イースター前に40日間の菜食チャレンジをすると言い放った私ですが、実は11日目に挫折!こんなに短期間の間で、ますますふらふらするし、集中力が切れるし、目の下のクマが一段と濃くなるし、、、自分だけ別の食事を作るっていうのも大変で、結局ブーイングを受けて、家族みんなと同じいつもの食事に戻りました。それにしても、食事制限のあれこれは自分で実際にやってみないと分からないものです。ダイエットや療養の成果にしても、ネットや人からこうするべきといろいろ言われても、実際体に良いかどうかは、本当に自分で確認するまで分からないです。

私が一番困ったのは、鉄分不足。菜食の場合、鉄分とビタミンB12の不足がおこりがち。豆腐、納豆、ひじき、濃い緑の野菜等に含まれる、植物性の鉄分は非ヘム鉄、レバーやカツオ、牡蠣等に含まれる動物性の鉄分はヘム鉄といいます。菜食の場合、非ヘム鉄に頼らざるを得ない訳ですが、ヘム鉄に比べて吸収率が悪いのです。ビタミンCやたんぱく質と一緒に取る工夫などをして吸収アップしないといけません。

菜食主義でも魚は食べるという人が圧倒的に多いのは、やっぱり食とメンタルのバランスを意識して、食を楽しむことは忘れたくない、という理由からに違いないと思います。足りない栄養分をビタミン剤で取るか、肉や魚から取るか、、、 食のヨロコビがあるから、体内で栄養を効果的に取り込めるというのは、科学で実証済みでしたっけ。普段は菜食だけで過ごしていても、招待されたパーティーや外食の機会においては肉や魚も食べる、というフレキシブルな態度を取るベジタリアンも結構いるようで、フレキシテリアンと呼ばれています。(うーん、こうなるともう勝手にして、って言いたくなるよね。)

で、原点に戻ると、菜食チャレンジで得たもの。それは肉や魚が私にとっては贅沢品ではなく、必需品であるということへの実感。肉や魚を適度にを食べなければ調子が狂ってしまうということ。だからありがたくいただこう、ということです。外国でありがちですが、赤ちゃんの頃から、宗教的な理由で、ある種の食事制限が生活に組み込まれていたなら、体がその制限に合わせて成長していく。でも私は何と言っても1975年生まれの日本人。1975年の日本の和食スタイルが一番理想的だったんだって!
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/news/2014/003486.php
そんな時代に育った私が菜食主義になると体がブツブツ文句を言い出すのです。

森達也さんが「いのちの食べ方」の中で、「僕たちはとても身勝手で矛盾した生きものだ。それが良いか悪いかは別にして、とにかく君の身の回りのほとんどは、たくさんの「いのち」の犠牲の上に成り立っている。」と書いています。これ、中学生向けの本ですが、大人としてちゃんと分かっているか、自分自身に問い直すべき言葉だと思いました。

なんだかまた宮沢賢治の世界に入ってしまいそうな、、、
「よだかの星」を読んで、おやすみなさい。