宮城夫婦のどこまでLOVE♡ラブするの!
Amebaでブログを始めよう!
似ているようでどこか違うことば。

偽りのない姿が「ありのまま」だとすると、自分を偽らずに在り続けることは至難の業。

自分を偽らずに生きている人なんていない。

「ありのままでいいんだ!だから今のまま、そのままでいいよね!」はちょっと違う。

自分を偽り続けて「今」があるとしたら、今の自分はもうすでに「ありのまま」から遠く離れているのかもしれないですね。


恋愛において、うまくいっているときには、お互いの良いところがうまくかみ合い、心地いい時間が流れることでしょう。

しかし、深く知り合えば知り合うほど、相手の様々な部分が見えてくるのと同時に、自分の様々な面が顔を出してきます。

そして、

 お前のことを受け入れてるんだから、自分のことも受け入れて欲しい

 あんたことは知らないけど、自分のことは受け入れてよ

 自分のことを受け入れてくれたら、あなたのことを受け入れよう

 とにかくこれがありのままの自分なんだ、そのまま受け入れてよ!

なんていう駆け引きや押しつけが始まるのも、恋愛の醍醐味なのかもしれません。

相手の受け入れられない部分は、自分の受け入れられていない部分の鏡であるという考え方もあります。

そういう部分もあるでしょう。

でも、このときに「相手に受け入れてもらいたい」と感じること自体が、「ありのままの自分」ではなく、自分自身がそんな自分を受け入れていないという側面もあります。

「相手に受け入れてもらおうとする何か」は、もし自分自身がそれを受け入れてさえいたら、相手に受け入れられようが受け入れられまいが関係ないはずです。

でも、それを相手に受け入れてもらって、「そのままでいいよ」と言って欲しいときというのは、自分自身が「そのままでいいとは思っていない」ときなのかもしれません。

「そのままでいい」と承認されたときの安心感は絶大なものです。

それが愛する人ならなおさら。

でも、当の本人が「そのままでいいとは思っていない」限り、その承認を求め続けることになってしまいます。

結果、相手が受け入れてくれているのも関わらず、

 もっと受け入れて!

 まだ足りない!
 
 本当はダメだと思ってるんでしょ!

と相手を疑い、試し、要求し、そのくせ何も受け取らず、「分かってくれない」と切り捨てる。

そして関係性を壊してしまうという不幸を引き起こしてしまいます。

相手に何かを要求しているときは、もしかしたら「自分が自分に分かって欲しい」ときなのかもしれません。

「ありのまま」っていったいどんな状態なんだろう。

「ありのままで、って一番難しい!」

という声が聞こえそう。

そうですね、
ホントにそう。

言葉の意味じゃないけれど、相手に遠慮も配慮もない状態を「そのまま」とすれば、
そのままがいいんだ!これが私だ!と押し付けることじゃない。

恋愛すると、嫌われたくないから、一番いい自分でいようとしてしまいます。
相手に好かれるように優しくしてみたり、気を配ってみたりね。
相手によく思われたいから、という理由だとしても、
そこで優しさが出てきたとしたらそれは、その人の優しさ。
気配りもしかり、気が回らない人はやろうと思っても、どうしていいいかわからない。
自分の中にあるものやイメージからしか出て来ない。
今まで出したことのなかった自分の底力みたいなのが引き出される、
自分の本来持っている優しさや愛情が育てられるのが恋愛の醍醐味。

これは恋愛に限らず、人との関係性もそうですね。
誰かと一緒に生きていくには、いい感じでやっていった方がいろんな意味でスムーズ。
人と調和していくというのは、社会性があると評価されたりする。
ここは、人間が必ず通る道なんでしょうね。
それが行き過ぎると、自分を見失ってしまいがちだから、自分を取り戻していくことが大事だったりする。

どちらか、ではなく、両方、大事なんです。
だから両親がウルサく人様がどうのこうの、世間体やらなんやら
ちゃんとしなさい、なんちゃらかんちゃら、というのは間違いではないんです。
社会性を身につけてもらわないと世の中で生きていくのに困るだろうと教えてくれている訳です。

ありのままは、よく見せたいという自分もそのまんまの自分も全部。
それを受け容れるのは、なぜか難しいと感じてしまうのも人間ならではなのかもしれません。

優しい人ほど、自分のことを優しくないと言います。

これは心理カウンセラーになって一番衝撃を受けたことです。

優しい自分も
優しくなりきれない自分も
イジワルな自分も
素直になれない自分も

ぜんぶ。

それは、相手に認めてもらうことではなくて
自分が受け止めていくことなんだろうな、と思う。

最高にステキに見せていた恋愛相手に
深まれば深まるほど
最高に醜い部分を見せることになる。


それでも愛し合えるということの奇跡。


惹かれあう時は、間違いなく自分では欠点だと思っている部分で惹かれあう。
これは無意識なんだろうと思う。

そして、お互いにいい相手であろうとする。
そこが原点であり、愛を育てる秘訣だと思う。

だからといって、自分を大切にしない相手を守ろうとしてはダメ。
それは自分も相手も大切にしていない。
これ、本当に難しいことですね。
どこからどう変わってしまったのか、氣づかないうちに
とんでもないことになってしまう。

理想に向かっていくのはいいけれど、
自分を追いつめない。



ありのままがそのままになる。

それが自己一致の旅なのかもしれませんね。


パートナーシップは、それを日々、体験として教えてくれます。


好きでもない人からはよくアプローチを受けるのに、自分が好きになった人からは好きになってもらえないっていうことありがちです。

結局、猛烈アプローチの負け、付き合ってみるものの、やっぱりうまくいかない。

意を決して意中の人に告白するもいつも玉砕。

恋愛ってなかなかうまくいかないものですね。

そもそも、お互いがお互いのことを好きになることって奇跡的なことなのかもしれません。

だからこそ、お互いが愛し合うという世界にみんな憧れるのだろうし、そこに魅力があるのでしょう。

恋愛に駆け引きは付きもの。

素直に自分を出し合って最初から親密な関係を作れることなんて相当稀なことだと思います。

相手に好かれるように振る舞ってみたり、気のないふりをしてみたり、相手の気持ちを探ってみたり、勝手に想像して悶絶したり、何かしらの駆け引きから始まるのが恋愛でしょう。

その駆け引き自体がもう恋愛の一部と化し、駆け引きだけで終わる恋愛を繰り返すことで恋愛気分を味わい、満足している人もたくさんいるように見受けられます。

結婚してもその関係が駆け引きの延長で、お互いがオープンになれずに延々駆け引きを続けているカップルもなんと多いことか。

下手すると死ぬまで駆け引きで成り立った関係が続くなんていうことを考えると、ゾッとします。

自分をオープンにするには勇気がいります。

 素直にオープンになった自分を相手が受け入れてくれなかったら・・・

 オープンになることでこの関係性が壊れてしまったら・・・

 そもそも、オープンになんてできるはずがない・・・

 この自分だけは絶対に隠し通さなくては・・・

などという信念が、簡単に自分らしく振る舞うことを邪魔します。

その信念を乗り越え、より深く分かり合おうとしない限りは、駆け引きをせざるをえないでしょう。

その信念を守れるような恋愛の仕方しか知らない、その信念を守ることが優先であると、同じようなパターンの恋愛を繰り返してしまいます。

「好きな人に好かれない」という現象があるのではなく、「好きな人には好かれない」ようにしている。

「好きでもない人からばかり好かれる」ではなく、「好きでもない、その程度の人だったらOK」にしている。

自分の信念を守るためにそうすることが最適だということ。

恋愛には自分の信念のパターンが色濃く表れます。

状況や現象を変えようとしても無駄です。

人が変わろうと、状況が変わろうと、巧妙に同じようなパターンに自分が持ち込んでしまいます。

自分のパターンに気付いたら、そのパターンを自分が望んで引き起こしているということを認めない限りは、このパターンから自由になることはできません。

受け入れ難いことですが、それを認めることができたら、駆け引きを超えた親密な恋愛の世界に足を踏み入れることができるでしょう。

駆け引きも楽しい。

だけど、駆け引きだけで一生を終えたらもったいないです。

「何も思っていない人に好きになられ、好きな人には好きになってもらえません。」

それは、めちゃモテる人、もしくは、自分をわかっていない人(笑)なのかもしれません。

単純にモテる人は、しっかりNoを言うためや価値を認めるためのレッスンと心得て。
曖昧な返事は、結局のところ相手を傷つけます。

冷静に考えてみると、自分が好きだからといって相手も自分を好きなんて奇跡だと思いませんか?
だって、これだけの人間がいるんですよ、地球上には。
だから、自分が相手のことを特別に思えなくても悪いことではありません。
逆も真なり。



好きな人が自分を好きになってくれない。。。。


それは普通なんです。
自分が好きになったからといって好きになってくれるというのは奇跡なんです。


「では、奇跡を起こす方法を教えてください。」


一番の魔法は「ありのまま」なんです。
ありのままが好かれるから、いろんなことがあっても愛を育める。


好きじゃない人からモテて、好きな人からは好かれないというのは、
自己認識のズレがあると思います。
自分の価値を下げていないか、無意識に本当に好きな人を拒絶してしまってはいないか、再考してみると良いと思います。

いつもは自信たっぷりに振る舞っていても、どこかで自分は本当は愛されないのではないかと
怖がっているのかもしれません。
愛されることを恐れるのは、自分が思っているよりはるかに大きかったりします。

私も、いつか夫が父のように豹変してしまうのではないか、
いつか飽きてしまって冷たくなってしまうのではないか、
私じゃなかったら彼はもっと幸せだったのではないかと
不安でなりませんでした。
10年くらいは、それがメッチャ気がかりでした。
長い?かしら。
しつこいんです。

10年を過ぎた頃には、私の勝手な不安で相手の愛情に不安を感じること自体が失礼なことだなぁ、とアタマではなくココロで感じられるようになり、
相手は他の人を好きになる自由を受け容れた上で、今、愛されることを楽しもうと切り替えられるようになりました。
それでも、ふと不安になることがあるんです。
それくらい根強い。

自分の価値、愛される恐れを自覚したら、
きっと運命の人は視界に入ってくるはずです☆

もっと言うと、別に何もしなくても大丈夫なんです。
よほどがんばって人を拒絶したり、引きこもらない限り、
惹き合うようになっている。

その時に、拒絶したり、視界から外さないようにだけお気をつけ下さいませ。



すべての出逢いが運命ですけれどね☆

最近、口癖のように「結婚したいです。でも出逢いがないんです。」と言っていた人々が
次々に結婚していくので、
「どこで出逢ったの?馴れ初めは?」
と聞くことにしています。
だって、あれだけ言ってたんだもの(笑)
出逢いがないって。

そこで聞いたのは、

昔から知っていた人ではあったけれど、
その当時はさっぱりピンと来なくて、
偶然(運命ですね!)再会して。


という話。
これ、意外に多いんです。
新しい出逢いと思いきや、なんとまさかの知り合っていた人。
まさに運命ですね。
そういえば、姪もそうでした。
大学時代に「あ、そういえば、いたな。」みたいな。
大学が一緒だったからその時からのおつきあいかと思ったら違ったんです。
その時はさっぱり?だったかどうかはわかりませんが。
なんともお似合いで、美人さんなので今までもいろいろ恋もしてきたでしょうに。
彼と恋に落ちて一気に結婚!というのは、やはり運命だったのかもしれませんね。

同級会で、なんて話も聞きますね。
灯台下暗し。
もしかしたら運命の人と出逢っているかもしれませんよ!
たぶん、そう。

気負わず、決めつけずに、一瞬一瞬を楽しみましょう。

きっと、そのうち氣づきます。



あ、私、この人のこと好き。

一緒にいたい。

離れたくないな。


青い鳥は、すぐそばに。