「貸すならあげるつもり」ではあったのだけど。
最初からもらったつもりでいるのかな?、ってふと思い出すことがある。
信用して貸した自分の責任ではあるものの、やっぱりちょっと甘いのかもしれない。
まあ、うっかりお財布にお金が入ってなくて、びっくりすることはよくあるけれど(笑)
嘘をついてまで、誰かからお金を借りるほど、追い詰められたことがないからかもしれない。
仕事のかかわり合いではあるものの、人として信用できる人だった。だから突然退職して、それも金銭絡みで…って聞くと、驚きを通り越した衝撃で、何も考えられないゾーンまで到達した。
たぶんわたしの持っているその人に関するデータベースでは、処理しきれないのだと思う。
「とにかく困っている」ことは、何となくわかったけど…
お金が絡んだから、裏切られたように思うのかも知れない。
忘れられない思い出がある。
卒業してすぐ、銀行に勤めていた。
ある初夏の夕方、とっくに3時は過ぎて、裏口からお客様が出入していた。私の目の前に、馴染みの小売り店主のかたがいらした。
1枚の数万円の小切手を落とすために、午後から何度か見えていた。
カウンターで、子供の貯金箱を目の前で割られた。こぶたのお腹には数枚の千円札と、両手いっぱいの小銭が入っていた。
私のうしろに、上席の男性が二人、立っていた。
私は大急ぎで、お金を数えた。1万にも満たなかった。
店主のかたはガックリし、外に出ていった。
上席の指示で、私は窓口のお金を締め上げて、出納にわたす。私の窓口だけが締まらないので、全体が締め上げを待たれていた。
無事に勘定は合い、ぱらぱらとみんな帰り始めた。
私は、待つよう指示されて、窓口に座っていた。
ほどなく店主のかたが、守衛さんに伴われていらした。古めかしいアルバムに貼り付けた、昔の紙幣を剥がすことになった。私たち職員ではなく、お客様に剥がしてもらう決まりがあった。粘着した台紙に貼り付けたお札を剥がすことは、容易でなく、紙幣を破ることになった。
破損した紙幣は、確認してからでないと扱えない決まりだった。まして使えなくはないが、いまは流通していないものだ。
店主のかたは泣いていた。
私は、なぜだか悲しくて悲しくて、貰い泣きした。破れたお札を、震える手で店主のかたがカウンターに並べた。
うしろの上席の一人が、自分の財布を出して、破れたお札を確認して、同じだけの現行紙幣に両替した。
私は、上席から受け取ったお札を入金処理した。
…まだ、6,000円位足りなかった。
もう一人の上席が、店主のかたと応接に入られた。30分程して、店主のかたが1万円札を差し出した。「これで」と。
私が1万円の伝票を書こうとしたら、上席から「6,500円入金して」と言われた。お釣りを渡すと、その場で土下座してお札を言われた。
守衛さんに肩を支えられながら、二人の上席に付き添われながら出ていく店主のかたを見送り、ふと時計をみたら20時だった。
一月もたたずにお店は廃業した。
後にこのことを上席と話すことがあった。
あのまま帰したら、店主のかたが死んでしまうのではないか、それが怖かったからさ、と力なく笑った。お釣りを渡してよかったと言われた。
駐車場まで送って行ったら、車に家族がいたそうだ。別れ際「今日は遅いから、ラーメンでも食べて帰ってください」って上席が言ったら、お子さんがパアッと明るい顔をしたと。
「きっとご飯も食べないで、家中お金を探して来たんだと思って、1万円の入金にしなかった」
あの時の店主のかたに、偶然スーパー銭湯で会って、声をかけられた。20年以上経ったのに、よく覚えて下さっていた、と思った。
お嬢さんに子供が産まれた、と聞いた。
お金がなくても生きられる方法はあるのかもしれないけれど、今の日本では恐らく無理な気がする。
だから、お金を貸してと言われて、断ると見殺しにするような、後味の悪い後ろめたさもあった。
でも、今ならあっさりと「ごめんね。お金の貸し借りはしないの」て言える。
厳しいと思われても、それで離れる関係ならそれまでのことだから。