うつ病になった日のicca
うつ病になった「日」って、
その日を境に全部が変わったわけではないのですが、
自分の中で、境目のような「日」が記憶に残っています。
それは、2010年 8月 お盆があけたくらいの日。
私は目が溶けてしまいそうなくらい泣きました。
会社の退勤カードを押して、逃げるようにロッカーへ走りました。
その日一日こらえた涙が、もう、そこまででかかっていました。
会社の出入りに常駐されている守衛さんにかろうじて「お疲れ様です」を言い、
会社の外へ抜け出して、
駐輪場まで行く間に、
それはあふれ出てしまいました。
もう とまりません。
駐輪場で会った後輩の、「お疲れ様で~す!」という明るい声にも答えられず、
泣き顔を隠すように急いで自転車を漕ぎ出しました。
幸い、日はすでに沈んであたりは薄暗い状況でした。
無意識に選んだ道は、車の通りが激しい国道沿い。
エンジン音に隠してもらいながら声をあげて泣きました。
子供が泣くみたいに。
涙は、電車の中でも、
駅から家までの道でも
家に帰ってからも止まることはなく、
泣くことに取り付かれてしまったように、
ただただ涙があふれました。
そう、
それから、
涙だけではありませんでした。
私の体は見た目にもボロボロでした。
放置された髪の毛は、胸元まで伸びきり、毛先も傷み放題。
キレイなOLさんを目指して買った細身の服なのに、
残酷にもイメージとは程遠く、
現実は スカートの上にのっかったお肉がたっぷりと浮き上がっていました。
もはや、iccaの体全身が、涙と一緒にかろうじて「助けて」と言っているようでした。
止めようと思っても止まってくれない涙に、
自分でも「何かが変だ」と思って、
その日に実家に帰ることにしました。
(いつもつらいことがあると、私は実家へ向かいます。
このときも無意識に最後の救いの手にしがみつこうとしていたのかも知れません。)
スーツから私服に着替えて、
荷物は財布とケータイと何かの本くらいをバッグにいれただけ。
(当時、「本から学ぼう」という会社の方針にべったりと取り付かれていた私は、
常に本を携帯していないと焦るようになっていました)
着の身着のままという感じで、私は現実から逃げるように実家へ向かうことに。
家を出る前、たしか、旦那が「キレイゴト」を私にぶつけてきました。
何を言われたか、今はどうしても思い出せないのですが
その時欲しかったのはそんな言葉じゃなかった・・・・
旦那の言葉にますます傷つき、涙はますます勢いづいてしまいました。
涙がようやく止まってくれたのは、実家に向かう新幹線が走り出してからのことでした。
真っ黒の窓に映った自分は、いつもより小さく、消えてしまいそうに見えました。
消えたかったのかもしれません。