48:30

          前半5キロで勝負あり。自分の能力を省みないあまりにも無謀な突っ込みだった。

2007・11    横浜ハーフ DNS

          雨が降ってて寒かったもので…。

2007・12 #23 NAHAマラソン(フル) 3:52:05

          一応NAHAベストではあるものの、目標には遠く及ばず。

          既に来年のリベンジを決意。


と、まあそんな感じではあるものの、現在割と大きな判断を迫られてる時期にある。
今年なら「やっちゃえ」なんだけど、選択は来年。
さあ、どうしたもんだか。

果たしてレースはどの程度出れるのかなあ。


踏み出したはいいが、今ひとつ調子があがらない。

ハーフを過ぎてしばらくは細かなアップダウンがあって、その後ひめゆりの塔まではだらだらとした坂を登るのだが、そんなに気になる勾配ではない。


なのに、急に辛くなってきた。
体調的にも悪いところは何もないのに。


ただ辛い。

走るのが嫌になってきた。

身体中の軋みが、走るのを妨げる。

身体が辛いとか、戦略的にとか、痛い、といった理由で耐えられず歩き出したことはある。

でも、嫌だ、走りたくない、とはレースで思ったことはない。
しかもNAHAで。

当然ペースはだた落ちしているようだ。


24キロ過ぎでは、ただ辛いだけの時間が流れていた。
もちろん応援にも応えられない。
それがまた自己嫌悪を招く。

走りこみ不足なのは自明。
だけど、普通に楽しく走るくらいの力は在る筈。
けど、走りたくない、っていうこの気分は何なんだろう。


ひめゆりの塔を過ぎる。
もういいかな、という思いがよぎる。


国道本道から琉球ガラス村への左折ポイントに入る。
大きなオフィシャルエイドがある。

そうか、とりあえず立ち止まって休もう。
止まったって構わない。
そこで回復するかもしれない。


と思ったが、前後のランナーのタイミングで立ち止まる機会を逸しなんとなく給水コップを取り、そのまま走る。


もう嫌だ。

ホントになんでこんなことやってんだろう。


畑の中の道を走りながら自問する。

水道ホースを引っ張ってくれたおっちゃんが、自前のシャワーを施してくれている。

「かけてかけて」と頼むと、待ってました、とばかりにホースから水の直撃弾。

いいじゃん、こうやって沿道の応援とかけあいながら、楽しみながらゴールを目指せば。

もういいや。
次のエイドで休もう。


とはいってもエイドはなかなかない。
子供がみかん一つ持ってくれて立っているエイドはあるけど、立ち止まられても困るだろうし、次の大規模エイドで休もう、と決めた。


視界が開け、このコースで唯一の海を眺めるポイントを過ぎる。
すばらしいパノラマ。遠くで青い海のなか白い波頭がゆっくりと砕けている。
そういえば沖縄でゆっくりと海を眺めたのはいつが最後だろう?

ああ、あの時かも…。としばし記憶をまさぐり気を散らす。


路は南部友愛会病院で再びもとの国道と合流する。
国道に入ればエイドも数多い。
休むこともできる…、ん、だけど、あれ?


身体が楽になっている。

もちろんペースは遅いままだがあの辛さがない。
例年はこのあたりからまともに向かい風を受けるのだが、ことしは微風。
走っていてもほとんど感じない。


これはいけるかも。

パンツに挟んでおいたカーボショッツを取り出し、休むはずのエイドで水をもらい一気に流し込む。

いつもこの長い長い直線で辛い想いをする。
けど、さっきよりは全然ましだ。


糸満ロータリーを過ぎ、兼城の交差点を通過。
いつの間にか、子供や高校生とハイタッチをしている元気も取り戻せている。
沿道の声援に応えられない心苦しさはあるが、例年の苦しさはない。


35キロ通過。
3時間8分。

微妙な時間。残り7キロ。
キロ5分でいけばぎりぎり3時間45分。


でもさすがにもうキロ5で押す力はないし、止まらず、歩かずに完走できるだけで今回はいい。


小禄バイパスに入る。
去年は逆にこの地点で歩いちゃったんだよな、と工事中の高速道路が空を覆っている場所で思い出す。

今年は歩かずに済みそうだ。


残り5キロ。
3時間19分。
ま、おそらくゴール時刻は3時間50分ちょっとくらいになるんだろうな、と思いつつ脚を進める。


ここまでくると一定のペースで走れているためか、どんどんどんどん人を抜いてゆく。

残り4キロ、3キロ、と表示が進むが、2キロのパチンコ屋が妙に遠い。

やっと残り2キロを通過したものの、坂を登ってるにしろ今度は1キロが遠い。
モノレールの駅が二つぶんだから遠いのは遠いのだけど、あれ?という想いがかすめる。


坂を降りきり、今年変ったコースの影響でいきなり奥武山公園内へ。
公園内に入ったらすぐ競技場かと思いきや。右へ左へ折れながらなかなかたどり着かない。

競技場が見えたが門まではまだ少しある。
いや、この最後のコースは辛い。


やっと競技場に帰ってくる。
最後まで晴天。

まだ1周廻らなきゃいけない。


そしてゆっくりとゴール。
ああ、何とか走りとおせた。
今回はこれだけでいいか。


芝生に倒れこむ。
が、どうせまた係員が飛んできて立つように言うんだろう。
それも癪だし、とスグ起き上がって記録証を貰いにいく。


3時間53分8秒。

グロスだと3時間52分なにがし。

目標に届かなかった今となってはまあ、そこにあまり大きな差はない。
歩かず、休まず、ハーフ以降のあの落ち込みから戻せただけでもよしとしよう。


今年の完走メダルはまた青一色になってた。
オネエちゃんに首にかけてもらう。

ずっしりとしたこの重み。
琉球ガラスのこのメダル。

これで4つ目、なんだけど、裏を見ると見慣れぬ文字が…。

MADE IN VIETNAM

「あ」、って感じ。


----------

今年は脚に来た。
太腿が翌日から悲鳴を上げっぱなし。
レース後すぐマッサージを受けたのだけど、久々のフルのためか、走り込みができていなかったためか、相当厳しい筋肉痛が3日ほど続いた。久々の感覚だ。やはり身体としては苦戦してたのだろう。


今回は別行動だった昨年5時間で帰ってきた連れは、1時間縮めてサブフォーに滑り込みリベンジを達成したらしい。1年間とはげに人を換える時間ではある。


さて来年は、12/7。ちょっと遅めの時期ではある。
もちろん参加する気はまんまん。けどなんせ未来のことは誰にもわからない。
私事で動けない状態になっているかもしれないし、果たしてスタートラインに立つことはできるのだろうか?

そして、メダルはMADE IN CHINA?


(FIN)

1300番台という前方スタートのため、前方をふさがれるというストレスはほとんどない。

昨年は国際通りで自分のペースを維持するために相当体力を使った。

今年はスタートロスも1分程度だし、周囲の「ジョガー」もそこそのスピード。

縫うように走らなくて済む分、大分と楽だ。


ただこの気温はちょっと参る。

国際通りを走り終え、牧志の駅で右折するころには既に咽喉の渇きを覚えていた。


ひめゆり通りへ入る右折ポイントでは例年のごとく台湾人の応援集団が「台湾、加油!」と叫んでいる。

今年は翌週が第1回台北マラソンということもあり、台湾からの参加者は少ないように思えるのだが、応援舞台の数は変らないようだ。


ひめゆり通りは天気がいいせいか例年に増して朝から声援が多い。

川につきあたり左折、5キロポイントで最初の給水となる。

一杯目は口に含んで吐き出し、二杯目は頭と腿を冷やし、三杯目で咽喉を潤す。

この先かなり給水は頻繁に行わなきゃいけないかもしれない。


5キロ通過は24分ちょっと。

悪くないで出だし。キロ10分で最後まで押せれば・・・というのが目標なので1分の貯金。

橋を渡り、左折。バイパスを走ると、最初の丘が見えてくる。


上り坂で脚を使うと体力を消耗する。

ペースを落とす。

ペースを乱すと後から響く、という考えもあるがここのところの走りこみ不足を考えると、体力温存を第一にしたい。さっき抜かしたランナーに続々と抜かれていく。

おかげで子供たちが

 「お塩でーす」

 「黒糖でーす」

とビニールに入れて手渡してくれるポイントはゆっくりと進むことができた。

下り坂になるとペースを戻して、再度さっきのランナーを抜き返す。


バイパスから右折すると、ひたすら南下の道となる。

車線幅も狭くなりここからがNAHA。

両歩道に応援の人たち、私設エイドの人たちで鈴なり。

ホントに嬉しい。

高速道路下を過ぎると10キロポイントに。


48分。


2分の貯金。

去年はここで52分。速く走ったつもりでもキロ5分に2分届かず、相当焦った。

今年はいいペースで来ている。

これがどこまで続くかが問題だ。


ここからが中間地点まで上り坂の連続となる。

ペースを落とす。当然時間はかかる。

どのくらいの落ち加減なのかはわからないが、結構な時間を必要としているようだ。


2度の急坂を上り、砂糖きび畑のなかで15キロポイント。

このタイムの記憶はない。

おそらくかなりペースが落ち込んだので、20キロまで見ないことにしようと思ってたような気がする。


具志頭の交差点を右折。

ここからハーフの平和祈念公園まではだらだらとした坂が続く。

そして今年の鉄腕アトムは・・・


ジーンズはいたフツーの格好をしてた。

去年は桜塚やっくん。一昨年はHG。今年はじゃあ、小島よしおか、ムーディ勝山と思っていたが予想は裏切られる。しかし、延々続く鉄腕アトムは健在。いつかレース中にフルコーラスを一緒に歌いたい。


このあたりから歩き始めるランナーが目立ち出す。

暑いし、まあ無理もない。


20キロ通過したものの、かなりペースを落としたのが響き、1時間42分。

貯金を吐き出し更に2分のビハインド。この10キロは54分かかってる。

遅いがまあ、予定のうち。

長い上り坂は40キロ過ぎての小禄までもうほとんどない。

ハーフ過ぎて粘ればなんとかなりそうだ。


下り坂になったこともあり、軽やかにハーフポイントの平和祈念公園向けて駆け下りる。

ハーフ通過は1時間47分。

このまま単純倍はできないだろうから、目標の3時間45分には黄信号が点る。

でも、単純倍なら3時間34分。まだまだわからない。


気温はかなり上がってきている。

しかも無風に近い。

路上に設置されたシャワーを駆け抜け涼を取り、残り21キロに向けて踏み出した(続く)




スターターの比嘉愛未と視線を合わせられずにスタートラインを越す。

結構ファンなんだけどなあ。
2004年の参加以来、初めて見たスタート時の抜けるような青空。
スタートロスは約1分。
前方スタートのため、ほぼストレスフリーで58号線を駆け上る。
身体は重いが、そう気になるほどではない。
去年と違ってちゃんと時計も左手に装着されている。
上々の出だしで今年のNAHAは始まった。

これでフルは12回目の出走。
初めてのフルがここだったこともあるけど、やはり特別な大会。
こんなに楽しいレースは他にない。
沿道の声援、私設エイドの多さ、子供たちの笑顔、なにをとっても他を圧倒する心地よさ。
それに引かれて4年連続の参加となった。

今年はエントリーが26000人。
出走が23000人。
国内レースでは一、二を争う大規模大会。
東京のように抽選するわけでもなく、参加費もぼったくらない。
しかも沖縄まで好き好んで10000人近い人数がこの日のために終結する。
去年と比べても参加者は2000人増。

明らかにスタートの奥武山公園は混雑してた。
金曜日に那覇入りしたら、もう天気予報のお姉さんは「気になるNAHAマラソン開催日の日曜日は…」という接頭語を使ってた。
それほどまで、なのに開催日がエリートランナーレースの福岡国際と同じためか全国的一般的にはほぼ無名。

月曜日の沖縄タイムスは一面全面+グラビアまでの大特集だったけど、帰りに機内で読んだ東京発行の全国紙には一行足りとも記載なし。
一応ワイナイナとかゲストで走ってたんだけど。

ワイナイナといえば、これもふざけた話で、開会式で「みなさんと楽しみたいので一緒に走ったら声かけてくださ~い」とか言ってたのに、2時間26分。
一般優勝者が2時間30分。誰が一緒に走れるんだ!って打ち上げでは話のタネになってた。

けど、もうひとつの特色が制限時間が緩いのに、今年の完走者は15000人程度と完走率の異様な低さ。

完走率70%弱。5時間かかっても上位三分の一。

うーん地元に密着というか、呑み会でのノリで参加を決める人が多いのか、なんせランナーではなくて「ジョガーの祭典」なんで・・・。お祭りという意味では間違いなさそうだ。

が、調子良かったのは国際通りまで。

暑い。

2キロ行かないうちに汗ばんできた(続く)



85キロを前にして、三たび仮設トイレに駆け込む。


いい加減嫌になってくる。
もちろん、ガスが抜けるばかりで出ない。

しかし、この便意は止まない。
時間的に余裕があるとはいえ、決して楽しくはない。

和式にしゃがむものそろそろ限界だ。
汗ばんだウエアに個室の中でさらに汗が落ちる。


nanoからはグロリア・エスティファンが気だるいスペイン語の歌詞をつむいでる。
歌の名前は覚えてない。
一時スペイン語をやっていたときに教材代わりに使っていた。


Se que aun queda una oppotunidad


まだチャンスは残されているはず。
とかいうような感じの意味だったような気がするが、最近めっきり鳥頭なもので確かではない。


チャンスは残されている、というよりかなり余裕を持ってるはずだ。
が、ワッカの仮設トイレで独り時間を使うこのこっけいな図式はなんなんだろう。


何とかコースに復帰するも、もはや万全ではない。
脚や身体も辛いのだが、かなりの神経が腸に向いている。


が、とにかく進まないと何も変らない。
前に前に、という意識だけで先に進む。


87キロを過ぎたあたりだろうか、前方からDoさんがやってきた。
脚も上がってるし、かなり調子いいみたいだ。

両手でハイタッチを交わす。


「ゴールで待ってます!」


と、反対方向に走り去っていった。

あ、そういえば、手を洗っていなかった…。
もちろん手を洗う場所もなかったのだけど…。


その後、言おう言おうと思って言えなかったのですが、ここに懺悔します。

次のエイドのかぶり水で手を洗う。

しかしいつまで経っても折り返しがこない。
そんなにペースが落ちているわけではないはずなのに、妙にキロ標識が遠い。


やっと「あと1キロで折り返し」との標示がでる。


え?

見えない。そのポイントが視界に入らない。

1キロってそんなに遠いのか?


このころになると、ぽつぽつと雨が落ちてくる。
風も強い。
完全に曇った空のもとで、先行するランナーが列をなしているが、その先の折り返しまでがものすごく遠い。

そして、寒い。

エイドでウエストポーチからゴミ袋を出してかぶる。
これで大分と寒さが緩和される。


木曜日にアートスポーツに行くまではワッカが寒いなんて考えてもいなかった。

晴れたら暑い、そればかりが頭にあったが、現在、インナーとアウターとゴミ袋の3枚重ね。
それでも結構冷えてきてる。


ようやく折り返しに到着。

そういえばポイントポイントで並走してきたメンバーとすれ違っていない。


トイレに行ってるときにパスされた可能性は高い。

が、折り返しまで会わない、というのはどういうことなんだろう?


折り返して90キロ地点前方でchamaさんとすれ違う。

ガッツポーズをしてくれている。


「すごいじゃん、初ウルトラで完走だよ、完走。やったね」


という言葉を貰う。


続いて、トン子さん、マミックさん、カナダさんとすれ違う。
どうやら鶴雅で抜いたようだ。


アートの鈴木さんもやってくる。
顔がゆがんでいるが脚自体は着実だ。


鶴雅で相当辛そうだったN社長もいらっしゃる。
顔に大分と余裕がでてきている。これは間に合うな。


そして最後にOgamanさんがやってきた。
かなり辛そうだが、どうなんだろう。この1年の辛い思いへのリベンジはなるのか?


90キロ関門を過ぎる。

11時間06分。


残り10キロ。
残り時間は1時間54分。


歩いてもたどり着く。
残すところはこの10キロを楽しめばいい。


携帯電話が鳴る。
フチエ女史からだ。


「あと10キロじゃん。もう少し!」
「多分大丈夫。初ウルトラで完走しちゃうよ」
「ちょっと待って、替わるから」


 へ?誰に?


「すごいですねえ。ホントに90キロ走ってきたんですか」


あ、会社のK川だ。


ということは休日出勤してるわけね、この人たち。


「いやあ、スゴイですね、頑張ってください。」


こんどは今月末で退職する中国人のLくんの声がする


「お前、ドコにいるんだぁ。XX(フチエ女史の本名)が休出しているのに、北海道だとぉ」


と笑いを含んだ先輩のサトシさんの声も聞こえてきた。


「ま、そういうことだがら、お土産ヨロシク」


とフチエ女史の電話が終わる。


なんか妙に可笑しい。
独りじゃない。


鉛色の空からは雨が落ち出したが、その中を独りでにやにや笑いながら進んでいく。


が、雨脚が強くなってきた。
さっきまで携帯電話で会話をしながら走れていたのに、もうそんなことはできない。

あっという間に水溜りができ、脚を踏み込むと靴の内まで濡れる。


寒い。

そして、再び襲ってくる便意。

95キロを前にして4回目のトイレへ。
雨は激しく仮設の屋根を叩いている。


何分時間を使ったのか、定かではない。
が、完走への時間的猶予はたっぷりある。

再びコースへ戻る。

が、ワッカは雨にけぶり、灰色の海と化したオホーツク海で遠雷が光る。


エイドも店じまいのようで、高校生たちが寒そうに肩を寄せ合っている。
寒い。かなり寒い。


このゴミ袋がなければ相当辛い想いをしただろうな、と思いつつ脚を進める。
が、冷え切った筋肉が走ることを拒絶する。


残り5キロ。


歩こう。
もう、どうやったって間に合うだろう。
タイムを狙っていたわけじゃない。
制限時間内でゴールできればそれでいい。


歩き出した。

当然後ろからきたランナーにはパスされる。
が、もういい。

たどり着けばそれでいい。

やはり歩くと身体的には相当楽だ。

が、運動量は落ちるので当然ますます寒さが堪える。

横殴りの雨の中、キロ標識が進んでいく。


残り、3キロ。

ワッカの出口だ。
坂を上りきり振り返る。


入ったときに列をなしていたランナーももう数えるほど。
ちょっと明るかった空も土砂降り。


でも、ワッカに来て、ワッカを走り、ワッカを去る。
もう見ない光景かもしれないが、やはり一番の場所だった。


トウフツ、って昔はいってたんだよな。
国語の教科書が頭に浮かび、独りつぶやく。


満足したか?
自分に聞いてみる。
が、今答えは出ない。


再度前を向き、最後の森に入る。
坂を下る。
80キロのエイドも撤収がほぼ済みつつあるようだ。
ここからは残り2キロ。


そして最後の直線へ。
この大雨の中、沿道には多くの人が応援に出てくれている。
もちろん、もう何時間も前にゴールしたランナーも声を嗄らしてくれている。


でも寒い。
走れない。
ひらすら歩く。

雨は止む気配もない。


残り1キロになったら走ろうかな、とか思っていたがそれもできない。
寒さが全ての思考を奪っている。


ゴールのアナウンスが聞こえてきた。
その角を右に折れれば残りわずか。
ビクトリーロードだ。


「遅いよ~」


とDoさんとカメKAYOさんが、沿道で応援してくれている。


「写真撮るから、はい、走っているポーズとって」


と言われ、その場で足踏み。
なんとも胡散臭い写真になってるんだろうなあ。


のこり100メートル
    (胡散臭い写真。Doさん提供)


右に曲がる。
残すところはあと80メートル。


昨日下見したゴール地点が、眼の前にある。
この激しい雨の中でも、ビクトリーロードの左右には応援してくれる人が沢山いる。


ゴールの時の写真は独りで撮ってもらいたい。
前後のランナーの間隔を確かめる。

とすると、ものすごい勢いで走りこんでくるランナーがいた。
ここで脚遣うならもっと早いタイミングで遣えばいいのに。

と思いつつ、再度前後の間隔をチェックする。


残りは30メートルだ。

雨脚は強く、風景も霞んでいる。


そこに、100キロのゴールが「在る」。


もう少し、とはこのこと。


あと少し、あと少し、格好をつけてゴールしろ。

走れ、走れ、そこには何かがあるはずだ。


脚を前に出せ。








----------







2週間経った。

もう2週間、とでもいうのだろう。
日常生活に戻り、あのハレの日は既に遠いところにある。

午前様の残業もあり、L君の送別会も終わり、何事もなかったかのように日々が流れていく。


終わった直後に感じたのは、まあ感情の機微が少ない人間らしく、


「まあ、こんなものか。割と走れるもんだ」


というフルの時と同じものだった。


100キロのゴールしても今のところ何も見つかってはいない。

ただ100キロ走りきった、という事実はそこにある。


アメリカ横断ウルトラクイズのキーワードは


「知力・体力・時の運」


だったが、今回はまさにこの「時の運」に恵まれた。


 >出発前のアートの鈴木さんの「寒くなるよ」という情報
 >夜久さんの「制限時間内で移動すればいい」という考えかた
 >レース前半の好気候
 >30キロ付近の仲間との並走
 >50キロ前のchamaさんのアドバイス
 >ふと思い立ってウエストポーチに押し込んだゴミ袋


どれか一つ欠けたら、相当辛い状況を招いたに違いない。
こんなにも僥倖が重なったのは時が味方したとか思えない。


もちろん十分で無いにしても、それ相応の練習は積んできた。
だからこそ完走はできたのだろう。
でもそれだけでは成しえない。


今回一番強く感じたのは「仲間のありがたさ」だった。


独りじゃない。


この心強さは半端ではない。


長距離になればなるほど仲間のありがたさは強くなる。
並走しているわけではなくても、そこに人を感じられること。

これほど貴重なものはない。


グロス 12時間44分26秒、ネット12時間42分33秒。


初ウルトラ初完走。

そして今回一緒のチームとして挑んだ13人(フル10人ハーフ3人)、


全員完走。


誰か一人リタイアしてたら、きっと心の底からは喜べなかっただろう。


あんなに降っていた雨もいつの間にか止んでいる。
最後に駐車場で、鴇の声を挙げ、みんなで写真を撮る。
ひさびさに心の底から出た笑いだった。(FIN)


fin
       FIN (Doさん提供)