そらこ

そらこ

病気をきっかけに始めたブログです。

2010年4月にⅠb1期で広汎子宮摘出手術。

再発予防のために、術後に抗がん剤5クール。

順調に経過観察を続けてきましたが・・・

2012年秋に膣断端への再発が認められ、放射線治療をしました。


治療の経緯 にまとめています。


もう二度とこの病気をしないぞ!!という強い気持ちでいます。

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2023/3/28の検診で
13年通院した病院(癌専門)を卒業しました。

2010年4/20に広汎子宮全摘出術

2022年秋に再発確定→放射線治療(外部と内部照射)

2022年11月末に治療終了

再発治療終了して丸10年
無事に過ごしてこれました!

長年の主治医(女性)と会えなくなるのはさみしいが、会えなくなる事の方が良い人なんだものね。

物のプレゼントは受け取ってくれない可能性があるし、何をあげていいかもわからないので、感謝状を作りました。

診察が終わってから
それを看護師さんもいる前で堂々と読み上げました。

おクスリにちゃん付けして
言うのがおかしく、緊張をとってくれたことや、

入院中に先生が病室に回診に来てくれた時は、修学旅行中の生徒のように慌ててちゃんと横になった事も書いてある感謝状。

そしてずっとしたかったこと、主治医と写真を撮ること。

退院する時も取らなかった。
寛解して本当に卒業する最後の日に撮ると決めてました。

いいわよ〜♪と友達のようにひっついて撮った写真の背景は、あの診察台😂


2020-2022年の2年半は
辛い時期でしたが、
病を乗り越えた私は、病をしなかったら気付けなかった事や、ちょっとの事ではくじけない強さという武器?も持てました。

病気になってヨカッタと思った事は一度もありませんが、悪い事ばかりではありませんでした。

そして同じ病と戦う人達を沢山見てきました。誰かの分は生きられない。自分の人生を大事に楽しく過ごします。

























(このお菓子は持参したもの)

コロナ陽性になり、前半は自宅療養、後半はホテル療養をしました。

①夜なんかだるいなー

②息子が朝から38度台の発熱
二人で抗原検査キットをするも陰性
私は熱もなかったので出勤
→帰宅したら19:00〜発熱37.9度

③午前中息子と抗原検査キット→陽性
午後、ドライブスルー的に診療してくれる病院にてみなし陽性と認定。

薬を処方してもらう

(ロキソニン、咳止め、喉の炎症をとるもの)



この日は発熱なし

④38度台の発熱
持病の喘息の発作が出る
38.8度の高熱と咳で眠れない

⑤喘息を診てくれる病院を見つけて夕方ひとりで運転して行く
コロナなのに聴診器もあててくれて本当にありがたかった。
良い薬を処方してもらう。

⑥喘息発作
夫がひとりで大変そうなのと、
コンビニの食事(少量)を日に2回買ってきてもらっていたが、色々あってホテル療養にしよう!と決意→手配の電話

⑦13:00にお迎えの車が来てホテルへ
最初の夕飯→翌日夕飯までは食欲少なめ
⑧⑨⑩
36度台 日に日に咳が収まる

3食のお弁当がついて
看護師さんも体調チェックをしてくれて、
消毒をしないでシャワーやトイレも使えて快適でした。
感謝しかありません。
半年に一度の定期検診(5/17)の結果です

【血液検査結果】
・白血球 5.8(5,800)
・CA12 10.4(上限35.0)
・SCC 0.7(上限1.5)

【CT結果】
子宮頸癌加療後。局所変化はなし。
左鼠径リンパ節軽度腫大、最大短径7mm、軽度縮小。有意義なリンパ節腫大なし。
嚢胞の他、明らかな肝腫瘤なし。

【CT診断】
明らかな再発・転移なし

【細胞診結果】(約1ヶ月後に郵送にて届いた)
異常なし

ここ最近は、以前にたまにあった長い距離を走ると出血する(と言っても1cmくらいの薄い色の血がライナーに一度つく程度)というのもほぼなくなりました。

この日の診察では、ホルモン補充療法のエストラナテープをまだ使う?と聞かれました。

採血による
【卵胞刺激ホルモン】の数値は117.50でした。閉経すると70くらいだそう。
【エストラジオール】は21.30

42歳の時に手術により閉経してしまった時にはホルモン補充が必要だったけど、54歳になったからもういいのでは?という先生の考え。

今、このテープを貼るのをやめても、
更年期障害がひどく出ることもないと言う。

続ける事で逆に乳がんリスクが高まるのも知っている。ただ、お肌とカサカサ&タルタルになるのが嫌だったので続けていたところがあるのも事実😅

結局、じゃーもう処方しなくていいです。

今まだだいぶ残っているので、
それをチビチビ使って(3日に一度→5日に一度)なくなったらそれで終了にします!

と決めました。

次の検診は半年後にせず、来年の3月にしました。その日がこの病院での最終検診です。

主治医が定年退職をするからというのもありますが、私が再発治療した2012秋から今年の11月末で丸10年!

まるで私の丸10年を待ってくれたかのような主治医の退職。

この日は先生と記念撮影をする!と言っています。出逢って丸12年。一緒に写真を撮るのは卒業をする日とずっと決めていました。

先生には感謝状を渡すつもりです😊

●2020/9/15

【血液検査結果】

白血球 5700

卵胞刺激ホルモン 102.60

エストラジオール 28.50

 

なぜか腫瘍マーカーはありませんでした

 

【細胞診の結果】

郵送にて問題なし

 

●2021/03/30

【血液検査結果】

白血球 5500

CA125 9.0(上限35.0)

SCC 0.5(上限1.5)

 

【細胞診の結果】

郵送にて問題なし

 

【CT検査結果】久しぶりに胸~全腹部のCTを撮りました

肺に明らかな転移を指摘できない。

肝嚢胞がある。明らかな転移を指摘できない。

膣断端の形態に変化はない。

左鼠径リンパ節腫大に著変はない。

転移を疑うリンパ節腫大を指摘できない。

明らかな骨転移を指摘できない。

 

 

 

この日の医師との会話は、

 

もうそろそろ年齢的(50過ぎたので)に

ホルモン補充のテープをやめていく?

ということで、

 

今までのエストラーナテープ

3.6mg→1.8mgと小さいタイプに変えることにしました。

 

3.6mgも2日に一度張り替えるから、

2日で張り替えたら、次は3日で張り替える方法に3年前くらいから変えてます。

まだ3.6mgが残っているので、

もうしばらくこの方法で。

 

また主治医が来年末?再来年春?に定年退職らしく、

それ以降もエストラナーテープが欲しいなら病院を探してねと。

 

私は再発治療を終了したのが2012.11月末だったので、

来年で丸10年となる。

 

私も先生と一緒に卒業します!

と元気に言いました。

 

また最近の私の身体の様子で、

ランニングを長く(10km以上)すると、

特に早いスピードだったりすると、稀に少しだけ出血することがあるけど、

それは走ったからだってことで気にしないでいます。

 

と言ったら、

そうよそれでいいわよ。

よくわかってるわね!みたいな事を言われました。

 

ランニングした時の出血ですが、

私が思うに、膣の奥ではなく小陰唇の粘膜あたりがこすれて

出血しているのがほとんどのような気がしています。

 

この前、長く走った後すぐに飲酒をした時は、

尿に血が混じったので、

それは膣内がこすれたのと飲酒で血行がよくなったからだと思います。

 

そう言えば、数年前に続けて出血をして心配になり受診をしました。

その頃は膣内をシャワーで洗ったり、

性器を石鹸で洗ったりしていたのですが、

弱った膣内の粘膜にシャワーをあててはダメ!と怒られました。

それをやめたらピタっと出血しなくなりました。

 

その頃も出血したタイミングは、ほとんどが飲酒した時。

外で飲んで店のトイレでという事が多かったです。

または夜飲酒して、寝て起きた朝一番のトイレででした。

 

血行が良くなっていたからなんですね。

 

再発治療直後から始めたパートも勤続8年以上!

ランニングも始めて丸5年半!

どちらも続けられているほど元気です。

 

変な話、病気になって人生観が変わっていなければ、

このどちらも続いていなかったかもしれません。

 

変なド根性と

人生楽しまなきゃもったいない!と思えるようになったからだと思います。

 

本当、健康に感謝です◍˘‿˘◍

 

結果を聞きに一人で行く勇気がなく、

 

いや、一人で帰る自信がなくて、親友Y子に帰りに会う約束をしてもらいました。

 

 

この日もお守りに長男のシャツを持って行きました。

 

診察室に入り、主治医の顔を見て何を言う顔なのかとドキドキしていたら、

 

「大丈夫だったよ~」と(ToT)

 

もう本当に安堵で思わず主治医にうなだれてしまいました。

 

涙も出た気がする。

 

 

【細胞診報告書】

判定

標本作成法:直接塗抹法

標本の適否:適正

ベセスダ判定:NILM negative for intraepithelial lesion or malignancy

 

初めて印刷してもらいました。

 

 

次回の検診を半年後にするのは不安だろうから、3か月後になりました。

次回の検診直前にも役1週間、膣錠を使用しておいてとのこと。

 

 

診察室を出て会計に向かったら、Y子が院内カフェにいてびっくり!

駅で待ち合わせのはずだったので。

 

Y子は病院まで2時間くらいかかる所に住んでいるんです。

朝早くから来てくれたことも嬉しかったし、

心配してくれる人がいることの幸せも感じたし、

 

「大丈夫だった~」と言いながら、涙が止まらなくなりました。

 

しかも右側からしか流れず、

 

「なんで右からしか出ないの~!」と言いながら泣いていました。

 

その後は二人でお台場の観覧車を乗りに行き、

天気もよくキラキラ光る海を眺めることができました。

 

本当、生きてるって素晴らしい!!

時間を大事に、

周りにいてくれる人と楽しく年を重ねていきます!!