ももクロちゃんと出会ってからもうすぐ6年が経とうとしています。宝物のような思い出ばかりを贈ってもらいました。
思えば、ももクロちゃんと接する時って何があっても「あの子たちのキモチを考えたら」とか、「あの子たちが納得できるなら」とか、いつだってそんな想いを抱き、何もかもを受け入れられてきた気がしてます。我が儘な自分としてはすごく不思議だった。
「親目線」って言葉があるけれど、ももクロちゃんへの愛情はそんな想いだったのかもしれないなぁ。いつだって、「娘たちが幸せになれるように」「娘たちの笑顔がいつまでも曇らぬように」、そんな愛情をバカ正直に注げる存在だった気がします。
2018年1月15日。
今、現実を受け入れられない自分がいます。
たいせつなかけがえのない娘の1人がその輪から離れようとしている時、きっとその全てを受け入れなきゃならない。緑色ではなくなろうとしている娘のこれからの人生に、全力でエールを贈らなきゃならない…きっと。
でも
ただただ悲しい
どうして?
辞めないで!
親目線ではなくてモノノフとしてのエゴだけで、現実から目を背けようとしている自分がいます。
出会った日からいつも五人だった。
五人が駆け抜ける道をいつも追いかけてきた。
五人が描く夢のカタチにいつも涙してきた。
どの色が欠けていてもきっと惹かれなかった。
他でもないこの五人が出会った奇跡に感謝した。
ももクロちゃんと初めて出会った年の暮れ、さいたまスーパーアリーナで聴いた「僕らのセンチュリー」
今でも覚えてる。
あの景色、
あの胸の高鳴り。
おとぎ話だと想った。
ファンタジーの国に迷いこんだような気がした。
一点の迷いもなく心の底から幸せになれた。
"星降る今宵は ねえ
夢なら覚めないで"
僕の耳に届くその言葉に涙が溢れた。
今、目の前にある景色はきっとおとぎ話。
夢はいつか覚める。
だけど神様
いつまでも、いつまでも、いつまでも…
一瞬の夢でしかない刹那に僕の胸は果てしなく締めつけられた。それと相反するように、その無情に抗い、時さえも止まり永遠に続くかのように、目の前に広がる景色から注がれる幸福。そんなカオスのように相反する不可思議な感情が渦巻き、ただただ涙が溢れていました。
今、あの日の想いがこみ上がっています。
いつか来る別離。
いつもそんな怖さを抱きながら彼女たちを追いかけてきました。浮世の世界で舞う女性アイドルグループ…永遠に続くはずなんてない。幸せだけしかないおとぎ話と裏表の刹那にいつも怯えていたような気がしています。
でも五人はそんな当たり前の常識にいつも抗い、何かの向こう側を僕に示し続けてくれた。いつしか、「このおとぎ話は覚める事のない夢なんだ」って想えるようになっていきました。
"僕らのセンチュリー"で、夏菜子ちゃんが指す方向をメンバーがみんなで見つめるあのラストシーンが、僕はたまらなく好きです。
その場所がいったいどこなのか?
僕にはわかりません。
でもこの五人が目指すその景色を、この五人と一緒に見届けたい…そんな漠然とした想いが僕のモノノフとしてのアイデンティティだったような気がしています。
あの日のももクリで迷いこんだ幸せなまでの"おとぎの国"から、2018年1月15日という今、いきなり目覚め連れ戻されてしまったようなキモチでいます。
今は何も考えられない
涙も出ない
理解できていない
悲しい
嫌だ
受け入れたくない
体が全てを拒絶している
だけど必死に言葉を探してる
いったい何が言えるんだろう?
ただ想い浮かぶ言葉
ありがとう
ありがとうありがとう
ありがとう…
ありがとう杏果
ただそれだけ